Ball Driver
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第六話 化学部の佳杜
第六話
南十字学園には、自動車部というものがある。
「やーっと手に入れたんだぜ!?このクランクシャフト!これを交換してやるとだなぁ!」
「は、はぁ……」
大学にも、自動車部というものはあったりする。大体が、体育会の部活としてあるはずだ。
しかし、南十字学園においては、それは文化部として登録されている。自動車はレースではなく、文化らしい。魂らしい。美学らしい。
「よーし、今すぐ試してやるぞォ!どれどれ……」
「って、ちょっ!?合田先輩!さすがに屋内で排ガス垂れ流すのはマズいっす!」
「うるせぇ!この匂いが分からんバカなんざほっとけ!この排ガスの匂いは、人が距離を乗り越え、時間を乗り越え、速度の限界を乗り越えてきた証だ!」
自動車が文化部として登録されているのは、一説によると、合田哲也が野球をしない日に放課後ずっとバイクを弄るのを正当化する為らしい。
そしてそれは、殆ど正解である。
「げほっ!げほっ!ヤバいっすよこれ!もー何やらかしたんっすか!」
「うーむ、少しだけ失敗したな。しかし、失敗から得る事も多いんだ。失敗を恐れちゃいけねぇんだ!」
南十字学園の生徒、特に寮生は、蔑みと一種の呆れを込めて、活動人数ほぼ1人の自動車部をこう呼んでいる。
“シャブ”と。
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「あーっ、体中オイルと煤だらけだ……シャブはボツだな、ボツ!あれなら、演劇部の方がよっぽどマシだ!」
校内の流し場で自分の体を洗いながら、権城が毒づきまくる。まだどの文化部に入るのか決めてないと哲也に言ったが最後、強引に哲也の部屋に連れていかれたが、シャブがシャブなどと罵られるその理由だけはキッチリと理解できた。
「あーっ!ホンットこの汚れ、全くとれねぇじゃん!水じゃ限界か……」
いくら洗っても、真っ黒に染まったままどうにもならない自分の服に、権城はすっかり嫌気が刺した。捨てるしかなさそうである。それなりに気に入っていた服だったのに。哲也に弁償してもらおうか、いや、そんな話に哲也は乗ってこないだろう。全く反省してなかったし。
「やぁ。どうしたんだい。小汚い格好で。」
そこに紗理奈が通りかかった。
今日も体操服姿だった。演劇部の練習だろう。
いや、演劇部の練習で体操服姿というのも結構おかしな話なのだが、ここの演劇部は実際頭おかしいほどの体育会系なんだから仕方が無い。
紗理奈の体操服も汗で微妙に透けていた。
権城が事情を説明すると、紗理奈は若干呆れたような顔をした。
「あぁ、そういう事か。それなら、化学部の部室に行ってみると良い。ウチの化学部は、結構優秀だ。何とかしてくれると思うよ。」
「あぁ、本当に。ありがとうございます。」
呆れながらでも、ちゃんと方法を与えてくれる辺りはさすが紗理奈だった。
権城は、クラブ棟の中の一室、化学部の部室に向かった。
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「ここか。」
化学部の部室は、クラブ棟の奥の奥、少し光の陰った場所にあった。ハッキリ言って、ちょっと怪しい。他に部屋もあるだろうに、こんな辺鄙な所に好んで部室を構える辺り、何とも言えない陰キャの匂いがプンプンしている。
(そもそも、化学部って何なんだ?実験でもしてるのか?つまりは、好き好んで理科の勉強を部活にしてるって連中なんだよな。)
権城の脳裏には、グリグリメガネの集団が容易にイメージされた。そういう子達と、これまでの学校生活で仲良くした経験はあまりない。が、自分の服を取り戻す為なら、四の五の言ってられない。権城はドアをノックした。
「すんませーん」
一度目の呼びかけにも、返事は返ってこなかった。
「すんませーん」
二度目の呼びかけにも返事なし。
部室の中の灯りは灯っているのにも関わらず。
(よし!入ってみるか!)
グズグズしていると、下校時間を越えてしまいかねない。権城は返事を待たずに、そのドアを開けた。
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「恋する〜ハピネスクッキ〜♪」
ドアを開けたそこには、予想外の光景が繰り広げられていた。マイクを持って、歌っている女の子が1人。一つにくくった黒い髪、クールなメガネ、腰をくねらせ、歌って踊っている。
「!!」
女の子は権城の方を振り向いた。機嫌良く歌っていた先ほどから、一瞬で殺気立った表情に。
その変わり身の速さ、尋常ではない。
「将来〜そんな悪くないよ〜♪」
その女の子の殺気を和らげるべく、権城は歌の続きを歌って踊る。しかし女の子はそんなボケに構わず、権城にぐい、と詰め寄った。
「……秘密にして下さい。」
「はい?」
よく見ると、女の子の制服は少し高等科とデザインが違った。中等科の生徒らしい。
「私が歌ってた事。秘密にして下さい。バラしたら、殺します」
「は、はぃ」
やたらめったらキツい視線を送られ、権城はあっさりと頷かざるを得なかった。
「……何の用ですか?」
「あ、この服の汚れ、落として欲しいんだけど」
権城が差し出した服を女の子はひったくって、部屋の奥のカーテンの向こうへと消えていった。
ジャブジャブ……液体を使っているらしい音が聞こえてきて、その作業は思いのほか早く終わったらしい。女の子がカーテンの向こうから出てきた。
「はい。綺麗になりました。最近どうも、化学部が洗濯専門家と思われているようで癪ですが、これと引き換えに、さっきの事は忘れて下さいね。」
「あ、あぁ……」
女の子はほぼ突き返すように服を差し出した。その服は、あろうことか真っ白だった。どうやら汚れだけでなく元の色も落としてしまったらしい。何しやがってんだよ!と叫びたい気持ちをぐっとこらえて、権城はその服を受け取った。押しかけて洗わせておいて、文句まで言うのはさすがに気が引けた。相手がこんな無愛想な女の子だし。
「!ねぇ、君」
「はい?」
「名前は?」
「……中等科3年の、仁地佳杜」
服を受け取る時、女の子の手を見た権城は、唐突に名前を聞いた。女の子は、訝しげな顔をしながら答えた。
「ありがとう、仁地佳杜。助かった。」
相当にぎこちない笑みを見せて、そそくさと権城は部室から出て行く。佳杜はその後ろ姿を、メガネの奥の目を不審そうに細めて見ていた。
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「仁地佳杜かぁ……」
日も暮れてきたクラブ棟の廊下を歩きながら、権城はつぶやく。その脳裏によぎるのは、つい先ほど見た佳杜の手のひらだった。
(やたらめったら、マメができてたよな。もしかしたらあいつ、めっちゃバット振ってたりするのか?て事は野球してるって事になるけど。)
すっかり色が落ち切ったアルビノ服を脇に抱えながら、権城は寮に戻っていく。
時間や服や、色んなモノを失った一日だったはずなのに、何故かそれほど、今は悪い気はしてなかった。
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