相棒は妹
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志乃「兄貴を道連れにする」
現在日曜日の深夜二十三時頃。すっかり静まり返った家のリビングで、俺はアイスを食っていた。
うちの家族は二十二時が就寝時間なので、この時間に起きているのは俺や妹ぐらいだ。まぁ、あいつは自分の部屋でピアノの練習してるんだろうけどな。
スティック形のアイスを口に含み冷たさを感じていると、自然と頭まで冴えてきた。最近の出来事が早送りで巻き戻される。
改めて高校生活がスタートしたと思ったら志乃に俺のこと暴露されて記憶吹っ飛んで、次の日カラオケに行ったら金銭目的のグループに店内占領されて……こんな激動の日々、俺は望んでなんかいないぞ。
志乃との関係もまずまずといった感じだ。俺のことをクラスメイトの奴らに言った事については、むしろありがたいと思った。でも、その後に起こったカラオケ店ジャックでこいつを怒らせてから、俺は少し居心地が悪かった。
あいつは今日もいつも通りに俺に接してきた(喋ったのは飯食った時ぐらいだけど)。とても昨日の鬼気は感じられなかった。
そして、あいつが考えている『目的』とやらについて。ああ、なんか忘れそうになってた。でもしょうがない。だって志乃教えてくれないんだもん。
俺が歌う事であいつに何か利点が生まれるとは思えない。それなのに、あいつは俺にカラオケに行くよう命令してくる。休日に一緒にカラオケに行く事に最近違和感が無くなりつつある。定番化ってやつだ。
アイスを食い終わったところで歯磨きを開始する。前の学校に、夜しか歯を磨かない奴がいたんだけど、本当にあいつの神経が理解出来ない。何で歯磨かないのに生きていけるの?人間辞めたも同然だぜ?
歯磨き開始と同時にテレビを消す。するとリビングにはシャカシャカという聞き慣れた音だけが残った。音源である俺の口には歯磨き粉が溢れ返りそうになっていて、一度洗面所に行って溢れそうな分を吐き出す。
いつもと変わらない動作。いつもと変わらない事象。
平和だな、本当にそう思う。
思えば、今まで忙しずぎた。こんな歳から暇を無駄に覚えてしまうのはよくないのかもしれないけど、それでも今はのんびりすべきだと思う。
小学校の頃からやっていた剣道は勿論、塾や算盤もやってたな。中学なんて忙しすぎてヤバかった。中一で時間が無さすぎて算盤辞めたんだっけ。
高校は言うまでもなかったけど、それも一年経たぬ内に終わったわけだし。今頃後悔する気も無い。そういうのは全部精神的にも物理的にも吐き出したからな。
やがて歯磨きも終わり、俺はリビングを後に階段を上がる。今日はもう早く寝よう。
俺は一度人生の路線からずれちまったけど、こうしてやっていけてるだけ幸せだよ、ホント。今はただ、のんびりしよう。
そう改めて思いながら階段を登り終え、自室に向かおうとした時、隣の部屋からタン、タンという音が聞こえてきた。
今となっては歯磨きぐらいに聴き慣れた音。これは、志乃がピアノの鍵盤を叩いている音だ。あいつは本物のピアノにオプションパーツを取り付けたものを使っていて、お気に入りのヘッドフォンをUSBのところに挿して弾いているのだ。これなら音漏れの心配はなく、こんな深夜でもピアノの練習をする事が出来るのだ。
毎日二時間ぐらいはやってると思う。俺が知らないところでもやってるんだろうが、俺が知る限りではそのぐらいだ。俺は実際に聴いた事ないんだけどな。
今部屋に入ってみようかとも考える。が、その考えを取り止める。そんな事をして練習の邪魔にでもなるのは御免だ。それに、俺がドアをノックしてもあいつは気付かない。俺がいつの間にか部屋にいた、みたいな絵が出来た時には俺は取り返しの付かない立場になっちまう。
というわけで、ここは大人しく自室に入る事にする。もう寝よう。明日は憂鬱な学校があるんだし。
*****
右耳元で目覚まし時計がけたたましく鳴り、俺は重たい目をゆっくりと開く。やべ、今日は寝起き悪い。すげえ肩重い。
俺は時折ふらつきながらも頑張ってリビングまでやって来る。うつろに開いている目から送られる情報は曖昧で、朝飯を作っている母さんの後ろ姿はいつも以上にぼやけている。俺、目悪いんだよ。
リビングのソファに腰を下ろして、俺はあくび混じりに母さんに問い掛ける。
「あれ、父さんは?」
「もう仕事行ったわよ。何か用事あったの?」
「別に何も無いけど。志乃は?もう行ったの?」
「ううん、多分まだ寝てると思う。あの子、もしかして目覚まし掛けてない?」
そんな心配そうな呟きを吐き出す母さんは、フライパンで焼かれたウィンナーを皿に乗せる。焼け焦げた部分が、俺の食欲をかき立てている。
「それにしても、あの伊月が警察から表彰だなんてねー。母さんも鼻が高いわ」
「んなことで鼻高くしてないで、とっとと洗濯の仕方覚えろよ」
「大丈夫大丈夫、おばあちゃんが全部やってくれるから」
「それじゃダメだろ!」
ホントにこの母親は……。料理作れて裁縫出来て、それなのに洗濯機の使い方すら覚えられないって、どんだけ個性的なんだよ。ステータス歪みすぎだっつの。
そこで自然とあくびが出る。やっぱ昨日は早く寝るべきだったな。このままだと学校で寝ちゃうぞ俺。
ここでずっと座っていると、その後行動したくなくなるので、俺はのそのそと朝ご飯を食べる準備を始める。
そうして朝食の準備が終わり、俺が朝飯を口に運ぼうとしたその時、階段を踏み歩く音が聞こえた。志乃のやつ、やっと起きたのか。
俺が階段の方を向くと、そこには俺と同じくパジャマ姿の志乃が突っ立っていた。手入れされていないその髪は寝癖だらけで、顔からは眠気以外のものが感じられない。さては寝不足だな。
その姿は、とても土曜日の亡霊じみた雰囲気を醸し出していた人物と同一とは思えなかった。
とりあえず、朝の社交辞令として声を掛けてみる。
「おはよ、志乃」
「……ん」
挨拶なのか呻きなのかよく分からない返答をした当の志乃は、そのまま俺の隣の椅子に座って、そのまま動かなくなった。なんかさっきの俺と同じような動きしてない?
とか思いながら、朝飯を胃にかきこむ。朝はちゃんと食わないとな。食わなくていいのは間食ぐらいだ。
ふと志乃の方を見てみると、いまだに椅子に座ったままうなだれていた。飯を食う気配が無い。つか、このままほっといたらこいつこの場で寝る。
「おい志乃、飯食った方がいいんじゃないか?」
一応そう声を掛けてみると、志乃は小さくうなずいてゆっくりと動き出した。かったるそうに動くその姿は、動物園にいるコアラのようにどんくさかった。いや、さっきの俺も人の事は言えないか。
やがて志乃も朝飯を食べ始め、俺達は互いに会話するわけでもなく、目の前の食事を咀嚼する。母さんはいつの間にかリビングからいなくなっていた。多分俺達が飯を食い終わるまで部屋でコス作りをしているのだろう。なんて面倒な動きだろうか。
先に食い終わったのは、勿論俺だった。食器を台所に持っていき、洗面所に向かう。コンタクトを付けて歯磨きをする。全く変わり映えのない展開だった。
俺が歯磨きをしながらリビングに戻った時、いまだ朝飯にありついている志乃が俺に声を掛けてきた。
「兄貴今何時」
テレビの左上に表示されてるだろうが。とはいえ、俺はそこまで小さい器でもないので素直に「七時四五分」と答える。学校登校完了時間は八時一五分。家が遠い人なら完全にアウトな時間だ。
幸い、俺達の家から藤崎高校までは近いのでこの時間でも遅刻ギリギリで間に合う。まぁ、多分走るなこれ。
「このままのんびり飯食ってたら、お前ガチで走る事になるぞ」
「それは兄貴も一緒」
「なんで?」
「兄貴を道連れにする」
こういう時ばっかり兄貴を使いやがって。まぁ、こいつ一人取り残して俺だけ先に家出るのは後味悪いな。
*****
八時。
俺達はやや速歩きで学校に向かっていた。
本当なら、もう少しだけ早く家を出る事が出来たのだが、志乃が片足だけ靴下を履いていないという、見事なボケをかましてくれたおかげで予定より遅めの登校になった。
「兄貴歩くの速いんだけど」
「お前は遅刻する事の危機感を覚えろ。入学二日目から遅刻するとか、だいぶ目立つじゃねえか」
俺は一度退学してるんだから教師陣から余計に見られるだろうな。それに……。
「だいぶ、っていうよりすでに目立ってるよね」
そんな志乃の呟きに少しだけ胸が痛くなるものの、俺は歩くのを止めない。運動不足な志乃のために猛ダッシュしないだけありがたいと思ってほしい。
やがて藤崎高校の正門が見えてくる。比較的住宅が密集しているこの地域に高校があるとやっぱり目立つな。
正門にはすでに委員会や生徒指導の教師はおらず、くぐった先には朝練を終えたと思しき生徒がグラウンド側にちらほら見え、彼らもダッシュで校舎に向かっている。やっぱ走らなきゃダメか?
「志乃、走れる?」
「三分間だけ」
「ム●カか!」
いつものやり取りを高速で終えて、俺達は校舎目掛けて走り出す。
その時、俺は志乃と自然な会話を交わす事が出来ている事に気付いた。
だが、それでも現実は常に前に進んでいる。人間が普段後ろを向いて歩く事が無いのと同じように。
さぁ、憂鬱な学校生活の始まりだ。
気分の晴れない俺を慰めてくれるように、春のすっきりした陽気が一帯を吹き抜ける。
……俺、花粉症なんだけどね。
後書き
志乃の使っているピアノは、自分の妹や母から取材したものを簡単に文章に表しているものなので、実際にピアノを弾いておられる方から見て変に思われたら、それは自分の失態です。あらかじめご了承下さい。よろしくお願いします。
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