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トワノクウ

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トワノクウ
  第三十夜 冬ざれ木立(二)

 
前書き
 答え と 炎 

 

 〝だから、今日で終わらせましょう。人って何か。妖って何か。その議論〟



「――いいですね。貴方の声や思想は刺激的だった。もう聞けないと考えると残念ですが」

 菖蒲の目元が和らいだ。くうが同じ混じり者だからこそ引き出せた表情で、〝人間〟であれば見られなかった表情。

「私から行かせていただいても?」
「どうぞ」
「ではこれが最後の問いです。――篠ノ女さんは、人の闇から生まれる妖をどう思いますか?」

 言葉を探してわずか迷うも、顔を上げて言った。

「全部分かってるわけじゃ、ありません。くうが見た妖たちはきっと、ほんの一部でしかないと思います。いい妖も、悪い妖も、ほんのカケラなんだと、思います」

 善悪が全てなんて思わない。有害無害でもない。中間を含めて三要素になっても、全てを知っているなどとおこがましいことは言わない。
 それぞれの理由があって、それぞれの行動をする。
 全部を理解することは一生できない。人が全世界の人を理解できないように。

「初めて梵天さんや露草さんを見た時、とても綺麗だって感じました。今まで会った人達を綺麗だって感じた時の気持ちと、全然おんなじでした。その気持ちは今も変わってません」

 相手をどう感じるかは種族によらない。その個人、個性による。

「人とか妖とか、どーでもいいです。妖だからって好きになれるわけじゃなくて、私は、妖の中にも大好きな方たちがいるってだけです」

 持論を開帳し終えたくうは、今度は菖蒲の考えに切り込むことにした。

「次は私の番です。――菖蒲先生は、人間をどうお思いですか?」
「……好きではありませんね。私の妻は、人間の欲と弱さのために死んだようなものですから」
「その気持ち、人間って存在全部に向けてのものですか?」
「ええ」

 菖蒲の目の虚ろさは、暗い部屋に一人ぼっちの子供のようで。
 ずっと膝を抱えている彼を幻視してしまったほどに、胸に迫った。

「そんなの、とっても矛盾論理です」

 やっと掴んだ菖蒲の綻びにためらわず切り込んだ。

「だって、菖蒲先生の奥様は人間なんでしょう?」

 菖蒲は息を呑んだ。

「人間全部を嫌いになったら、奥様まで嫌わなきゃいけなくなっちゃいます。菖蒲先生にひどいことした人たちは嫌いでいいです。許さなくていいです。でも、奥様まで嫌わなきゃいけない考え方はやめてほしいんです。悪いのは人間だからじゃない、悪だから人間なんでもない。そう思っては……もらえませんか? 菖蒲先生」

 菖蒲はしばらく驚いたまま、くうをまじまじと見つめていた。
 とても長い間そうして、菖蒲はふっと表情を緩めた。

「――完敗です」

 菖蒲は梵天を顧みる。

「梵天、これは貴方の入れ知恵ですか?」

 段上の梵天は肩をすくめる。

「まさか。彼女が考えた上で出した結論だ」

 菖蒲のため息に苦笑が混じった。

「とても腹が立つ考え方ですね。腹が立つくらい――すがすがしい考え方」

 菖蒲の穏やかな笑みに、くうは思わず自分も顔を綻ばせた。
 ――届いたのだ。

「貴女の考え方は簡単に見えて実行がとても難しい。種族で括ったほうが憎みやすいからです。個人を憎むためにはその個人を知っていなくてはいけませんから。楽なのは人という縛り、妖という縛りで相手を憎むほう。それでも……篠ノ女さんの考えは変わりませんか?」
「はい。これからも、誰かに出会うごとに、相手をどう感じるか考えて、それから好きか嫌いかを決めます」
「応援はしません。できませんから。でも、見届けさせてください。貴方の行く末を」

 くうは元気に「はいっ」と答えた。

 くうから話すべきは話した。菖蒲も話した。ここでお別れになるとしても満足だ――と考えていたくうの、耳に。

 その音色は、飛び込んだ。







 もうじき新しい姫巫女の就任式が始まるという時に、真朱は一人、社の境内にいた。

 社の中は居心地が悪かった。新しい姫巫女が来たからだという自覚はあった。
 新しい姫巫女を嫌っているのではない。彼は真朱に今までと変わらぬ生活を約束してくれた。望むなら兄がしたのと同じように肉親として扱うとまで言ってくれた。
 しかし、真朱は彼の申し出に対して首を横に振り、彼に仕える一巫女としての立場を選んだ。

(私のお兄様は兄様だけ。自分で定めたことなのに)

 置き場のない身を持て余し、仕事を放って脱け出した。

 真朱は勝手な己に対して溜息をつき、袖から銀にきらめく舶来の横笛、ハァモニカを取り出した。
 ハァモニカは、陰陽寮にいた潤の友人が買ってくれた物だ。潤の持っていたものを見つけたかったが、無理だったから詫びだ、と。

 真朱はゆっくりとハァモニカを吹き始めた。

 潤がくり返し吹いていたから耳で覚えて、こっそりハァモニカを拝借して練習した曲だ。
 曲の良し悪しは分からないが、真朱は兄が好んでいたからこの曲が好きだった。

(どうして兄様と潤朱が死ななきゃいけなかったんだろう? 二人は妖と戦い続けて、人の世を守って、坂守神社の皆を守って、真朱を守ってくれた。あんなにもすばらしい人達が、どうして妖なんかに殺されなきゃいけなかったの……)

 じゃっ、じゃっ。

 玉砂利を踏む音がして、真朱は独演をやめる。一人抜け出したことを咎められるか、あるいはもしや、あの優しい姫巫女が心配して迎えをよこしてくれたのか。

 ふり返った真朱が目撃したのは、どちらでもなかった。

「お前……」
「真朱、さん」

 そこにいたのは、西洋ドレス姿で、息を切らした篠ノ女空だった。

 互いに互いの存在に驚いている。だが真朱は急いで驚きを隠した。妖に巫女が恐れを抱いたなど悟られるわけにはいかなかった。そう、思っているのに。

 篠ノ女空の瞳が、あまりに()()()()だったから。

「その曲は彼岸にしかない曲です。どうして貴方が知ってるんですか」
「じゅ、潤朱が教えてくれたんだもん!」

 くうは蒼白になる。真朱の心の暗い部分が快哉を上げた。


 ――ねえ、お前は知らないでしょう? 私と兄様が潤朱とどれだけ幸福な時間を積み重ねてきたか。お前なんか及びもつかないくらいに、私も兄様も潤朱に大切にしてもらったのよ――と。


「出てって。ここは神聖な坂守神社。妖がいていい場所じゃないんだから」

 勝ち誇るはずだった。だが、くうは全く、一切合財、これっぽっちも堪えなかった。

「――何も知らないんですね、あなた。妖の真実も、潤君のホントウの気持ちも」

 哀れみさえ含んだ視線を浴びせられた。
 真朱は人生でおそらく最速で激昂した。

「知ってるわ! どうせお前が何かしたのでしょう!? 彼岸人だからって潤朱をたぶらかして……でなきゃ兄様や潤朱があんなことで死ぬわけない! 兄様達はどんな大妖にも負けないくらい強かったんだもん! 賤しい妖……許さない!」

 真朱は巫女服の袖に手を入れた。真朱の虎の子の札がある。かつて坂守神社を辞した、姉のように慕っていた巫女長が使っていたものだ。

(真朱、がんばるから。だから真朱に力をちょうだい、鶴梅)




「賤しい妖……許さない!」

 真朱は袖から符を取り出すや、くうに放った。符はくうの、薄い影に貼りつく。
 すると、その影がスライムのように起き上がり、うねって形を成し始めた。くうは驚いて立ちすくむ。

「己の影に捕われなさい! 抵抗は無駄よ。そいつに傷をつければそっくりそのまま己に帰るんだから!」

 黒い塊が着色されてゆく。金のような赤は、踊り狂う炎へと姿を変えてゆく。くうの目には、炎は黒い鉄で出来たいびつな鳥の翼のように見えた

(これが、白鳳)

 炎の群れはくうを標的としていた。
 炎が管を巻き、逃げようとしたくうに絡みついた。

「きゃああああああああああああっっっ!!!!」

 焼けて焦げる。溶けて崩れる。
 痛いより、皮膚が乾いて、どろどろになった細胞が眼窩から、毛穴から流れる感触がおぞましい。

 どさ、じゃら。玉砂利の上に投げ出される頃には、もうくうの(たい)は原型を取り戻しつつあった。

 ――拷問だ。あれほどの苦痛を味わっても死は許されない。

「う……ふぇ……っ」

 気づけばくうは背中を丸めて嗚咽していた。

 痛いよ。体中痛い。誰か止めて、誰か助けて。

(朽葉さん……露草さん……梵天さん……菖蒲先生……)

 目の前にはくうに理不尽な殺意を向ける真朱しかいない。真朱は無慈悲に二枚目の符を投げる準備をしている。
 また自分自身の炎に焼かれれば、死ななくても気が狂ってしまう。

(もういっそ殺して。死ぬなら今この瞬間がいい!)

 符が飛んでくる。影に貼りつき、再び炎の宴が始まる。
 くうは体を丸めてきつく目を閉じた。



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