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3部分:第三章
第三章
そうしてである。さらに言うのだ。
「もう」
「けれど食べることも殆どしないし」
「食べません」
実際に殆ど何も食べていなかった。食べられなくなっていた。拒食症に近い状態にもなっていたのである。
「お腹空いてませんから」
「そう言っても」
「いいんです」
何を言われてもこう言って拒むのだった。
「本当に」
「いいの?それで」
「どうせ」
そうしてであった。言うのであった。
「もう。私は」
「告訴されなくなったわ」
医者はこのことを彼女に言う。
「それでもなの?」
「それでも」
また言う雪だった。
「私は」
多くを言わなかった。もう言う気力もなかった。そうしてである。
身動きせずただ白い天井を見ているだけだった。そのまま退院まで過ごしてである。退院すると部屋の中に閉じこもった。もう誰とも会おうとはしなかった。
部屋を出るのは風呂とトイレの時だけだ。食事は扉の前に置かれるものを取ってそのうえで食べる日々だ。そうした日々を過ごすだけになっていた。
その雪に両親も声をかけなくなった。娘を疑った、いや決め付けたことで二人も負い目を感じていたのである。しかしそんな彼女にだ。
ある日のこと扉を叩く音がしてきた。そうして声がしてきた。
「いる?」
「いるって?」
「私よ」
明るい声が聞こえてきた。
「私だけれど」
「誰なの?」
ベッドの上に蹲ったままで問う。部屋の中は真っ暗闇である。雪は毎日その中に閉じ篭もるようになってしまっていた。そうして何をするでもなく蹲っているままなのである。
「一体」
「だから私よ」
声は女のものであった。
「私だけれど」
「私じゃわからないわ」
「レイラエよ」
日本人のものとは少しかけ離れた名前が出て来た。
「レイラニよ」
「レイラニって?」
「ほら、従姉の」
こう言ってきたのである。
「覚えてない?昔よく遊んだじゃない」
「レイラニっていったら」
扉の向こうの声を聞いてである。記憶を辿ってそのうえで言うのであった。
「レイちゃん?」
「やっと思い出してくれたのね」
「確かハワイにいるんじゃ」
それは確かに彼女の従姉である。彼女の父親の弟の娘で母親がアメリカ人なのだ。それで名前がそうなったのである。なおその母親は父がハワイ系で母が中国系となっている。そうしたアメリカらしいがいささか複雑なルーツを持っているのが彼女なのである。
かつては日本にいてよく一緒に遊んだ。しかし今は父親が自分の妻の勧めでハワイに移住しそこに一緒に移ったのである。それでハワイにいる筈なのだ。
それでだ。改めて問うのであった。
「どうしてここに?」
「大学がね」
「大学が?」
「日本の大学に入ったのよ」
そうだというのである。
「日本のね」
「そうなの。日本のね」
「それでも。何でここに」
「ここに住ませてもらうことになったのよ。下宿よ」
「そんなこと聞いてないわ」
これは当然と言えば当然だった。暫く入院していて退院した今は引き篭もっているのだ。それで何かを知ることなぞできる筈もなかった。
「全く」
「それでね」
扉の向こうのレイラニは雪に構わず言ってきた。
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