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一歩ずつ

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1部分:第一章


第一章

                       一歩ずつ
 疑われたのは。いきなりだった。
「おい、藤本」
 藤本雪はアルバイト先の店長にいきなり怖い顔で問われた。
「御前じゃないのか?」
「えっ!?」
「だから御前だろう」
 いつもは穏やかな店長がこう彼女に問うてきたのである。その怖い顔でだ。
「御前が盗んだんだろう?店の金」
「店のお金って」
「昨日御前が最後だったよな」
「はい」
 彼女はハンバーガーショップでアルバイトをしている。誰でも知っている有名なチェーン店である。今も店で開店準備にあたっている。
「じゃあ御前しかいないだろう?」
「あの、店のお金って」
「しらばっくれても駄目だ」
 店長はまた彼女に言ってきた。
「御前が戸締りして最後に帰ったんだからな」
「それはそうですけれど」
「じゃあ御前しかいないんだよ」
 店長はさらに怒った顔になっていた。
「御前以外にな。店の金を盗んだのはな」
「違います」
 雪は俯いてこう言った。その白い顔はさらに白くなり眼鏡の奥の長い睫毛を持っている二重の丸めの目も伏せられている。桃色の筈の唇も蒼くなっている。ショートの髪も乱れた感じになってしまっている。
「私じゃありません」
「じゃあ証拠はあるのか?」
「それは」
「ないな。じゃあ御前だな」
 雪は反論できなかった。まずバイトは首になった。そしてそれで済まなかった。バイト先の仲間達はそんな彼女を冷たい目で見送るだけだった。それどころか彼女の制服を彼女の目の前で破り所持品を全て店の外に投げ捨ててである。追い出しさえしたのである。
 店長はそれで終わらせなかった。彼女を刑事告訴すると言い出したのだ。
 友人も誰も信じてはくれなかった。露骨に彼女を避けるようになり電話もメールもなくなった。家を訪ねてみても誰も出て来ない。近所でも露骨に陰口を言われ後ろ指を刺された。それまで親しく笑顔を向けてくれた人達が急に背を向け顔を顰めさせて背中を見て囁くだ。
 家でもであった。何かというとその話になり彼女は家族からも言われるようになった。始終彼女に対して顔を曇らせて言ってきたのである。
「おい雪」
「本当のことなの?」
 両親にこのことを問われるのだった。
「御前バイト先のお金盗んだのか?」
「そんなことしたの?」
「してない」
 両親に対しても俯いて答える。
「私そんなことしてない」
「本当か?」
「そんなことしてないの?」
「してない」
 こう答える。しかし両親は彼女を信じようとしなかった。それでこう言ってきたのであった。それはあからさまな言葉であった。
「若ししていたらな」
「早く出しなさい。そうしたら罪は軽くなるからね」
「そんな・・・・・・」
 両親の今の言葉は何よりもショックだった。親にさえ信じてもらえない、そのことが何よりも辛かった。雪はその言葉を聞いて完全に終わった。
 それから部屋の中に閉じこもり出て来なくなった。携帯の電源も切り全てから逃げた。しかしそれでも告訴の話が来て親が扉の向こうからそのことをしきりに問うて来る。そしてある日のことだった。彼女は遂に早まってしまったのであった。
 風呂に入っている時に手首を切った。湯舟の中に浸って全てを終わらせようとした。そのまま意識を失ったが風呂があまりにも長いので気になった母が見つけて救急車を呼ばれた。気付いた時には白い病室の中であった。そこで医者に言われたのである。
「危ないところでしたよ」
「何で生きてるんですか?」
 雪はこう自分の枕元に立つその中年の女の医者に問うた。
「あのまま死ねば終わったのに」
「詳しい話は後で聞きます」
 医者は今はそれ以上は聞こうとしなかった。
「しかし」
「しかし?」
「自殺をしても何にもなりません」
 こう彼女に言ってきたのである。
「そんなことをしてもです」
「けれど私は」
 雪は起き上がれなかった。体力以上に気力がなかった。その絶望しきった心の中で静かに医者に対して言ったのである。ベッドも病室も医者の服も何もかもが白い。だが今の彼女にはその白は明るいものには見えなかった。暗鬱なものにしか見えなかった。
 
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