銀河英雄伝説 アンドロイド達が見た魔術師
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ヤン代将のある一日
バーラト星系 惑星ハイネセン 軌道上 戦艦セントルシア
「訓練終了。
各艦艦長はレポートを提出するように」
ヤンの声に艦橋内の空気が緩む。
だからといって訓練をサボるとその代償は命になるので皆真剣である。
特に、近年同盟の天敵となったラインハルト……この間の帝国の式典によって大将に昇進し、ローエングラム伯爵家の名跡と戦艦ブリュンヒルトを皇帝より賜ったラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵への恐怖は同盟軍にしっかりと根付いていたのだった。
彼一人にほぼ一個艦隊を沈められているのだから、その恐怖はある意味当然だろう。
実際、ヤンが所属する第九艦隊がバーラト星系に戻ったのも彼によって第二分艦隊が壊滅させられたからで、再編成と訓練で三ヶ月は動けない事が確定している。
もっとも、これで割を食ったのが第三次ティアマト会戦で大損害を食らった第四艦隊で、第九艦隊を稼動できるように使える部隊を引っこ抜いたので、バーラト星系での待機が更に伸びる羽目に。
「おつかれさまでした。
ヤン提督。
この後、シャトルで惑星ハイネセンの統合作戦本部に行く予定になっていますが、変更はありません」
緑髪の副官が出世したヤンの階級を呼んでスケジュールの確認をする。
代将。
読んで字のごとく、戦闘時における『将の代理』なのだが、万単位の艦艇で殴りあう同盟軍において自然に居ついてしまった階級だったりする。
本来なら大佐の次は准将なのだが、そうなると戦艦や空母艦長が入ってしまい、その下に護衛の巡洋艦や駆逐艦がつく事に。
当然隊司令部を作るべきなのだが、省力化を推進する同盟軍は彼ら大型艦艦長にその職を押し付ける事で解決した。
そのため、大型艦艦長でかつ隊の指揮を取る大佐に代将に任命するという慣行が生まれるようになる。
もう少しこの代将の話を掘り下げると色々と生臭い話が出てくる。
戦場時における将の代理でしかないから、正規身分は『大佐』なのだ。
という事は、戦死して二階級特進すると『少将』で止まる。
これが、代将がなく准将だと中将までいってしまい、戦死後の遺族金の支払いが馬鹿にならない……世の中金である。色々と救いが無い事に。
とはいえ、飴が無い訳ではない。
戦時任命な為、代将の任命は艦隊司令部に一任されている。
同盟軍一個艦隊12000隻における大型艦の数はおよそ3000隻。
少なくともそれだけの大佐がいるのだが、一個艦隊に分艦隊は四つ、戦隊は十二個、隊は最大で百個程度しかない。
代将に任命されて会戦後の再編成において、将官の補充は当然代将から抜擢される事になる。
つまり、およそ3000人の大佐の中から抜擢されたと艦隊中に知れ渡る事になるのだ。
そして、戦場に出れは当然将官にも未帰還者が出し、代将は大佐と違い退役前に准将に昇進する事が慣行になっていた。
で、仮にも将がつくので、ここからは司令ではなく提督と呼ばれるのだ。
こうやって同盟軍の人事は流動化している。
話が長くなったが、ヤン大佐が代将と呼ばれるのも当然シヴァ星系での一件に他ならない。
一躍英雄となったシェーンコップ中佐に功績も面倒も全部あげたつもりだったのだが、緑髪の副官がそれを見逃す訳も無く、マスターコンピューター発見とサイオキシンプラント発見と帝国軍から分艦隊を救った功績を全部伝えられ、代将に任命される羽目に。
功績が数え役満な為に堂々と准将に上げられると、喜色満面で緑髪のお姉さまがたのお言葉をいただいたヤンの顔はそりゃもう見事なまでに好きでもない娘から告白をもらったような顔になっていたとは、その時に居たシェーンコップ中佐の言葉である。
「帝国のフェザーン戦に関する研究会の出席だっけ?
めんどくさいなぁ……」
ぼやくヤンだが、第九艦隊に出番は無い。
というか、同盟艦隊に出番がある訳でもない。
何しろフェザーンと同盟は対帝国の軍事同盟を結んでいる訳でも無いからだ。
今回の研究会は、帝国のフェザーン制圧が可能か?帝国とフェザーンの軍事衝突後に同盟はどう動くのか?が議題となっていた。
「仕方ないですよ。
キャゼルヌ少将のお願いなんですから」
緑髪の副官の言葉はそっけない。
今回の研究会の参加は名目で、実際はキャゼルヌ少将に呼ばれて彼の家での食事会が本当の目的になっていた。
これに参加するのはヤンにラップ主計長にアッテンボロー戦術長。
近くに来たのだから飯でも食っていけという社会に良くあるあれだったりする。
「仕方ないよなぁ。
料理は絶品だし」
ヤンとて研究会は参加する気は無いが、キャゼルヌ少将の家での会食は楽しみにしていたのである。
「しかし、戦艦下賜か。
彼の功績ならば、艦隊母艦も夢ではないと思っていたけど」
惑星ハイネセンに向かうシャトルの中でアッテンボロー戦術長がニュースを見て呟く。
いまや艦隊戦の花形となった艦隊母艦を彼が受け取らず、新造された高速戦艦であるブリュンヒルトを受け取った事が話題になっていた。
それにラップ主計長が会話に乗る。
「最初は、反乱で滅亡したリッテンハイム候所有の拿捕した艦隊母艦ヴェルザンディを渡すつもりだったらしい。
で、あの動く宮殿をお気に召さなかった彼は『戦場に出るのに軍馬に乗らずしてどうする』と一蹴したとか。
ブリュンヒルトはここ最近戦場で見るようになった帝国軍の高速戦艦の発展改良型らしい」
10000メートルを超える超ジャガーノート級艦隊母艦ノルニル型二番艦ヴェルザンディは動く宮殿であり、動く領地でもあったが維持費も莫大なものがかかる。
そんな貴族の見栄の象徴である艦隊母艦の下賜を断った事は貴族層からの反発と、平民層から好感となって同盟にまで伝わっていた。
同時にそれは、帝国内部の貴族層と平民層の対立を示唆している。
「『像一頭殺すのとネズミ一万匹殺すのはどっちが大変だ』なんて声もあるみたいですが、考え違いもはなばなしいですね。
何が起こるか分からない宇宙空間にて余力の無いネズミの群れがバラバラに逃げた所で、レミングスの集団自殺に過ぎないのですから」
緑髪の副官が原作からの言葉を使って皮肉る。
艦の大きさは維持費の大きさもあるが、同時に生存能力の向上も高くなるのだ。
同盟軍優勢の戦局の推移は、防衛戦で拠点が近くにあるのと、それ前提で護衛艦をはじめとした優位な建造技術からくる艦体性能差と、その護衛艦運用を司る艦隊母艦の使用という会戦前の状況の優位によって支えられていた。
だからこそ、帝国軍が高速戦艦を戦場に投入した所でどうとでも対処できる。
「戦う前から勝つか。
あの人も730年マフィアの一員だけあるよ。
士官学校卒業が技術過程というのが不思議で仕方なかったけどね」
ヤンの言葉であるあの人は緑髪の副官の生みの親なのだが、士官学校卒業時は技術将校だったというのは有名な話である。
まぁ、アンドロイドやドロイド推進の為の適正職でもあるからある意味仕方が無い。
それが730年マフィアとつるんだ理由が、彼らを使ってのデータ取りだったという。
で、同盟存亡の時代に将才を見せていた彼を730年マフィアが見逃す訳も無く、同盟防衛大学校で戦略研究科において勉強する事を命じられ……と、今のヤンのコースはかつての人形師の出世コースでもあったのだった。
だからこそ、ヤンを730年マフィア最後のお気に入りというあだ名がついて回る事になるのだが。
「あの人の公演は独特だったなぁ。
『前提の引き算』だっけ?
あれはまともな軍人の発想じゃないよ」
ラップ主計長の回顧の声にヤンも同じ公演を聞いていた事を思い出す。
元ネタは自己を成り下げる事によってキャパシティーの増大につなげるなんて物語から来ているのだが、彼はこの言葉を戦略思考として使って見せたのだった。
問題が発生した時、その問題の前提を容赦なくぶち壊す事によって、問題そのものをなかった事にするという思考法は彼によって主導されたイゼルローン要塞破壊作戦によって実現する。
「イゼルローンに要塞が作られつつあるという情報は、かなり早い段階で同盟情報部はつかんでいたらしい。
それを妨害しなかったのは、その要塞を完成前に奪ってしまおうという軍部と政府のスケベ心があったらしいからな。
そんなスケベ心を一顧だにせず、完成前に小惑星をぶつけて破壊してみせて、あそこに要塞が置かれる事の無意味さを提示して見せたんだから、あの人頭おかしいよ」
ヤンの言葉に一同なんともいえない顔をする。
まともな軍人上がりの考え方ではない。
「唯一の回廊に要塞で蓋をされた?
逆に考えるんだ。蓋をされたならば、開ければいいんだ。
閉めたままにする?
同じ事を考えているやつがいたらどうする?」
人形師、イゼルローン破壊作戦の一幕である。
彼には破壊後の帝国が再侵攻をする人的・財務的余裕が無い事を見抜いていたし、戦場をイゼルローンに固定する無意味さも知っていた。
そんな流れからすれば、現状のイゼルローン回廊ではなくフェザーン回廊に迫りつつある戦火というのは、彼が生きていたら笑顔でグッジョブと親指を立てていただろう。
殴りたいような笑顔つきで。
研究会そのものは、たいした事も無く終わった。
惑星フェザーンには二個艦隊があり、同盟の有償譲渡で得た旧型艦艇に同じく有償譲渡のドロイドやアンドロイドを乗せた一個艦隊規模の傭兵艦隊が派遣される事が決まっている。
さらに惑星フェザーンに強力な防衛衛星もついてるから、攻撃をするのならば帝国は最低でも倍の六個艦隊は用意したい所だ。
この規模の艦隊ともなるとミュッケンベルガー元帥直々の出馬となるのだが、フェザーン討伐による金融と物流の混乱が出征計画に悪影響を与えているという。
帝国は対フェザーンの金融資産の凍結と帝国内フェザーン船の拿捕を命じたが、その結果物流が大混乱。
フェザーン所有帝国債権の支払い停止をはじめとした金融封鎖はフェザーン企業に投資していた帝国金融機関を巻き込んでこちらも大混乱に陥っており、先の帝国内戦で没収したリッテンハイム候をはじめとした滅亡貴族資産で穴埋めしているが、動揺は依然収まっていない。
ローエングラム伯の式典というのはそういう動揺を押さえ込む政治的パフォーマンスという一面もあるのだろう。
帝国のフェザーン侵攻は795年中ごろにずれ込むだろうという情報部の予測が披露されると明らかに皆の気が緩む。
ヤンの所属する第九艦隊だけでなく、第三次ティアマト会戦で打撃を受けた第四艦隊も戦列に復帰できるからだ。
一方、同盟によってその悪行が暴露された地球教だが、帝国でも弾圧が始まっていた。
何しろ帝国軍を蝕む麻薬の供給源とされたのだから弾圧も激しく、地球教の抵抗もすさまじく、これもフェザーン侵攻を遅らせている要因の一つとなっているらしい。
こうして、ヤンたちは楽しみであるキャゼルヌ少将宅の食事会にたどり着いたのだったが、一人予想外の参加者によってヤンが狼狽する事になる。
794年士官学校次席卒業という超優良株を預かってくれという、キャゼルヌ少将の言葉によって部屋に入った一人の新米少尉によって。
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