自殺をしたら魔王になりました
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一部 異世界よこんにちは
第一章 僕は死んだはずなのに
第一話 今日僕は自殺をします
「ここから落ちたら痛んだろうか」
眼下に広がるコンクリートの地面を眺めての感想は、そんな有り触れたものだった。
何時ものように病院でリハビリをして、何時ものように一通りのメニューを淡々とこなし、何時ものように先生から有り難いお言葉を貰う。そんな“何時ものように”が今日も過ぎ去っていく。
僕はそれに耐えられない。
だから、決断した。今日こそは自殺しようと。いままで、何度も死のうとした。睡眠薬を大量に飲んだこと、自らの首を絞めあげたこと、リストカットをしたこと。その全てが悉く失敗に終わった。だから、今度こそは失敗しないように、投身自殺にしようと決めた。
「いや、痛みは感じないかもな」
前に、テレビで言っていたような気がする。投身自殺をしようとした場合、高さにも因るらしいが大抵の人が落下途中で気を失うと。そして、重い頭から地面に叩きつけられて即死するのだそうだ。
「遺書は残してきたし、場所選びも最良。そろそろ逝くか」
場所は市営住宅の屋上。十階建の集合住宅なので高さも十分あり、地面はコンクリートだ。
不思議と恐怖は感じない。今までで、一番確実に死ねる方法なのだから、ちょっとは恐怖もあるのかと思ったが恐怖心はない。自殺未遂を繰り返したせいなのか、僕自身すでに壊れてしまったのかは分からないが、下手に躊躇する心配はなさそうだ。
「よっと」
軽く声を出しながら、身体を中空へと躍らせる。一瞬の浮遊感があったが、それもすぐになくなり身体が落下を始める。
身体が空気を切り裂きながら、死を目指して加速していく。
そんな中、目の前が不意に地面ではなくなった。昔懐かしい思い出が過ぎ去っていく。所謂走馬灯というやつだろうか。
幼少のころ、父に連れられて始めた空手。最初は練習でも泣き、試合でも泣き、とにかく泣き続けていた。言ってしまえば僕は弱かった。才能なんてものはきっとない。ただがむしゃらに、練習を繰り返していただけ。そして、中学生に上がる直前に初めて試合に勝った。初勝利まで、じつに6年間。小学校生活のほぼすべてを空手に費やした。
中学生に上がり、僕は懲りずに空手部に入部した。初勝利の感動が忘れられなかった。けれど、中学生になると連敗記録がまた築き上げられた。それでも、空手を辞めようとは思わなかった。意地になっていたのだろう、負けても負けても練習を繰り返し続けていた。そして、僕は一度も勝利することなく中学校を卒業した。
高校生になったときが人生の転機だ。僕の頭でいける高校は限られていて、空手部のある高校には入学できなかった。ただ、その高校にはK-1部と言う馴染みの薄い部活があった。K-1自体は知っていたし興味はあった。空手と違い反則技といわれるものはほとんどない。あるのは、後頭部と下腹部への攻撃。そして、寝技くらいなものだ。それ以外なら何でもあり、さらに、空手同様に日本発祥であるというのも、僕の興味を引いた要因の一つだ。そして、僕は初めて空手以外の格闘技に手を出した。
K-1を始めて僕は正直驚いた。空手のように、ポイント制(技は寸止めで当てない。ただルールにより様々)ではなかった。いや、知識としてはダメージ制(相手に直接技を決めることでノックダウンを狙う)だとは知っていた。だが、やってみるとその違いは歴然だった。
最初はやはり僕は負け続けた。それでも、3・4ヶ月が過ぎたあたりで先輩に勝ててしまった。今までと違い直接殴る、蹴るができることで、僕本来の持ち味である一撃の重さが発揮できたのだろうと父は教えてくれた。それからは、今までとは180度世界が変わった。試合をすれば確実に勝ち、そのほとんどでKO勝ちを収めた。さすがに、一年のときはインターハイに間に合わなかったが、2年になり僕は当然のようにインターハイへの切符を手に入れた。
インターハイでも、僕の快進撃は留まるところを知らなかった。初戦からKOを量産し、有力選手にも難なく勝利した。そして、決勝戦の当日。二度目の転機が訪れた。
その日も何時ものように朝起きて、何時ものようにご飯を食べ、何時ものように試合会場へと歩を進めていた。そう、何時ものように。
たまたま不運だっただけなのか。歩く僕を目掛けて、居眠り運転の車が突っ込んできたのだ。僕はそのまま跳ね飛ばされ、救急車で病院に運ばれた。幸い命に別状はなかったが、粉砕骨折や靭帯にまで損傷が及んでいて僕はなんの余儀もなく入院とリハビリを強要された。そして当然ながら、決勝戦は不戦敗に終わってしまった。
それからは、地獄のような日々だった。幼少のころからやっていた格闘技を禁じらるどころか、ベットから起きることさえ出来ず、生理的な排泄にすら人の手を借りた。ようやくベットから起きられる様になっても、手足は思うように動かせず、食事とリハビリだけの生活が繰り返された。いくら時間が経っても良くならず、僕の精神はどんどん蝕まれ、ようやく日常生活が一人でも送れるようになって来たころ、主治医から格闘技はもう出来ないと断言された。主治医は、申し訳なさそうな顔をしていたが、僕からしてみれば、最初から言っておいてほしかった。僕はまたあの舞台に立つのを目標にしていたのに、一つの区切りが付いたとき、突然舞台への架け橋を落とされたのだ。なぜ言ってくれなかったのかと問い詰めもしたが、すまないと謝るばかりで答えは貰えなかった。
そして、僕は何度も自殺を繰り返し、ついに今日の日を迎えたのだ。
気が付くと、あと数メートルの所まで死に迫っていた。
いっそ、走馬灯なんてものを見るよりも意識を手放してしまいたかったが、それは叶わなかったらしい。やっぱり、僕には運がないんだろう。
「なんだ、結局気は失わないのか」
そんな言葉を残して、僕は逝った。
後書き
みなさん、自殺はしないように
ページ上へ戻る