トワノクウ
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トワノクウ
第二十九夜 巡らせ文(二)
前書き
枯れた想い、芽吹いた想い
「出て行く!?」
露草が素っ頓狂な声を上げた。神社焼失から一夜明けて、くうが梵天に持ちかけた話への反応だ。
――天座を出たい、という願いへの。
「はい。たくさんお世話になって迷惑もかけたのに、何もお返しできなくて申し訳ありません。くうはこれ以上ここにいることは、できないんです」
「――潤朱のためだね」
「はい」
くうは迷いなく肯定した。
「一人きりで考えたいんです。潤君のこと。悲しむより、怒るより、考えて、分かりたい。好きな人のことだから」
言語化すればそれだけの理由が、己を殺した少年を恨み、かつて恋した少年の死を悼み嘆く気持ちを上回った。
潤を誰より分かっていたい。それは恋する少女のワガママだった。
冷遇され、一度殺され、切り結び、目の前で死なれた少年に対して、一晩考えた、これが答え。
「勝手を言ってごめんなさい」
くうは深く頭を下げた。彼らには本当に助けられたし救われたから、自然と深い礼になった。
「決心は変わらない?」
尋ねる梵天の目を見て、くうは肯いた。
「そう……好きにするといい」
「梵天!?」
露草が抗議の声を上げたが、梵天は黙殺した。
「宛てはあるのであるか?」
空五倍子が不安そうに問うてきた。
「ひとまず朽葉さんのお寺に戻ります。また置いていただけるなら、お寺で。無理そうなら、そうですね、菖蒲先生にでも頼ります」
口からぱっと出ただけの考えであったが、我ながらいい案であるように思えた。
朽葉と沙門の寺でもう一度お手伝いさんとして働いたり、菖蒲の学校で学童たちと遊んだりするのは、心躍る想像だった。
(こんな私が『頼れる』と思う場所を見つけられる日が来るなんて、思わなかったな。最初の頃は、お寺からも早く出て行かなきゃって思ったのに)
これ以上は離れがたくなる。梵天たちに甘えてしまう。露草の件の礼を差し引いても、彼らには充分過ぎる安らぎを貰ったのに。
「もう、行きますね」
くうは立ち上がって階段に向かう。今はドレスではなく着物を着ているから、羽根を出して塔の露台から翔けていくことはできない。
それでいいと思った。
欲しいのは、時間だから。
歩く時間。森を抜ける時間。どこかへ行く、時間。それを全て潤のために使うのだ。
初めて来た日はドレスでやっとこ登った階段を、着物で淡々と降りて行く。そうすれば一階に着くまではあっというまだった。
くうは正面の戸から外へ出て、石畳へ降りた。
――上を仰げば、彼らの誰かが見送ってくれているかもしれない。
だから、くうは必死で首を振り、そうしたくなる気持ちを振り払った。そして、塔の敷地を出て行こうとした。
「おい! くう!」
心臓の位置がずれたのかと思うほど、鼓動が跳ねた。
心の準備もないままふり返る。やはり、露草だった。
「あ、の、なに」
露草は苦そうな表情でくうの前まで来て、風呂敷包みを突き出した。
「忘れもんだ」
「あ……」
ドレスが入った風呂敷包み。挨拶の時は傍らに置いておいたのに。恥ずかしさと申し訳なさと、期待した自分へのみじめさが、同時に込み上げた。
「ありがとう、ございます。わざわざすみません」
上手く笑えていますように。そう願いながら、くうは露草から風呂敷包みを受け取った。
ではこれで、と去ればいいのに、くうは迷った。さらなる言葉を露草からかけてもらえないかと。
そんな弱さと決別したいから、天座を出て行くのに。
「梵天が言ってたぜ」
「梵天さん?」
「お前は頭がいいから、少し話してやれば全部理解するってな」
「頭の足りないお前の相手も務まる、とか言われました?」
「――」
図星らしい。憎まれ口を叩き合っても、互いに見放さない辺りが兄弟らしい。
「篠ノ女と話してる気分だ」
「お父さんと?」
「あいつが人の子の親ってのも妙な感じだな。何考えてんのか読めねえくせして、こっちの腹は見透かしてやんの。腹立つ」
「ふふ。その辺の思い出話、また今度聴かせてくださいね」
「――本気で出て行く気かよ」
暗に今は聞けません、と伝えたのを露草も分かってくれた。そして、こうして引き留める程度にくうの身の上を案じている。
「いつでも会えますよ。これが永遠の別れじゃないんですから。くうも露草さんも、生きてます。会いたい時にいつでも会えばいいです。生きているなら会えるし、話せるし、笑い合えます」
「いつでも会えるんだとしてもっ」
露草はくうの肩を乱暴に掴んだ。
「今お前を一人にすることとは話が別だ!」
花色の目が真剣にくうを射抜いた。
近い。
その近さが思考まで爆破したように思えて、くうはただ目を奪われた。
(露草さんはいつだってくうとまっすぐ向き合ってくれた。くうを何度も助けてくれて、くうの勝手な決意だって「やってみろ」って言ってくれた。そっか、だから。私、露草さんに憧れてたんだ)
恋になったかもしれない想いの芽。気づいたのがもっと早ければ、くうの行動も変わったかもしれなかった。
だが、露草が何に基づいてくうに構ってくれていたかを、残念ながら、くうは知っていた。
「私、そんなに鴇先生に似てます?」
それは露草を停止させるために用意した呪文。
「分かってますよ。鴇先生に似てるから見離せなかったんですよね? でももういいですよ。恩返しは充分です。これ以上の厚意は受け取れません。だってそれは本来、鴇先生に向けるべきものですから」
すると露草は、掴んでいたくうの肩に、へし折らんばかりに力を入れた。
「……ざけんな」
地を這うような声。
「つ、露草、さんっ、いたいっ」
「っ、わり……」
露草は謝ったし、握る力こそ弱めたものの、くうの肩から手を離すことはなかった。
「犬憑きのとこでも、不良教師んとこでも、」
露草は一度言葉を切ったが、すぐに続きを言い上げた。
「どこに行こうと手前の勝手だ。でも、いられねえと思ったら――頼れ。お前一人くらいなら何とでもしてやる。俺が言いたかったのは、そんだけだ」
すとんと胸に落ちた気遣いの言葉。
「……私、鴇先生じゃないですよ」
「当たり前だろ」
「鴇先生みたいに明るくないし、強くないし、辛かったら逃げるし、露草さん達を助ける特別な力なんて持ってないです」
「だから何だ。鳳だけでも破格なのに、これ以上何かあって堪るか。性格だって、別に目を覆うほどひどくもねえだろ」
胸に、来た。
くうは露草に歩み寄り、頭を彼の胸板に預け、両手で装束に縋りついた。露草の困惑の気配が伝わった。
露草さん、と心臓を跳ねさせながら呼びかける。
「好きです」
抱きついた彼が全身で動揺したのが伝わった。
「な、何言ってんだこの阿呆鳥!」
「あははー。いいじゃないですかちょっとくらい。今日までの感謝と親愛の表現ですよー」
言えば言うほど胸が痛くなるのは、潤への恋心を昇華できていないからだろう。さすがに恋した少年が死んだ直後に、別の男に愛を囁けるほど、くうも厚顔ではない。
くうは露草から離れた。
「お言葉に甘えて、だめだった時は、いっぱい甘えちゃいますね」
きっとそのようなことにはならないだろう。今貰った約束だけで、くうの胸はいっぱいだから。
野を流れる生き方をすることになろうが、彼の言葉を何度も思い出しながら、独り生きていけるだろう。
Continue…
後書き
ちょっとだけ露草フラグが立って即折れました。
あまつきシリーズでは原作キャラとの恋愛禁止にしているので。
6年も経てば露草も頼れる男になりました。確かに優しくしたのは鴇に重ねた部分もありますが、ちゃんとオリ主の人間性に惹かれた部分も出したかったんです。
今から見返すと昔の自分の文章に悶えますね。
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