トワノクウ
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トワノクウ
第二十八夜 赤い海(三)
前書き
ある巫女 の 最期
盛大に焼けている本殿の周りには、ちらほらと火傷に苦しむ戦巫女が倒れている。怪我人が大勢いる。そのことにくうは本能的な恐怖を感じ、空五倍子の毛並みにしがみついた。
そうしていると、炎の中から二つの人影が出てきて、くうたちから離れたところで膝を突いた。
潤と、銀朱だ。
銀朱は潤に肩を借りて苦悶を浮かべている。どこかにひどい火傷でも負ったのかもしれない。
潤はそれを支え、血相を変えて銀朱に呼びかけ続けている。
「――天狗」
銀朱が先にこちらに気づいた。
銀朱は憎しみと狂喜を当分に滾らせ、潤の肩から離れて佇立した。
「梵天さん……」
「大丈夫。君は下がっておいで」
梵天は臆することなく銀朱と対峙した。
「ようやく貴様に一太刀報いる日が来た。この〝呪い〟も因縁も、今日で終わりにしてくれる」
「俺と君の間にそうそう大した因縁はないと思うけどね。その顔の傷だって、さて、どんな経緯で付けたやら」
銀朱がぎり、と奥歯を噛みしめた音が聴こえた気がした。
「忘れたとは言わせない」
顔の右反面の包帯を剥ぎ取った。
「あの日、貴様がつけた傷だ!」
くうはひゅっと息を呑んだ。
包帯の下にあったのは、見るも恐ろしい傷痕。赤黒い凝血の上からは新しい傷による鮮血が迸り、治ることのない患部は膿んで爛れていた。
一体何をどうすればあんな傷ができるのかも分からない。それを、――梵天が?
「貴様は私に呪いを残した。その呪いのせいで傷は一向に治らない。血が止まらず痛みも消えない。しまいにはこうして顔半分に広がった。この傷を見ては思い返しましたよ。妖がいかに有害かを、どうあっても妖は排除すべきなのだと!」
銀朱の肥大し熟成したどす黒い感情に、くうは堪らず近くにいた空五倍子にしがみついた。
憎しみを悲しいと思った時はあっても、怖いと思ったのは今が初めてだ。
「俺がかけた呪い……?」
くつくつ。梵天は心底おかしそうに身体をよじって笑い出した。
「何がおかしい!?」
「死に際なら百歩譲ってそんな愚行に走ってもいいけど、あの圧倒的有利な状況で、生殺与奪権が俺にあったあのさなかで、俺がそんな小狡い真似をしたと本気で思っていたのか? 怒りを通り越して笑うしかないじゃないか」
銀朱は憎らしげに口の端を噛みしめる。その仕草は梵天の語る所を真実だと教えた。
「貴様以外の誰にこんな芸当ができるんだ!!」
梵天は一瞬で笑みを消した。
「一人いるじゃないか。ここに。――君自身だ」
そして、銀朱をまっすぐに糾弾した。
銀朱は屈辱に顔を真っ赤にして怒鳴り返した。
「ふざけたことを……!」
「気づかなかったとはおめでたいね。兆候はあっただろう。たとえば、社の結界内に出現する小妖怪。俺は森の妖には社には近づくなと言ってある。小さい者ほど近寄らない。ならば、ここに出没する妖は一体どこから来ているのか」
銀朱より先に潤がさっと色を失くした。その反応からくうは、潤もまた妖の生まれ方を知っているのだと分かってしまった。
「妖は人の負の感情、心の闇から生み落とされる。それが何を意味するか分かるだろう?」
次に銀朱が瞠目してその場に立ち尽くす。信じたくない、聞きたくないと銀朱の目は語るが、梵天は容赦なかった。
「君が生んでるんだよ、その醜い傷から、あの醜い妖を」
くり広げられる火と血と悲鳴の惨劇を背に、銀朱は愕然と立ち尽くした。
(銀朱さんが梵天さんを憎んだから、その憎しみが生んだ妖が自分自身を呪って、呪いの痛みでまた梵天さんを憎んでいたなんて……何て救われないスパイラル)
銀朱はぎこちなく右の顔に触れる。手が震えている。唇も、漏れる声も震えて。
手が。傷に爪を立てた。掻かれた傷からかさぶたが剥げ落ち、新たな鮮血が流れ出す。
くうはその光景を直視できずに、しがみついていた空五倍子の脇腹に顔をうずめた。
「そう、ですか。これもあれも、すべて私自身の」
銀朱の声色が変わった。
はっとしてくうが顔を上げると、彼の口角は三日月のように歪んでいた。
「それが何だ」
そして、すさまじい憤怒を梵天に向け放った。
「私の闇から妖が生まれるというなら、その妖も調伏するまで! 妖など絶えるまで踏み潰してくれよう! 妖の棲む世に人の救いなどない!」
ショックの中で浮かんだのは、理不尽への混乱だけだった。
どうしてそこまで妖を悪と断じることができるの?
どうして傷つけた梵天のみでなく妖全体を憎むの?
くうが声を発せず立ち尽くしていると、どこからか、鈴の音が響いてきた。
ちりーん。ちりーん。
「この鈴の音……夜行!?」
潤が見上げた方向をくうも見上げる。
夜空に、この世界に初めて来た日以来の、鈴を持った小人が浮いていた。
「夜行にまで入り込まれるなんて……くそっ」
潤はピストルを出して夜行へ連射した。それで「その」夜行は消えた。だがまるでそれがダミーのように、すぐに新しい夜行が現れた。
『お前が』
夜行が指したのは銀朱――ではなかった。潤だ。
『姫巫女の責を代行するほどに、姫巫女はすべき義務も職務も失っていった。姫巫女がすべきことを、お前が全て奪ってしまったゆえに、姫巫女は己の存在意義をなくした。お前は姫巫女の闇そのものだ』
潤が顔色を無くした。
「な、んで、お前がそんな、こと、知って」
くうは考える。材料は――彼女からすれば――山ほどあった。
(銀朱さんは不治の呪いのせいで、健常者と同じ生活はできない。何度か外で会いはしたけど、その時だって妖退治を主導していたのは潤君だった。銀朱さんは輿から見てただけ。初めて来た日だって、一番に迎撃したのは潤君だった。それらが全部、本当は銀朱さんの役目だったとしたら?)
「黙れ!!!!」
銀朱が怒鳴った。
「〈銀朱〉は私だ。私が〈銀朱〉なんだ! 妖の天敵、人々の守りの盾。それが私だ。私なんだ……!」
いっそ哀れなまでに主張する銀朱にお構いなしに、耳障りな電子音は最後の宣告を、下す。
『お前は〈銀朱〉にあらず』
銀朱はまるで胸を打ち抜かれたように押さえ、その場に膝を突いた。目の焦点は外れている。間近にくうたちがいるのに。
そして、次に起きたことに、くうは悲鳴を上げそうになった。
出て来たのは、ピンクのぶよぶよした塊が極限まで肥大化した、肉塊だった。ちょうど剥き出しの銀朱の右反面と同じ、皮を剥いだ下にある、肉。
肉塊の雪崩は、銀朱のちょうど上。
「ぎ……っ」
ず……どおおおおん!!
肉塊は、銀朱を巻き込んで、倒れた。
肉塊の下から円状に広がってゆく、血だまり。
たった一本だけはみ出した腕の五指は、まるで白い曼珠沙華。
使命ではなく憎悪から妖を排斥し続けた29代目〈銀朱〉の、まさに非業の死に様であった。
Continue…
後書き
替え玉銀朱、退場でございます。
これを書き上げた頃にはまだ銀朱=鵺だと判明していなかったので、替え玉についてすごく考えを巡らせました。
銀朱が帰ってきたらあの黒い替え玉銀朱はどこへ行けばいいのか。
替え玉銀朱はあくまで替え玉でした。彼が個の感情を得たのは、皮肉にも梵天がつけた傷による自分への呪いでした。
憎しみ。妖への。それが悲しいことに、替え玉銀朱の「個性」だったのです。
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