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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百三十四話 名剣か魔剣か 



宇宙歴 796年 10月 1日  ハイネセン 最高評議会ビル  ミハマ・サアヤ



「じゃあ和平条約は当分お預けですか」
「そういう事になりますね。和平条約締結をイゼルローン国際協力都市で最初に行われるイベントにしたい、同盟政府も帝国政府もそう考えていますから」
「和平条約の締結が早くて半年後、通商条約はその後ですからまだまだ時間がかかりますわ」

キリレンコ委員の問い掛けにフレインバーグ委員、フーバー委員が答えました。二人の答えに皆も頷いています。キース・フレインバーグ委員は新設の外交委員会からの出向者です。元は国防委員会に所属していたのでデロリアン委員とは結構親しくしています。

そしてキャロル・フーバー委員は経済開発委員会から通商委員会へ移籍、そして諮問委員会に出向してきました。三十歳を過ぎたばかりの綺麗な女性ですが独身です。こんな綺麗な人が独身って、私どうなるんだろう。女にとっては冬の時代です。

「ウチの委員長、頭を抱えていますわ。就任早々大問題ですものね。各企業からも何時になったらイゼルローン回廊を使えるのかと言われているそうです」
レオニード・アルドニン通商委員長、財界出身の委員長ですけどちょっと可哀想です。通商委員長就任直後にイゼルローン要塞で反乱が起きました。同盟で最も不幸な政治家と言われています。

「しかし本当に上手くいくんですかねえ、あれ」
「デロリアン委員、駄目だよ、それを言っちゃ。我々は知らない事になっているんだから」
ディーレン委員に窘められてデロリアン委員が肩を竦めると皆が笑いました。週に二度、私達はこうして集まって出向元から得た情報を交換しています。イゼルローン要塞攻略案はヴァレンシュタイン委員長に同行しているモンテイユ委員から得た極秘情報です。同盟でも知っているのは政府、軍部の中でもごく一部でしょう。

「まあとんでもない事を考えるわよね」
「イゼルローン要塞を国際協力都市にしようって考える人だから常人とはちょっと発想が違うよ」
「発想か、……そういえば地球教の陰謀を暴いたのもあの人だったな。何であんな事を考え付くのか……」
アブローズ、ノエルベーカー、キリレンコの三委員の会話に皆が頷きました。

「ミハマ大佐は委員長との付き合いは長いんでしょう、慣れてるんじゃないの」
フーバー委員の質問に皆が私を見ました。
「そうでもないです、無茶苦茶しますから慣れるなんて事は……」
私が答えると“そうかあ、そうだよね”、“無理だよね”と皆が口々に言います。ちょっと安心しました。あんな無茶をする人に慣れているなんて思われたくありません。

「しかしこの状況は余り面白く無いですよ。造船業界はイゼルローン回廊を利用した交易が盛んになると見ていたんです。戦争が無くなって軍艦の発注が激減した、その分を商船で補おうとしていた。ところがあの反乱でその計算が狂った、このままでは造船業界は二進も三進も行かなくなります。直ぐに倒産という事は無いでしょうが悲鳴を上げるのはそんな先の事じゃない。半年以内に鎮圧すると言ってますが造船業界にとっては我慢出来るギリギリの線でしょう」
バーバー委員の言葉に皆が顔を顰めました。

「造船業界だけじゃありませんよ。軍需産業は軒並み頭を痛めています。反乱が鎮圧されるまで要塞の建設は延期です。企業には現時点では建設は危険だからと国防委員会と軍は言っていますが内実は固定要塞にするか移動要塞にするかを決めかねているんです。結果が出るのは半年先です、それまでは何も出来ません。精々設計図を弄るくらいです。……全く、余計な事をしてくれました。絞め殺してやりたいですよ」
デロリアン委員がぼやきました。

「冗談抜きで委員長の現役復帰、有るんじゃないんですか?」
クライ委員が皆を見回しました。反乱が起きた直後から経済界からはヴァレンシュタイン委員長を現役復帰させてイゼルローン要塞を攻略させろという意見が出ました。理由はバーバー委員、デロリアン委員の言った通りです。最近では同盟議会からもそういう意見が出ています。こちらは反乱鎮圧によってイゼルローン要塞を同盟の物にしてしまおうという意図が有ります。

「しかしね、帝国軍が実施する作戦は委員長が考えたものだよ。それに攻略したって同盟の物には出来ないだろう。そんな事をしたら戦争になる。和平どころじゃない、意味が無いよ」
「要塞を攻略するためじゃありません。皆を落ち着かせるためですよ、リード委員。このまま何もしなければ無為に手をこまねいている、そう思われかねません。政府にとっては避けたい事態でしょう」
彼方此方から“なるほど”、“そうかもしれない”と同意する声が上がりました。確かに、政治家達が考えそうなことでは有ります。

「経済界からの突き上げは結構激しいらしいね」
「それだけ経済界は帝国との通商に関心を持っているんです。何と言っても二百億を超える市場ですよ、同盟よりも二倍近く大きい市場なんです。眼の色も変わりますよ」
「経済界の中にはもっと早く和平を結ぶべきだったと言っている人もいます。しかもそれが咎められる事も無い。つい先日までは皆が打倒帝国と叫んでいたんですけどね、変われば変わるものですよ」

ノエルベーカー委員の問い掛けにパール委員、バーバー委員が答えるとフーバー委員が“お金って怖いですね”と呟きました。同感です、お金が絡むと主義主張なんて何処かに吹っ飛んじゃうんですから。皆も同じ思いなのでしょう、神妙な表情です。

トントンとドアを叩く音が聞こえました。皆がドアに視線を向けます、私がドアに向かいました。最年少ですしドアに比較的近い場所に座っていましたから。ドアを開けると書記局の人が居ました。
「荷物が届いています」
と言って両手に抱えた箱を差し出します。結構大きいです。二つ有ります。

受け取ると書記局の人が
「大変でしたよ、諮問委員会の他にも最高評議会と書記局にも届いています。テロの可能性も有りますからね、保安部が総出で確認しました。問題が無い事を確認しましたのでお受け取りください」
と言いました。

「御手数をおかけしました」
と言うと“こちらこそ結構な物を頂きました。委員長閣下に宜しくお伝えください”と言われました。え、ヴァレンシュタイン委員長からなの、これ。会議テーブルに置くと皆が興味津々といった表情を向けてきました。

「ヴァレンシュタイン委員長からなの?」
「そうみたいですね、パール委員。ヴァレンシュタイン委員長がフェザーンから送ったみたいです。物は……、ヴァロアの御菓子?」
誰かが口笛を吹きました。

「フェザーンからヴァレンシュタイン委員長の名前でヴァロアの御菓子って、そりゃテロじゃないかって保安部が心配するのも無理は無いね」
「そうそう、おまけに最高評議会と書記局にも送るなんて委員長も何を考えているんだか」
「本人は甘党だから喜んで貰えると思ったんでしょう」
リード、クライ、ディーレン委員が困ったものだと言いたげな表情をしています。声には苦笑いの響きが有りました。

「こっちは皆イゼルローンの反乱で困っているのに……、御土産だなんて……」
「委員長にとっては反乱なんてもう終わった事なんでしょうね」
デロリアン委員とフレインバーグ委員は半分泣きそうです。可哀想、慰めてあげないと……、こういう時は甘いものが一番です。

「折角ですから頂きましょうか。ヴァロアの御菓子は美味しいですよ、今コーヒーを淹れます」
「……」
なんで皆黙るの? それに変な目で私を見てる。ヴァロアの御菓子は美味しいんです、本当ですよ。



宇宙歴 796年 10月 4日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



最高評議会のメンバー十三人が会議室に集まった。皆の前にはそれぞれ小分けにされたクッキーが置いてあった。
「これが例のクッキーかね、大騒ぎになったと聞いているが」
私が問うとトリューニヒトが肩を竦めた。

「そうだ。これの所為で最高評議会ビルはとんでもない騒ぎになった。地球教の残党がフェザーンからヴァレンシュタイン委員長の名前を使って危険物を送って来たんじゃないかとね。保安部は化学、生物、放射能、核、爆発物、それぞれの探知機を総動員して調べたそうだよ。検疫済みだ、銀河で一番安全なクッキーだ、まあ味わってみてくれ」

会議室に苦笑が満ちた。何人かは肩を竦め何人かは溜息を吐いている。全くとんでもない事をする小僧だ。一つ口に運んだ、確かに美味い。中々の物だ。皆も美味しそうに食べている。
「最高評議会ビルだけじゃありません。国防委員会、統合作戦本部、宇宙艦隊司令部、後方勤務本部にも送られています。他にも第一艦隊、第三艦隊、何処も大騒ぎだったようです」

ネグロポンティが付け加えるとボローンが
「最高評議会と軍組織を狙ったテロ、そういう事だな。まあ送った本人が危険物だ、保安部が神経質になるのも仕方がないだろう。ウチに送られなくて良かったよ」
と言ってクッキーを口に放り込んだ。会議室に笑いが起こった。皆がそれぞれに同意の言葉を口にした。

「本人は知っているのかね、大騒ぎになった事を」
「知っている、呆れていたな。たかがクッキーを送っただけで何でそこまで騒ぐのだと首を傾げていた」
ホアンとトリューニヒトの会話にまた笑いが起こった。

「それを言うなら何だってまたこんな物を送って来たんだ? ヴァロアのクッキーだろう、確かに美味しいがヴァロアはハイネセンにも有るじゃないか」
ターレルが首を傾げている。トリューニヒトが笑った。
「そんな事を言うと彼が気を悪くするよ。これはフェザーンに有るヴァロア本店限定販売の商品なのだから」
「……」
皆が顔を見合わせた。

「本当かね、それは」
「本当だよ、ホアン。つまりこれはハイネセンでは売っていないんだ。ついでに言えば店頭販売のみでね、文字通りフェザーンの本店でしか手に入れる事が出来ないクッキーだそうだ」
これが限定品? ただのクッキーじゃないのか? 私だけじゃない、皆がクッキーを見ている。トリューニヒトが“良く味わってくれ”と言ってまた笑った。

「食べながらで良い、聞いて欲しい事が有る。ヴァレンシュタイン諮問委員長を現役復帰させようという話が経済界、議会に有る。マスコミも騒いでいる。そして政府内部からも現役復帰させてはどうかという意見が出てきた。これについて話し合いたい」
政府内部? つまりこの中からか、誰だ? ネグロポンティか?

「どこから出た話なのかな、それは」
「国防委員会、外交委員会、通商委員会だ」
トリューニヒトが私の問いに答えると皆の視線がネグロポンティ、グリーンヒル、アルドニンに向かった。三人は居心地が悪そうにしている。

「現役復帰という事だが諮問委員長は如何するのかね、辞職させるのか? 兼任というのは拙いだろう」
マクワイヤーが質問したが三人は答えない、答えられないのか。それを見てシャノンが“先ず理由を聞かせて貰いたい”と言った。

三人が顔を見合わせたがネグロポンティが最初に口を開いた。
「例の移動要塞ですが国防委員会と軍はその運用実績を確認したいと考えています。それによってこちらで建設する要塞を固定要塞にするか、移動要塞にするか決定したい。その辺りの見極めを諮問委員長にお願いしたいのです」

なるほど、あれか。軍が決めかねている事は既に皆が知っている。
「それは実際に帝国軍の反乱鎮圧に参加するという事かね?」
「そういう方向で進めたいと考えています」
トレルとネグロポンティの遣り取りに皆が顔を見合わせた。

「帝国が嫌がらんかな?」
「うむ、反乱鎮圧に他国の力を借りたいとは思うまい」
ラウドとリウは賛成ではないようだ。もしかするとヴァレンシュタインの現役復帰そのものが反対なのかもしれない。簡単に許せば軍と政府の境界が曖昧になるという意見もマスコミには有るのだ。マクワイヤーが先に兼任は拙いと言ったのもその辺りを考えての事だ。

「イゼルローン要塞の反乱はもはや帝国だけの問題では有りません。イゼルローン国際協力都市が無ければ両国間の協力、交流、通商がストップすると言っても過言ではないのです。その事が同盟市民を酷く不安にさせています。今のままでは首脳会談前となんら状況は変わりません。首脳会談の成果が消えてしまいます」
何人かが呻き声を上げた。トリューニヒトが顔を顰めている。政治家としての実績が否定されかかっているのだ、面白くは無いだろう。グリーンヒルも上手いところを突く。癪ではあるが外交委員長は適任だな。

「外交委員長の言う通りです。同盟市民を落ち着かせるためにも諮問委員長の現役復帰は必要ではないでしょうか。現状では通商委員会は有名無実です、何の意味も無く経済界から叩かれるだけの存在でしかない」
アルドニンの言葉に皆が顔を顰めた。

彼が同盟で最も不幸な政治家と言われている事は皆が知っている。経済界出身の彼の苦境を放置すれば今後経済界から協力を得たいと思っても思うように得られなくなる可能性も有る。帝国との交流が進めば経済界の役割は今まで以上に大きくなるだろう、アルドニンの苦境を無視は出来ない。何らかの救済は必要だ。しかしヴァレンシュタインの現役復帰?

「軍では今後戦争が起きた場合移動要塞を如何使用するか、決まったのかね?」
私が問い掛けるとネグロポンティが首を横に振った。
「いえ、決まっていません。ですから運用実績を確認したいのです。何処まで見極めることが出来るかは分かりませんが固定要塞にするか、移動要塞にするかの判断材料になればと考えています」

「帝国の反乱鎮圧に協力する、それは良いだろう。しかしヴァレンシュタイン委員長を現役復帰させる必要は無いんじゃないか。運用実績の確認なら他の人間でも良いはずだ」
私が指摘するとネグロポンティは“その通りです”と頷いた。

「しかしレベロ委員長、国内対策も含めればヴァレンシュタイン委員長を現役復帰させるのが最善ではありませんか。反乱の鎮圧にはあと三カ月から四カ月はかかるのです。その間、同盟市民を落ち着かせなくてはなりません」
「……」
皆が呻いた。国内対策か、ネグロポンティの意見には一理ある。

「考えている事は分かるが、現役復帰は出来るだけ避けた方が良いだろう。私は賛成出来ない」
ホアンがはっきりと反対意見を出した。そして皆を見回して“少し聞いて欲しい事が有る”と言った。

「ヴァレンシュタイン諮問委員長に危惧を抱いている人物がいる。私が知っているのは一人だがもしかするともっと多いのかもしれない」
危惧? 皆が訝しげな表情をしている。
「その人物は諮問委員長の影響力が軍、政府、経済界に大きくなり過ぎるのではないか、いずれは独裁的な影響力を持つのではないかと案じていた。民主共和政国家においては危険な状況になるのではないかとね」

誰も何も言わない、ただ黙ってホアンの顔を見ている。確かにヴァレンシュタインの影響力は大きい。
「勘違いしないで欲しいのだが彼は諮問委員長を否定しているのではない、彼を肯定している。それ故に不安を持ち憂いている」

「彼の不安には一理あると思う、しかし私は彼の見解に与しない。ヴァレンシュタイン諮問委員長をこれまで見てきたが彼には野心が無い、そして権力への執着も無い。誰よりも平和を望みそして人類社会の繁栄を願っている。多少性格は悪いが極めて有能で誠実な政治家と言えるだろう。独裁とはもっとも遠い所に居る」
何人かが頷いた。

「だからこそ我々は彼を大切に扱わなければならないと思うのだ。彼を現役復帰させるのは難しくは無い。しかしそれを行えば同盟市民の中には政府はヴァレンシュタイン委員長に頼りきりだ、ガバナビリティは無いと判断する人間も居るだろう。彼が政府を自由に操っている等と勘違いする人間も出るはずだ。それは彼のためにならない」
彼方此方から呻き声が聞こえた。

「そして同盟にとっても極めて不幸な事だと思う。我々はその不幸な事態を作り出してはならない。切れ味の良すぎる名剣であるが故に使い方には注意しなければならないのだ、魔剣であると思われてはならんのだよ。周囲に畏れられては名剣とは言えなくなる……」
ホアンが皆を見回した。誰も反論する人間は居なかった。




 
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