トワノクウ
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トワノクウ
第二十七夜 あをにあし(二)
前書き
樹精 対 守り刀
ざわ。目の前でにわかにまとう空気を変えた露草を、くうは不安に思い見上げる。剣呑な目は、ここにはない遠くへ飛んでいる。
どうなさったんですか、と尋ねようとしたくうを遮り、露草は小さく呻く。
「血の臭いだ……」
直後、露草はくうの視界から消えた。
困惑し、次いで、木から木へ飛び移って遠ざかっていく緑の影をようやく捉える。
くうは慌てて露草を追いかけて走り出した。
「ま、待ってください! くうも……!!」
「馬鹿か!! 邪魔だ!! そこら辺にいろ!」
「ご自分も本調子じゃないでしょう! 一緒に行けば誰かくうが助けられるかもしれません! 人でも、妖でも!」
昏睡から覚めたばかりの露草を慮り、鳳の治癒力と行使対象を選ばない性質を引き合いに出して、同行を求める。
「~~~っ飛べ!」
「はい!!」
不本意ながらの許可に、くうは勇んで答えて背中の翼を広げ、宙へと舞い上がった。
一度見失った新緑色を求めて滞空すること数秒、くうの腹をがしっと攫う腕があった。
「へあ!?」
「化物道を抜ける!」
化物道が何かを尋ねる暇もなく、露草に乱暴に抱えられたまま、瘴気の渦に突っ込む。
濃密なスモッグに似た感触と鼻腔を突く腐臭の中を駆け、抜けた。
しがみついた露草が、だん! と、着地した。
恐る恐る目を開けると、何かの塀の屋根に立っていた。そこからの光景に、くうは両手で口元を両拳で覆った。
「坂守神社――!」
忌々しさに満ちた露草の声。
「ひどい……っ」
ぼてっとした腹に虎の毛皮の、巨大な鰐のような妖が、体中、擦り傷だらけの血だらけで倒れていた。
巨鰐を取り囲むのは、袖をたすき掛けにし、薙刀や弓を持った戦巫女たち。彼女らを率いているのは、くうにとっては知りすぎた少年だった。
「しのの、め」
「潤、くん」
中原潤は抜身の刀もそのままにくうを見上げた。
潤がやったのだ。間違いない。くうの時も、潤は迷いもためらいもなく邪魅をずたずたにした。
「何しに来た。ここはお前みたいなのが来ていいとこじゃない」
くうは下がりかけたが、ぐっと堪え、瓦屋根の上から飛び降りた。露草もくうを追うように飛び降りてくれた上に、前に出て腕の後ろにくうを庇ってくれた。
「どうして。その妖が何をしたっていうんですか」
「お前なら知ってるだろ。虎狼狸。コレラの元だと庶民に伝わった妖怪だ」
幕末の黒船来航に伴い、日本にコレラが伝染した。江戸だけでも数十万人が感染した。病気の原因が不明であったことから、当時の庶民は妖怪変化の仕業として、「虎狼狸」のあらぬ存在を流言したという。
(あまつきは人の心の闇が妖怪化する世界だって、菖蒲先生、言った。なら本来いない妖がいてもおかしくない)
「ここら一帯は病にやられた。これでも村の生き残りから要請を受けての討伐だ。銀朱様が直参されてな」
「呪いで神社から出られないんじゃ……!」
「馬鹿言うな。呪い如きで妖退治をやめるお方じゃないんだよ。俺達の銀朱様はな」
「――あまり持ち上げるものではありませんよ。潤朱」
ぎっ、ぎっ。くうたちがいた屋根のちょうど下から、輿が厳かに運ばれてきた。
乗ってくる者は容易に想像できてしまい、くうの体は意思と無関係に震え出す。
「おい、くう」
「だい、じょ、ぶ、です。へっちゃら、へっちゃら」
「……ちっともそう見えねえから言ってんだろうが」
露草はどこからともなく錫杖を出し、潤たち神社勢力に向けて構えた。
「天座の樹妖にして狭間の森の主。噂じゃ死んだって聞いてたが」
「生憎だったな。人間如きにやられた程度で死ぬもんかよ」
いけない。露草の眠りの原因は銃弾。潤は銃使いでもある。ピストルで撃たれれば再び倒れてしまうかもしれない。
ああ啖呵を切ったものの、くうが鳳の権能を引き出せたのは一度きり。二度目の保証も自信も実はないのだ。
「やめてください、露草さん! 潤君は銃だって使えるんです!」
「当たらなきゃいい話だ。黙ってそこにいろ。お前を二度と坂守神社に渡したりしねえ」
露草はくうが坂守神社に一度囮に使われたと知っている。だから庇ってくれている。
心遣いと決意が分かってしまって、くうは二の句を継げなかった。
ここでなお露草を止めるのは、露草の厚意を踏みにじることを意味する。
潤は刀を振って血を払い、その刀身を露草に向けた。
「銀朱様、御前を汚します」
「よしなに」
露草と潤は同時に地を蹴り、己の得物をふり抜いた。
錫杖と刀がぶつかり合う。
露草の錫杖はどんな仕様か、潤の刀を受けても斬れず、立派に鍔迫り合いを果たしている。
両者は一度離れ、再び得物を交えた。
一対一、武器を思い思いにぶつけ合う。激突し、拮抗するだけのものが、介在する余地を感じさせない。だからだろう、くうだけでなく、坂守神社勢も動かない。妖側のくうも、妖祓いたる神社勢も、今やまとめて〝余人〟なのだ。
(ここで仮に露草さんか潤君、どちらかが死んだら?)
くうは戦いとは無関係の部分に思いを致す。
(露草さんは天座で狭間の森の主、潤君は坂守神社のナンバー2。どちらがどちらを殺しても人と妖を巡る事態が大きく動く)
重大なお節介を中断させたのは、一発の銃声だった。
「露草さんっ!」
潤が持つピストルの銃口からは細い硝煙。錫杖を構えて立つ露草の表情はいささか以上に強張っている。
「次は、当てる」
潤は弾の再装填もせずピストルを無感動に連射する。露草は焦燥をあらわに超人的な(というと語弊があるが)動きで弾丸を避け、時には錫杖で弾く。
(銃相手じゃ勝ちようがないと思いましたが、これならいける!?)
くうの顔につい笑みが広がったのと同時、銃声が轟いた。
これも避けただろうと特に心配もしなかったのに、目の前の光景にくうは驚愕した。
露草ががくんと頽れた。歯を食い縛り、右足の脛を手で押さえている。じわじわと袴に赤が滲んでいくのが見て取れた。
(二挺目!?)
どんな手品か。潤の左手には右手のピストルと同じ仕様のものが握られていた。
「終わりだ、天座の樹妖」
潤の親指が撃鉄を起こす。くうは、動いた。
「もうやめてください!」
くうは露草と潤の間に飛び込み、露草を背に庇って銃口を眼前に受けた。
くうは白鳳のおかげで死んでも生き返る。露草のためなら一度くらい命を使い捨てにしても惜しくない。
潤はくうにピストルを突きつける。
苦々しく口の端を吊り上げる潤を、説得しようとはすまい。今の篠ノ女空の優先順位は露草が上だ。
「どけ、篠ノ女」
「……どきません」
「どけ!!」
「いやです!!」
叫ぶや否や、銃声がして、肩に激痛が走った。
「~~~~~っ!!」
「くう!!」
くうは肩を押さえて蹲った。
撃たれた。潤に。今度は号令を下しただけでなく、直接、傷つけられた。
顔を上げる。必要以上の厳しさを貼りつけた潤の顔。不自然で無理のある作り顔。
「俺は銀朱様の守り刀だ。お前がそっち側につくなら、敵だ」
(ああ、耐えられ、ない)
体の痛みは徐々に消えていっている。だが、心の痛みは。くうから潤に立ち向かう気概を根こそぎ削いだ。
「――くう」
「露草、さん」
「一度退くぞ。掴まれ」
くうは無言で唇を噛み、肯いた。すると露草は断りなくくうの腹に腕を回し、跳躍した。
「逃がすな! 射かけろ!」
戦巫女たちの弓が一斉にくうと露草に向いた。地上から放たれた矢の雨を、露草は難なく、もう片方の手の錫杖で弾いた。
直後、あのどろりとした空間――化物道に入った感触があって、すぐ抜けた。
気づけばくうたちは森の木々の間を飛び駆けていた。
「くっそ。妖のせいで病に罹っただ? 何でもかんでも妖のせいにしやがって。胸くそ悪ぃ」
はた、と気づく。梢から梢を跳ぶ露草の足は、確か被弾していた。見れば案の定、袴は赤い。
「ちょ、露草さん!? 血、血!」
「あん? 大丈夫だよこんくらい」
「大丈夫じゃないですよ明らかに! ちょ、止まってください! 手当てしますか――ら!」
くうは露草の首にぶら下げていた腕を思いきり引っ張った。結果として露草が足を踏み外し、抱えたくうもろとも地面に落ちた。
「てめ……」
「ご、ごめんなさ……」
仲良くたんこぶを拵えた二人であった。
Continue…
後書き
原作7巻をなぞりました。
こういうとこ(たんこぶ等)でも師の軌跡を追っているヒロインを書きたかったんです。
そして悪い方向であまつきに順応してしまった中原君。彼とくうの関係もこれからどうなっていくか注目です。
今更ですがタイトルは「あをによし」という古語をもじった造語です。受験生諸君、本気にしてはいけませんよ。
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