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翅の無い羽虫

作者:黒核誇珀
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終章 また会えましたね

 気が付くと、私は病院にいた。白い病室の中にポツンとあるベッドに寝ていた。見慣れた同僚の姿は無い。
 そして傍には、二度も救ってくれた老年の医者が座っていた。私の目を見たときの表情はこれ以上ないくらい優しいものだった。
 私は訊く。自分はどうなったのか。
 医者は答える。今はそれを知る必要はない。

「―――いい加減教えてくれませんか? もう一週間も経ってるんですよ。俺ら、選抜者として港まで来て……そのあとどうなったのか」
 そろそろ言ってもいいんじゃないですか、と私は言う。医者は時計を見ながらしばらく悩む。
「うーん……そろそろ言ってもいいか」
「あれ、意外とあっさりですね」
 医者は少し考え事をしているかのような顔をする。
「ちょっと情報が整っていなくてね。私としても少し混乱していたんだ」
「一週間もですか?」
 医者は頷き、少しだけ真剣な顔つきになる。
「それもそうだが、それよりもこれを聞けば、君はすぐにでも病院を抜け出すだろうと、いや、感情の急激な変動で容態が悪化するかもしれないと思ってね」
「……まだ、治ってないんですか?」
「いや、治すための7日間だ。今日でだいぶよくなったよ。外出できる程にね」
 私は歓喜の笑みを浮かべようとしたが、医者の表情は真剣なままだった。
「残念だが、完全には治ってないよ。細胞の変異は続いている」
「……っ」
 私は絶句した。あのときの痛みが蘇る。
(地獄は……まだ続いているのか)
「ただ、その変異する速度が格段に落ちたんだよ。それがどうしてなのか、今のところ分からない。それで、しばらく様子を診てたんだ」
「え……?」
「ま、そんな小難しい話は置いといて、早速君に伝えようと思う」
 そして、一呼吸おき、
「隣国が核を落として仕掛けた大国とこの国に対する宣戦布告。軍事力的にはほぼ互角な隣国と大国だが、突然両国とも降伏したんだ。いや、戦争を中止したといってもいいが」
 その言葉に私は唖然とした。ただ、感情の起伏はなかった。
「……ど、どういうことですか……?」
「あれ、おもったより驚かないね。ちょっと予想外だけど、まぁそのまんまの意味だよ。これがまた理由がおかしな話でね」
「おかしい、とは」
「兵器が全部起動しなくなったらしい。襲撃かと思われたが、その主犯が見つからなかったそうだ。外部からの攻撃もなく、かといって侵入された後もなく、まるで機械が勝手に自滅したと言ってもいいような事態が起きた。それでも、頑丈な兵器がスクラップにされていたのがあるのは物理的に変な話だが」
「……ぇ」
「それ以前に、この地区群の港で同じことが起きたんだよ。それのおかげで、ミカド君と一緒にいたあの付添いの二人、それだけじゃなく、そのときに連れて行かれそうになった選抜者全員が大国に行かずに済んだ。そして不思議なことに死亡者はひとりも出なかったんだ。一体なんだろうね」
「! アマノとセイマは無事なんですか?」
「ああ、とっくの前に退院したよ。銃弾の跡が残ったけど、十分に元気だよ」
「……よかったぁ……」
 安堵した私を見て医者は微笑む。そして医者は話を戻す。
「そうだ。あと、撃った弾がなぜかかなりの空気抵抗を受けたかのように減速して落下したっていう怪奇現象も起きたらしい。まぁそのおかげで君も生きているわけだが」
「どこ情報ですか?」
「新聞だよ」
「それ読ませてくれませんか?」「昨日ゴミの日だったから……」
「……今日の分は?」「読んだが、さっき理学療法士の知り合いに貸しちゃったから」
「……」
「いや、ほんとすまない」
「……現場に誰かいなかったんですか?」
「誰って?」
「ほら、白髪の紅い眼をした若い子とか」
「……? そんな現実的にいなさそうな目立つ人はいなかったが」
「……?」
 どういうことだ?
 あれは幻だったのか? にしては鮮明だった。
(それに、あいつがそこにいなかったら、あの訳解らない現象はどうやって起きたんだ)
 私は黙り込み、顔を少ししかめる。
「……どこか心当たりでもあるのかい?」
「……いえ、何も」
 考えたって仕方ない。私は後で考えることにした。
「それよりも問題なのは両国の首相が降伏したどころか、協定を組んだらしいんだよ。お互い敵同志だったのに、どうしたものか」
「あの、ちょっといいですか?」「うん?」
「お見舞いに来た人っていますか?」
「それはそうだろう。だとしたらそこにある何かの小さな袋なんか元々ないはず……あぁ! しまった!」
 医者は何かを思い出したのか。思わずガタッと立ち上がった。同時にコキッと腰辺りから骨の鳴る音が聞こえたのは気のせいだと信じる。
「どうしたんですか?」
「そうだった、すっかり忘れてた」
「だからなんですか?」私は少し呆れた顔になる。
「……今朝病院の廊下で黒いコートのようなものを来た人と会ってね、その人はフードを被っていて顔が良く見えなかったんだが、『ミカドさんが元気になったら教会に来てほしいと伝えてください』とその人に言われたんだ。その袋をその人が持っていたんだよ」
「……ほんとにっ?」
「いやぁすまない。その人があまりに影が薄かったから印象に残ら―――ミカド君?!」
 医者の叫ぶ声が聞こえるが、私は無理矢理にでも体を起こし、その薄く小さな袋を持って病室を急いで出た。

「はぁっ……はぁっ……」
 今は午後の2時。あいつが病室に来てから凡そ6時間は経っている。その場所に未だいるのかはわからないが、とにかく今は急いでいくしかない。
 患者服に裸足で走る女性の姿は周りの人には不思議そうな目で見られていることだろう。しかし、そんなのはお構いなしに私はあいつの待っているであろう場所に向かう。

 教会の丘に着く。
 あいつはいた。
 真っ白な髪が風に揺られている。
 その真っ赤な瞳も、透き通るような白い肌も、何ら変わらない楽しそうで、どこか不思議な表情は懐かしさを感じた。まるで、数十年ぶりに出会ったかのように。
「ミカドさん、ひさしぶりですね」
 その男女の区別がつかない中性的な声が耳に響く。
 私は靡く長い髪を耳にかける。
「ああ、今までここにいたのか」
「待ってるうちに気が付いたらこんな時間になってました。いやぁ時間って不思議ですね」
「おまえがいうなよ」
私は笑った。
温かな風が吹き、私は一呼吸置く。
「あのさ……俺たちが大国に連れて行かれそうになった時、イノが助けてくれたんだよな」
 イノはにっと笑い、
「ミカドさんと約束しましたから」
 そう言った。
「……はは、まぁ、ありがとな。でもさ、普通ここまでしてくれる人なんて」
 物語の主人公ぐらいだぞ、というと、イノは笑い、
「僕とミカドさんが似ているからです」
「……似ている? 俺と?」「はい」
 しかし、その質問に詳しく答えることなく、イノは話題を変えた。
「あ、ミカドさん、そろそろ受け入れることできましたか?」
「? 受け入れる?」
 イノの不可解な質問に私は少し動揺する。
「身体ですよ」
「……あ」
 そういえば、体の痛みもない。違和感もない。あのむず痒さもなければ、嫌悪感もなくなっていた。
「本当はまだミカドさんの身体はそのままですし、長い人生を歩むことも難しいです」
「……」
 私は黙る。そうだ、現実は続いているんだ。
 でも、
「それでもいい。イノの言う通り、受け入れなければ何も始まらない。どうしようもない。そう学んだよ」
 すると、イノは無邪気に笑い、
「よかったです」
 とだけ言った。
 どんな因子でも、拒否をすればきりがない。でも、受け入れれば何かが変わるんじゃないか? 寧ろ良い方向へと行くかもしれない。でも、逆もあるかもしれない。
 だとしたら、それも受け入れよう。
今の私は何かが変わっていた。
「なぁイノ」
「なんですか?」
「新聞にも載ってたけどさ、おまえ、他の国行って何をしてきたんだ?」
 イノは私の瞳を見つめ、
「……変わらない未来を変えようとしただけです」
 私は微笑む。
「そうか……それで、何か変わったのか?」
「うーん、それは神様にでも聞かないとわからないです」
「はは、まぁそうだよな」
「ミカドさん」
「ん?」
「残りの人生、十分に楽しんでくださいね」
「余計なお世話だ」
「大丈夫ですよ、あの世へ逝っても楽しいことあるかもしれないですし、あの世で死んだら、この世に戻ってくるかもしれませんよ」
「根拠もないのに?」「はい」
 ふたりは笑う。
「いつ死ぬかわからないが、今一瞬を楽しんでいこうと思う。変わらない毎日かもしれないし、またあんなことが再発するかもしれないけど、前を向いて最後まで生きようと思う」
「そうこなくちゃです」
「イノは、また旅立つのか?」
「はい、今日この国を出ようと思います。美味しいものがないですし」
「ははは! でも栄養配分は世界一だぞ」
「食べ物は美味しくないと食べた気になんないです」
「まぁな。俺も旅して、美味いもん食ってみたいよ」
「じゃあ一緒に行きますか?」
「いや、ここにいるよ。こんなしらけた街でも、どこか愛着があるからな」
「そうですか」
「それで、俺の病室に置いてあったこの薄っぺらい袋なんだけどさ、これもしかしてサプリメントか」
 私は袋から栄養剤を取り出す。
「はい、ミカドさんに買ってもらったんでそのお礼です」
「なにも同じやつ買って返さなくてもいいだろ。まぁ、ありがたくもらっておくよ」
「……じゃ、そろそろ行きますね」
 イノは少しさびしそうで、でも相変わらずの和やかな表情で一歩歩む。
「それじゃあな、イノ。
 ……ありがとな」
 イノは微笑んだ。穏やかに、優しげに、微笑んだ。
 そして、
「またいつか、会いましょう!」
 満面の笑みでイノは告げた。



 イノがこの国を去ってから時代は変わった。
 まずは、隣国が仕掛けた大国への宣戦布告。あれにより戦争が勃発するかと思いきや、あるトラブルが起き、戦争は互いに中止。降伏せざるを得なかった。
 そして、何故か隣国と大国が条約を結んだ。何を結んだのかは今の私にはわからない。
 そんなことよりも、いちばんの衝撃は、大国から植民地の解約、つまり、人体提供という悍ましい人口削減対策がなくなったのだ。そのかわり、年齢70代を迎えた老人は強制死去しなければならないという法律が認定されたが。まぁ、死なせる方法が安楽死なので苦痛は無いだろう。また、緩かった一人っ子政策も厳格化し、破った者は厳重な処罰を受けることになった。まぁ性的ストッパーの緩い奴等には丁度いいだろう。
 食糧対策もなんとかなりそうで、大国や隣国も何かしらの新開発や協力をしてくれている。他の州の国々も同様だった。
 戦争が無くなることはなかったが、それでも数は減った。
 まるで世界がひっくり返ったかのような、そんな時代を迎えた。そうなったきっかけは多分、あの旅人のおかげだろう。何をしたのかわからないが、私にとってこの国を、世界を変えたと言っても過言ではない。
 巣食われていた私たちの国はあの無邪気な旅人に救われたのだ。
 馬鹿げたことを考えているかもしれないけど、もしかしたら、あの人はこの世界を救いに来た神様かも知れない。
 そんな気がする。
 あのとき初めて、信じてこなかった奇跡という神様を心から信じられたかもしれない。

 しかし、そんな奇跡もリアルで、私の数年しかない余命はあと僅かとなった。だけど私は病院には行かず、改築した家でずっと本を読んでいた。一度焼却されたとはいえ、やはりここの部屋が落ち着く。
 最後に読んだ本は確か「白痴――旅をする少年――」だった。
 私はなんだか懐かしい気分になり、その本は大切にした覚えがある。身体が弱くなる上、その本も分厚かったのか、読むのにかなりの時間を要した。
 生まれたときから病弱で、知的障害のあるアルビノの少年が縛られた病院から抜け出して旅をするという話。どんな困難に遭っても諦めず、しかし楽しそうに前を向いて頑張る姿は勇気づけられた。最後は感動する内容だった。
 その本を読んで思い出した。紅い眼は古くから鬼の児として畏れられた忌まわしき眼。だけど、もうひとつの言い伝えがある。紅い眼と白い髪は堕ちた神が変異した人間だと。ただの言い伝えだが、私は、それを信じる。だって……
 実際に神様を私は見たのだから……
 本を読み終えたとき、私は立ち上がり、窓を開ける。
「…………」
 空は寒気立っていた。しかし、今から射してくるであろう太陽はきっとこの冷えた街を温めてくれるだろう。私は傍の椅子に力尽きたかのように座る。
「……もうそろそろ、迎えが来るみたいだな……」
私はその本を片手に静かに眠った。28年の歳月は決してつまらないわけではなかった。
 窓から差し込む夜明けの朝日が、眠る私の身体と微笑んだ顔を優しく撫でる。

 ――――また会えましたね、ミカドさん――――

 どこまでも無邪気で、楽しそうなあいつの声が聞こえた気がした。
 
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