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或る皇国将校の回想録

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第三部龍州戦役
  第四十九話 盤面は掻き乱れたまま払暁を迎え

 
前書き
馬堂豊久中佐 独立混成第十四聯隊聯隊長

大辺秀高少佐 独立混成第十四聯隊首席幕僚

ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナ
<帝国>帝族の一員である東方辺境領姫にして<帝国>陸軍元帥
東方辺境領鎮定軍司令官 天性の作戦家にして美貌の姫

クラウス・フォン・メレンティン
熟練の東方辺境領鎮定軍参謀長 ユーリアの元御付武官

アンドレイ・カミンスキィ
第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校

新城直衛少佐 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊大隊長 

藤森弥之介大尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊首席幕僚

美倉准将 近衛衆兵第五旅団長  

 
皇紀五百六十八年  七月十九日 午前第三刻半
〈皇国〉陸軍南方戦域 集成第三軍司令部
集成第三軍戦務主任参謀 荻名中佐


「先遣支隊本部からの報告を確認したな?」

「騎兵師団の事か、既に龍州軍司令部と第二軍に伝達した。後は向こうしだいだな。
師団規模の対応となると軍単位で動くことを考えねばならん」
寝不足気味の為か血走った目をした情報参謀の長隈が目を瞬かせた。
「――だが、少なくとも近衛の主力銃兵が浸透突破集団に加わっている以上、我々が反攻の主力となる事は決定事項だ。こちら次第で向こうもやり口を変えるだろう。騎兵の支援には龍兵が投入された場合、砲兵が無力化されてしまう。そうなったら集成第二軍はもたんだろう」

「だが、ここで旅団本部を潰せたことは大きいのではないか?
払暁の攻勢の優位を得られたと見るべきだ。第二軍が<帝国>軍の反攻に耐えられなくとも、此方が一気に敵本営を占拠すればまだ勝ち目はある」

「いや、まだだ。敵師団司令部を潰さなければ危険だろう。昼の攻勢で我が軍の正面部隊は防衛線を縮小している。現状では師団の直轄予備部隊を投入し、遅滞戦闘を行いながら師団司令部の下で統制を取り戻すのも難しい事ではないだろう――それに、向こうが予定を変更したとすれば龍兵にまた火力を潰されて今度こそ終わりだ」
 最も龍兵の被害を知悉している兵站参謀の答えに荻名は顔を歪めた。
「やはり、成功しても一気に突破しなければならんのだな・・・・・・」

「――結局のところ、海岸堡さえ抑えれば勝利は決定するのだがな。龍州軍司令部から先の報告に関する何か連絡は来ていないのか?」
 長隈情報主任参謀が土屋次席参謀に確認をする。
「はい。現在、龍州軍は砲兵部隊の一部を我々第三軍の補充に充てておりますので、当面は後方支援と予備部隊として戦闘参加は見合わせるそうです。全体方針としては矢張り我々が海岸堡まで突破する事に注力し、龍州軍から一個旅団を予備隊の増強として集成第二軍の後方に移動させるようです。第二軍は軍の再編と平野部における防御陣地の増強にとりかかっていましたが、やはり日没後の作業ですから効果はさほど期待できないかと」

「第二軍も厳しいか。銃兵師団に加えて騎兵師団まで投入した反攻だ。にわか仕込みの防衛線では焼け石に水だ」
 長隈が舌打ち混じりに云う。
「流石は〈帝国〉陸軍、戦力差は圧倒的だ。砲兵隊が健在なら海岸堡を抑えた後に龍州軍と合同で予備師団ごと包囲できたのだがな……」

「やはり先遣支隊が師団司令部を抑えてくれれば、となりますな」

「贅沢を言う暇はない、閣下が仮眠を済ませるまでに方策を形にせねばならん。
先遣支隊から情報が届いているのだ、昨日よりも機先を制する事ができる。
明日の勝利は今我らの肩に乗っているのだぞ!」
かくして彼らも勝利を得るべく営々と動いていた。


同日 午前第三刻半 龍口湾〈帝国〉東方辺境鎮定軍海岸堡
〈帝国〉東方辺境鎮定軍本営

本営にて騎馬伝令を受けた軍参謀長であるメレンティン准将は即座の状況判断で総司令官を起こしにやらせた。
運ばれてきた伝令の内容は、わざわざ帝族にして〈帝国〉陸軍元帥を起こすべき事ではない筈だが。彼はその畏れ多いとも称されるべき行動になんの疑問も抱かなかった。
「状況は?」
ユーリアは天幕に入ると矢継ぎ早に状況の把握を明晰な口調で求め
る。先程まで就寝していた痕跡は、僅かに乱れた髪でしか見て取れない。
彼女がカミンスキィを伴っているのを見てメレンティンは眉を顰めたが直ぐにそれを打ち消し、彼の主が求めている報告を行う。

「師団長の第21師団司令部から師団長が行方不明との伝達が一刻前にありました。
更につい先程、第21師団第二旅団からの定時連絡も途絶えており、確認に出した騎馬伝令も未帰還です。
この事態を受け、師団司令部は早急に師団長代行の任命を求めております。」
ユーリアは考えを纏めようと眼を閉じる。
――何が起きた?
ユーリアの直観は即座に答えを返す
――敵は猛獣使いの部隊を浸透させている。それしか逆転の目が無いのだから、そう考えるべき。なによりクラウスはその可能性を捨てられないからこそ私をここに呼び出したのだから。
――規模は?
――旅団本部と護衛大隊を通報する間もなく潰せる規模。つまり、猛獣使いを少なくとも二個大隊――それもかなりの距離を既に浸透している、それを可能にしているのは背天ノ技。
考えをまとめ、微笑みながらユーリアは目を開く。
――やってくれたわね。つまり、私達は半身不随に追い込まれつつある――あわよくば此処までくるつもりね。さて、不埒者達をどうしてくれましょうか。
 戦姫は彼女を囲む歴戦の将校達に何も不足を感じておらず、何の疑いも挟まず自由に動けるなかで最も頼りとする青年に視線を送った。
「師団長代理を任命します。アンドレイ・カミンスキィ大佐」

「はい、閣下」
戦姫の発令に対し戦姫の恩寵厚き大佐も対となる絵画のように礼を捧げる。
「貴官を少将に仮任命する。シュヴェーリン少将の消息が判明するまで第21師団の指揮
を代行するように。
敵兵力の浸透の可能性が高い為、貴官の指揮下にあった第3東方辺
境領胸甲騎兵聯隊は一個大隊を本営直轄として、現行の任務である
本営警護を続行。
聯隊主力は第21師団司令部直轄として同師団に編入する。復唱の必要はないな?」

「はい、閣下。バルクホルン少佐の第二大隊を残します」

「急ぎなさい。良き報告を待っているわ」
柔らかく微笑して姫は騎士を送り出し、騎士も壮麗な敬礼を捧げ、天幕を退出した。
だが、その若き少将を見送る初老の准将の顔は渋いものであった。
「閣下、能力はともかく人務上の問題となります。好ましいものとはいえません」
 あからさまなまでの愛人優遇は公正な信賞必罰に反するものである。
「シュヴェーリンの件に、旅団本部の件、二度も変事が続いている。
クラウス、私は都合の悪い偶然は疑う事にしているし、それが二度続いたら行動すると決めているの。ただの偶然だったらシェヴェーリンはその内戻ってくる筈。
でもただの偶然ではなかったら、あの猛獣使いが入り込んでいると
考えるべきよ」
「だから北領で猛獣使いと戦闘経験があるカミンスキィを、ですか」
メレンティンは溜息をついた。彼が慈しむ美姫へ反論ができない事は悲しいことにいつもの事だ。
「――猛獣使いね。彼も来るかしら?いえ、来るでしょうね。こんな博打を打つなんて不本意なのでしょうけど、でも愉しんでいるでしょうね、彼」
「一国を背負って夜を駆ける……羨ましくもありますな。とはいえ上手く事を運ばせるつもりはありませんが」
 ユーリアとメレンティンが声を上げて笑う。



同日 午前第四刻 海岸堡より約二里 第21東方辺境領猟兵師団司令部


「第一旅団司令部は健在なのだね?」
 新たに師団長を任じられたカミンスキィは即座に師団司令部の機能を復旧させ、被害状況を確認し対応策を構築した。シュヴェーリンたちが構築した騎馬伝令網は司令部が平静を取り戻すのに比例して状況を再掌握しつつあった。
 既にカミンスキィは第二旅団司令部の壊滅を察知し、第一旅団の防衛線を縮小させ、払暁に再開されるであろう第三軍の攻勢へ備え、第二旅団の残存部隊を師団直轄とする旨を告げていた。

「はい、閣下 聯隊本部は健在です。 既に伝令が確認をとっております。」
「プレハノフ君! 胸甲騎兵聯隊は?」
「既に護衛配置に着いております。」
 胸甲騎兵聯隊の聯隊長代理を任じられたプレハノフ中佐が応える。

「よろしい!大いに結構! 諸君!我々が為すべきは、指揮系統の確保だ。
敵の浸透部隊は確実に砲を持たない部隊であり、日が昇れば我々の有する火力を持って掃討を行うことで全ての問題が解決する。我々は直轄部隊を集結させ燭燐弾によって視界を確保させよう。それであと僅かである払暁までの時間を警戒していれば良い」
 アルター参謀長は少なくとも有能さを新たな師団長が示した事に安堵した。
「既に軽臼砲による打ち上げは既に用意しております。
第一旅団から一個大隊を呼び戻せば師団司令部の備えも万全になるかと」

「いや、やめておこう。第ニ旅団だけでは保たない可能性が高いからこそ第一旅団の防衛線も緊縮させたのだからね。それにだ、アルター君!胸甲騎兵聯隊を侮ってはいけないよ。
こうして支援と灯りを整えさえすれば存分に蛮族の猛獣使いを蹂躙できるとも!」
 <帝国>軍は歴戦の軍組織にふさわしく、早々に混乱から立ち直ろうとしている。



同日 午前第四刻 南方戦域〈帝国〉軍防衛線より北方約十七里
集成第三軍先遣支隊 支隊本部 支隊長 馬堂豊久中佐


「――情報幕僚 全般状況は?」
 馬堂豊久は冷静な歴戦の支隊長の面を外さぬように注意しながら尋ねた。事前の予想の範疇ではあったが、ここにきて進軍速度が低下していた。
――日が昇るまで後僅かだ。こんな所で足止めをくうべきでは無いのだが・・・流石に哨兵が増えている。

「はい、支隊長殿――近衛の浸透突破集団は東進を続けており、既に第一旅団本部に強襲を行い、壊滅に成功しております。現在は海岸堡へ向かっているようです」

「指揮官は――あぁ~、近衛衆兵の第五旅団長の――」
とそこで馬堂支隊長は眉を顰めると、大辺がそっと囁きかける。
「美倉准将閣下です」

「ん、ありがとう。その美倉閣下も今のところは上手く事を運んでいるようだな。
まぁ、わざわざ近衛総軍の主力銃兵まで投入しているのだから成功しないと恐ろしいことになるのだが――さてさて、我々はどうしたものかね?」
幕僚達も視線を交わす。現在、彼らの受けている指示は明確ではある。師団司令部を標的とし、行動を行うべきである。
「聯隊長殿、師団司令部の位置反応がつかめました!」
 捜索を行っていた戦闘導術士の一人が声を上げた。

「よくやった! 位置は?」

「司令部らしき反応の付近は現在地から北東に約一里弱です。
銃兵大隊と――騎兵らしき部隊が一個連隊、二千、総計で約三千程度が周囲に展開しております」
 ――合わせて此方とほぼ同数か。

「騎兵――昼の損害をもう補充したのか?」
 ――不味いな、日が昇る前にってのも厳しいが騎兵を相手にするとなると。丘陵を活用しないと損害が洒落にならない。

「いえ、もしかしたら本営直轄の部隊を出してきた可能性があります。
旅団本部を潰したことを既に把握しているとしたら――向こうも本腰を入れるでしょう」
 戦務幕僚の石井が言った。
「と、なるとあの姫様の事だ、子飼いの第三胸甲騎兵聯隊がでてきていると想定しよう
ならばおそらくは、カミンスキィ大佐が防衛指揮を執っているに違いない、出し惜しみをする筈がない。防衛に回った騎兵は弱いが・・・・・・あの男がそんな使い方する筈もないな」
 そこまで考えていると海岸方向から燭燐弾が打ち上げられたのが見えた。
「――あらやだ、あのイケメン野郎やる気まんまんじゃないですか――いっその事、帰るか?」
 冷や汗が流れるのを拭いながら八割本気の言葉が喉元で殺しきれず漏れでた。
「非常に魅力的ですがせめて陽動くらいはしましょう。」
応える大辺も絞め殺されそうな声だった。

 ――予想はしていたが、俺はまたしても〈帝国〉軍を甘く見ていた。夜間と云えど〈帝国〉の情報伝達能力は高い水準を保っていた。旅団本部壊滅から三刻もかからずに対策を打ってくるとかあり得ないだろ、常識的に考えて。
 馬堂中佐が目を覆い、瞼を軽く揉みながら小声でぶつぶつと呟き始めた。
「奇襲は不可能――臨戦体制に移行――師団司令部の護衛――逆包囲のリスク――いや、第三軍の攻勢を待てば――予備部隊の動きが――?」
 幕僚達が無言でその呟きに耳を傾ける。彼らの部隊長の言葉は断片的にしか聞き取れないが、考えがまとまりつつある事は理解できた。
「支隊長殿、宜しいでしょうか?」
 豊久が再び目を外界に晒したところを見計らい、石井戦務幕僚が手を挙げた。
「勿論、宜しいとも。」
 支隊長として豊久は意識して唇をねじ曲げる。
――不安も不満も今は押し殺してみせねばならない。気落ちした幕僚達が口をつぐむようになったらお仕舞いだ、何もかも。

「首席幕僚殿のおっしゃった通り、海岸堡への迂回強襲を提案します。我々の戦力を消耗させるならば、兵站・指揮の大本を破壊する事にかけるべきです。近衛と共同する事で成功可能性が高まります。
帝族を討ちとり、海岸堡の物資を焼くことができれば敵軍の士気をくじく事も出来ます。
近衛の浸透部隊と合流する事に成功すれば頭数も八千弱となり北部に展開しているであろう<帝国>軍の騎兵師団を拘束する効果も期待できます」

「――ふむ」
興味深そうに顎を撫でながら支隊長は意見の評価を行うべく再度、思考を巡らせる。
 ――確かに現地の情報に基づいて独自の行動を行える柔軟性をもっている事は我々の強みである。 些か独断専行ではあるが、旅団本部を殲滅できた以上、第三軍の攻勢を陽動にし、本営へしかけるというのも有りだ。
「それも選択肢の一つではあるが――」
 脳内で弾き終わった算盤を眺め、豊久は判断を下す
 ――深入りすると撤退が危うくなる。師団司令部に騎兵聯隊が居るとしたら騎兵師団が本営の防衛部隊に回されるとしたらどうあがいても包囲殲滅だ。近衛の戦力には期待するべきではない。そもそもからして新城が仮にも中央を守る筈の主力銃兵部隊を引き連れて浸透作戦を行っている時点でお察しだ。もっとリスクの少ない策が欲しい。できるならば近衛衆兵達にとっても

「――現在、判明している<帝国>軍部隊の配置を確認する。上砂、第三軍司令部に攻撃開始の時刻の確認を急いでくれ。
戦務と兵站は各大隊の装備・戦力を再把握。小半刻後には指揮官集合をかける」
 支隊本部の面々が、それぞれ与えられた指示をこなすべく、導術兵を呼びつけたり、手持ちの地図を取り出し、覆いをつけた角灯の下に張り付くように地図を引き寄せたりとしている姿を横目に速足で近寄る導術少尉を手招きしながら豊久は光帯を仰ぎ、僅かに祈るように瞑目した。



先遣支隊本部――幕僚達が青年中佐を取り囲んでいるだけであるがそう名付けられている――には大隊指揮官の全員が集められていた。
「諸君、我々はこれより敵師団司令部・及びその護衛部隊を強襲する。
集成第三軍主力部隊は払暁に反攻を再開し、我々が指揮系統を破壊した防衛線を突破し、本営と橋頭保を占拠する、それで詰みだ」
 張り詰めた空気のまま、皆が頷いた。
「護衛部隊は少なくとも騎兵一個聯隊、これにおそらくは銃兵一個大隊以上が付属しているものと思われる。先程のように兵員の優越はないが、この戦いは戦略的に非常に重要な意味を持っている。諸君の奮戦を期待している。――さて、首席幕僚、詳細案の説明を頼む。」



同日 午前第四刻 第21東方辺境領猟兵師団 第一旅団本部
近衛総軍 浸透突破集団 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊本部


――夜明けが近い闇の中で猛獣の唸り声が響く、地獄につきものである悲鳴はか細く、
戦闘の趨勢が既に決定している事を知らしめていた。
「旅団本部は?」
 だが、新城直衛は持ち前の小心さと慎重さから油断なく問いかける。

「既に壊滅しております。隣の大隊も既に組織的抵抗は皆無です」
 益山情報幕僚が応える。
「これで後は師団司令部と海岸の本営を潰せば敵は瓦解せり、か。
まぁ口にするだけならば簡単極まりない事ですな」
 鼻を鳴らして首席幕僚である藤森が云った。
 幕僚達が難しい顔をしている中、大隊長は仏頂面で掌を摩っていた。先遣支隊は既に旅団本部を壊滅させており、旅団本部に残っている情報は新城たちにも届いている。

「導術連絡が集成第三軍先遣支隊より入りました。」
 戦闘の管制を行っていた導術兵の一人が告げた。
「云え」
 大隊長に促され、彼は伝達を行う。
「発、集成第三軍先遣支隊本部 宛、近衛衆兵鉄虎第五○一大隊本部
近衛浸透突破集団ニ伝達ス。
午前第五刻ヨリ、第三軍主力ハ反攻ヲ再開ス
我ラ、コレニ呼応シ師団司令部ヲ強襲ヲ敢行スル。
尚、敵本営直轄ノ騎兵部隊主力ラシキ部隊ヲ師団司令部周辺ニテ確認ス。
――以上です」

「向こうも旅団本部を潰せたということですな。」
 鼻から息を吹き出しながら藤森が云った。
「さてさて、向こうさんは何を考えておいででしょうな?」
 そう言って向こうの指揮官と旧知である無位の英雄へと視線を向ける。
「先遣支隊の連中が師団司令部を相手するようだからな。第三軍の主力部隊を早期に突破させることに集中するようだな。僕達はその先を行き、海岸堡を、敵の本営を突くしかない、それは分かりきった事だ。どの道、第三軍主力が海岸堡に到達する前に龍兵がやってくる。
馬堂中佐殿は有り難くもそこに飴玉を転がして来ただけだ。

「帝族であり、最高司令官である東方辺境領姫殿下と云う武勲を得る為に大博打を打つ機会をお譲りします、と。」
 藤森はあからさまにうんざりとした様子だった。
「謙虚な御方だからな、馬堂中佐殿は。」
 なんとも言えぬ口調で云うと、大隊長は溜息をついた。
「――逃げ足が早いとも言えるがな」



同日 午前第五刻 東方辺境領第21猟兵師団司令部より南東約一里
集成第三軍先遣支隊 支隊本部 支隊長 馬堂豊久中佐


砲声、銃声が入り交じり白煙が立ち上るのがよく見える。
 ――第三軍の主力も動き出したか。
「さて――後は我々と近衛の動きで全てが決まるわけだ。はっ!なんとも素晴らしいな」
 心臓が痛いほどに脈打っている、足が今この瞬間にもつれないのが不思議なほど豊久の神経は張りつめていた。そっと口元をさすると北領で刻みつけた習慣で歪んでいるのが分かった。
 ――良かった、俺の最後の見栄は辛うじて守ることができている。
「――情報幕僚、軍主力の戦況を。」

「は、南部方面の敵部隊は第三軍主力部隊と交戦しております。戦況は、第三軍が既に二個大隊を壊滅させ、優位に立っている模様です。師団司令部護衛部隊からおそらく騎兵だと思われますが一個大隊程が近衛浸透突破集団方面へと向かっております、恐らくは第一旅団本部の壊滅に勘づいたのかと」

「――導術、各部隊に伝達、こちらもはじめるぞ」


同日 午前第五刻 東方約一里
近衛浸透突破集団 第五旅団本部

「第三軍の突破を待つべきだ。本営まで突出すると各個撃破の的にしかならない」
 美倉准将は此処まで彼らを連れてきた凶相の少佐に向かい合っている。
「少佐、我々は既に敵の抵抗線の司令部を壊滅させたのだ。後は第三軍先遣隊の支援を行い、後退すればよい」
 ――臆しているのか、旅団本部を潰した戦果で満足しましたもう結構ですとでもいうつもりか?

対する新城直衛は仏頂面のままそれを真摯に聞き流し、言葉を発した。
「我が方面の旅団は防衛線を縮小しております。
既に敵軍に浸透を勘づかれている以上、我々は退く事も留まる事も出来ません。
何故なら上級司令部は我らが進む事を決定しており、
友軍達は既に我々の呼応を信じ、行動をしています。
彼らが築く血河と屍の山をも踏み越えなければこの戦いで積まれた全ての屍の意味が失われるでしょう。
彼らは祖国を信じ健気を示しました。陛下の軍たる我らは彼らの健気に答えなければなりません」
 不自然なほど饒舌に述べる新城に美倉は不自然なほど無感情に尋ねる
「貴官は――そうして兵達を引き連れてより深き血河を渡り屍の山を踏み越えるのか。」
 無能ではないが凡庸で見るべきものは無いと周囲から評されていた男は不思議と澄んでいた。
「ええ、閣下。僕はそうせざるをえません。兵達の健気に応える為か、狂っているのか、僕には分かりません。ただ僕は 征く と選択しているのです。兵を引きずり回しながら、只管に」
 凶相の英雄は笑みを深めて応えた。
「それが君の軍人たる姿か。なればこそ――」
 美倉は俯いて深く息を吸うと顔をあげ、新城の目を見つめて告げた。
「私も――軍人として、近衛准将として職務を全うしようと思うのだよ、少佐。」
 
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