不思議な味
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第一章
第一章
不思議な味
第二次世界大戦が終わってすぐのこと。タイは戦争のことをまだ覚えてはいたが平和を取り戻してきていた。日本軍のことはまだはっきりと覚えていたがそれも過去のことになりつつあった。
「厳しい連中だったな」
「全くだ」
タイ人達が日本軍に抱いた感情はこれであった。やたらと厳格で口やかましく融通が利かずしかもことあるごとに鉄拳制裁をしてくる。そのあまりもの厳しさにまず彼等は大いに困惑した。とりわけ殴られた連中は何が起こったのかと驚くことしきりだった。。
しかし日本軍はそれと共に規律正しく公平で生真面目であった。何事にも真面目に取り組みタイ人達に対してもかなり穏健な態度ではあった。少なくとも彼等を同じ人間として見ており白人達とは違っていた。
「まあそれでも負けたしな」
「あれはあれでいい連中だったが」
「しかし負けてしまったからには仕方がない」
その辺りの見方は実にシビアであった。
「まあ縁があればまた会えるな」
「そうだな」
そんな話をしながら闘鶏をしながら遊んでいる。彼等の穏やかな日常はもう戻っていた。しかしその中で一人の若い僧がいた。名前アッコンという。
彼は修行中の若い僧侶である。今は托鉢をしてバンコクの中を歩き回っている。タイでは僧侶は尊敬される身分であり托鉢でもそれ程困ってはいなかった。この日も托鉢で米をもらってそれを食べていた。
木陰に腰を下ろして休みながら話をしている。米を丸めて食べている。これは日本軍がよく食べていた食べ方で彼もそれを見て真似ているのである。
しかしどうにも美味しくないように感じた。何故かわからないがその日本人達は美味そうに食べていた。それもまた不思議ではあった。
「何故あんなに美味しそうに食べていたんだろう」
アッコンはそのことを不思議に思っていた。彼にとっては米は普通に御椀に入れて食べるものだ。日本人達もその食べ方をしていたが何故かその食べ方もかなり好んでいたのだ。その食べ方をしてみたが彼にはあまり美味しい食べ方とは感じられなかったのだ。
「わからないな。私には」
「ねえお坊さん」
首を傾げながらその丸めた御飯を食べていると誰かが声をかけてきた。
「何をしているの?」
「何をしているのって?」
「うん。何をしているの?」
彼に問うてきていた。それを聞いて声がした方に顔を向けるとそこには一人の小さな女の子がいた。黒く大きな目をした痩せた女の子であった。
「今。お食事中?」
「うん。そうだよ」
彼は女の子に対して穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「日本人を真似て御飯を丸めて食べているんだよ」
「美味しいの?」
「どうかな」
女の子のその問いには苦笑いを浮かべて答える。
「正直なところ。美味しいかというと」
「違うの?」
「何かな。御椀に入れるのと変わらないね」
彼にとってみればそうであった。
「しかもこぼれやすいし。何か悪いのかな」
「日本軍のおじちゃん達はそう食べていたよね」
「それを真似したんだけれどね」
何かあるとすぐにガミガミ怒るので正直あまり近寄りたくない相手だったが。流石に彼は僧侶だったので殴られはしなかった。しかし日本軍の厳格さと融通の利かなさにはかなり参ったのは彼も同じだったのだ。こんな人間がいるのかと驚いた程である。今でもその驚きは残っている。
「どうもね。あまりね」
「日本軍のおじちゃん達も変わった人達だったよね」
「そうだね」
一言で言うとそうだった。
「あんなに怒る人達って他にはいないわよ」
「あの人達にとってみればそれが普通だったんだけれどね」
アッサムはそう女の子に述べた。
「僕達にとっては普通じゃないんだよ」
「普通じゃないの」
「そう、それだけ」
それだけだと言ってみせる。
「それだけのことなんだよ。けれどお嬢ちゃんは何かされたの?」
「私は別に」
その問いには首を横に振ってきた。
「けれどお父さんが」
「何かされたの?」
「殴られたの」
日本軍の常である。これで日本軍は恐ろしい連中だとタイ人達に恐れられたのである。厳格なだけではなく容赦なく殴ってくるというので恐れられたのだ。
「何かよくわからない理由で」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
こうアッサムに答えた。
「それだけ。あとお父さん日本軍のおじちゃんに変な食べ物教えてもらってたよ」
「変な食べ物!?」
アッサムはそれを聞いて今時分が食べている御飯を見た。よく見ればこれもまた実に変な食べ物だ。彼にとってはあまり美味しくはないしだ。
「そう。何かね」
「うん」
女の子の話を黙って聞いている。
「麺なんだけれどね」
「麺なんだ」
「それが本当に変な麺なの」
日本人の食べるものは彼等から見ればそうである。アッサムが今食べているものにしてもだ。何故これが美味しいのかわからないのだ。
「味がなくて」
「味がない」
「そうなの。太い麺でね」
「ふうん」
それを聞いてもわからない。話を聞いてもあまり想像できない。
「それでね。茶色のお汁で」
「茶色の」
「あと黒い麺も食べていたわ」
「黒っ!?」
今度は黒い麺ときた。話を聞いてさらに訳がわからなくなった。
「何なの、それって」
「わからないの」
女の子は首を捻ってまた言う。
「何が何なのか全然」
「日本人の食べるものはわからないけれど」
これはアッサムの本音であった。
「また。変なものを食べていたんだね」
「お父さんに教えてくれていたけれどそれでも」
「わからないんだね」
「何だったのかしら」
女の子にはそれを聞いてもわからない。
「味はなかったし」
「ないんだ」
「薄いのよ」
タイ人が日本軍の食べているものに対する印象はそれであった。
「それでも何か気になって」
「食べてみたいの?」
「どうかな」
アッサムのその問いには首を傾げてきた。
「食べたいっていえば食べたいし」
「そうなんだ」
アッサムは彼女のその言葉を聞いて頷いた。おおよそ彼女の希望はわかった。
「わかったよ。それじゃあね」
「どうするの?」
「僕がその麺をお嬢ちゃんに食べさせてあげるよ」
「本当!?」
「お父さんはいるかな」
まずはその麺を教わった彼女の父について尋ねた。
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