或る皇国将校の回想録
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第三部龍州戦役
第四十八話 黒子は動き、舞台は廻る
前書き
馬堂豊久中佐 独立混成第十四聯隊聯隊長
大辺秀高少佐 独立混成第十四聯隊首席幕僚
米山大尉 独立混成第十四聯隊 副官
石井少佐 独立混成第十四聯隊戦務幕僚
香川大尉 独立混成第十四聯隊情報幕僚
秋山大尉 独立混成第十四聯隊剣虎兵幕僚
佐脇少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊長
棚沢少佐 聯隊鉄虎大隊長
皇紀五百六十八年 七月十九日 午前第一刻
南方戦域〈帝国〉軍防衛線より北方十三里 集成第三軍先遣支隊 支隊本部
支隊長 馬堂豊久中佐
第五〇一大隊の接敵報告を軍司令部から伝えられてから数刻が経った。
部隊の査閲に出ていた将官らしき男とその供回り達をまとめて仕留めた旨を聞いた支隊長は、「相変わらず妙な引きだな、新城は」と笑ってみせたが第五旅団まで参加していると聞いて僅かに顔を顰めた。龍口湾中央を防衛する近衛総軍が主力の常備銃兵隊を投入しているのだ。決して愉快なものではない。
だが、結局のところ近衛がどうしようと先遣支隊は下された命令通り、密やかに前進するしかない事には変わりなかった。
「却説、現在の先遣支隊は上手く機能しているかな?」
「浸透部隊の先鋒を務めている第十一大隊が上手く先導してくれているのだから、大丈夫でしょう。聯隊戦闘導術中隊から二個小隊を大隊本部に預けた事で、索敵を行えている事が大きいかと。佐脇大隊長が導術利用をどう考えているのかは分かりませんが、幕僚陣が上手く使っているようですから心配はいらないかと」
「第一・第二大隊も現在は中隊単位で分散していますが、第十一大隊の各部隊の先導の下で行軍をしています、側面も鉄虎大隊が警戒を行っていますので問題ないかと。
ただ、鉄虎大隊が小隊単位で分散していますので、戦闘時に混乱が起きる可能性はあります」
「だからこそ、大隊本部が支隊本部と合流しているのだよ」
鉄虎大隊長の棚沢少佐が肩を竦めた。そして、支隊本部は鉄虎大隊と共に直轄部隊の鋭兵・工兵中隊と共に分散した支隊の中央を進んでいる。
こうして、隠密性保持の為に分散が行われていが、そろそろ限界が近い事を本部要員たちも理解していた。
「日付が変わってから、敵哨戒が増えています。敵中枢に近づいているからだとも考えられますが、それだけだと考えるのは危険でしょう」
石井戦務幕僚の意見は大半の将校達の意見を代弁していた。
「首席幕僚、どう見る?――流石にそろそろ勘づかれたか?」
支隊長・馬堂豊久中佐もその意見に頷くと隣を歩む首席幕僚に問いかけた。
「確信はしていないでしょうが想定はされていると考えるべきかと――我々、先遣支隊は夜襲専門の編成です。このまま払暁までに間に合わなかったら砲で叩かれて殲滅されます。次の小休止時に戦闘導術部隊に遠見をさせて、方針を練らなくてはなりません」
「あぁ、もう消耗を気にかけてばかりはいられないな。」
導術兵は貴重だが、流石消耗を恐れて浸透部隊が全滅するというのもぞっとしない話だ、と豊久は苦い顔で頷く。
「現状では想定されていた時間配分よりは順調に進んでいます。楽観的な予測ですが、近衛の浸透突破集団の行動次第ですが場合によっては師団司令部を迂回し、そのまま海岸堡を制圧する事も視野に入れるべきかと」
常の淡々とした口調で語られた首席幕僚の意見に支隊長は一瞬黙り込んだ後に、「――おいおい、あの姫さんに夜這いをかけようとは、また随分と大胆なこったな。お前がそこまで突っ走るなぞ思わなかったよ。なんだ、前線の空気にあてられたか?」と僅かに笑みを浮かべて言った。
「私は首席幕僚ですので。予想される状況を想定した対策を具申するのみです」
首席幕僚が常の通りに素っ気なく返すと若い部隊指揮官は笑みを浮かべた。
「よかったよ、お前を首席幕僚に入れておいて」
こうした冷静さと視野の広さこそ、豊久が首席幕僚に求めていたものである。
「ですが、支隊長殿。我々の浸透距離は十里程です。橋頭堡の距離からも考えれば旅団本部が周辺数里以内に配置されている事が哨戒網を密にされている主要な要因である可能性が高いです。勿論、行方不明になった高級将校の捜索も兼ねているでしょうが、こちらの浸透を確信していると考えるのは早急です。まだ慎重さを捨てるには早すぎます」
戦務幕僚の石井が楽観的な行動予測を立てる二人に釘をさす。
確かに、事前の攻勢によって第2旅団が防衛線を縮小している事によって近衛の浸透部隊より早くこちらが敵の司令部に到達しつつあるからこその哨戒網である、という事は当然のことである、石井の意見は堅実な指揮官なら当然のことである。
「あぁ分かっているさ。当面は相手に悟られずに一気に頭を潰す、それだけだ」
そうそう甘い夢が現実と程度の敵ではない、大敗の末に理解しきっている豊久は苦い笑みを浮かべて言った。
――何とか払暁までに師団司令部を潰したいものだ、司令部まで辿り着けば剣虎兵達が白兵戦に持ち込める。まだ、俺達はあの龍兵に対抗する術は持っていない、だからこそ、こうして連中が出て来ない夜にこうしてこそこそと動いているのだ。払暁後に出くわしたらそれこそ、追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ、なんてことになる。
「――敵は第一に時間、第二に〈帝国〉軍、か」
豊久の呟きに幕僚達も頷く。それは当然のことであるからだ。
「なによりも払暁までに第三軍が突破を行える筋道を立てねばなりません」
大辺が先遣支隊の作戦目標を改めて提示する。
「だな。俺達は明日の第三軍が行う再攻勢の舞台を整える黒子みたいなもんだ。黒子は黒子らしく観客の目に入らぬように時間を緊密に守らなくてはならないのだ。さもないとおっかない観客から爆弾を叩きつけられるし、華の<帝国>砲兵に叩き潰される。剣虎兵は夜の支配者であるが、陽光の下では一兵科にすぎん」
豊久は火を着けていない細巻を弄びながら思索にふけりそうになるが、それをとめるかのように情報幕僚が歩み寄る。
「支隊長殿。戦闘導術中隊より報告がきました。先程報告しました北西方向に約一里の場所に位置する大隊宿営地。そこに隣接して小規模大隊規模の反応があります」
「輜重部隊の可能性は?」
輜重部隊だとしたら敢えて部隊を晒す意味はない。第二旅団が防衛線を後退させた為、集積所である海岸堡との補給線が短くなっている。兵站を潰すのならば海岸堡を潰さなくてはならない。
「いえ、その付近には人間達が固まっている模様ですが輜重兵の動きとは違うようです」
「――旅団本部と本部附き大隊の可能性が高い、と」
「はい、支隊長殿。自分はそう考えております。位置からみてもその可能性は高いです。現在、捜索剣虎兵小隊が偵察に向かっています」
赤みの消え失せた顔で尋ねる支隊長に香川情報幕僚も顔面を僅かに青くしながら頷いた。戦闘を恐れているだけではない――ここで戦闘を行う事が正しいかどうかを恐れているのだ。
“北領帰り”として信頼を集めている馬堂豊久は、自身が着想したこの作戦はなにもかもが投機的で不完全なものではないかとの疑念を押し殺し、自信に満ちたかのように見せかけるべく、笑みを浮かべる。
「――いいだろう、先遣支隊も遂に血を流すときが来たな。首席幕僚、第十一大隊と聯隊鉄虎に攻撃準備を、剣虎兵二個大隊の理不尽さを見せてもらうとしようか」
同日 午前第二刻半 南方戦域〈帝国〉軍防衛線より北方十四里
東方辺境鎮定軍第21師団第二旅団本部
「シュヴェーリン閣下はまだ見つからぬのか?」
第21師団第二旅団長・クラントニウスキィ准将は腕組みをして唸る様に言った。
西方諸侯領の下級貴族出身者であるが佐官時代の終盤を〈帝国〉の軍令機関である軍事総監部で過ごし四十を迎えて間もなく准将に昇進した英才でもあり、旅団長となってからは東方辺境領軍有数の闘将たるシュヴェーリンからも信任を受けた堅実かつ円熟した指揮官である。
「はい、閣下。哨戒の頻度も増やしておりますが、供回りの者も見つからないとなりますと・・・」
彼に付き従う旅団参謀長が張り詰めた声で返事をする。
「・・・師団司令部からは何も?」
「はい、閣下。司令部にも戻っていないのは確かな情報です」
クラントニウスキィが不機嫌に鼻を鳴らしながら書面をしたためる。
彼は忠良な<帝国>軍高級将校ではあるが、人並み以上に出世欲も官僚的な思考も持っている。場合によっては師団司令部に全ての不手際を押し付けようと考えていた。
「わかった、我々も哨戒網を更に密にする、それとこちらから本営に騎馬伝令を送る。さっさと師団司令部の機能を取り戻させねば話にならん」
参謀長が伝令を命ずるべく外へ飛び出す。
小半刻程、幕僚達と日没までに受けた被害とその補充状況の再確認と明日への再反攻計画について会話を交わす。眠気覚ましの黒茶を啜りながらうんざりとしたようにクラントニウスキィは愚痴をこぼした。
「この辺境の連中、殿下は無能と言っていたが中々どうしてやるではないか。侮るのは危険だな」
自分たちが被害担当の役を割り振られた事は理解しているがそれを差し引いてもけして馬鹿にできないものだとクラントニウスキィは考え、そして思考の向きを半ば以上帝都に向けながら戦後について思いを巡らせていた。
――分に合わない戦にならなければ良いが。強者と見られていた者が弱者だったのならば良いが、弱兵と見られていたものが強者だった場合、兵達が死に、更に前線指揮官は驕った上層部の責を押し付けられ、栄達の道から追いやられる事になる。
「――ふむ」
僅かに白いものが目立ち始めた顎髭を撫でながらクラントニウスキィは最悪のケースについて考え始めていた――とはいってもそれは<帝国>軍の敗北ではなく、あくまで勝ち方の範疇の問題である。つまるところ<帝国>軍は、東方辺境領軍はそうした存在であるとクラントニウスキィも確信しているからである。
――戦後の処理次第では殿下から適度に距離をおくべきかもしれないな。このような島国で泥沼に嵌りこむ事が更なる栄華を齎せるとは思えない、<帝国>に、東方辺境領に、そして何よりもこの俺に。
クラントニウスキィがかつて軍中枢に籍を置いていたときに見てきた実情から判断するに、現在の〈帝国〉軍に求められている事は単に戦争に勝つ事ではない、勝つことは当然であるのだから、むしろ費用対効果の追求こそが求められているのだ。財政赤字を抱えた官僚達の視線は軍に向いている。領土拡張の為におこした戦争で赤字を出すようになったら東方辺境軍は軍縮を命じられる事になるだろう。ここまで精強な軍を保有する東方辺境軍は当然ながら莫大な予算を与えられている――それこそ、連中の考えた基準に基づくのならば東方辺境領の財政に見合うものではない事は明らかだ。
つまるところ、この戦争がもくろみ通りに進まないのだとしたら栄えある東方辺境領軍は、軍拡の為に彼方此方の辺境にて適度な弱的との小競り合いを求めている軍部に対して分かり易い見せしめとして官僚達に利用されるに決まっている。そして東方辺境軍は黄金時代を終え徐々に日陰へと追いやられる事になる。
「――殿下が我らに再び快勝を齎していただければ問題ないのだがな」
「閣下、そのためにもこの前哨戦を手早く済ませねばなりません」
参謀の一人が旅団長の溜息に苦笑する。
「あぁ、分っている明日になれば――!?」。
クラントニウスキィが首肯したのとほぼ同時に――外から悲鳴の入り混じった銃声が夜気を切り裂いた。
「何事だ!」
クラント二ウスキィは素早く鋭剣を抜き払い、歴戦の将軍らしく恐れを見せずに天幕を飛び出すが――その先には絶望的な光景が広がっていた。
暗闇に響く慄然たる恐怖を駆り立てる猛獣の鳴き声と狂気じみた悲鳴を上げて這いずりまわる兵達。そして彼が最期に見た光景は何人の命を刈り取ったのか、天幕から漏れる灯りに照らされた色が見えずとも分かるほどに血と臓物の臭いを撒き散らす騎銃を構えた――
「も、猛獣つk――――」言葉を言い終える事すら許されず――クラント二ウスキィは剣牙虎に文字通り叩き潰され、怜悧であった頭脳も蛮地の外気に晒され機能する事はなくなった。
そして剣虎兵とそれに随行する銃兵達は次々と天幕の中を制圧すべく中に押し入って行く。
かくして、第二旅団本部はあまりにもあっさりと壊滅した。
本部の護りが脆弱であった――とクラントニウスキィを批判するのは酷であろう。かつては三個大隊を単隊で食い散らかした第十一大隊の全力――それも貴重な夜戦訓練を受けた鋭兵のみで構成された第二大隊の支援を受けている――を投入されていたのであるから。
そして佐脇少佐の指揮は北領で第十一大隊が流した血を礎に再構築された剣虎兵の戦闘教義に則ったものであり、その教範通りの指示は佐脇以上に剣虎兵の現実を知っている下級将校達の手によって解釈され、実行された。
敵に勘づかれずに、剣虎兵部隊を戦闘にした突撃陣形を三方に展開できた事は瞠目に値するものであり、佐脇大隊長は導術で突撃を命ずるのと同時に彼も鋭剣を引き抜き、旅団司令部へと突撃を開始し、半刻もせずに旅団本部天幕に佐脇俊兼大隊長が乗り込み、旅団本部の制圧を支隊本部に伝達するまでに至った事は優秀な部下たちの補佐があった事を差し引いても佐脇少佐の高い統率力を示すものであった。なにしろ包囲網を敷かれている事にも気づかずに旅団長は剣牙虎によって命を刈り取られ、第十一大隊は完璧に戦術目標を瞬く間に達成したのだ。佐脇大隊長は彼の指揮した戦闘の結果に完全に満足していた。
そして同時に戦闘へと突入していた旅団本部の護衛を務めていた猟兵大隊はさらに悲惨であった。棚沢少佐の指揮する独立混成第十四聯隊鉄虎大隊はその卓越した練度を誇るが如く小隊単位で巧みに相互支援を行いながら突撃を敢行し、大隊本部は瞬く間に文字通りの全滅に至り、手際よく戦闘部隊も屠られていったのである。鉄虎兵達が野放図に小隊規模まで拡散し跳梁できた理由は彼らを支援してた第一大隊による的確な支援が原因であった。大隊長である囲関少佐は夜戦に於ける銃兵達の活躍には悲観的であり、あくまでも支援役に徹するべく指揮を執っていたのである。
導術による管制の下、戦列を並べた銃兵達による包囲を行い、一人も逃さない事に徹底した動きをとった第一大隊は、井関大隊長の予想を遥かに超えた効果をもたらした。
銃剣先を揃えた横隊に四方から追い立てたられ、荒れ狂う猛獣達の牙に身を晒す事になった猟兵達は恐慌状態に陥ったのである。これは、本来こうした状況下をもコントロールしうる<帝国>陸軍将校達が拡散して行動する鉄虎兵達によって現状の把握が困難な状況下におかれた所為である。練達の〈帝国〉陸軍将校達も夜間にありえない程に分散した猛獣共の攻撃に対しては、初動の迅速な対応の機会を逸した時点で部下たちの統制を行う事は不可能となり、<帝国>陸軍の精兵揃いであった猟兵大隊はまたたくまに壊乱状態へと陥ったのである
悲惨な二つの戦場から数百間ほど離れた木立の中、本部を護衛する聯隊鋭兵中隊・騎兵中隊(下馬している今は尖兵中隊として扱われている)の護衛を受け、幕僚達と共に佇む男、集成第三軍先遣支隊長・馬堂豊久陸軍中佐はその正しく地獄の如き光景に満足そうに頷いた。
同日 午前第二刻半 南方戦域〈帝国〉軍防衛線より北方約十五里
集成第三軍先遣支隊 支隊本部 支隊長 馬堂豊久中佐
「第十一大隊長殿が指揮をとっている旅団本部攻撃部隊は既に司令部を制圧し、主力は既に敵部隊の包囲殲滅に移っています」
香川情報幕僚の言葉に馬堂支隊長は頷き、尋ねる
「司令部の状況は?情報の収集は可能か?」
旅団司令部で防衛線の配置や明日の軍事計画の情報を奪えれば第三軍の早期突破の可能性をより高めることが出来る、と豊久は考えていた。無論、あの姫君が何も対策を撃たない筈もないが、夜間の行動にはあれこれと制約が着く事は当然の事であるし、それを覆る事は不可能だろうとも読んでいた。
「第二大隊・第十一大隊本部はすでに司令部天幕にて合流し、一部の幕僚が調査にとりかかっています。しばらくすれば詳報が入るでしょう」
安堵の色を浮かべ、馬堂中佐はさらに尋ねる
「大変結構!棚沢少佐の鉄虎大隊の方はどうだ?」
「護衛の猟兵大隊も包囲下で無力化され、現在掃討中です。こちらも損耗は軽微です」
情報幕僚の報告が終了したのを見て取り、大辺首席幕僚が各部隊の報告を統合した結論を語った。
「白兵戦に持ち込めば剣牙虎の戦闘力は低めに見積もっても銃兵20名に相当するという俗説に従うのならば然るべき結果と言えるでしょう。
第十一大隊は堅実そのものと言える打ち筋を巧みに打ち、堅実に勝利を得ました。
棚沢少佐の鉄虎大隊は第十一大隊の倍近い定数155匹が配属されている強みを活用しました」
「ほう?」
「佐脇少佐と異なり、分散して白兵戦に移行した事は、双方の運用思想の違いというよりも小隊単位での剣牙虎の頭数の問題でしょう。諸兵科連合の捜索剣虎兵大隊と剣虎兵と銃兵のみで編成された鉄虎兵大隊では運用思想からして違います。その運用思想に則るのならば、第一大隊と鉄虎大隊の連携は理想的です、こちらの部隊の分散による戦線拡散を抑え、包囲を意識させて戦意を挫くというの戦術は非常に効果的だったようです、囲関少佐もよく考えたものですね」
「うん、銃兵の夜間戦闘訓練に活かせそうだな。訓練幕僚、記録しておいてくれ」
馬堂中佐は訓練幕僚が帳面に書き付けている事に満足そうに頷くと 瞼を掌で覆い、思考の海に沈んだ。
――第一目標は達成した、問題はこの後だな。師団司令部は高級将校が行方不明になった事で警戒しているだろう。
――哨戒網の強化だけではなく、何らかの対策を執ると想定して動くべきだろう。
ひょっとしたら既に司令部から旅団本部への騎馬伝令が発っている可能性もある。
――俺達は第三軍の主攻正面部隊を指揮する師団司令部を潰せばいい。払暁まではあまり時間がないが逆に言えば払暁後の第三軍の再攻勢まで司令部をマヒ状態に陥らせていればそれで最低限の目標は達成している。
――問題は向こうの対応だな。第三軍の主力に対応するために更に防衛戦の縮小――いや、流石にこれ以上は本営に近づき過ぎる。第一段階を成功させても自分達が綱渡りしている事はなんら変わらないのだ。
「――導術!支隊全部隊に伝達!支隊各隊はこれより小半刻以内に掃討を終了させよ。終了次第、旅団本部から持ち出せる限りのものを持ち出して適当なところまで懐に潜り込むぞ。
そうしたらいったん休止だ」
「よろしいのですか?時間がありませんが」
「<帝国>軍にとっての本番が開幕するまであと二刻以上ある。ならば後学の為に我らが麗しの戦姫と不愉快な仲間たちの書いた台本に目を通すだけの価値はあるだろうさ」
・
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「・・・・・・泣けてきたな」
手慣れた様子で旅団本部の地図と書類に目を通し、豊久はそういって肩を竦めて見せた。
戦闘後は清潔に、などとは流石に太平の世を過ごしてきた<皇国>軍も標語には掲げておらず、血糊を透かして<帝国>語の翻訳やら焦げくさい書類の解読は、極めて困難であった。それでも参謀の帳面や、旅団本部員の一人が血をぶちまけただけで済んだ比較的被害の薄い地図などを第十一・第二大隊の本部から選抜された<帝国>語の堪能な面々を総動員して解読に当たっていたこともあり、支隊長が到着するまでに<帝国>軍の構想を概略程度であるが把握することが出来たのである。
「第五東方辺境領騎兵師団・払暁と同時に反攻開始。これだけでも十分な成果です。軍司令部への連絡も済みました。早急に行軍を再開しましょう」
首席幕僚はやはり淡々とした口調であるが、それでもいつもより早口であった。
「第十一大隊の損耗は軽微です。我々が前衛を務める事に支障はありません」
佐脇少佐は、自身の部隊が旅団司令部の制圧という大功を得た事もあり、馬堂中佐を上官とする事に疑問を抱くことはなくなっていた。
「第二大隊も点呼と負傷者の処置は完了しました。現在は休止と周辺警戒にあたっています」
第二大隊長である縦川少佐の報告を受けて、青年中佐は笑みを浮かべて頷いた。
「宜しい、二人とも持ち場に戻ってくれ。導術、行動再開は小半刻後だと各隊に通達しろ」
指揮官同士が会話を交わす横で支隊幕僚達はこれからの方針について議論を交わしている。
「気になるのが龍兵共ですね。彼らは北領に龍巣を設置しているのだから、導術がない<帝国>軍ならば状況判断は彼らの龍兵隊長にほぼ一任されることになります。
予定通り第二軍の展開する方面で得た〈帝国〉側の優位を利用して攻勢に出るか。
それとも――最高司令部が設置されており、兵站集積所でもある海岸堡の防衛を優先するか」
苦い顔を浮かべる情報幕僚に、戦務幕僚の石井少佐が対処案を提示した。
「このまま、近衛の突破集団と分離して行軍すれば被害の分散ができるのではないでしょうか?
龍兵の装備は炸裂弾を一匹につき一つのみ。本命を外せないのならば、三点に攻撃対象を分離させるのは有効かと」
首席幕僚も薄い唇をなぞり、頷く。
「それはいいな、上空で部隊を三つに分けられるほど、詳細な命令が出せるものだろうか?むこうは導術を使えないのだ、飛ぶ前に伝達を行うならともかく、一度飛んだら、部隊に対する指示はある程度大雑把なものにしかならないだろう。そうなると近衛の――」とそこで大辺は口を閉じ、敬礼をする。幕僚達もそれに従い、敬礼を奉げる。
その先にはふてぶてしい笑みを浮かべた支隊長が居た。
「成程、諸君もなかなか夢と希望に満ち溢れた未来を計画してくれているようだな?
やはり龍爆か?」
「はい、支隊長殿。ここの資料の通り、敵龍兵は、ほぼ確実に我々の戦闘中に飛来するものと思われます」
戦務幕僚である石井少佐の予測を受けて支隊長が言葉を引き継ぐ。
「そしてそれと同時に予備師団を投入した大反攻か――そうなるとこっちも長引いたらマズイわけだ。こうなってくると本営狙いも夢物語じゃなくなったわけだな」
「第二軍がどれ程もたせることが出来るか、第三軍の突破が間に合うかどうかが問題ですね。最悪、近衛と協同して本営を制圧するのも手ではあるでしょう。向こうが勘付いて居れば飛んで火に居る夏の虫ですが――」と首席な幕僚は珍しく言葉を濁す
「――どうした大辺。幕僚なら最後まで意見を言え」
「近衛はおそらく本営を最優先目標とするでしょう。近衛の主力銃兵を投入した以上、彼らの目的はそれに他なりません――信じられません。あまりにも投機的すぎる」大辺が自身の思考を疑うかのように首を振る。
先遣支隊はあくまで剣虎兵部隊を集成して編成された部隊であるが、近衛の浸透突破集団は唯一の常備銃兵旅団をも投入している。近衛総軍は比較的早期に後備部隊の動員をかけており、この龍港湾にも数個大隊が投入されているが、龍港湾にて展開している近衛総軍の銃兵部隊の主力部隊が現在、五○一大隊と共に浸透している近衛衆兵第五旅団である事はかわりない。
であるならば、第五旅団を投入した以上、払暁に近衛総軍の前方に展開する万を超した<帝国>猟兵部隊を相手取るには前衛部隊が徹底的に不足しているのは当然だろう。
――それでもなお、奴はあの旅団を引きずり回して〈帝国〉軍の寝首をかこうとしているわけか。俺は、絶対にそのような真似はできない――そうした確信がじくり、と豊久の臓腑の底で羨望と自制の入り混じった感情をのたくらせる。
「そうだろうな、直衛自身も信じ切れてはいないだろうが、それでもここでこうするしか勝てないと踏んだのだろう、あぁ畜生、それでも奴は――あぁ畜生、これも奴の考えの内か?」
舌打ちをすると豊久は瞼を揉み始めた。
――今度は奴の舞台で踊る羽目になるか。いいだろう、いいだろうさ。皇都で踊らせた分は踊ってやるさ。血を流しながら笑ってこの部隊を引きずり回しながら
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