蛭子
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第八章
第八章
「ですから。是非共」
「そこまでお強く」
「当然です」
彼はもう引く気はなかった。
「だからこそ申し上げているのです」
「・・・・・・・・・」
キヨはそんな彼の顔を見詰めた。今まで見たことがない程強い表情をしていた。そんな彼の顔を見て彼女も遂に意を決したのであった。
「わかりました」
そしてこくり、と頷いた。
「それでは全て貴方にお任せします」
「はい」
「私のことも。そして」
その時彼女は自分の腹を見下ろしていた。そして言った。
「この子のことも。お願いしますね」
「わかりました」
こうして彼は主と奥方にことの次第を話すことになった。まずは二人の部屋で平伏して申し上げることになった。
「まことに申し訳なきことですが」
彼はまず頭を平伏してから二人に対して申し出た。
「キヨのことか」
「それは」
主に言われて戸惑いを覚えた。だがそんな心を何とか励まして言おうとする。しかし主はそんな彼に対してゆっくりと口を開いた。
「言いたいことはわかっておる」
「といいますと」
「キヨの腹のことであろう」
「えっ」
それを言われて思わず全身が硬直してしまった。
「それは・・・・・・」
「わからぬと思っていたか」
主は表情を変えず彼に対してこう言った。見れば奥方も主と全く同じ顔をしていた。
「少なくとも御主よりもキヨよりもずっと長く生きておる」
「はい」
「気付かぬ筈がなかろう。そんなことはとうの昔に知っておったわ」
「左様でございましたか」
こうなってはもうこちらから何も言うことはできなかった。ただ主の言葉に頷くだけであった。
(けれど)
それでも覚悟は決めていた。いざという時には、その心構えだけは持っていた。
「してどうしたいのじゃ」
「それは」
彼は答えようとする。だが主はそれより速く言う。
「産みたいのじゃろう」
「うっ」
そう言われて思わず言葉を詰まらせてしまった。
「キヨとの子を。違うか」
「それは」
「言わずともわかっておる。全て顔に書いておるわ」
主はまた言った。
「全てな。手足のない娘の子か」
「旦那様」
彼は怯みっぱなしであったがここで勇気を振り絞った。
「お嬢様とその御子のことは」
「よい」
意外にも主の言葉は優しいものであった。
「えっ」
「産むがよい。好きに致せ」
「宜しいのですか」
「良いも悪いもあれはわしの娘じゃ」
主は落ち着いた態度でこう言った。
「そして産まれてくるのはわしの孫じゃ。どうして断れよう」
「ですが」
「産まれてきた子はわしとこれの養子にする」
そう言って自身の妻に顔を向ける。奥方はそれを受けて無言で頷いた。
「例えどの様な者であっても。わしの孫じゃからな」
「まことですか」
「無礼なことを言うのう」
この言葉には不快感を示してきた。
「わしが一度でも嘘を言ったことがあるか」
「いえ」
すぐに首を横に振って否定した。言われてみればそのようなことは一度としてなかった。
「ないです」
「そうじゃろう。では信用できるな」
「はい」
あらためて頷いた。
「そのうえで言う。産むがよい」
「はい」
「ただし、これからも決してキヨを見捨てるでないぞ」
「はい」
これはもう言うまでもないことであった。そうした気持ちが微かでもあればどうしてわざわざ主にまで言おうと思うか。彼の決意は実に強いものであった。
「そして子も育てるのじゃ。よいな」
「勿論です」
彼は力強い声で応じた。こうして彼はキヨとの関係、そして二人の子のことを許された。そして今まで通り蔵の中で世話を続けるのであった。
日が経つにつれキヨの腹は大きくなっていく。それと共に胸も張ってきた。子が大きくなってきているのはもう誰が見てもわかることであった。
「寒うなってきましたね」
「はい」
キヨは彼に厚い冬用の服を着せられながら頷いた。
「子供が産まれる頃には。冬ですかね」
「そうですね」
彼はキヨの言葉に頷いた。頷きながら服を彼女に着せた。
「冬に産まれた子は。寒さにも強いでしょうか」
「それは聞いたことがあります」
彼はそれに応えた。
「俗にですけれど」
「そうですか」
「名前は。冬にちなんだものにしますか」
「冬に」
「はい。冬に産まれるのでしたら。そして寒さに強くなるように」
「いえ」
だがキヨはそれには首を横に振った。
「お嫌ですか」
「名前は。別のにして下さい」
「どの様なものに」
「私みたいに日を見ることのないようなことがないように。明るい名前を」
「明るい名前を」
「はい。お願いできますか」
「わかりました」
彼はそれを受けてこくり、と頷いた。
「それではそれも考えておきます」
「何が宜しいでしょうね」
「これから何があっても生きられる名前がいいですね」
彼はふとそう思った。
「何があっても」
「世の中ってやつは難儀なものでして」
少し苦笑いを浮かべた。
「何時どうなるかわかりませんから。いいことも悪いこともひっくるめてね」
「そういうものなのですか」
これは外の世界を一切知らないキヨにはわからないことであった。だが彼の言いたいことは朧ながらもわかることができた。
「ええ。ですからそれも踏まえて考えておきます」
「宜しくお願いしますね」
「わかりました」
そんな話からすぐのことであった。もう腹がかなり大きくなっていたキヨは遂に産気付いた。それを受けて家ではこっそりとだが産む用意が為された。
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