蛭子
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第七章
第七章
「そしてもうかなりの間いてくれておる。本当に助かっておる」
「痛み入ります」
「あれにもよくしてやっているのだな」
主の言葉がまた変わった。珍しく温かさがこもった。
「本当に。済まぬな」
「いえ」
彼は申し訳なさそうに応えた。
「それは。仕事ですから」
「仕事でもじゃ」
それでも主は言った。
「感謝しておるぞ」
「有り難うございます」
「そして。これからも頼む」
「これからも」
「そうじゃ。宜しくな」
こうして彼はさらにキヨの世話を務めることになった。金はさらにあがり食事もよいものとなった。家の主からの信頼もあがりいいことづくめであった。だが彼はもうそれには喜ばなくなっていた。
金よりも大事なものがあるからであった。他ならぬキヨのことが。もう彼はそれだけを考えるようになっていた。
「お嬢様」
仕事がない間も蔵の方ばかり見るようになっていた。寝ても覚めてもキヨのことばかりを考えるようになっていた。そしてまた時が流れた。
ここに来て何年が経っただろうか。彼もキヨも歳をとった。彼は徐々に若さから落ち着いた雰囲気を漂わせるよになってきておりキヨはその美しさにさらに磨きがかかってきていた。年月は二人をさらに変えていたのであった。
二人で過ごす時間も多くなっていた。時にはほぼ一日蔵の中で二人いるようになっていた。その結びつきは単に心だけのことではなくなってきていた。これは以前からであったが近頃はさらに深いものとなっていた。
「あの」
キヨはふと蔵から出ようとする彼に声をかけた。既に布団の中にいた。もう夜だからである。
「何でしょうか」
彼はそれを受けて振り向いた。そしてキヨに応えた。
「また、来て下さいますよね」
「勿論ですよ」
彼は穏やかな笑みを浮かべて応えた。
「私はお嬢様の為にここにいるのですから」
変わったといえば変わった。ここに来たのはあくまで多額の報酬の為であった。だが今ではキヨの為にここにいる。それだけ彼も変わったと言えた。
「何時までも。ここにいますよ」
「有り難うございます」
キヨはそれを聞いて頬笑みを浮かべた。
「明日も、明後日も」
彼は言った。
「お嬢様のお側にいますので。御安心下さい」
「寒い時も暑い時もですね」
「勿論です」
「ずっと。お願いしますね」
「ええ」
彼は頷いた。
「お側にいます。そして」
「暖めて下さい。また」
「はい」
そして彼はその言葉通り次の日もまた次の日もキヨのところに来た。そして世話をし、話をするのであった。そして彼女はまた彼に尋ねた。
「私のこの身体のことですが」
「御気になさらずに」
彼はそれを聞いて顔を強張らせた。そしてこう返した。
「宜しいですね」
「いえ、それでも」
それでも彼女は言わずにはおれなかった。
「この身体は。私だけのものでしょうか」
「そうとばかりも言えないでしょう」
キヨの心を穏やかにさせる為にこう述べた。
「他にも。こうした者はいると思いますよ」
ふとここである話を思い出した。とある役者の話である。何でもかっては江戸で人気の役者だったらしい。名前は忘れてしまったがふとその役者の話を思い出した。たまたま新聞で見た話だがふと脳裏に浮かんだのである。これは好都合と言えば好都合であった。
「手や足がなくなっても。生きてきた人もいますし」
「けれどその人は最初は手や足もありましたよね」
「それは」
その通りだったがそれを言ってしまうとどうにもならなかった。
「子供は親に似るといいますから。私も」
「お嬢様」
彼はその言葉を聞いて顔を険しくさせた。
「そんなことはないです」
「私に子供が生まれても」
だがキヨはその言葉に顔を暗くさせた。
「どうせ。達磨でしょうから」
「そんなことはないです」
彼は沈み込むキヨを必死に励まそうとした。
「それは絶対にないです」
「言えるのですね」
「・・・・・・・・・」
すぐには答えられなかった。確信はなかった。ただ言っただけであったから。
「・・・・・・はい」
それでも言った。覚悟を決めてこう言葉を返した。
「お腹、気付いていますか」
「はい」
キヨがどういった状態なのか彼も数日前からわかっていた。こくり、と頷く。
「私のお腹の中には」
「お嬢様」
彼はあらためてキヨを見据えた。
「はい」
「旦那様と奥様は私が説得します」
「産めと仰るのですね」
「はい」
彼は頷いた。
「是非共。お願いできますか」
「けれど」
だがキヨはそれに戸惑いを見せた。
「手足のない女の子なぞ。所詮は」
「そんなことはありません」
だが彼は自嘲気味になる彼女にこう言って元気付けた。
「お嬢様の御子は。そんなことは決して」
「ないと仰るのですね」
「当然です」
彼は言い切った。
「ですから。是非」
「けど御父様と御母様が御許しになるか」
「それは何としても御許しになって頂きます」
いざとなればキヨとお腹の中の子を連れてここを出るつもりだった。そして人知れず暮らすつもりであった。彼はそこまで覚悟を決めていたのだ。
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