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八百比丘尼

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2部分:第二章


第二章

「ここです」
「意外と開けてますね」
「松尾芭蕉の頃とはまた違いますよ」
 私は車の中から外を見て言った。運転手さんはそれを聞いてこう返してきたのだ。
「あれでしょ?あの俳句から想像されていた」
「ええ」
 あの句からは何かえらく何もないところだと思っていたのだ。だが家も店も思ったより多い。宿もある。
「ここは観光地ですからね」
 運転手さんは言った。
「それなりに人も多いんですよ」
「義経公のおかげですね」
「そうですね、あの人がここにいてくれたおかげで今こうやって多くの人が食べていってるんです」
「いい人ですね」
「また面白いことを仰いますね」
 運転手さんはそれを聞いてまた笑った。
「私もこうして仕事をもらえましたし」
「はい、料金ですね」
「そういうことです」
 運転手さんにお金を払った。それからタクシーを出る。
「それじゃまた縁がありましたら」
「はい。お蕎麦でも一緒に」
 最後まで食べ物の話をして終えた。そして私は衣川に出たのであった。
 やはりイメージと違っていた。もっと草ばかりの土地だと思っていたのであるが実際は結構家も人も多い。あちこちに義経主従のことが書かれている。思っていたのと少し違っていて興醒めはしていた。
 だが同時にこんなものかな、とも思っていたりもした。結局人が行きたいと思うような場所に人は集まる。そしてそこに街や人盛りが出来るのだ。だとすればここがこうした感じになるのもむべなるかな、と思った。
 そんなことを考えながら歩いていた。あちこち見たがやはりイメージと違うのは事実だった。私はそれを少し残念に思いながら同時にそのイメージ通りのものを探していた。何処かにはあるだろうと思い、そしてなくてもそれはそれで仕方がないだろうと達観したふうに考えたりもしていた。
 歩いているとふと茶店に出会った。そこで一人の尼さんが店の前の席で座ってお茶とお菓子を楽しんでいるのが見えた。
「尼さんか」
 ここでふとそのイメージが重なった。昔の感じをである。
 見れば若い尼さんであった。顔立ちは整っている。そして気品もある。その様子に何かあったのかと思うと同時にそれが実にかっては何かあると出家した昔の時代のことを思いそこに松尾芭蕉の頃のこの衣川のイメージを重ね合わせた。すると妙にこの尼さんに愛着が湧いた。それに思うところがありこの店に入った。
「側の席を宜しいでしょうか」
 私は尼さんに声をかけた。
「えっ」
 いきなり声をかけられ驚いた顔になった。それを見て少し済まないと思った。
「ええ、はい」
 だがすぐに我に返り言葉を返してくれた。
「どうぞ」
「有り難うございます」
 私はそれを受け側の席に座った。そして注文の後でこの尼さんに声をかけたのであった。
「実は観光で来たのですが」
「そうみたいですね」
 尼さんは私の言葉を聞いて応えた。
「わかりますか?」
「ええ、言葉で」
 私はそれを聞いて成程、と思った。標準語を話しているつもりでも訛りは出るものである。さっきの運転手さんがそうであったように。
「関西の方ですよね」
「はい」
 私は素直に頷いた。
「その通りですけれど」
「やっぱり。けれど関西も言葉が少し変わりましたね」
「そうなんですか」
 ここで頼んでいたお茶とお菓子がやって来た。抹茶と蕎麦菓子である。
「昔は。もっと訛りが強かったんですよ」
「そうだったんですか」
 言われても今一つピンとこない。言われてみればそうかも知れないが違うかも知れないとも思った。
「特に京都は」
「はあ」
 余計にわからない。京都にはあまり行かない。だからそう言われてもやはりわからないのだ。
「今の方はかなり訛りが弱くなっていますね」
「いやあ、そうでもないと思いますよ」
 私はお菓子を食べながらそれに応えた。
「よく関西人は訛りが強いって言われますよ」
 これは本当のことだ。広島に九州、それにこの東北も。訛りと言えばこうした地域であろうか。
「それを隠すつもりもありませんしね」
「昔の薩摩の言葉は凄かったですね」
「薩摩?」
「鹿児島のことです」
 尼さんはこう説明してくれた。
「昔はこう呼んでいたので」
「ああ、昔の」
 私はそれを聞いて不思議に思った。そう呼ばれていたのは事実だがそれは本当に大昔である。少なくとも今生きている人間が使う言葉ではなかった。
「ついつい使ってしまいました」
「そうだったのですか」
 頷きはしたが納得出来るものではなかった。違和感を禁じえなかった。
「本当に凄かったんですよ」
「らしいですね」
 それは少しだが聞いたことがある。
「何を話しているのか。わからない位で」
 実際にあえてそうしたらしい。他の国の者が聞いてもわからないようにそんな難解な言葉を作ったらしい。薩摩らしいと言えばらしいか。
「東北も言われますけれどね」
「特に津軽ですよね」
「はい、あそこは特に」
 尼さんはここで遠い目をした。
「あの人も東京で苦労されていましたし」
「あの人?」
「御存知ですか?作家の」
「作家の」
 それを聞いてまさかと思った。
「太宰治ですか?」
「わかりましたか」
「津軽出身の作家といえばあの人ですから」
 すぐにわかった。実家は今でも津軽で政治家をしている。かなりの名家の出身として有名である。かっては厄介者だった太宰も今では家の誇りだという。変われば変わるものである。
「顔立ちがよくて。繊細な人でした」
「らしいですね」
 太宰の顔も人となりも写真や話でよく残っている。太宰は美男子でもあった。そして確かに繊細な人物であった。
 だが。やはりここでも私は疑問に感じることがあった。
「あの」
「何でしょうか」
「どうしてそんなことを御存知なんですか?」
 私は尋ねた。
「昔の薩摩弁や太宰治のことを。それも直接見聞きされたような話し振りですが」
「実際に見聞きしましたので」
「えっ!?」
 私はそれを聞いて思わず顔を顰めさせた。
「今何と」
「実際に見聞きしましたと」
 彼女は答えた。
「まさか」
「いえ、本当です」
 彼女は穏やかな笑みを浮かべてこう言った。
「津島さんですね」
「はい」
 太宰治の本当の姓だ。太宰治というのはペンネームであり、本名は津島修治といった。
「本当にいい方でしたよ。明るくて」
「らしいですね」
 それは聞いたことがあった。自殺癖があり、薬に溺れていた時もあったが太宰は基本的に明るい人間だったらしい。躁鬱だったのだろうかとも思うのだが。

 
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