とらっぷ&だんじょん!
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第二部 vs.にんげん!
第23話 いのちのねうち!
金色に差す朝日の中、凍った道を、ジェシカとアッシュが時折足を滑らせながら走っていた。二人は道の先の、教会の扉を開いた。
ステンドグラスによって赤、青、緑に照らされた礼拝室では、身廊の奥で司祭ティアラが跪いている。祈りの時間だ。
「ティアラ! あいつは? ディアスは!?」
寒さと興奮で顔を真っ赤にしながら叫ぶジェシカの声に、ティアラが頭を上げる。
立ち上がり、振り向いた。
笑顔だった。
「お目覚めになられました!」
ティアラの言葉を理解し、ゆっくりと噛みしめ、ジェシカは表情をゆるめて脱力した。アッシュの顔には安堵の笑みが浮かぶ。複雑な感情が混ざった笑顔だった。
「まだ面会できる状態ではありませんが……今は、どうか喜んであげてください」
アッシュは、その言葉でティアラも知っていたのだと悟った。シェオルの柱と外界の魔物の関係を。
「知っていたんだな」
「はい。ウェルドさん達よりも先に、クムランさんから直接聞きました。あなた方は、大きなものを背負いながら、よくぞ……」
「最終的に柱を壊したのは、俺たちじゃなくてウェルドなんだ」
ティアラはアッシュをまじまじと見つめ、首をかしげた。
「それでは、ウェルドさんはどちらに?」
ジェシカとアッシュは途端に気まずい顔になり、顔を背ける。
ウェルドは宿舎の自室に戻っていた。
教会に行かなくてもディアスの状態はわかっている。改めて確かめようとは思わなかった。彼が生きているという事は……この手で外界の何万という人を殺したのと同じ事だから。
窓際に立てかけた大剣。
その窓の向こうの朝日も、金色に染まる雪も、氷柱も、ウェルドには見えていない。ベッドに腰掛け、じっと見つめる両手さえ、実は見えていない。
何か考えているようで、何も考えていない。
何か感じているようで、何も感じていない。
ただ、漠然とした敗北感と惨めな気持ちがあるだけだった。
他に何もなくて、ただ、全てがどうでもよかった。
自分がした事について考える気にもなれない。
ベッドに横になった。ひどい倦怠感に苛まれている割に、目を閉じて眠る事もできなかった。
その内アッシュとジェシカが帰ってきた。
二人は宿舎中を駆け回る。ただし、ウェルドの部屋を避けて。仲間達の足音と興奮気味の話し声が、ウェルドの部屋の前を通り過ぎる。ただし誰も入ってこない。
気遣われているのか、避けられているのか。
どちらでも……やはり、どうでもよかった。
そんな鬱状態で、ウェルドは午前中いっぱいを過ごした。
最初に部屋に来たのはパスカだった。遠慮がちなノックを無視していると、勝手に入ってきた。ウェルドは寝たふりをしようとしたが、目があってしまったので諦めた。起き上がり、ベッドの縁に腰掛ける。パスカは後ろ手で戸を閉めた。
「……まあ、なんだ」
パスカは書き物をするための机から椅子を引き、座った。
「まずはお疲れさん」
ウェルドは黙りこんだ。無視しようというのではない。言葉が出てこないのだ。
「ウェルド」
少しの沈黙。パスカは、慎重に言葉を選んでいた。
出てきた言葉は意外なものであった。
「本当の事を教えてくれ。お前の事を知りたいんだ」
ウェルドは顔を上げ、陰惨な目でパスカを見る。
「本当の事って?」
「お前、柱は壊せないって言ったよな。俺にはそれが本心だとは思えなかった。現にお前は、壊した」
「……で?」
「俺にはお前がわからないんだ。過去に何があって、柱を壊せないって言ったのか。あの時のお前は普通じゃなかった」
パスカが少し、呼吸を止める。
「お前の過去を聞かせて欲しい」
「前話しただろ? 昔バイレステで昆布で足を滑らせて転んで頭打って――」
「誰がそんなふざけた話を信じるか!」
ウェルドは面倒になって深いため息をつき、右手で髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
「……最初に言っとくが、何もかもを話すつもりはないぜ」
「構わねえよ」
「バイレステに身売りされたところまでは本当だ」
右手を膝におろす。
「その後俺は……縁があって……文字を教えてくれる人に出会えた。それで主人の目を盗んで、あいた時間に代書官の仕事をした。文字が読めない人の代わりに手紙を書く仕事さ。それでこつこつ小金を貯めて……自分の身を買い戻したんだ」
信じるな。
俺の話がすべて本当だなんて思うな。
ウェルドは心の中でうめく。
声が上擦る。
「それからセフィータに戻って……隊商の用心棒やって金を稼いだ。自分の村にも何度か寄る事があって、ある時……村が滅ぼされてた」
パスカの顔を見た。彼は唇を結び、唾をのんだ。
「前に話したよな、バイレステが周囲の弱小国を更に弱らせる方法。若い世代が健全に育たなくする方法。セフィータの若者を、バイレステ人にする方法」
「……ああ」
「村を滅ぼしたのは、俺と同じくらいの時期にセフィータを出た幼なじみ達だったんだ。理由はしらねぇよ。不正に武器を蓄えてたとか何とか、噂にゃ聞いたが、どうだかね」
「家族は」
「言ったろ。八歳の時に死んだんだ」
「そっか」
ウェルドは、自分の言葉に背筋が寒くなるのを感じた。
「じゃあ、その時に家族が死んじまったってわけじゃねえんだな」
ぶるりと震える。震えて答える。
「ああ。いなかった」
裏腹に動悸が激しくなり、顔が熱くなる。
「俺に兄弟姉妹なんて――いな――」
「ウェルド?」
「やめてくれよ」
強い口調で遮った。
「思い出したくねぇんだ」
廊下からのせわしない足音。
二人がドアに目をやる。
「ウェルド!」
ジェシカだった。飛びこんできた賑やかな気配の後ろにはアッシュが控えている。ひっそりと佇む彼は、いつもの少し困ったような笑みを浮かべていた。全身の火傷は教会で治癒してもらったようだ。
「ウェルドぉ、あんた見直したよ! 何だかんだ冷たい事言いながらバッチリあの憎たらしい柱壊してくれてさ」
「……で、あいつは目ぇさめたのか?」
「うん。ティアラが言うには今すっごく体調悪くて人と会える状態じゃないけどさ、熱が引いたら退院できるってさ」
「ま、普通に考えりゃ免疫ガタ落ちだわな」
ウェルドはさもくだらなさそうに言った。
「もう一つ知らせがあるんだ」
今度はアッシュ。
「カルス行きの隊商が明日か明後日にはランツを出るそうなんだ。雪道だから到着までに少し時間がかかるけど、それに合わせて門が開くって」
「そっか、じゃあ俺達そろそろお別れなんだな」
その言葉に、ウェルドは思わずパスカの顔をまじまじと見た。
「村の借金、もう返せるのか?」
「まあな。でも、せっかくだし最後にもう一稼ぎしてくっかな。金なんてあって困るもんでもねぇしさ」
「おれも少し休んだら行くよ」
アッシュが言う。
「おれ、妹の病気を治すためにアザレの石を探しに来たけど、この町に来てわかったよ。そんな物、見つからないほうが良いって。それよりさ、もしまた何かあった時、薬を買えるお金を蓄えておいた方がいいと思うんだ」
「お前は?」
と、ウェルドはジェシカを見る。
「あたし? 出てくわけないでしょ? こんな楽に荒稼ぎできる町!」
「あっそ」
「サラも誘おうぜ。確かあいつも孤児院の経営資金を稼ぎに来たんだよな……」
迫りくる別れの時。盛り上がる仲間達の隣で、ウェルドは深いため息をついた。
午後の森の中を、人の列が一直線に貫く。古い街道は難民たちで埋め尽くされていた。
街道の先には、堅牢な古城が聳えていた。
古城を改修して開かれた、サンタ・ツリエル教会。
だがしかし、神の僕たちは、魔物達から逃れてきた難民に門を開く気配を見せない。
「今日もダメなのかしら」
乳飲み子を抱えた女が、灰色の顔をして呟く。母親の、出もしない乳を求めて泣きわめいていた赤子も、もう閉じた目を開かない。今日中に死ぬだろう、女の隣で、その姑である老女は思った。教会が、自分たちに対して開かれないなら。僅かでも恵みが与えられないなら。
乳飲み子の首が、がくりと女の腕から落ちて仰け反る。女はそっと腕を動かし、赤子の頭を支えるが、弱り切った我が子の様子を嘆き涙を流す体力すらなかった。
「駄目なんだ」
同調し、近くの男が呟く。
「もう終わりだ……」
老女は若い女の肩を抱く。気休めの言葉など何一つ見当たらなかった。
しっかりおし。
そう言うべきだろうか。言ったところで、何を支えに気を確かに持つ事ができるだろう。もはや食料もない。体力もない。この場所を離れて、避難所になりそうな他の場所に移る事は難しい。
あなたにはその子を守る義務があるはず。
そう言えばどうだろうか。しかし、その言葉は残酷な言葉の凶器となる。近い将来……今日か明日には。
かつて母であった女は、結局沈黙を選び取る。亡き息子が残した赤子、消えゆく命、その現実を誤魔化しうる言葉などある筈がなかった。あるいは、教会の門が開かれる、その希望以外に。
がさり。
難民たちの背後で、下草が鳴る。
振り向いた老女は、胸を打つ衝撃の正体を知る事はなかった。長い長い魔物の舌、それが痩せた胸を貫き背中まで飛び出ている状況を知る事はなかった。目のない二本足の巨大トカゲ。その大群を明瞭な意識で把握する事はなかった。それが、カルス・バスティードの冒険者たちにケイブバイパーと呼ばれている事など知る由もなかった。
老女は逃げ惑う人々の喧騒も、間もなく息子の嫁と孫が同じく殺されてしまった事も知らずに済んだ。
夕刻を待たずして、森には魔物が人を屠る、ピチャピチャという湿った音が響くのみとなった。
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