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SAO ~冷厳なる槍使い~

作者:禍原
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SAO編
第二章  曇天の霹靂
  7.打ち砕かれる自信

 ――PoH(プー)

 目の前の、フードをすっぽりと被った暗色のローブ姿の男の発言に、俺は意味が解らず、棒立ちのまま頭の中でその名を無意味に繰り返していた。
 混乱。一言で今の俺の状態を言えばそうなる。

 ――何故、名前を偽っていたんだ?

 ――何故、仲間が窮地に陥っているのを嗤って見ていたんだ?

 ――本当にノリダーさんを殺したのは彼なのか?

 ――もしかしてパラリラさんの死にも何か関係しているのか?

 ――この男は一体、何者なんだ?

 疑問が渦巻き、不安が心に滲んでくる。
 師匠に感じていた恐怖とは違う。得体の知れないモノへの訳が解らない忌避感を、俺は眼前の男から覚えていた。

「おいおい。いいのかよ?」
「……?」

 片手の掌を上に向け、不快に歪めた口からPoH(プー)が呆れたような声を漏らす。
 不意のその声が己に問うていたことに気付くことが一瞬出来なかった。

「助けに来たんじゃねぇのか? ――奴ら、死ぬぜ?」
「っ!?」

 その言葉で俺はラピリアさんたちの現状を失念していたことい気付いた。

 ――そうだ、彼女たちはモンスターに囲まれて……!!

「うわあああああ!?」
「こ、コン!!」

 その時、一際大きな叫び声が上がった。
 すぐさま俺は二人がモンスターに囲まれていた場所に視線を向ける。
 そこには――――



 パリィィィィ…………ン



 青い光の粒子が虚空に溶けていく場所に、顔を絶望に歪めながら手を伸ばしていたラピリアさんが居た。否、ラピリアさんしか居なかった。

 ――コンペットさんは……!

 さっきまで居た彼がどうなったのか、そんなことは確認するまでもなく解っていた。
 瞬時、頭に湧いたのは自責の念。俺が脇目も振らず助けに入っていたならばもしかしたら彼は死ななかったかもしれない。

 ――俺の行動が人を死に追いやった。

 体が重くなる。
 もし、あの時こうしていれば。たらればの想像がぐるぐると脳裏を駆け廻る。
 圧し掛かる重みに身を委ね、地に全てを擲って頭を抱えたくなる。

「……だが!!」

 ラピリアさんはまだ生きている。
 依然としてモンスターに囲まれてはいるがそれでもまだ生きるために必死に抵抗している。助けに向かうことが出来る。
 一旦、PoH(プー)と名乗る男のことは捨て置く。今は何より彼女の救助が先決だ。
 俺は一直線にラピリアさんの元へと駈け出す。

 ――が。

「おっと、そいつぁいけねぇ……ナァッ!」

 背後からその声が聞こえたと思った同時、後方より赤光の一閃が俺の横を駆け抜けた。

 ――投剣ソードスキル!?

 放たれた投擲用ナイフは何故か俺とラピリアさんの中間に位置する木へ向かって飛来していく。

「? ……!?」

 突如、ナイフがその軌道を急激に変化させた。

 ――木の幹の表面にナイフの腹を当てて……!?

 駆けながらその芸当に驚く俺を置き去りにして、ナイフはモンスターたちに孤軍奮闘しているラピリアさんへと吸い込まれた。

「え!? ……あぁ、くっ」

 ラピリアさんの太股に突き刺さるナイフ。同時に彼女の動きが目に見えて鈍くなっていく。

 ――麻痺毒か!?

 木々の合間に見えたは、全身を痙攣させるラピリアさんが目を見開いた絶句の表情でモンスターに囲まれる様だった。
 俺の視界に映る彼女の全身が、周りのモンスターたちによって埋められていく。

 ――あと、約二十メートル!

「……!」

 その時、俺とラピリアさんの目が、合った。
 彼女の口が微かに開閉する。


 た す け て


 直後。ラピリアさんの体がモンスターたちによって埋め尽くされた瞬間。
 先ほど見たような青い光の粒が、花火の様に弾けて消えていった。

「なん……!!」

 力が抜けるように止まる足。
 間に合わなかった。間に合わあせることが出来なかった!

 ――また、助けられなかった……っ。

 身内の祖父の死は経験していたが、知り合いの死というものが、これほどまでに自分の精神に負の影響を与えていることに単純に驚く。
 常日頃心掛けている冷静さが保てない。

「ぐっ、う……!」

 駄目だ。飲み干せ。己が感情を。
 観測地点を中央に置け。三六〇度周囲を並行して見渡せ。
 時間、天候、地形、状況、他人、自分の感情、体調すらも第三者視点で観測。
 視点を変えることで見えてくることもある。偏見に満ちた個人の視点では視野が狭まり単純なものでも気付かなくなることに、視線を向けることが出来る。

 ――そう。

「くく……」

 背後から静かに嗤いながら近付く、この男に。

「…………PoH」
「敬称はやめたのか? ――まあ、別にいいがな」

 ゆらりと暗色の外套を揺らし、五メートルほど手前で立ち止まるPoH。
 俺は改めて()の男を見た。

 ――昨日一昨日と感じていた雰囲気がまるで変わっている。

 一言で表わすとしたら、昨日一昨日の雰囲気は《寡黙》。今の雰囲気は《不気味》だ。
 長身痩躯。180は越えている身長に細長い四肢。先ほどの投剣からして、
 身を覆う外套に暗器を隠している可能性あり。
 目深に被ったフードから微かに覗く顔は能面の如く薄ら嗤いを浮かべている。
 相手が何を考えているのかは、状況、表情からも推測出来ない。

 ――まずはこの男の真意を量る。

「……もう一度問う。ノリダーさんを殺したのは貴方か」
そうだが?(Yep)

 即答。
 何を言っているのかは解らなかったが、男の態度から肯定と言っていることだけは伝わった。

「……何故、殺したんだ」

 出来る限り感情を押し殺して再度PoHに問う。
 PoHがノリダーさんに対して何らかの恨みを持っていた、というのならまだその行動について納得は出来ないが理解は出来る。
 しかし――。

「殺しやすかったからだが?」

 それがどうかしたのかと、さも当然のことにようにのたまうPoH。
 眼前の男の声音には罪悪感を全くと言っていいほど感じない。

 ――理解、出来ない。

 何故。どうして嗤っていられる?
 俺の常識では測れない回答に思考が乱れる。
 理由を。俺の頭を納得させられるだけの理由が欲しい!

「――っ。このSAO(せかい)では、本当に人が死ぬということは理解しているのか……!」
「ハッ」

 言及する俺の言葉は、吐き捨てるように嗤われた。

「HPが0になったら本当に死ぬ――――そんなこと、一体誰が確かめたんだ?」
「なっ……」

 絶句。

SAO(コレ)は――遊び(ゲーム)だぜ? だったら、システム的にPK(プレイヤーキル)が出来る仕様だったのなら……PKして何が悪い?」
「だがそれはっ――」

 確かに、この仮想世界で死んだものが現実でも死亡したという事実を確認してはいない。此処では確認することがそもそも出来ない。
 しかし、何ヶ月も経って外部からの救助が無いことを考えれば、それが恐らく事実であることは誰だって解るはずだ。

シュレディンガーの猫(Schrodinger's cat)。自分がログアウトするまでは本当に死亡しているかは解らない……そうだろうが?」

 ――なんだそれは。

 そんなの、そんなものは……ただの現実逃避ではないか。
 現状を理解しようとする気が全く無いようにしか見えない。自分の都合のいい事しか見ようとしていない。

「それに……もし仮に本当に死亡していたとしても、それは(プレイヤー)のせいじゃねぇ」
「?」

 どういう意味だ?

「ナーヴギアから発する高出力マイクロウェーブの――《人を殺せるようにナーヴギアを設計した茅場晶彦のせい》……だろうがよぉ?」
「……!?」

 PoHは、まるで子供のような無邪気さと残酷さ、そして全てを理解している上であえて自分の欲望を叶えようとする大人のような凶悪さを孕んだ声音で、そう嗤った。
 楽しんでいるのだ。この男は、この状況を、《デスゲーム》を心底楽しんでいる。

 ――危険だ。

 この男は危険過ぎる。こんな狂気の思想を持つ者が、閉鎖されたこの世界で一緒に暮らしているなんて。
 瞬間、脳裏に浮かんだのは共に過ごしてきた三人。
 あの娘たちと同じ空間にこんな男が存在するなどと、そんなこと。

 ――許す訳にはいかない……!

「……っ」

 その考えに至ると同時、反射的に俺はPoHに向けて槍を構えていた。
 殺せるのか、などという考えは無かった。ただ、この男が《敵》だということが俺の中で確定した。

「くく。まあ、見た感じそうなるだろうとは思っていたがな」

 向けられた穂先にも動じず、あくまでも自然体を崩さないPoHは、不意に虚空を数度、右手で触れた。
 そして次の瞬間、俺の眼と鼻の先にシステムウインドウが現れた。


【PoHから 1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?】

【Yes/No】


 決闘(デュエル)申請?
 PoHを見ると、「これが望みだろう?」とでも言うかのような笑みをフードの影から覗かせている。
 しかし、俺の頭は逆に僅かに冷静さを取り戻していた。

 ――どうする? どうすればいい?

 PoHという男は危険人物である。それは俺の中で確定した。
 だがこの決闘を受けることの意味は?
 決闘のモードは申し込まれた側が決定する権利を持つ。
 プレイヤーを殺すことを異とも思わない男だ、恐らくどちらかの死によって勝敗が決まる《完全決着モード》での俺の受諾を望んでいるのだろう。
《初撃決着モード》や 《半減決着モード》での勝敗など、この状況では意味が無いからだ。

 しかしそれは、俺が《死合い》をする――《人を殺すことを受け入れる》という意味に他ならない。
 確かに俺は武術をずっと学んできた。だがそれは自分の信念を貫く強き心を鍛えるという精神修養としてだ。
 実際に命を賭けた勝負をするなどと……。

「――そういえば」
「?」

 ふと聞こえた呟きに、俺は視線をシステムウインドウから眼前の男に向ける。

「随分と可愛い娘たちを侍っていたじゃねぇか」
「!?」

 それが、ルネリーたちのことを言っているのだとすぐに解った。
 だが、どうして此処で彼女たちの話が出る?

「さぞ……死ぬときは良い声で鳴いてくれるだろうなぁ――」
「――!!」

 その言葉が聞こえた瞬間、俺はダンッ!! と叩きつけるようにYesボタンとオプションの《完全決着モード》を選択した。
 ウインドウの表示が【PoHとの1vs1デュエルを受諾しました】に変化する。

「ハッハ」

 その下に表示された六十秒カウントダウンの数字が減る様を見て、PoHが嗤った。
 俺らしくもない一時の感情に身を任せたかのような行動。
 単純な挑発だということは理解していた。
 だが、万に一つでもこの男があの三人に危害を及ぼす可能性があるのなら……俺はそれを排除する。

 ――彼女たちを守るため。

 そのために、俺はこの男を、PoHを…………

「……殺す」

来いよ(Come on)

 PoHが右手で外套に隠れた腰の辺りから鉈のような幅広の短刀を取り出し、左手は俺を誘うかのように前に掲げた。

 ――武器が昨日と違う?

 昨日一昨日は確か、俺と同じく《両手用長槍》を装備していたはずだ。
 あの短刀が奴本来の武器という訳か?
 しかし、それはそれで構わない。用心に越したことは無いが、これで間合いの差は歴然となった。

 ――例え突進系ソードスキルを使われても、間合いには入らせない。

 カウントダウンが十秒を切った。
 油断はしない。この戦いの方針は、先の先を以って反撃を許さずに決着を付ける。
 準備として摺り足にてジリジリと相手との距離を調節する。
 全速で距離を詰める場合、己の歩幅と歩数に合わせた距離を取るのは常道。
 一つだけ不安要素を挙げるとするのなら、《完全決着モード》での決闘を申し込んできた彼奴には、自分の勝利を確信するだけの何かを確信しているということになるのだが……いや、解らないことを考えていても動きが鈍くなる。いつも通り、俺は冷静を心掛けて対処をするだけだ。

 そう結論を出した瞬間、カウントダウンが0を表示する。
 同時、俺とPoHとの間に【DUEL!!】という文字列が弾けた。

「――――――!!」

 先手必勝。
 前傾の状態で三歩。迅速を以て距離を詰める。
 槍の間合いに入った瞬間にPoHの胸部に向けて刺突を繰り出す。

「……!」

 当然PoHは防御のために反射的に短刀を持つ右手を上げるが、それと同時に俺は穂先を下げて狙いを太ももに変更する。
 急激な攻撃目標の変更。だが相手も即座に反応してくる。
 PoHが短刀を下げたところで更に、俺は柄の中腹を持っていた左手を放し、刺突中の槍の穂先を下げた。

「ッ!?」

 明らかにPoHの戸惑いが感じられた。
 それも当然。このままの状態で槍を突き出せば地面に穂先は地面へ向かっているのだから。俺の攻撃の意図が解らなくなったのだろう。
 しかし俺は、そのまま右手だけで思い切り穂先を地面へと叩き付けた。

「ハァッ!!」

 瞬間、地面へと叩き付けた反動を利用して急速に穂先を跳ね上げる。
 中段、下段、地面と来て、最後の最後で上段へ斬り上げ。刹那の四段変化攻撃。

 ――東雲流 鷹跳(たかはね)

「ヌゥ……!」

 穂先の刃が顔面を滑り、PoHが苦悶の声を漏らした。

 ――この刹那が好機!

 よほど特殊な修練を積んだ猛者でもなければ、顔面に攻撃を受けて反射的に目を瞑らない者など滅多に居ない。
 読み通り、フードの影からちらりと見えた彼奴の双眸は閉じられていた。
 この隙に攻撃を畳みかける。

「ハッ! ヤァ! タァッ!!」

 股間、鳩尾、額。正中線に三連突きを見舞い、その流れを絶やさぬまま至近距離から柄による打撃を四回。
 間を置かずに石突を薙ぎ、足を払う。
 そしてバランスを崩したところへ――――

「―――ァア!!」

 一回転からの遠心力を込めた強烈な薙ぎ払い――《弓風(ゆみかぜ)》。
 横腹に一撃を受けたPoHが吹き飛んだ。地面に倒れた所に更なる追撃を!

 ――これで、決める……!

「フッッッ!!」

 そして俺は仰向けに倒れたPoHの心臓目がけて槍を突き出した。



   ◆



 ログハウスのリビングの窓から、あたしは外の様子を見ていた。
 視界に映るのは鬱蒼した森とその奥に続く土肌の小道のみ。ノリダーさんたちやキリュウさんが向かっていった主街区に通じる道だ。
 キリュウさんが彼らを追って行ってから既に二十分以上が経った。もうノリダーさんたちと接触している頃だろうと思う。

「だいじょうぶかなー、キリュウさん」
「そうッスね~、結構傷ついていたみたいだったッスしね……」
「心配、だね」

 呟いたあたしに、チマとレイアが返してくる。

「……」

 街へ送ろうとしてラピリアさんたちに断られたとき、キリュウさんは顔には出してなかったけど、確かに傷付いていた。
 今までの付き合いで彼の表情の微かな違いに気付けるようにはなったけど、それに気付いていながら、だけど自分はなにも出来なかった。

 常に無表情。だからこそ初見の他人には冷たい印象を持たれてしまう。
 思考は冷静。だから感情が動かない。他人の感情が伝播しない。思いを共感しにくい。

 ――と、キリュウさん本人は思っているんだろうけど。

 実際はそんな自分に、冷たい人間に見えてしまう自分に、常に疑問を抱いている。悩んで悩んで、悩み続けている。そんな普通の年頃の男の子だとあたしは思う。
 そして、そんな彼とあたしたちは縁が在ってパ-ティーを組んでいる。
 何年も修行したという凄く強いキリュウさんと、ごくごく普通の一般女子中学生でしかないあたしたち。
 そんなあたしたちは、このSAOという世界で半年以上、命を懸けた戦いを続け、共に気の置けない仲間になっていった。……とあたしは思っている。

 ノリダーさんやパラリラさんが亡くなったこと、とてもショックだった。今でも心の整理が出来ているとは言えない。
 だけど、今気にしなきゃいけないことはもっと別にある。
 キリュウさんだ。
 コンペッドさんやラピリアさんに言われた冷たく見える瞳のこと。
 あたしたちは気にならなくなっていたけれど、やっぱりラピリアさんたちには表面通りにしか見えなかったみたいだ。

 ――きっと傷ついている。そして、悲しんでいる。

 感情が表情に出ないからといって感情が無いわけじゃない。
 キリュウさんが経験した厳しい修行が、『冷静に』という言葉が、感情の振れを封印している……と彼自身が思い込んでいる。
 実際に封印されているわけじゃないから、嬉しければ笑うし、悪意を向けられれば傷付く。
 客観的に見すぎている、つまり自分自身を他人として見ているせいで、自分の本当の感情が見えていない。
 だから、心が傷ついても気付かない。どんどんと擦り減っていく。

 ――それは……ダメだよね。

 キリュウさんが優しい人だって、あたしは気付いてしまったから。
 そんな彼の心を、傍で守りたいと思った。

「うんっ」

 あたしは立ち上がる。

「どうしたの?」

 レイアが首を傾げる。
 それに勢いよくあたしは応えた。

「行ってくる!」
「え、どこへッスか」
「キリュウさんとこ!」
「ええっ?」

 今から? と驚く二人。
 確かにあたしもそう思うけど、思いついてしまったら止まらない。止められない!

「今のキリュウさんを、やっぱり一人にさせたくないんだよ!」



   ◆



「――――なるほどなァ……」
「ッ!?」

 仰向けに倒れたPoHの胸を穿ち止めをさした――と思っていたところで、静かに嗤うような声が響いてきた。
 フードの影から覗く鉛色の瞳が俺を映す。

「貴様の……正体が解った」
「……?」

 ――俺の正体?

 何を言っているんだ? いやそれよりも、これだけ攻撃を与えたのにも関わらず、何故この男は平然としていられる……?
 俺は目を凝らした。PoHのHPバーに視線を合わせる。

「な……!」

 ――HPが…………一割すら減っていない、だと!?

「貴様は恐らく、現実世界では武術経験者(リアルファイター)だったんだろうなァ」

 待て。俺がPoHに与えた攻撃は強弱合わせて約十回。それで全体の一割弱――いや、5%くらいか? いくらソードスキルは使っていないとはいえ、急所に何度も攻撃を与えたというにも関わらずダメージがあまりにも低すぎる。いったい何故――――

「――だが、《ゲーマーとしては素人(ビギナー)》の様らしい」

 瞬間、突き出していた槍に被るように、視界に横一文字の閃光が走った。

「!?」

 ――ソードスキル!?

 いや、奴がモーションをとっていた様子は伺えなかった。
 そもそも仰向けで倒れている状態で、剣を振りかぶることも出来ないというのにどうやって……?

「……!」

 地面のPoHが体を捻るような動きを見せた。これは恐らくソードスキルのモーション。
 回避を、と思ったところで気付く。

 ――体が……動かない!?

 まるで金縛りにあったかのように槍を突き出した姿勢で固まってしまった。
 視線だけを自分のHPバーに向けると――そこには一時行動不能(スタン)を表すアイコンが!

「ハッハ!」
「ぐっ……!」

 跳ね上がるPoHと同期して、下段から逆袈裟に光が走った。
 固まっていたところにモロに喰らい、強烈な衝撃に数メートル後方へ吹き飛ばされる。
 だがスタン状態から解放されたタイミングと被り、なんとか倒れずに着地できた。

「――」

 が、攻撃を受けた体勢のまま、しかし動けない。
 ノックバック状態。
 自身の重量(ウェイト)に比例した一定以上の重量を持つ重攻撃技系の一撃を受けると、例え防御したとしても、強制硬直のバッドステータスになることがある。
 つまり小柄でもない俺の重量をすらノックバックに陥らせるほどの強力な一撃を食らったということになる。
 しかし、彼奴の武器は両手用の大剣でも戦斧でもない。
 短刀。軽量系武器の代表たる短剣カテゴリに属する獲物だ。

 ――それほどまでに強力なソードスキルだったということか……!?

 恐らく十秒もせずに硬直は解けるだろうが、それまでの数秒間は隙だらけの状態。
 この好機を、PoHが逃すはずが――――

「……貴様は今、不思議に思っている」
「……?」

 だが、意外にも降りかかってきたのは攻撃ではなく、嘲るような言葉だった。

「何故――――自分の攻撃は殆どダメージを与えられていないのか」
「!?」

 フードの隙間から冷笑を覗かせ、奴がゆっくりと近付いて来る。

「何故――――倒れたままの状態からノーモーションでソードスキルを放てたのか」
「……」

 持っているのは厚刃の短刀。されど脳裏に過るは巨大な鎌を携えた《死神》。
 ノックバック状態は既に解放されたというのに、何故か俺の体は動くことを拒否している。

「何故――――こんなちっぽけな獲物でノックバックが起こりえたのか」

 PoHの歩みが止まる。
 クハッ、と奴が噴き出した。

簡単だ(It is easy.)……」

 口が、三日月に裂ける。



「テメェが…………――《弱ぇ》からだよォォォォッ!!!」
「――ッ!!」


 PoHの姿が急激にブレた。
 同時、紫光が三つの線を描く。ソードスキル!
 ようやく動き出す俺の体。攻撃を弾くために奴の斬撃の軌道上に槍の刃を置く。が――

「な……!」

 槍の先端が、消えた。

 ――武器破壊!?

 槍の耐久度はまだまだ余裕があったはずだ。それなのに何故……。

「甘ぇ、甘ぇ、甘過ぎるゥゥ!! ――その認識の甘さが貴様を《ビギナー》だと証明しているッ!!」

 ――認識の甘さ!? どういうことだ?

 PoHの短刀ソードスキルに手足を斬られる。
 久々にまともに攻撃を受けた。が、痛みはない。大丈夫だ問題は無い。
 ……なのに、体の動きが若干重くなったような感じがした。

「貴様は、勘違いをしている……!」
「っ……?」
SAO(これ)は――《ゲーム》なんだぜ?」

 なんだ。いきなりこの男は何を言っている?

「此処は、《ゲームの世界》だと言っているんだ。……現実で扱えた武術(モノ)()()で、このゲームを攻略しようとしているつもりか? ――ハッ、反吐が出るほど甘過ぎる」
「!?」

 PoHの怒涛の攻撃を武器を持たない俺は必死に避ける。が、紙一重で回避したと思われた攻撃が俺のHPバーを削っていく。
 間合いが見た目と違うのか? 視覚から得た情報と実際の攻撃の微妙な差異に俺の動きは乱れ、攻撃を受けるたびに動きも鈍くなっていく。
 そんな猛攻とは裏腹に、PoHが静かに言ったそれは、俺の存在の否定も同義だった。

「たいして強化もしていない、しかもNPCショップの武器や防具を扱っている」

 確かに俺の扱っている武器のほとんどは各主街区の武器屋で売っている武器だ。レアリティも低いため強化回数も少ない。モンスター相手には今まで問題無かったために特にそれで気にしていなかった。

「さっきの……俺が倒れているときに使ったのは《足のみのプレモーションで発動できるソードスキル》だ。しかし短剣スキルでも有名所なソードスキルの特性すら知らない……つまり自分たちの持っている武器以外のソードスキルを知ろうともしていない」

 ――足のみのプレモーションで発動するソードスキル?

 もしそれが本当なのだとしたら、《剣を振りかぶって溜めを作っている》という俺のソードスキルについての推測が根底から覆されるということになる。
 極端な話、自然体から少しずらしただけの足運びだけでソードスキルが発動してくるという事態すら想定して動かなければいけないということでもある。
 PoHが言うには、それらは短剣ソードスキルでは有名な技であるらしい。
 ルネリーたちが扱うソードスキルなどの話はよく聞くが、確かに他の武器のソードスキルにどういった効果があるのか、ということは熱心に調べてはいなかった。
 しかし、それには理由があったのだが。

「レベルも低い。何より――――《ソードスキルを使っていない》っつぅのがもう、絶望的だ」

 血液を連想させる赤黒い斬光が、俺の右腕の肘から先を消し飛ばした。

「が、ぁ……!?」

 強烈な違和感が俺を襲う。
 気付けばHPバーは一割を切り、危険域(レッドゾーン)にまで達していた。

 ――このままでは、まずい……。

 打開策を練りたいところだが、PoHがその隙を与えてくれない。
 短剣カテゴリの特性か、PoHの技術に寄るものか、攻撃の繋ぎが早くてストレージから予備の槍を取り出すことも出来ない。
 更に、恐らくはソードスキルの効果によるものだろう、剣の間合いが視認しているのとは微妙に違う。紙一重で躱したつもりでも実際にはダメージを食らっている。そのためにより大きな動作で回避する必要があるから早め早めに回避行動を取らなければいけない。
 相手の動きと回避に思考を取られ、ゆえに打開策を考える時間もとれない。

 そのうえで、PoHのこの指摘。
 俺の胸にそれは強烈に突き刺さった。

 ――俺が……弱い?

 確かにソードスキルは苦手としている。そのことで今まで苦に思ったことはあるにはあるが、足りない速度は技術で、足りない威力は手数で補ってきた。
 武器や防具は当然ルネリーたちを優先している。ゆえに俺の装備のほとんどが店売りだが、低い攻撃力防御力も、今まで鍛えた技術をもって補ってきた。
 自身の身体能力だけに寄り掛かることなどせずに、技術によってその力を最大限にまで引き上げる。そう、志してきた。

 ――いや、待て。

 もしかしてそれは…………《技術だけに頼っている》状態だった、ということか?
 PoHの指摘に、友人の二木の言葉を思い出した。

『RPGって結局は能力(スペック)がモノを言うんだよね。テールズとかのコマンド系でもプレイヤースキル低くてもレベルが高けりゃゴリ押し出来るし…………まあ、プレイヤースキルで無双した方が爽快感スゲーけどな!』

 レベルの重要性は理解していたつもりだ。
 だからこそ、階層数+10レベルの安全マージンはしっかりと守っているし、レベル上げも積極的にしていた。

 だが、PoHは言った。レベルが低いと。
 装備の良し悪しを鑑みても、あのダメージ量の少なさは俺とこの男とのレベル差が一つ二つとは思えない。もしかしたら5レベル、下手をしたら10レベルは差があるかもしれない。
 ボス戦を幾度も潜り抜けた攻略組でもある俺よりそれほどレベルが高いとは思えないが、結果がそれを物語っている。
 恐らく、PoHの装備もかなりの高性能なものを揃えているのだろう。槍を一撃で破壊したことや、俺へのダメージ量、更に腕の切断。同レベル帯の者の仕業とは思えない。

 ――俺は、やはり弱いのか?

 だが待て。おかしい。

 俺が今考えたことは、PoHが言ったことは、《何に対しての弱い》なんだ?
 モンスターではなく、プレイヤーと対峙した場合の、ではないのか?
 それは……それは違うのではないか?

 死ぬかもしれない、命が係っている状況なのに。

 ――何故、助け合わねばならないプレイヤー同士で戦うことを想定しなければならない!?

 この考えこそが、俺の思考を混乱させている原因だった。
 PoHだけが、このような考えを持つ特殊な存在なのだとしたらまだ救いはある。
 しかし、それが何人もいたとしたら?
 俺はこのSAOを、モンスターを倒して第百層を目指すゲームだと思っていたが、それが根本から覆されるということになる。

 ――敵はモンスターだけではなく、プレイヤーをも念頭に置かなければいけないと、そういうことなのか?

 死を、相手を殺すことを、どうしてそこまで軽んじることが出来る?
 これがゲームだからか? 遊びとしてそれが当たり前になっているからか?
 そうなのだとしたら……SAOはなんと残酷な世界なんだ。
 俺が先ほどルネリーたちを守るためにPoHとの決闘を――この男を殺すことを決意したように、この世界に閉じ込められた約一万人ものプレイヤーたちも、生き残るために誰かを殺したり犠牲にすることもあり得るということだ。

 ――狂っている。

 この世界も、PoHも、この状況を創り出した茅場明彦も。
 それとも、それらを考えようとしなかった俺が悪いのか?

 先ほどのPoHの「他のソードスキルを知ろうともしない」という発言。
 これは半分合っていて半分間違っている。
 モンスターだってソードスキルを使う。アルゴからの情報や今までの経験から攻略する階層に分布するモンスターの対策はしっかりと立ててから戦っていた。
 しかし、それがプレイヤーが扱うソードスキルについてとなると話は別だ。
 プレイヤー同士で戦うことを視野に入れていなければ、それほど多くのソードスキルを覚える必要は無い。一つの階層に出てくるソードスキルを扱うモンスターは多くいるが、それらが扱う技の数はけして多くはない。一匹のモンスターに対して三つ四つぐらい覚えておけば事足りる。
 事前に少し確認するだけで問題は無いのだ。モンスターだけが相手だった場合なら。

 ――プレイヤー相手を想定していなかった俺の落ち度なのか……。

 それがこの事態を、悪意を持つプレイヤーに殺されそうになっているという状況を引き起こしたというのか。

「Huuu.……そろそろ、終わりにしようか」
「く……っ」

 PoHが隙無く短刀を振り上げ、最後を告げる。
 武器もなく、右腕も切り落とされ、HPはあと一割もなく、回復や装備し直す暇もない。
 そのうえ技術の差も、圧倒的能力差で埋められている。
 絶望的な状況。打開策はない。

 ――これが、ゲーム……!

 現実世界とは違う、ステータスやスキルの効果、装備などの様々な要素が詳細に組み合わさって出来ている世界。
 武術だけでは……この十六年ひたすらに鍛え上げてきた東雲流の技だけでは――――勝てないっ!!

じゃあな(Adieu)――――」
「キリュウさーん!!」
「――?」

 PoHが短刀を振り下ろそうとしたその時。
 遠くから、ルネリーの声が耳に届いた。しかしそう遠くでもない。あと数分で此方へ来る距離だろう。
 眼前の奴の動きが止まり、声がした方に視線を向ける。

「……ほう」

 厭らしく、フードの下の口元が歪んだ。
 その笑みに、俺は瞬時に奴の考えを悟った。

「クックック……丁度良い。あの娘たちにお前の最後を見せてやろうか。なんとも最高の表情(かお)をしてくれるとは思わないか? ナァオイ」

 その言葉を聞くと同時、体中が熱く燃え滾った。

 ――この男は、彼女たちまでも手にかけるつもりなのか……!!

 己が武術が通用しなかった無力感に打ちひしがれている場合ではない。
 今、恐らく生まれて初めてだろう激しい感情が俺の体の中を駆けまわっていた。

《怒り》。そして《殺意》。

 これほど人を殺してやりたいと思ったのは初めてだ。
 俺は目の前で嗤う男を睨んだ。

「――ッ!!」
「Wow……まさかこのシステマチックな世界で、殺気なんていうファンタジックなものを感じるとは思わなかったぜ」

 少しだけ俺との距離を取るPoH。しかしシステムメニューを開こうとしたり、逃げようとでもするのなら、すぐさま飛び掛かってこれる位置だ。

「Humm……気が変わった」
「?」

 力を抜いて、突然PoHが構えを解いた。

「貴様たちを生かしておいてやろう。取り敢えず、今のところは」

 そんなことをのたまった。

「……どういう、つもりだ」
「なに。貴様らは今しばらく生かしておいたほうが面白そうだと、そう思っただけだ」
「…………」

 意味が解らない。
 この男の言っていることは一つとして俺には理解が出来ない。
 PoHは外套を翻し、片手を上げた。

「ああそうだ。ひとつだけ言っておこう」

 そして首だけ振り返って俺を直視しながら、

「次、遭ったその時には……ちゃんと殺してやる。あの娘たちもな」
「!!」

 クッ、クッ、クッ、クッ、クッ…………

 そう言って、静かに嗤いながら、ゆっくりと、木々の暗闇の奥へとPoHは消えていった。
 俺はそれを、ただ唇を噛み締め、無言で見ていることしか出来なかった。








「あ、キリュウさーんっ!」
「キリュウさん!」
「おー居たッスね! 探したッスよー!」

 その後、すぐにルネリーたち三人が俺を見つけた。
 ほとんど瀕死の俺の状態に驚き、心配し、そのことやラピリアさんたちの死について色々と問い詰められたが、大量のモンスターに襲われたと誤魔化してしまった。

 言えるはずがない。
 俺たちが、人を殺すことを何とも思っていないプレイヤーに目をつけられてしまったなどと。
 この純粋な心を持つ彼女たちに、プレイヤーの悪意が向けられるなんていうことは、絶対に防がなければならない。

 ――彼女たちは、俺が守る……!

 そのためには、より強くならなければ。

 何よりも、誰よりも。強く、強く。

 心配するルネリーたちに応えつつ、俺はそう固く決意した。 
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