打球は快音響かせて
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高校2年
第五十一話 巣立ち
前書き
林謙也 内野手 右投右打 180cm80kg
出身 斎遊・斎遊中央ボーイズ
進路 荒染・瀬戸国商大
三龍の前主将兼4番打者。真面目だが、あまりツキは持ってない人。「頑張ってるんだけどなぁ」という人。なにげ高校通算22本塁打のスラッガーだが、チャンスには弱い。
第五十一話
制服を着込んだ三年生が講堂から出てくる。
その手には、黒い筒。中には卒業証書が入っていた。
今日は三年生の卒業式。学校行事の中で、建前上は最も大事な行事であるが、一方で、生徒自身の気持ちからすると、下級生にとっては退屈だったりもする行事である。
「おい、A組出てきたばい」
「A組言うたら、横島さんや」
「よーし、じゃあ横島でいくで」
そんな中で、唯一下級生がせわしないのが野球部である。体育館の出口で先輩が出てくるのを待ち構え、そして1人1人に声援を送る。
「ゴーゴーレッツゴーー イケイケ横島!」
「「「ゴーゴーレッツゴーー イケイケ横島!」」」
わざわざメガホンまで持ち出して、全員で“応援”を始める後輩達に、髪の伸びた三年生が照れ臭そうな笑顔を見せる。
この光景は、三龍の卒業式の恒例となっていた。
「今年度も、ボチボチ終わりだなぁ……」
その光景を遠くから見ながら、浅海が呟く。
しみじみと、この学び舎を巣立っていく三年生に思いを馳せる。
長い冬が明けようとしていた。
春になろうとしていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「……という事で、3月後半の春休みには、木凪ベースボールフェスタに招待される事になった!」
ミーティングで、浅海が興奮を隠し切れない様子で言った。それを聞いた部員達も、顔色が変わる。驚いた顔もあり、嬉しそうな笑顔も見える。
昨秋東豊緑州ベスト8の実績を評価され、三龍野球部は木凪諸島で行われる親善試合に招待される事となった。
温暖な木凪諸島では、まだ肌寒いはずの春先に思い切り野球ができる環境を求め、強豪校がキャンプを組んだりする。また、受け入れる木凪諸島の方も、気候を生かして強豪校のキャンプを誘致し、親善試合を積極的に組む事でレベルアップを図る動きを見せている。木凪ベースボールフェスタも、その一環。地元の高校と、他地区からやってくる学校とでリーグ戦を組むのである。
「ベースボールフェスタ自体は3日間で終了だが、せっかくの木凪だ、前後に練習日も挟んで、一週間ほどのキャンプを組みたい。野球漬けな日々を送ってもらうから、学業の課題はできるだけそれまでに終わらせておくように。無理なら宿舎に持ってこい。良いな?」
「「「ハイ!!」」」
ミーティングが解かれると、部員達は少し浮かれた様子だった。かなりの長期間に渡る合宿である。修学旅行とは違うが、しかしリゾート地でもある木凪に行くとなると、少しはテンションも上がる。高校生なら、そういう集団活動の予定があるというだけで盛り上がれるものなのだ。非日常が楽しみなものなのだ。
(やべぇだろ……)
しかし、ウキウキな部員の中でただ1人、冷や汗を垂らしている奴がいた。宮園である。
(くそ暑ィ木凪で、朝から晩まで野球だろ?そんなの地獄以外の何物でもねぇだろ、どうしてこいつら、こんな楽しそうなんだ?)
宮園の考えは、至極もっともだった。
この合宿は野球漬けなのである。
遊びに行くわけではないのだ。海で泳いで、街を散策して、そういう事をしに行くのではない。南国のリゾートとはいえ、むしろ、そんな暑い場所でどんな練習が課されるのかが不安だ。
集団活動の楽しみより、真っ先にそういう不安に気がつく辺り、宮園という人間を表していると言えようが。
「…………」
もう1人、顔をしかめている者は居た。
越戸である。こちらは、ビビっている宮園とは違い、むしろ怒っていた。
「一週間もアニメから遠ざけられるなんて……」
宮園とは違い、こちらの理由は何とも能天気なものだった。
とにかく、三龍野球部は、春休みに合宿を組む事に決まったのであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
パコォーーン!!
「うわ」
「また行ったばい」
「あいつ本当に竹ば使いよんのか?」
この時期になると、冬のトレーニング期間も終わり、“野球”の練習が始まる。
まだ肌寒い中行うフリー打撃で、早くも冬の成果が表れる者が居た。
パコォーーン!
「……こいつ、もうエンジン全開か」
鷹合が左打席から振り抜く打球は、外野フェンス際までバンバン飛んでいき、しばしばフェンスの向こうまで飛んでいく。芯に当たっても大して飛ばず、グリップも太めで振りにくい合竹バットを手にしてこのスイング、この打球である。
一回り大きくなった体が秘めるパワーは、その片鱗ですら凄まじい。
(……やっぱりモノが違うな。あの体にあの瞬発力、そして筋肉の付きもすこぶる良い。チーム打撃ができないタイプだから、秋は7番を打たせたけど)
鷹合の成長ぶりは、指揮をとる浅海にも新たな可能性を想起させる。
(……そもそも、チーム打撃なんて必要が無いくらいに打ってくれれば……)
秋の戦い方からの進化。
甲子園まであと一歩のまま、現状維持を図るつもりはない。更に上へ。その為の、冬のトレーニングだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
パァーン!
宮園のミットが高い音を立てる。
マウンドでは、秋より体重が4キロ増えた美濃部が鋭く右腕を振り抜いていた。
まだ寒いので、スピードはそれほど出てはいないが、しかし軽く投げているようで、まずまずの球がいっている所からすると仕上がりは順調、といった所か。
パスッ!
その隣では、翼が緩い球を試していた。
その球は勿論、新球サークルチェンジである。
「ふっ!」
パスッ!
翼の細身の腕が勢い良く振られる。
しかしその指先からボールは抜けて、気持ちシュート回転がかかりながら手元で曲がり落ちていく。ブルペン捕手が、翼の腕の振りに騙されて前のめりになっていた。
率直に言って、かなり良い球に仕上がっていた。
(正月に帰省してから、何かこの球も変わったよなぁ。このボールなら、使えるわ。)
横目で隣のブルペンを見ながら宮園が内心つぶやく。中学の時野球部でもなかった翼が秋のベンチに入ったのも驚きだが、更に実力を伸ばしている姿には、実はこいつ、相当凄いんじゃないかという気もしてくるんだから癪である。
(……まぁ、ピッチャーは1人でも多い方が良い。こいつ、左だし)
マウンドの美濃部は、隣でチョロチョロするなとばかりに翼を睨んでいるが、宮園はむしろ喜んでいた。もちろん、そんな態度は表には絶対に出さないのだが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「失礼しまーす」
林が汗だくになりながら監督室のドアを開ける。監督室にある冷蔵庫に入れたドリンクを取りに来たらしい。この部屋に自由に出入りできるようになった辺り、OBになったんだなという実感が湧いてくるのだった。
「おー、林ー。指導お疲れやのー」
監督室に居たのは乙黒だった。浅海は、選手個別に守備の指導をしているのが監督室の窓から見える。そして乙黒は監督室から目をキョロキョロさせて、手元のノートに何やら書き込んでいた。
「乙黒先生、何しとーんです?」
「あぁ、浅海にな、毎日毎日誰か指定されてな、そいつの挙動ばしっかり記録せぇって言われとんのよ」
林が覗き込むと、同い年の浅海からの言いつけでも乙黒はしっかり守って、細かい所までメモをつけていた。
「岩谷……こらまた、微妙い奴ですね。ベンチにも一生入れんような」
「そういう、補欠にしかなれんような奴の事を気にかけて観察しとけって、そう言われたんよ。お前にはレギュラー9人以外の“野球部”を考える頭が欠けとるって。」
納得した顔をして話す乙黒に、林は思わず吹き出した。
「乙黒先生、もうすっかり浅海先生にひれ伏してますね!まるで先生と生徒の関係やないですか!」
「うるさいな!実際、あいつのが結果出したんやけ、文句も言えんだろーが!」
開き直って負けを認めてる風である乙黒に、林はまた笑った。確かに視野は狭いし、調子に乗りやすいけれども、乙黒はそう“悪い人”ではなかったよなぁ。宮園や枡田は乙黒の事をボロクソに言っているが、主将と監督の立場で共に過ごしてきた林自身は、今でも素直にそう思う。
「乙黒先生、またいつか、浅海先生以上になって、監督に戻って下さいよ」
「ん?」
「浅海先生にもお世話になりましたけど、俺らにとっちゃ、“監督”は乙黒先生ですけん。頑張って下さい。」
「……まぁ、見とけって。」
乙黒はそっぽを向いた。照れ臭かったのだろう。
しかし、久しく見せていなかったほどの笑顔がそこにはあった。
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