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SAO ~冷厳なる槍使い~

作者:禍原
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SAO編
第二章  曇天の霹靂
  4.鏡裏の黒幕

 館の主《シャグリン・ザ・ノーブルヴァンパイア》との戦いは既に五分近く経ちました。
 私の鞭によるソードスキルは対象に状態異常を付与する効果が強い代わりにダメージ量は期待できません。

 対してチマの両手用大剣は高い攻撃力を持っていますが、一撃一撃の威力が高い代わりに連発は苦手です。
 私がノーブルヴァンパイアの動きを阻害し、チマが高威力を与える。
 その連携は十分に効果的でしたが、問題は相手の驚異的な自然治癒力でした。

 HPバーの半分を削るチマの一撃に対し、たったの十五秒で全回復するのはもはや卑怯と叫びたいほどです。
 私たちは回復させる暇を与えないように絶え間無く攻撃を仕掛けましたが、ニメートルを越える巨体を感じさせない身軽なフットワーク回避と、万全な状態なら必ずこちらのソードスキルに合わせてくる細剣(レイピア)スキルでの弾き(パリィ)防御に、未だHPバーの一本すら削れていない状況が続いています。

「レイア、聖水!」
「う、うん!」

 ボスとの戦闘前に武器にかけていた聖水バフの効果が切れました。
 すぐにウエストポーチから聖水を取り出して自分の得物にかける。
 再び淡い白光を纏った鞭で、即座に行動阻害系ソードスキル《バインド・グラスプ》を放ちます。
 ライトグリーンの光を纏った鞭がノーブルヴァンパイアの足に絡み付いてその動きを拘束する。

 ――あ、ダメっ。

 しかし、バシャン! という破砕音と共にすぐに強制的にスキルが解除されてしまいました。今の私の筋力値とスキル熟練度ではノーブルヴァンパイアを拘束できるのはたったの二秒程度のようです。
 これでは一瞬のスキしか作ることが出来ないですし、強制解除の硬直時間を考えればデメリットの方が大きい。

 ――この方法もダメ。

 私の持つ鞭ソードスキルの効果、そしてチマの持つ両手用大剣ソードスキルの効果。
 二人の技の組み合わせを何種類か試しましたが、ノーブルヴァンパイアの三本あるHPバーを全て削れるまでの連携はまだ見付けられていません。

『ガ、ゴ、ゴ……チ、ヲォォ!!』
「ぅわおッス!」

 とはいえ、絶望的かと問われれば答えは否でした。
 敵の攻撃手段はレイピアのソードスキル、そして噛み付き攻撃。
 私が遠距離からの援護すればソードスキルを妨害出来ますし、噛み付き攻撃はタメが大きいうえに近付き過ぎないとしてこないので、適度に距離を保てば問題ありません。私たち二人ともHPバーは未だ余裕のある安全域(グリーン)

 極力戦闘を避けてきたお陰で聖水のストックは十分にありますし、いざとなれば入ってきた扉から撤退することも出来ます。
 相手も、こちらもHPを削れない状態。
 でも、だからこそこの膠着状態は早く脱したいと感じていました。
 私たちが大丈夫でも、キリュウさんとルネリーが未だ無事かどうかは解らないのですから。

 ――何か、何かないの!? 何か、この状態を打開するヒントは……!?

「にょわっと!?」
「!? チマ!」
「だ、大丈夫ッス!」

 ノーブルヴァンパイアの周囲を回るように距離を取っていたチマに、敵のソードスキルがかすりました。
 最初は普通に避けれていたはずの敵の攻撃が。

 ――いけない。チマも限界が近い……。

 実際の体ではないゲームの中であるSAOに、肉体的な疲労はありません。
 だけど、脳だけは絶え間なく情報を処理しています。即時判断の連続である戦闘を続ければその疲労は大きくなるばかり。

 ここは一度引くべきでしょうか。
 落ち着いた場所で作戦を練ってから再挑戦するべき?
 妨害系ソードスキルを放ちながらそんなことを考えたその時。

「ふぅぅぅ~……ぃよいしょう!」

 深呼吸して気合いを入れなおしたチマが、自分の大剣を担ぎ直しました。
 大剣の刃がキラリと反射したのはステンドグラスと窓から差す月光。
 その光は、部屋の最奥までを照らし――

「え……!?」

 偶然視線を向けた先、月光に照らされたあの大きな姿見に映っていたものは、私たちが会いたいと願い想い続けていた相手。
 金髪をツインテールにした私と同じ顔をした少女――ルネリーと、蒼い髪と同じ色の鋭い双眸を持つ長身痩躯の男性――キリュウさんでした。

「チマ! あの鏡を見て!」
「ほへ? って、のえええええ!? ルネリー! キリュウさん! どどどどうしてッスか!?」
「ボスが居ることも忘れないで、チマ!」
「ちょ、まっ、わ、わかってるッス!!」

 私とチマはノーブルヴァンパイアと対峙しながらも、鏡に映った二人に気が気ではありませんでした。

 ――どうして? どうして《今》?

 先ほどまで姿見が映していたものは確かに私たちとノーブルヴァンパイアとの戦いでした。
しかし今は、《Dummy The Wirepuller》と頭上に表示された死神のようなモンスターと戦う二人の姿が映っていました。

 ――考えて。

 二つの違いを。
 ルネリーたちが鏡に吸い込まれた時と、私たちがいくら調べても反応がなかった時の状況を。
 ボスとの戦い始めの姿見の様子と、今の別の場所を移している姿見の様子を。
 私がこの洋館で得たものとを照らし合わせて――――

「あ……」

 そして、気付く。
 現時点ではまだ只の推測だが、もしそうなのだとしたら、あの日記を見ていた時に感じた違和感にも説明がつく。

 ――私たちは《勘違い》していたんだ。

「レイア!!」

 目の前を、茶色のセミロングの後ろ姿が過りました。
 ギィィン! とチマの大剣とノーブルヴァンパイアのレイピアが激しい衝撃音を響かせます。
 思考に専念していたせいで、敵に注意を向けるのをしばし失念していました。
 チマは私をフォローして相手の攻撃を受けたのです。

「ごめん、チマ!」
「そんなことはいいッス! それよりも向こう! キリュウさんたちの方が大変ッスよ!!」
「えっ!?」

 チマの叫びに、わたしはノーブルヴァンパイアへソードスキルを放ち、距離を取ってから鏡の向こうを確認しました。

「ルネリーたち《聖水の効果が切れてる》っぽいッス!」
「!!」

 鏡の向こうに見えるキリュウさんとルネリーの武器には、確かに支援効果付与を表わす白いライトエフェクトは確認できませんでした。
 敵は実態の無いアストラル系モンスターなのに、聖水バフをかけ直そうともしていないところを見ると……。

 ――聖水のストックが切れたんだ。

 いくらキリュウさんのプレイヤースキルが高いとはいえ、相手にダメージを与えられなければ苦境は必至。
 この状況で私が出来ることは――――

「チマ!」
「なんスか!」
「あの鏡に向かって聖水を――――《投げて》っ!」
「投げっ、えぇぇっ、うぅ、あー、わかったッス!」

 ――嗚呼、チマの頭の中が手に取るように解る。

 私の要望にオウム返しして、その理由の解らない要望に驚き、その理由を考えて、でも解らなくて、訊いてる暇もなさそうだからとりあえず言うことをきいておこう。という感じだろう。
 確かに細かく説明をしてる暇はありません。あちら側の状況は特に厳しいだろうからです。
 チマがポーチから聖水を出しました。ですが、彼女と姿見の間にはノーブルヴァンパイアが居ます。
 このまま投げれば撃ち落とされる可能性が高い。

「ヤァァ!!」

 だから私は、自分が投げるのではなくチマに任せました。
 鞭スキル行動阻害技《バインド・グラスプ》。
 二秒間だけ、完全に吸血鬼の動きを封殺します。

 そしてその僅かな隙に。

「いまぁああああ!!」

 サイドスローでチマが投げた聖水の小瓶が、ノーブルヴァンパイアの横を通り過ぎてキリュウさんとルネリーを映す姿見へと飛んでいきました。

 ――あれがただの姿見であれば、聖水は鏡に弾かれて割れてしまう。

 だけど、違う。私の推測ではこの館にある姿見は全てとある性質を持っています。

 私たちは勘違いしていたんです。
 ルネリーとキリュウさんを吸い込んだ姿見は、パーティーを分断させるための罠、ではなかったんです。
 特定の人数を吸い込んだから鏡の向こう側に行くことが出来なくなってしまった、というわけではなかったのです。
 ルネリーや私たちが何らかの仕掛けを作動させたわけでもなく、あの姿見は最初から《ある法則》に則ってその通りに性質を変化させていただけだった。

 ――私がこれに気付いたのは、やはりあの日記のお陰でした。

 九王暦591年 ミカンの月 13日の日記に書かれていた違和感。
 部屋に入ったはずの《旅人》は、使用人が後から入ったら居なかった。
 これはもしかしたら《旅人》が《姿見の中へと入ってしまった》からなのではと思いました。
 そしてその日記の最後の『――昨日といえば、雲一つない夜空に満月が輝く良い夜だった。』という一文。

 私はこれに違和感を感じました。何故この日だけ《天候》のことが書かれていたのでしょうか。
 それだけだったら別に気にはならなかったでしょうが、姿見の件が関わってくるのだとしたら話は別です。

 ――姿見には、天候が関係するのかもしれない。

 そう考えた時、パズルのピースが全てはまったような感覚がしました。
 思えば姿見があるのは、何処もすぐそばに窓がある部屋だけでした。
 ルネリーとキリュウさんが姿見に吸い込まれた時、月の光が窓から差し込んでいました。
 私とチマが姿見を調べようとした時、月は雲に隠れ、すぐに大雨が降ってきました。
 他の部屋の姿見を確認した時にも、大雨はまだ続いていました。

 そしてこの屋根裏部屋に着いて、いつのまにか月の光が天井のステンドグラスを照らしていました。
 それらから導き出される結論は。

 ――館にあちこちに存在するこの大きな姿見は、月光を浴びた時にだけ別の場所へ繋がるゲートになる。

 この推測が間違っていれば、投げた聖水は【Immotal Object】である姿見にぶつかって砕け散ります。

「……っ!!」

 一直線に姿見へと向かう聖水を祈りとともに凝視する。
 しかして聖水は――――推測通り、鏡の中へとすり抜けました。



   ◆



「……」

 拙い。完全に詰んでいる状況だ。
 あと一歩のところで聖水の効果が切れてしまった。
 俺の失態だ。最後の聖水だということは解っていたのに、安全に戦うことを優先していたために残りの効果時間を失念してしまうとは。
 聖水や祝福の支援効果(バフ)が無い状態では、実体の無いアストラル系モンスターにはダメージを与えられない。
 攻撃手段を失くした俺たちは即座に撤退しようとした。

 しかし、仕掛け階段を昇って入ってきた扉は固く閉ざされていた。
 この屋根裏部屋に閉じ込められてしまったのだ。

 ――ボスの《カースド・ザ・ワイアプラー》の攻撃は避けることが出来る。

 だが、それにも限界はある。時間が経てば集中力は下がり、体の動きも鈍るだろう。
 此方の攻撃は効かない。相手は当たるまで此方を仕掛けられる。
 逃げ道は無い。回避にも限界はある。

 ――何か、何かないのか……!?
 
 あと一つでも聖水があれば、苦することなく倒せる相手だというのに。
 何か、この敵を倒せる何か。

 ワイアプラーを視界に入れつつ、俺は屋根裏部屋を見渡した。
 その時。

「――――!?」

 屋根裏部屋の最奥の壁、俺から約3メートルほど先、扉ほどもありそうな巨大な姿見から。

 ヒュン――、と見覚えのある何かが勢いよく飛び出してきた。

 ――あれは…………《聖水の小瓶》!!

 喉から手が出るほどに渇望していたモノが眼前に現れた精神的衝撃に、俺は反射的に動き出した。
 薄いガラスの小瓶に入ったそれは落ちれば当然砕け散る。
 そうはさせないと必死に俺は槍の石突を伸ばし、衝撃を殺すため柔らかくその柄に乗せてるようにして受け止めた。
 地面擦れ擦れで聖水の小瓶を受け止めた俺に、次いで疑問が流れ込むようにして溢れてくる。

 ――何故、姿見から聖水が?

 その疑問の答えを探るべくチラリと視線だけ姿見に向けると、それが映しているのは目の前にいる俺ではなく……モンスターと戦うレイアとチマだった。

 何故、姿見に彼女たちが映っている?
 何故、彼女たちは戦っている?
 何故、俺とルネリーが戦っているボスとは違う?
 何故? 何故? 何故? 何故?

 頭を埋め尽くす疑問の奔流に俺は――――

「――ルネリー!!」

 ワイアプラーの投剣を盾で弾く彼女に向けて、槍を振るって柄先に受け止めていた聖水の小瓶を放った。

 ――疑問の解消は二の次。最優先事項はボスを倒すことだ。

「え? ……っ!」

 急に名前を呼ばれて驚いたルネリーは、しかし自分に向かって投げられたもの正体に気付いて顔を引き締める。

「ハッ」

 パリーンッ!

 そしてルネリーは飛来した聖水の小瓶を、自分の剣で斬り砕いた。
 破砕した小瓶の中から聖水が飛び出し、ルネリーの剣に降り注がれる。

「いよーっし!」

 白光に淡く輝きだした刃に満足げに頷き、彼女はワイアプラーに向かって突撃した。
 二房の金尾を水平に靡かせ、一直線に走るルネリーは思い切り剣を振りかぶる。

 片手用直剣、三連撃技《エングレイブ・ペイン》。

 黄色の閃光が袈裟掛け、逆袈裟、諸手突きの軌道を描いて黒衣の死神へと吸い込まれる。

「セッ、ヤッ、タァ――!!」

 今現在のルネリーの最強の剣技を以って、



『ギャ……ギャギャギィィィ――――ァァ……』

 バッ、シャーン!!



 カースド・ザ・ワイアプラーは断末魔の咆哮と共に数多の光となって砕け散った。



   ◆



 チマがあの姿見に――キリュウさんとルネリーのもとへと聖水を投げて数秒後。

『クゥッ!? ……ォオ、オォォァ!!』

 突然、ノーブルヴァンパイアが苦しみだしました。
 頭を抱えて身をよじり、苦痛の声を撒き散らしています。

 ジュゥゥゥ……

 ノーブルヴァンパイアの体から、何か紫色の煙が立ち上ってきました。
 いえ、抜け出てきているのでしょうか?
 二メートルは優に超していたその体躯が、紫煙が出ていくのと比例して徐々に縮みだしています。

 ――これは、もしかして……?

「チマ!」
「レイア、これ!」
「うん、たぶん……好機(チャンス)だよ!」

 HPが減ることによって状態が変化するボスは何度か目にしましたが、目の前の敵のHPバーは、先ほどまで超回復によって完全(フル)状態です。
 突然苦しみだす理由が、変化が現れた理由が、私やチマの攻撃ではないことは明確でしょう。何らかの外的要因が考えられます。
 確定はまだ出来ませんが、私の予想では鏡の向こうのキリュウさんたちが何かしたのではと思います。

 でも、だとしたら相手の弱っているこの機会を逃す手はありません。

「ヤァ――ッ!!」
「でりゃああ!!」

 明らかに動きの鈍くなったノーブルヴァンパイアに鞭による妨害を、大剣による大打撃を与えます。

 ――ボスのHPバーは、回復…………していない!

 勝機の見えた私たちは残り僅かな気力を振り絞って武器を振るいました。








 そして数分後。
 聖水の小瓶が抜けたことで気付いたのか、あの姿見を通ってキリュウさんとルネリーが合流してきました。四人になった私たちの怒涛の如き攻撃に、高貴なる吸血鬼はついにそのHPバーは消え去り、倒れました。
 無限に続くかと思われた激闘が、ようやく終わったのです。

「……成程。あの姿見にはそんなカラクリがあったのか」
「すっごく空回りしてたんですね、あたしたち……」
「いきなり聖水の瓶を鏡に向かって投げろーって言われた時は『えええええ!?』って頭が混乱したッスよ」
「あはは……あの時は説明する時間がなくて。ごめんね」

 シャグリン・ザ・ノーブルヴァンパイアを倒した直後、洋館の中は目に見えて明るくなりました。まるで館を包んでいた瘴気が晴れたように。
 その証拠に、屋根裏部屋を出て仕掛け階段の上から階下を見た時、吹き抜けエントランス広場を巡回していた複数の敵パーティーが居なくなっていました。

 私は、自分が気付いた姿見のことを三人に説明しました。
 気付けばなんてことのない事だった。だけど天候変化の激しい十八層では月がまともに出ていること自体が珍しい。更には、迷宮区に関係の無いダンジョンで、しかもアンデット系モンスターの巣窟へ《夜》に訪れるプレイヤーなど皆無だったことでしょう。

 そのような圧倒的に情報源が不足している中で、姿見と月光が関係しているなど、初見で気付けるほうがおかしいです。
 私の場合もほとんど運と勘でした。

「あ~疲れたッス。さっさと帰ってお風呂入りたいッスよぉ」
「だねー」

 説明が終わり、四人で仕掛け階段を降りていました。
 私含め、全員が相当に疲れています。
 時刻は既に二十一時に差し掛かろうとしていました。これから主街区に一時間以上かけて戻ることを考えたら、力が抜けてそのまま倒れそうなほどです。

「私も、今日はゆっくり寝たい…………え?」

 私たちが階段を下り切り、一階エントランスへと降り立った瞬間。



『――冒険者たちよ――』



 頭に響くような男性の声が聞こえたと思うと、目の前の空中に青白く透けた壮年の男性が現れました。
 その姿は中世ヨーロッパの貴族然としていて、どこか見覚えのある服装でした。

「なななななんスかっ!?」
「モンスター?」
「……いや、カーソルもHPバーも何も無い」
「イベント、でしょうか?」

 突然の出来事に驚く私たち。
 そんな私たちを置き去りにして、宙に浮く幽霊のような男性は話を続けます。



『――感謝する。そなたらのお陰で、我が屋敷に巣食う魔は消え去った――』



「《我が屋敷》? ということは、この男性はあの日記を書いた領主の人?」
「……レイアたちが見付けたという安全地帯の部屋にあった日記か」
「そうみたいッスね」

 どうやらボスを倒したことで何らかのイベントが発生したようです。
 モンスターも出てこないようでしたので、私たちは張っていた気を弛めて領主の男性の話に耳を傾けました。



『――《あれ》は旅人を装い、突然この屋敷を訪れた。

 最初はもちろん歓迎した。《大地切断》後、初めての来客だったからだ。

 屋敷に泊めるようになってしばらく、私も、屋敷の使用人たちも楽しく過ごす日々が続いた。――否、余りにも《楽し過ぎ》たのだ。

 日記を書く事を日課にしていた私はそれに気付いた。

 いつからか、所々自分の記憶に穴が開いていることに。

 《何をして楽しかったのかが思い出せない》のに、《楽しかった》と自分が思い込んでいることに。

 ――だが、気付いたのが圧倒的に遅すぎた。

 その時には既に私の体もおかしくなっていたのだ。

 まともに思考することも出来ないほどの意識の混濁に、血液が沸騰してしまうかと思うほどの高熱。

 更にはどれだけ水を飲もうが渇きを覚える喉。

 使用人たちを見かける度に沸き起こる言いようもない衝動。

 私は……いつのまにか《化け物》に成っていたのだ。

 今思い返せば、赤黒い水溜まりの中で夢中にそれを啜っていた光景は、夢ではなく現実だったに違いない。

 意識は残れど、体は人を襲うことを止めはしない。

 私は屋敷中の人を襲い、殺した。

 そして物言わぬ骸となった彼らを、《奴》が失われたはずの《力》を用いて生ける屍へと変えた。

 我が屋敷は、不死者の跋扈する館となってしまった。

 そのうえ、事態はもはやそれだけに収まらなかった。

 異変は屋敷のみならず、我が領地全土に及んでいたのだ。

 穏やかだった気候は目まぐるしく変動し、急激な天候の変化は作物に多大なる影響を及ぼした。

 それらが領民たちに与えた被害は想像の通りだ。

 我が領地は、素性も知らぬ一人の旅人を無条件に信用して屋敷に泊めてしまった愚かな領主である私のせいで、ようやく訪れようとしていた平穏の日々に終わりを告げてしまった――』



 後悔、自責、無念、悔恨の懺悔。
 たった一つの行動が全てを壊してしまった領主の、慙愧の叫び。
 その声音は、言葉は、表情は、作り物のプログラムと断じてしまうにはあまりにもリアルで、悲哀に満ちていて。

 あの日記を直に読んだ私は、いつのまにか涙を流していました。



『――冒険者よ、ゆめゆめ忘れぬことだ――』



 最後に、領主は言う。



『――そなたらが倒した《あれ》は……ただの《影》だ。

 本物の《奴》は既に他の地へと移っている。

 彼の者は恐らく更に上層でその魔手を張り巡らせていることだろう。

 ……私が言えた義理ではないが、恥と承知で頼む。

 《奴》を、どうか滅ぼしてほしい。

 我が領地のような被害をこれ以上増やさないように……いや、建前はこの際よそう。

 このような姿となり、私は自分の無念さえ自分では果たせない。

 私の無念を……どうか、どうか代わりに晴らしてくれ――』



 領主の必死の懇願に。
 それは誰が言ったのか。
「はい」と了解の言葉が私の耳に届いた。



『――ありが、とう――』



 泣きそうな笑みを浮かべて、感謝の言葉と共に領主の亡霊は消え去る。
 私のストレージに、《慙愧の結晶》というアイテムが増えていました。



   ◆



「……ほむほム。それは間違いなく《キャンペーン・クエスト》だろうナ」
「でしょうね……」

 不死者の館からあたしたちが帰った翌日。
 依頼されていたドロップアイテムを渡しに、アシュレイさんたちが使用している借し工房へ行くと、何故かアルゴさんが居ました。
 話を聞くと、どうやら何処かからあたしたちが十八層の不死者の館に行ったことを聞き付け、その情報を聞きに来たらしい。

『アソコに行くプレイヤーは殆ど居なかったからネ、情報が少ないンダ。何か良いネタでもあればそれで釣って儲けることが出来ると考えたんだガ……なに、無料(タダ)でとは言わないサ。情報(モノ)に見合った代価は払ウ』

 と良い笑顔で開けっぴろげに言われれば、特に金銭に頓着しないあたしたちがあの館の事を話さない理由はなかった。
 そして、依頼の品を受け取ったアシュレイさんが嬉々として作業室に閉じ籠ってあたしたちへの報酬を作っている間、アルゴさんにあたしたちが体験した出来事を語った。

「MOBやボスの強サ……安全マージンと適度な連携が取れていれば問題無シ。件の姿見も近くの窓から天候を確認すれば特に問題無シ。祝福バフの効果時間と聖水のストックに注意が必要だが……フム」

 椅子に座ったアルゴさんは《筆記》スキルを起動し、丸テーブルの上でカタカタとキービードを打ちながら、あたしたちから訊いた情報を纏めていく。
 足を組みながら真剣にブラインドタッチで作業する様はさながら有能OLのようだけど、木製の椅子と丸テーブル、そして何より子供のように小さいアルゴさんの容姿が何処か微笑ましさを醸し出していた。

「ン~……ヨシ。こんなところカナ? キャンペーン・クエストなら最終的な報酬が何かでこの情報の価値がガラリと変わってくるからナ。十八層よりも上層で現在の最前線である二十三層までにはアンデット系のダンジョンは確認されてナイ。もっと上層に行かなくちゃその《旅人》とやらには出会えそうもないナ~」

 つまり、まだ売り物には出来ない情報だと。

「まあだけド、更なる情報が集まりそうな情報であることは確かダ。特にその《日記》についてはオイラも一度見てみたいしネ。……というわけデ、この情報のお礼に――」
『お礼に?』

 別にお金目的な訳じゃないけど、お礼と言われるとその中身が気になるのはひととしてのサガだと思う。
 あたしと同じ気持ちだったらしいチマと同時に身を乗り出してハモった。
 そしてアルゴさんはニコッと笑顔で。

「――お礼に、《アンデット系ダンジョン》を発見したらイの一番に君たちへ情報を渡そウ。頑張って攻略してくれたまえヨ、若人タチ」

「え゛……」
「ぅええええええ!? そりゃないッスよおおおおおおおお!?」

 あの洋館で散々な目に遭ったあたしたちには、もはやアンデット系ダンジョンという言葉すら軽くトラウマだ。
 ムンクの叫びのポーズを取るチマを尻目に、アルゴさんはずっと沈黙したままのキリュウさんに話しかける。

「大変だったようじゃナイカ。祝福バフも聖水もなく、アストラル系のボス部屋に閉じ込められるなんテ……クッフッフ、よく無事だったナ」

 意地の悪い笑みを浮かべるアルゴさんに、キリュウさんは視線をあたしの隣に向けて口を開く。

「……あれはレイアの機転のお陰だ。あれが無ければ、俺は何も出来なかった。――遅くなってしまったが……有難う。お陰で助かった、レイア」
「あ……い、いいえっ、そそそんな。本当にあれに気付いたのは偶然で、改めて感謝されるほどでは……っ」
「……いや。本当に助かった」
「いえ、こ、こちらこそ、その、ありがとうございますっ」
「……何故そちらが礼を言う?」
「あははっ」

 真面目な顔で頭を下げるキリュウさんに、普段あたしには見せないような赤い顔であたふたとするレイア。
 その光景に、思わずあたしは笑ってしまった。

 ――あたしは、美緒(レイア)の今の気持ちが少し解る。

 嬉しいんだ。凄く。
 いつもあたしたちはキリュウさんに頼ってばかりだ。
 だから、少しでもこの人の役に立ちたいと思って頑張っている。
 そしてキリュウさんからその行動で感謝されたら、自分の頑張りが認められたかのような気がして――この人の傍に自分は居ていいんだと確認出来たような気がして、つい、ありがとうございますと言ってしまったんだろう。

 ――あたしも、言われたいな。

 キリュウさんに褒められたい。
 傍に居ていいって、言われたい。

 すっと。このままずっと。
 例えSAOがクリアされて現実世界に戻っても。
 ずぅーっと……。

 ――頑張ろう。

 もっと強くなれば、きっともっとキリュウさんの役に立てるはず。
 そうすれば、少なくともこのSAOでは一緒に居られる。
 この四人で、《仲間》で居られる。

 あたしは志を新たにした。

「――おまたせー。ふふ。さ、報酬の新装備が出来たわよ。さっそく試着してちょうだい」
「……」

 テカテカした様子のアシュレイさんと、ゲッソリとした様子のバートさんが作業室から出てきた。
 そして行われる新作の試着という名のアシュレイさんの狂喜乱舞。
 巻かれてはひん剥かれ巻かれてはひん剥かれを幾度となく繰り返されるあたしたち三人……プラス逃げ遅れて捕まったアルゴさん。
 アルゴさんの叫び声を初めて聞いちゃったよ。

 ちなみに男性陣は例の如く、部屋の隅で視線をずらしてジッと空気と化していたという。



 笑い声――たまに叫び声もあるけど――が絶えない毎日。
 つらいこともいっぱいあるけど、それよりも多くの楽しいこと。
 何より、今まで知りあった人たち、レイアやチマ、そしてキリュウさんが居れば、デスゲームとなったSAOも怖くないんだ――――












 ――と、そう思っていた日々は長くは続かなかった。

 何故、あんなことになってしまったのか。

 それは恐らく、あの事件が原因の発端だったんだと思う。

 そう。あたしたちがキリュウさんと離れ離れになってしまった……その原因の。 
 

 
後書き
SAO版ホーンテッド・マンション編――――終了。

今回かなりの王道的展開に仕上がったと思います。
この話のコンセプトは『知っていれば問題無いけど、知らなきゃ怖い』というRPGではある意味、基本的なものを題材としました。楽しんでいただけたのなら幸いです。

そして今回は伏線を特に入れまくったのですが、皆さんはいくつお気づきになられましたでしょうか。
読み返して見た時に、ああここが伏線だったのか、ということも出来るようにしたつもりですw

――というか。
執筆してて思ったのですが、今回の話の展開にすごくよく似ている話をどこかで見たような気がして「あれ? もしかしてパクリになっちゃう?」とか思ったのですが、元ネタを探しても見つけられなかったので普通に投稿しました。
もし、これだよというのがあったら教えてくださいw 
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