SAO ~冷厳なる槍使い~
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SAO編
第二章 曇天の霹靂
3.慙愧の領主
安全地帯である東棟二階の中間に位置する部屋を出た俺とルネリーは、《裏の館》の西棟三階の最奥の部屋へと向かっていた。
聖水が残り少ない状況で隅から隅まで探索することは不可能。しかし、探索をしなければ帰ることも出来ない。
だからこそ、なるべく《何か》がある可能性の高い場所に絞って探索する必要があった。
《表の世界》では西棟三階の最奥部屋で俺とルネリーは鏡に吸い込まれて《裏の世界》の東棟三階の最奥部屋の鏡から出た。
もしかしたら、その逆に《裏の世界》の西棟三階の最奥の部屋ならば《表の館》に戻れるかもしれない。
根拠は無いが可能性はある。今は僅かでも可能性があれば、それにかけなければいけない状態だった。
今居る場所からなら、吹き抜けになっている中央エントランスの階段を通った方が近い。
暗い通路に、黒を基調とした透けた怨霊のモンスターは視認し難く、視界だけに頼ると見逃してしまう恐れがあるため、《索敵》は欠かせない。
「キリュウさん!」
透き通るような金糸の長髪を頭の左右で房にした少女が俺の名を呼ぶ。
右手には片手用直剣を、左手には小振りな盾を。
縫製職人のアシュレイ作の毒や麻痺などの状態異常に体勢を持つ空色の布革製戦闘服と金属製胸鎧を纏っている。
モンスターとの戦いに金色の二尾が激しく舞っていた。
「……ふっ!」
聖水バフのエフェクトライトにより、まるでソードスキルを放ったかのように槍の軌跡に光が奔る。
敵が砕け散るのを待つ暇も惜しく、俺たちは通路を駆け抜けた。
中央エントランスに出ると、一階への階段と階下の広場、東棟三階への階段、吹き抜けの向こう側に西棟三階への階段が見えた。
通路にはあんなにモンスターが居たというのに、眼下の広場には全く敵の姿が居なかった。
しかし俺は迷わず目的地へ向かおうとして――
「え? あれ? あ、あのっ、キリュウさん!」
ルネリーの制止の声に足を止めて振り返った。
「……どうした?」
出来ればあまり時間をかけたくないのだが、ルネリーの様子に聞き流していい話じゃないことを察する。
「あ、あれ! あれ見てください!」
彼女が指を差して示したのは、一階エントランスホールの出口である扉。
ではなく、扉のすぐ近くに立っている《柱》だった。
「……あれは」
それを見て、ルネリーが声を上げた理由が分かった。
《表の館》には無かったものが、そこに在ったからだ。
――何かの仕掛けを動かすレバー……か。
似たようなレバーを迷宮区で何度か見たことがある。恐らくこれも何らかの仕掛けを作動させるものだろう。
しかし。
「……」
あの姿見の件もある。罠という可能性も無きにしも非ず。
罠解除スキルはチマが習得していた。俺たちでは罠があるかも解らない。
されど、今までに見付けられなかった《表の館》との明確な違いであることも事実だ。
「……ルネリー」
「はい」
「罠かもしれない。だが……」
「解ってます」
「……」
「解ってますから」
そう無垢な笑顔を向けてくる金髪の少女。
少しでもあの二人に会える可能性があるのなら、それに賭けるべきだと、言外に言っているように感じた。
俺は彼女に頷いてから柱に付いている大きなレバーを両手で握りしめ、力を込めて上から下へと動かした。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
「……っ」
「あわっ、あわわわ!?」
直後、真上から響く轟音。
館全体が僅かに振動している。
ガコン、と振動音とは別に何かが外れるような大きな音がした。
それを合図として、ゆっくりと天井から《それ》は降りてきた。
――階段、なのか。
それは何本もの太い鎖て吊られた石造りの階段だった。
階段は三階よりも更に上、四階へと続いているようだ。
「……行くぞ」
「はい!」
もう確認はしなかった。ルネリーも即座に付いて来てくれる。
危険は百も承知だ。
だが、俺たちは決めていた。《諦めない》と。
レイアやチマを合流することを。無事に街へ帰ることを。――生きることを。
死中に活。それが今の俺たちの全て。
俺たちは階段を駆け上り、招き寄せるような錯覚を感じる漆黒の空間へと飛び込んだ。
◆
「ここは……」
「あれって、王座ッスか?」
わたしとレイアが階段を上った先は、教室の二倍の広さはある屋根裏部屋だった。
両脇の大きな窓からは先ほどの豪雨が嘘のように晴れた夜空が見え、天井には月と鳥と稲穂の描かれた色取り取りのステンドグラスが月明かりに照らされて優しく輝いていた。
部屋の端に一定の間隔で置かれた燭台の明かりに照らされるこの広い空間には、床に敷かれた金縁の赤カーペットとその先にある豪奢な王座、その王座を挟むように背後の壁に掛けられた巨大な二つの姿見が特に印象的だった。
「レイア」
「……うん」
わたしはちらりと後ろを見る。退路の確認だ。
先ほど通ってきた仕掛け階段へと通じる扉は開いたまま。閉じ込められたわけではなさそうだ。
腰のポーチから聖水を出して愛剣にかける。淡く発光して対アンデット用バフが付与された。
「……きたよ」
同様に聖水を使用し終わったレイアの言葉に、わたしは王座へと――王座に座るシルエットへと視線を向けた。
そのシルエットの肩がカクンと傾く。
直後、シルエットの人物の眼がギランと紅く発光した。
ゆらり。《それ》が王座から立ち上がる。
二メートル以上の背丈と細長い手足を持つ長身痩躯。
金糸の装飾が施された紅いフロックコートにボロボロな漆黒のマントを羽織った青白い顔の男性。
『グガガ……ギガ……カ、ワク……』
不死者の館の主《Chagrin The Noble Vampire》。
わたしは直観した。こいつがきっとこの十八層の地の領主にして、あの日記を書いた張本人だと。
だけど、いったい何があってこんな悲惨な姿になってしまったのか。
血色の涙を流しながら、腰から装飾過多な細剣を抜いたノーブルヴァンパイアが奇声を上げてわたしたちに向かって襲いかかってきた。
「ひぃぃぃ!!」
白目――紅いけど――むき出し、よだれ零しまくり、犬歯鋭すぎ、カクカクした動きがキモ過ぎ!!
言いようもない忌避感にソードスキルを使うことも忘れて、わたしは自分の大剣をノーブルヴァンパイアに向かってがむしゃらに突き出す。
「ヤッ!!」
そのとき、わたしの体を回り込むようにしてオレンジの軌跡がノーブルヴァンパイアへと走った。
レイアの鞭スキルだ。
直撃するかと思われたそれを、しかし吸血鬼は軽快なバックステップで避けた。
「チマ!」
「――ッ!?」
レイアの声でハッとする。
彼女の攻撃による幾許かの空白で、わたしは自分の意識を戦闘モードに移行する。一度戦闘モードになれば多少はビビり状態からは抜けるのだ。
戦闘モードといえば恰好は良いが、要するに目の前の敵を《モニター越しに見るゲームの敵》と思い込むということだ。
わたしは一度引いたノーブルヴァンパイアに向けて突進をかける。
両手用大剣、突進技《クランブル》。
素早く一気に距離を詰めて下から斜めに切り上げるソードスキルだ。
しかし、ギャリン! と白く輝くレイピアの一閃――ソードスキルによって鋭い接触音を響かせて弾かれる。
わたしもノーブルヴァンパイアも互いにソードスキルの技後硬直で一瞬動けなくなるが、それを見越して相棒は既に動いていた。
バチン! と直後、吸血鬼の足にヒットする鞭。明らかに敵がよろけた。
「りゃああああ!!」
その敵のスキに、硬直の解けたわたしは吹き飛ばし効果を持つ大技を仕掛ける。
両手用大剣、単発重攻撃技《バーチカル・ディバイド》。
上段からの強烈な振り下ろしの斬撃が、ノーブルヴァンパイアを一刀両断にする。直撃を受けた吸血鬼は屋根裏部屋の最奥、鏡の近くまで吹き飛ばされた。
「ハッ、ハッ、フ~……」
乱れた息を落ち着かせる。
今ので敵の三本あったHPバーのうち一本が半分ほど削れた。
そもそもレベル帯が違うのだ。攻撃力の高い両手剣のクリティカルヒットなら、低階層の小ダンジョンボス程度このくらいのダメージは与えられる。
取り巻きが居ないのも助かった。
迷宮区ボス戦での取り巻きの厄介さは身に染みている。攻略人数が少ないこの状況で、倒すのがボスだけなのはかなり助かる。
わたしは安堵した。
――大丈夫、問題無く倒せる。
こいつを倒せばキリュウさんたちとも合流できるはず。四人で一緒に帰れる。
根拠はなかったが、わたしにはそのビジョンを見えた。
単純計算であと五回クリティカルを出せば倒せるのだ。
こちらのHPはまだ満タン。あちらはわたしたちの適正レベルよりも低い階層のボス。何発か攻撃を食らっても死ぬことはないだろう。
回避や弾きが得意のようだけど、レイアとの連携があれば怖くない。
吸血鬼というくらいだから、噛み付き攻撃とかもあるかもしれないのでそれには注意しよう。
――うん。大丈夫ッス。
油断はしてない。そして勝利への道筋は見えた。
わたしの口端に知らず知らずに笑みが浮かんだ。
「チマ、あれ!」
だけど、物事はそう上手くいかないように出来ているらしい。
「なっ……!?」
わたしの表情が笑みから一転して驚愕に変わった。
『ギ……グォォ、ォオォォ……ゲガッ』
先ほど減らしたノーブルヴァンパイアのHP、それがみるみるうちに回復していき、数秒後には完全状態に戻ってしまったのだ。
ついさっきまで見えていた、わたしの中のボスを倒した先のビジョンが崩れ去る。
「そん、な」
回復するような行動――薬を飲んだり、結晶を使ったりなど――は見受けられなかった。
ただ相手は吹き飛ばされて倒れた状態から立ち上がっただけ。それだけだ。
つまり、単純な《自然治癒》によっての回復。
倒すには、回復が完了する前に絶えずダメージを与え続けなければならない。
――回避や弾きが得意な相手に……?
一滴の汗が、心に流れた。
◆
ボッ、ボッ、と手前の燭台から次第に明かりが灯っていく。
「…………」
照らされたその場所はまるでお城の謁見の間のような場所だった。
天井のステンドグラスは死神のようなローブ姿の何かが描かれ、全体的に黒いイメージを出している。
左右の大きな窓からは月光が差しこんだ。
仕掛け階段の先に在った扉の正面最奥には古びた王座とその左右に巨大な姿見。
――あの姿見がもしかしたら《表の館》に繋がっているのかも!
あたしは思わず姿見に駆け寄ろうとして、
「……待て」
キリュウさんに止められる。
前につんのめりそうになりながら急停止してキリュウさんを見ると、彼はその鋭い蒼い瞳である場所を見据えていた。
あたしは無言でキリュウさんの視線の先を見る。
「?」
屋根裏部屋の最奥、明かりも薄く漆黒の帳が降りているようなその場所。
主の居ない王座。――の後ろから。
ぼんやりとした輪郭の《黒い手》が、見えていた。
「な、なに……?」
王座の影裏からその背もたれを掴む黒い手は、握り砕きそうなほどにだんだんと力を籠めているのか、微細に痙攣している。
「ひっ、えぇ」
ガシッ! ともう片方の黒い手が影より出でて、私の身長はあろうかという王座の背もたれの上部を掴んだ。
――何かが、出てくる……!
そう直観した次の瞬間。
ガバァッ!! と王座を乗り越えるように《それ》は現れた。
ステンドグラスに描かれたような死神みたいな大きな暗黒色のローブ。
すっぽりと頭を覆い隠しているフードの隙間から見えるのは深緑に光る瞳。
全体が脈動しながら徐々にその姿を肥大さていき、天井に頭が着きそうなところで止まった。
頭上に表示された名は《Cursed The Wirepuller》。
あたしの《識別》スキルが相手の浮遊していて、若干透けているような見た目をしていることからアルトラル系モンスターだと推測。
そして名前に定冠詞が付いているので、この洋館ダンジョンのボスであることが解る。
取り巻きは居ないようだ。現れたのはボス一体だけ。
「――ルネリー……倒すぞ」
残る聖水はあたしとキリュウさんであと一つずつ。
最後の聖水を武器にかけてキリュウさんが槍を構えた。
――こいつで、きっと最後だ。
ボスを倒せば、レイアやチマと会える。
そう信じなければやっていられなかった。
「――はいっ!」
力強く返事をして、あたしも自分の剣に聖水をかける。
ぼんやりと発光する愛剣に頷いて、切っ先をボス――カースド・ザ・ワイアプラーに向けた。
――戦闘、開始だ。
『キィィィィィ――――ィィィイイ!!!』
金属の摩擦音みたいな奇声を上げながらワイアプラーが動き出した。
わたしとキリュウさんを中心に円を描くように素早く浮遊移動する。
初手はあたしだ。
「《ハアアアアアア》!!」
威嚇スキルの咆哮。ワイアプラーの攻撃意識をあたしへ向けるように仕向けた。
漆黒のローブをはためかせながら移動するワイアプラーが両手を上に上げた。
――なに? 万歳?
相手に武器は確認できなかった。それは先ほどまで戦ってきたレイスたちも同様だ。だけどどんな特殊攻撃を持っているのか解らない状況ならば、前に出るのは盾持ちのあたしの役目だ。
あたしは籠手同化型円盾《ラウンドシールド・ガントレット》を自分の前に掲げてキリュウさんの前に立った。
『ギィィィ――――ィィィイイ!!』
直後振り下ろされるワイアプラーの両腕。
そしてそこから放たれるのは――――
――投剣のソードスキル!!
「ハッ! ヤァ!!」
同時に飛来する黒紫の投剣二つを、突き出す盾と、即座に引き戻す盾により左手だけで弾いた。
「……」
背後の無言から感じるのは信頼。
あたしは――あたしたちは強くなっている!
一層でフレンジーボアに梃子摺っていた自分はもう居ない。
――あたしは、キリュウさんの力になれている!!
足手纏いは、もう懲り懲りだ。あたしはこの人の《仲間》になりたい。
『イィィィ――!!』
距離をとりながら再び放たれる二つの投剣。食らえば明らかに状態異常を起こしそうな警戒色のライトエフェクトを纏った短剣があたしへと迫る。
「……ふっ!」
ワイアプラーの攻撃と同時、背後より飛び出す一迅の蒼い人影。
一度目は相手の技後硬直時間を計っていたのだろうキリュウさんが俊足で距離を詰めて硬直中のボスに攻撃を加えた。
二本あるボスのHPバーが微かに減少する。
「――!!」
あたしは即座に《威嚇》スキルの一つ《アトラクト・グレァ》を発動。
ターゲッティングカーソルを当てた対象に十秒間視線を合わせ続けることで、対象のヘイト値を増加させる睨み技。
ダメージを与えたキリュウさんに向かった意識をもう一度あたしへと引き付ける。
『キィイィィ――!!』
ワイアプラーがこっちに近付いてきた。
体格は相手の方が三倍も四倍も大きいが、動きはそれほど速くない。
攻撃も左の盾で防げるだろう。
だったら此方から仕掛ける!
出の早いソードスキルで確実に削ようとシステムアシストを起動させた。
「ルネリー! 駄目だ、下がれ!!」
「――えっ!?」
キリュウさんの叫びで咄嗟にスキルを強制キャンセル。
訳も解らないまま、だけど反射的に捻るようにして体を後ろに転がし急速離脱。
直後、ワイアプラーの大きなローブに包まれた胴体がぶくりと膨らんだかと思うと、バシュゥゥッ! とローブの裾の下から黒い霧が噴出した。
「!?」
即座に距離を取る。
――あ、あ、あ、危なぁあああ!!
ビックリした。あのままソードスキルを放っていたら、絶対モロにあの黒い霧を食らっていた。
「……あまり近付き過ぎるな」
「は、はい!」
――あぅぅ、失敗してしまったよぉ。
黒い霧は数秒後には薄れて消えていった。
たぶん、接近戦を仕掛けようとするとあの黒い霧を出すんだ。範囲はワイアプラーを中心に半径ニメートルってところかな。効果は解らないけど、きっと強力な状態異常を引き起こすのだろうと思う。
遠距離攻撃に二連の投剣ソードスキル。近距離に黒い霧の範囲攻撃。
あとどんな攻撃方法があるのかは解らないが、やるのなら一撃離脱。相手の技後硬直に一撃当てて距離を取るオーソドックスな戦法が効果的だろうと思った。
あっと、既にその戦法を取っているキリュウさんにヘイトが持っていかれてしまう。
あたしはリ冷却タイムが終了した威嚇スキルを再度放った。
そして数分後、カースド・ザ・ワイアプラーとの戦いはあたしたちの優勢で進んでいた。
ボスの投剣ソードスキルにいくつかのバリエーションはあったものの、それはキリュウさんの洞察力を越えるものではなかった。
一度見た相手の技の動きを忘れることは無いというキリュウさんにとって、プレモーションが必ず決まっているソードスキルは、見たことが無いモーションを相手が取れば即座に解る。
何か来ると解っていれば対応には雲泥の差が出るのは当然だ。
回避に専念しつつ、着実とワイアプラーのHPを削ってきたあたしたちは、とうとう最後のHPバーの三分の一にまで追い詰めた。
――あともうちょっと。あともうちょっとで勝てる!
と逸る心を、
――落ち着いて~、落ち着いて~、びーくーる。
とあたしは冷静に鎮めた。
此処で慎重にならなければ、一度の失敗が取り返しのつかないこともある。
だから、一度距離を取って――――
「……!? ――駄目だ、ルネリー! そのまま倒せ!!」
「え……?」
長い戦いでは、HP回復のために何度か交代で戦線を下がる。
今はキリュウさんが後方に下がってポーションを飲んでいた。
その彼が、普段は落ち着いた声を響かせる彼が、何かに気付いたかのように焦る声音で叫んだ。
「――――」
直後、キリュウさんがあたしを急かした理由が解った。
対アンデット用バフの効果時間が、《最後の聖水》の効果が、今、切れた。
キリュウさんも、あたしと同時に最後の聖水を使ったはず。
つまり。
――アストラル系モンスターにダメージを与える手段を……あたしたちは失った。
聖なる光は刃から消え、弾くは月の淡い光のみ。
同じく月光を反射した大きな姿見がキラリと光った。
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