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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十一章 追憶の二重奏
  エピローグ 明けない夜

 
前書き

 ムラムラしてやった、後悔は……多分していない。 

 
 日が沈み、世界が次第に赤く染まっていく姿を、トリステインへ向かう船の甲板の上で一人の男が見ている。神秘的とも言える光景を目にしながらも、男は顔に何の感情も浮かべずただ瞳にその光景を映しているだけ。まだ日は落ちきってはいないが、高度が高いためか、冷たい風が吹き付け男の赤い外套を揺らす。
 不意に一際強い風が男の顔に吹きつけた。反射的に瞼を閉じた男は、風を避けるように顔を上げ、ゆっくりと目を開く。

「……絶景だろ、セイバーは初めて見るんじゃないか?」
「―――ええ、ティファニアから聞いてはいたのですが、まさか本当に空を飛んでいるとは驚きました。しかし、確かにこれは美しい。絶景と言うに相応しい光景ですね」
「ああ。俺もそう思う」

 隣に立つセイバーと共に、夕焼けにより赤く染まった雲の上に見えるアルビオン大陸を眺めながら士郎は小さく頷いた。

「……その割には、心ここに在らずと言ったように見えましたが」
「余りの美しさに、少しばかり見入っていただけだ」

 セイバーに顔を向けず、士郎は肩を微かに竦めて見せる。
 その様子をチラリと横目で見たセイバーは、小さく溜め息を吐いて見せた。

「はぁ……それで誤魔化せると本気で思っているのですか?」
「本気も何も、本当の事を言っている」
「……変わりませんねシロウは」
「…………」

 押し黙る士郎を、セイバーは顔を横に向け仰ぎ見る。百六十センチにも満たないセイバーでは、隣に立つ百九十センチ近い士郎の顔を見ようとすると、どうしても顔を大きく上げなければならない。少し首が痛くなる程顔を上げたセイバーは、士郎を見つめる目を眩しげに細めた。

 姿はまるで別人のようになりましたが……本当に変わっていませんね。
 
 憮然とした様子で黙り込む士郎の顔をこれ幸いとじろじろと観察するように見ていたセイバーは、セイバーの観察するような視線に気付き、顔を背ける士郎を見て口の端を微かに持ち上げた。

「心配をかけてばかり……本当に、困ったものです」

 苦笑気味に笑うセイバー。

「……そんなに変わっていないか?」

 顔を背けたままポツリと問う士郎に、セイバーは強く頷いて見せる。

「ええ。変わっていません。前々から思っていましたが、今確信しました。あなたは変わっていない」
「そうか?」
「そうです」
「…………」

 『むぅ』、と唸り声のようなものを喉の奥で鳴らす士郎の様子に、セイバーは口元に浮かべていた苦笑をほんの少しだけ柔らかくした。

「……ですが、困った事にそれを嬉しく思っている私もいます」
「セイバー?」

 笑みを含んだ声に誘われるように、背けていた顔をセイバーに向けた士郎は、―――息を、飲む。

「シロウ?」

 そこに、一輪の花が咲いていた。
 
 折れそうなほどに華奢な肢体を薄い緑の服に身を包み込み。
 赤い夕日に照らされる中、縛らず流した髪が風に揺られ金と赤が踊り。
 白く滑らかな頬を朱に染め、包み込むような柔らかな笑みを浮かべ。
 底の見えない湖のような翡翠の瞳を眩しげに細め。

 夕日に照らされ、淡く赤く染まったセイバーがあまりにも美しく。
 ただ、ただ見つめるしか士郎には出来なかった。

「? どうかしましたか?」

 戸惑ったセイバーの声に、士郎はハッと意識を取り戻すと、霞がかったような頭を振る。

「ん、あ、ああ。い、いや、何でもない」
「何でもないことはないでしょう。本当にどうしました?」

 心配気に顔を寄せるセイバーから逃げるように一、二歩と後退した士郎は、慌てて視線をセイバーから外した。

「シロウ? どうして顔を背けるのですか?」
「い、いや、ちょっと夕日が眩しくて」
「では何故夕日に顔を向けるのですか?」

 夕日を真正面から捉えながら士郎がどもりながら返事をすると、セイバーは困惑したように首を傾げた。

「……こっちの方が眩しくないからだ」
「? 変なシロウですね」

 夕日に照らされ赤く染まった顔を小さく伏せて小声で呟く士郎の姿に、目を細めたセイバーは士郎と同じ方向に顔をゆっくりと向け、沈みゆく太陽が作りあげる光景を眺める。
 暫くの閒、二人は黙ったままじっと赤く染まった世界を見つめ続けていた。
 太陽が地平線の彼方へと姿を沈め、世界が赤から黒へと変わり出す頃、沈黙を破ったのは士郎であった。

「……セイバーは、変わったな」
「……どこが、ですか?」

 隣にいるセイバーにギリギリ聞こえる程度の小さな声で、士郎が囁く。
 返事もまた同じく、士郎にしか聞こえないほど小さかった。

「良く、笑うようになった」
「……そう、ですか?」
「ああ」
「自分では分かりません、が、シロウが言うのならそうなのでしょう」
「ほら、また笑った」

 士郎が指摘すると、セイバーは手を伸ばし夕日に照らされ微かに火照った自身の頬に触れた。

「確かに、シロウの言う通りですね。気付きませんでした。シロウは良く気付きましたね」
「それは、まあ……良く見ていたからな」
「ふふ、そう言う言葉はちゃんとこちらを向いて言って欲しいものですね」

 横に一歩足を動かし士郎に詰め寄るセイバー。互いの距離は既にゼロではなくマイナス。士郎の腕にセイバーの華奢な肩が触れる。顔を上げ伏せた士郎の顔を見ようと顔を上げたセイバーだったが、士郎は何時の間にか伏せていた顔を今度は頭上に向けていた。

「うっ……それは、勘弁して下さい」
「何故ですか?」

 逃げるように顔を動かす士郎を抗議するように、セイバーが不満を露わに問いただす。逃さないように士郎の腕をしっかりと掴みながら。

「……だから……勘弁してくれ」
「だから、何故ですか?」

 薄闇が広がる中でもハッキリと分かる白い頬を餅のように膨らませて抗議の声を上げるセイバーを横目で見下ろした士郎は、片手で顔を覆うと観念したように大きく溜め息を吐いた。

「っ、はぁ~~~……それはだな、アルトリア(・・・・・)。お前が可愛すぎるからだ」
「………………え? は、―――ッっ!!?」
「可愛すぎて見蕩れてしまうんだよ!」

 夕日はもう沈んだと言うのに、浅黒い肌でも明らかに分かるほど顔を赤くした士郎が、セイバーを見下ろし責めるような口調で言い放つ。自分で口にした言葉がどれだけ恥ずかしいものなのか気付いた士郎が、時間が経つ毎に顔を染める赤を濃くしていく。
 相対するセイバーも士郎の言葉に一瞬呆けた顔を見せたが、直ぐに爆発したように頬どころか顔を真っ赤に染め上げると今度は自分が逃げるように勢い良く顔を伏せた。

「な、な、なに、何を、何を言っているのですかあなたは。か、から、からかわないでください」
「揶揄ってなどいない。アルトリアはメチャクチャ可愛いし、凄く綺麗だ」
「―――っ、だ、だから、か、揶揄わないでください」

 先程とは逆に、避けるように顔を伏せるセイバーに向かって、真っ赤に染まった顔を寄せながら士郎が言い募る。

「だから揶揄ってなどいないと言っているだろう! さっき俺が顔を背けたのも、アルトリアが余りにも綺麗だったから眩しかったからだ!」
「ぅ~~~―――っ!?! や、やめなさい。そ、そんな嘘を言って話を逸らすなど、お、男らしくありませんよ」

 頭を抱え込み、噛み締めた口の隙間から湯気の変わりに唸り声を上げるセイバー。どれだけ言っても否定ばかりするセイバーに、同じく湯気が出そうなほど真っ赤に顔を染めた士郎が衝動的に手を伸ばす。自分が今何をやろうとしているのか自分自身でも分からないまま。
 つまるところ士郎はテンパっていたのである。

「嘘でも揶揄ってもいない!」
「っ、あ」

 セイバーの腕を取った士郎は、強くそれを引き寄せ自分の胸元へと引き込んだ。常時なら考えられないほど簡単にバランスを崩し、士郎の胸元へ飛び込むように身体を寄せたセイバーは、目を白黒させながらパタパタと手を動かす。逃げるため、ではなく驚き慌て反射的に動いてしまったものである。そんな胸元でぴょこぴょこと動くセイバーを押さえ込むように、士郎は強く抱きしめた。

「―――っ!!??」

 士郎に抱きすくめられ動きを止めたセイバー。動きが止まったと言うよりも、氷着いたと言ったほうが正しいだろう。体だけではなく表情も固まったセイバーは、微動だにしない。強く抱きしめられたセイバーの頬が、士郎の厚い胸板に押し付けられ歪んでいる。
 声を出すどころか息さえ出来ないセイバーを見下ろした士郎は、耳元に口を近づけ囁く。

「……聞こえるだろ」
「……はい」

 士郎の問い掛けに、セイバーはようやく動き出す。士郎の胸に顔を押し付けながら首を縦に動かしたセイバーは、上目遣いで士郎を見る。

「凄い動悸ですね」
「……当たり前だろ」
「当たり前、ですか」
「ああ」

 顔を伏せたセイバーは、自分から士郎の胸板に顔を押し付けると、士郎から見えない位置で笑みを浮かべた。

「これで、俺が揶揄っても嘘を言ってもいないことが分かっただろ」
「……足りませんね」
「なんだって?」
「……私を説得したいのなら、もう少し行動して見せてください」

 そう言って、セイバーは顔を上げる。
 潤んだ瞳で見つめ、柔らかな桃色の唇を誘うように微かに開き、熱く火照った華奢な身体を押し付けながら。
 ―――誘うように。
 だから―――。

「……ああ」

 士郎は誘いを断ることなく迎え入れるようにおとがいを上げるセイバーに向かってゆっくりと顔を寄せ―――。

「―――お邪魔するわね」
「「――――――ッ!!??」」

 ―――飛び離れた。
 一瞬にして十メートル以上の距離を取った二人は、同時に割り込んできた声の主に顔を向ける。

「何をそんなに驚いた顔をしているのよ?」
「きゅ、キュルケ」

 士郎は喉の奥から絞り出したような声を上げる。

「黙って見てるつもりだったんだけど、やっぱり我慢できなくなっちゃってね。ごめんねアルト」

 肩を竦めながらキュルケがセイバーに向けて謝罪をすると、セイバーは未だ赤く染まった顔を勢い良く左右に振りだす。

「なっ、なな、何を謝っているのですか?! わ、私は別に謝られるような事はしていませんし、されてもいません!? ええ! 本当に! そ、それでは私はきゅ、急な用事を思い出したのでし、失礼しますっ!!?」
 
 隠すように顔を伏せながら勢い良く喋ったセイバーは、顔を甲板に向けたまま走り出す。疾風のように駆け出したセイバーは、キュルケの横を抜け船室へと繋がる扉を壊れろとばかり勢い良く開け放つと中へと飛び込んでいった。
 後に残されたのは士郎とキュルケの二人だけ。既に日が落ちた甲板には空に昇った月明かりしかなく、常人であれば離れたところに立っている人の顔など見ることは不可能であったが、士郎には幸か不幸かハッキリと見えていた。
 明らかに機嫌の悪そうなキュルケの顔を。

「……あ~と、な、何か用か?」
「別に、シロウがいなかったから探してただけよ。まあ、でも見つかったのがあたしで良かったわね。これがルイズとかだったら船の上だなんて忘れてとんでもない魔法を放って仲良く皆で墜落―――って事になってたかもしれなかったわ」
「む、あ、そ、そうだな」

 キュルケの口にした事が容易に想像出来た士郎は、先程かいた汗とは別の汗を額に滲ませた。キュルケはそんな士郎に向かって歩みを進める。

「その点あたしならちょっと意地悪するだけで済むから良かったわね」
「じゃ、邪魔って、な、何の事を言っているんだ?」

 ここまできて否認する士郎に若干呆れた笑みを浮かべたキュルケは、手を伸ばせば届けるほど近づいた士郎を見上げる。

「別に隠さなくても分かってたわよ」
「う……」
「恋は障害が多ければ多いほど燃えるものだけど……ちょっと障害が多すぎじゃないのかしら?」
「それを俺に言われても」
「ナニカ?」
「ナンデモアリマセン」

 にっこりと笑いながらキュルケが士郎を見上げる。
 言いようのない圧力を感じた士郎が崩れるように項垂れた。

「……む~~~、はぁ、やっぱり先を越されてたか」
「何の話だ?」

 項垂れた士郎をじー、と見つめていたキュルケが大きく溜め息を吐く。士郎がそんな風に悔しげな声を上げるキュルケに疑問の声を上げると、キュルケは片手で顔を覆い星空を仰ぎ見た。顔は頭上に向けながらも、視線は横目に士郎を見る。

「だいぶ落ち着いたみたいね」
「……そんなに変だったか?」
「まあ。普通は気付かないと思うわ」
「じゃあ、何で気づいたんだ?」
「……それは……全く、本当に卑怯だわあなたって」
「?」

 腕を組み首を捻る士郎の姿に大きく首を振ったキュルケは身体の向きを変え、困惑の様子を見せる士郎を真正面から見上げた。

「あたしがずっとシロウを見ていたからに決まってるでしょ」 
「っ、そ、そう、か」
「むぅ……そうかじゃないでしょ―――馬鹿」
「―――っちょ、おま」

 頬を掻きながら顔を背ける士郎を軽く睨みつける。睨みつけているのを視線を逸らしたことで見ないふりをする士郎。しかし、キュルケはそれで諦めるような容易い女ではない。士郎が自分を見ていないことをこれ幸いと、逡巡することなく一息に士郎に抱きつくキュルケ。

「ナニヨ?」
「っう」

 驚いた顔で自分を見つめる士郎をジト目で睨み付けたキュルケは、言葉に詰まる士郎の様子に喉の奥で小さく笑った。

「―――っ、ふ。あ~あ、あたしってこんな面倒な女じゃなかったつもりだったんだけど」
「……面倒なんて思ってはいないぞ」
「……そう、ありがと」

 士郎の厚い胸板に額を当て顔を伏せたキュルケは、微かに聞こえる鼓動に身を任せるように目を瞑る。額から響いてくる確かな鼓動。一定のリズムで脈動する心の臓の音色は、聞いているだけで穏やかな気持ちになる。

 ほかの誰でもない、シロウだから……。
 どうして、だろう?
 ……明確な答えは……出ない。
 でも、それでいい。
 多分、こういうのは言葉にするようなものじゃない。
 ただ、感じればいいだけ。
 心地いい、と……。
 一定のリズム。
 変わらない脈動。
 ……生きている……その証……。

 ―――でも、ちょっと納得がいかない。

 士郎の胸に額を当てていたキュルケの瞼がゆっくりと開く。

 な~んで変わらないのよ?

 軽く身体を動かし、自慢の胸を押し付けるようにする。
 
 ……少しは早くなりなさいよ。

 鼓動は変わらず一定。
 こうなると、どうしても変化を起こしたくなってしまうのは当然の結果と言うものだろう。
 だから、キュルケは―――。

「……でも、本当は面倒だって思ってるんじゃないの?」

 顔を士郎の胸に押し付けながら、キュルケは悲しげな声音で呟く。

「実は今もひっつかれて面倒だとか迷惑してるとか……そんな風に……」
「はっ、そんなわけがないだろ。何だ、どうした? 何時もの元気は何処へ行った?」

 震える声を上げるキュルケを慰めるように、士郎の厚い手がキュルケの炎のように赤い髪の上を撫でる。ゆっくり、優しく、櫛で梳くように。

「たまにはこうなるわよ……仕方がないじゃない。最近あたしって全然力になれてないし、今日だって殆んど戦力になれなかった……」
「そうか?」
「そうなのよ」

 キュルケが小さく頭を縦に動かし士郎の胸を擦る。

「随分力になっていると見えたんだが」
「そりゃ魔法には自信はあるわよ……でも、やっぱりタバサやロングビルに比べたらどうしたって劣ってしまうのよ……ルイズは、まあ、比べられないし」

 あれ? っと、キュルケは内心で動揺した。
 ちょっと士郎を動揺させてやろうとポッと頭に浮かんだものを口にしたのだが、何故か予想以上に動揺してしまっていた……言っている本人が。
 確かにそんな事は考えていた。しかし、そんなに気にしていないと思っていた、のだが、どうやら思っていた以上に気にしていたらしい。

 力になれていないことが。

 助けになっていないことが。

 ……あ~あ、本当に、何で……あたしって、こんなに面倒な女だったっけ?

 こんなに……弱かった?

 士郎の身体に回していた手に一瞬力が篭もり―――直ぐに緩む。
 解ける程に弱まった手の力は、自然と士郎の身体から離れ―――

「力になっている」
 
 ―――なかった。
 士郎の腕がキュルケの身体に回り、強く抱きしめられる。
 キュルケの身体が、士郎の身体に押し付けられた。

「魔法だけじゃない。キュルケの優しさ、明るさ、暖かさ……全て力になっている」

 突然の出来事に驚きで目を見開いたキュルケは、おずおずと顔を上げる。顔を上げると、そこには自分を見つめ笑う士郎の顔があった。

「だから、俺はここにいる」

 ―――っ。
 
 ―――ああ、もう、全く本当にこの人は。

 ……後にキュルケはこう口にする。

 ―――『ムラムラしてヤった。だが後悔はしていない』、と。
 
「―――っんぶっ?!」
「ん―――ぅ、ふ、ぁ」

 気付いた時には思いっきり爪先立ちをしており、勢い良く士郎に向かって顔を出していた。
 キス―――と言うよりも頭突きに近いものがあった気がする。
 歯と歯がぶつかりそうになったが、上手く合わさったお陰で痛い目には合うことはなかった。
 
「あ、っ、む、ふむ、ん、ぅ」

 前戯などなく最初っからクライマックスだぜ的に唇が触れた時には既に舌は士郎の口へと入り込み。その中を蹂躙していた。士郎が目を白黒させているのを薄らと開いた目で見ながらも止まる気持ちは欠片も浮かばず。吸うと言うよりも喰らうと言った様子で士郎の口に齧りつくキュルケ。互いの合わさった唇の隙間からは、大量の唾液が糸をなして甲板へと落ちていく。頬を、服を、甲板を汚しながらも長々と口を合わせ続ける二人。
 
「―――ちゅ、あむ、あ、んん、ず―――じゅ、んあ」

 頬を窄め喉を鳴らす度にキュルケの頬が、身体が熱く火照っていく。
 瞳は霞がかり、吐息は甘く熱く。
 濡れた身体を擦りつけるように押し付け、もどかしいとばかりに身体をくねらせる。

「―――ん―――シ、ロウ、っ、んぁ」

 士郎の身体に手を、足を回し、甲板の上へと引き倒そうとするキュルケの姿は、遠目で見ればまるで巨大な大蛇のようで。このまま甲板へと引き倒されれば、誰がどう見てもどうなるかは明らかであった。
 ただの大蛇ならば丸呑みにされ、ヤってやるぜ的なキュルケならばパックリと食われ……あれ? あまり違いがない?

「―――っ、きゅ、キュル、ケ、ちょ、ま―――んぐッ?!」
「―――んんんッ!!」
 
 一瞬口が離れた隙に士郎が声を上げようとしたが、直ぐに口を塞がれたばかりか、口が開いて幸いとばかりに更に士郎の口の奥深くまでキュルケの舌が入り込んでいく。
 このままじゃヤヴァイ。
 本気でヤられる。
 そう士郎がかなりの身の危険を感じた瞬間。
 
「―――ッッ!!!??」

 それを更に、遥かに超える圧倒的な恐怖が身を包んだ。

「―――ふ~……ん。随分と楽しいことをしてるわね」
「シロウ。何をしているのですか?」

 キュルケに引き倒され、傍から見れば士郎がキュルケを押し倒しているように見えるようなよりにもよってな姿勢になった瞬間。
 士郎に二つの影が差した。
 影の主は二人。

「ご主人様のいないところで発情期? これは本当に去勢しないといけないかしら」

 桃色の髪を持つその少女は、無表情そして無感情な瞳で士郎を見下ろし、しかし杖を握る手には血管がハッキリと浮かんでいた。

「ルイズ。その時は手伝います」

 夜でもハッキリと分かる金の髪の持ち主は、感情の浮かばぬ顔にある何処までも冷めた瞳で見下ろし―――だらりと下げられた右手には、目を奪われるような剣が抜身で握られていた。

「――――――ッ!!!??」

 一瞬でキュルケを引き剥がした士郎は顔を上げ何とか誤解? を解こうと口を開こうとしたが―――。

「―――っま―――」
「「―――でもまずは一発殴らせなさい」せてもらいます」

 開ききる前に顔面に二つの拳が捩じ込まれていた。
 













 




「はぁ……流石にアレに耐えられるものを作ることは出来ないでしょうね」

 完全に日が落ち、闇に沈んだウエストウッドの森の中に一人の女がいた。
 女はぽっかりと森の中に出来た広場のような場所の真ん中に立つと、辺りを見回しながら大きな溜め息を吐く。

「欠片も残ってはいない……か。何とも凄いわね」

 ぐるりと周囲を見回した女の視線がある一点で止まる。
 女の視線の先には、一つの影があった。
 ピクリとも動かないそれからは生気を感じ取れないため、目の前にしなければ木や石と間違えてしまう程である。だが、その形は明らかに木や石ではなかった。
 人、それも男だ。
 女は木石のように立ち尽くす男に顔を向け、小さく鼻を鳴らす。

「ふん。お前も散々だったようね。十体の偏在(ユビキタス)を使って勝てないどころか手傷を負わせる事も出来なかったなんて……あの男がそれだけ強かったのか、それともあなたがそれだけ弱かったのか……さて、どちらなのかしら?」

 揶揄うような口調を受けても、男は微動だにしない。
 ただ黙って立っているだけ。
 その様子に女は視線を男から外すと空に昇る月へと向けた。

「……ガンダールヴ―――いや、エミヤシロウ(・・・・・・)……か」

 自分の額に手を伸ばし指先で小さく触れると、女はギリっと歯を噛み締めた。

「―――お前は一体何者なの?」









 女が月を仰ぎながら何かを憎々しげに呟く姿を、男は赤い瞳でじっと見つめている。
 身体を揺らすどころか瞬きもしない男は、どう見ても生きてはおらず人形と思われた。
 そしてそれは間違っておらず、確かに男は主人の命令が無ければ動くことはない。
 それは主人である男が見つめる女も分かっていた。
 
 ―――だから。

 女がもし、そこ光景を見たのならば、驚いただろう。
 否、もしかしたら恐怖したかもしれない。
 命令をしていないにも関わらず。


 
 ―――っ―――



 男の口元が微かに動き、



 ――――――エ、ミヤ――――――



 ある男の名前を口にしたことに。



 ―――――――――シロウ――――――





 
 

 
後書き
 感想ご指摘お願いします。

 次からは第十二章。
 遂にあの人(赤い人)が動き出す、かも?
  
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