戦国異伝
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第百六十三話 紀伊での戦その三
それでだ、こう言うのだ。
「一向宗に入りたいということなのでよしとしたが」
「どうにもですな」
「怪しい御仁でしたな」
「そうじゃ、どうも御主達にも近付いておった」
無論顕如にも何かと近付こうとしていた、それを察してだったのだ。
「だから問おうと思ったが」
「そこで、でしたな」
「急に消えられましたな」
「しかもじゃ」
それに加えてだというのだ。
「当の高田殿はな」
「知らぬ存ぜぬですな」
「縁者と言いながら」
「その様な者は知らぬと」
「おかしなお返事でした」
「そもそも高田殿もわからぬ方じゃ」
顕如はその高田についても述べた。
「公卿であられるが高田家の生まれはな」
「妙にですな」
「謎の多い家ですな」
「藤原氏でもなく橘氏でもない」
「そして吉備家でも大伴家でもない」
無論物部やそうした家でもない、高田家は古い家であるがそれでもその出自についてはわからないことが多いのだ。
「本朝の都が飛鳥にあった頃からの家じゃが」
「相当に古い家ですが」
「それでもですな」
「かつての領地は大和のまつろわぬ者達がおった場所じゃった」
顕如はこのことは知っていた、高田家のその領地は。
「元々はな」
「そこも気になりますな」
「まつろわぬ者達とは」
「これは御主達だけが知っておることじゃが」
この前置きからの言葉だった、顕如の声は自然と小さくなり側近の高僧達も自然と耳を峙たせる。そのうえでの話になっていた。
「一向宗を開かれた親鸞上人は民を救われると共にまつろわぬ者達と対されておられた」
「民と天下を惑わぬ者達とですな」
「対されておられましたな」
「そうじゃった、まつろわぬ者達は鎌倉幕府の頃にもおった」
その頃にもだというのだ、彼等はいたというのだ。
「そのうえで天下を乱そうとしておった」
「そしてそのまつろわぬ者達とですな」
「上人は戦われておられましたな」
「そうじゃった、代々の法主もな」
そうしていたというのだ、これは親鸞だけでなく彼の師である法然や日蓮、栄西や道元といった当時の高僧達もだというのだ。
そしてそれはその前からだったのだ。
「あの行基菩薩もじゃった」
「そして厩戸皇子も」
「神道の高位の神主達も」
「これは表には語られぬことじゃ」
それ故本願寺でも知っているのは限られた者達だけだ、顕如と今ここにいる僅かな者達だけであるのだ。
だからだ、顕如も今は小声で言うのだった。
「今もまつろわぬ者達はおるか」
「いえ、流石におらぬ様です」
「今は」
それは否定された、今はだというのだ。
「既に親鸞上人が調伏される前に空海、法然上人や安倍晴明殿にかなりやられており」
「相当少なくなっていたそうですし」
「それで鎌倉幕府の頃に相当やられ」
「室町幕府の頃に足利尊氏公、義満公が征伐されました」
このことも表には出ていない、あくまで裏の話である。裏の話であるがそれは紛れもなく事実であるのだ。ただこのことは彼等は知っているが信長も他の大名達も知らない。知っているのは幕府でも義昭すら知らず朝廷でも僅かだ。
「そうしてきましたので」
「今はじゃな」
「いてもその力は相当弱いかと」
半ばもういないとさえ考えている言葉だった。
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