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とらっぷ&だんじょん!

作者:とよね
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第二部 vs.にんげん!
  第21話 もう、いいよ。


 煉獄の探索を行う日々が続いた。仲間や先輩冒険者たちと組んで煉獄を進む内、何度かシェオルの柱の実物を目にする機会があった。その材質は人間の皮膚に似ており、煉獄内の空気の振動にあわせて波打つように震える様子は、何かの胎動のように思えた。だが、ティアラが言うような光を放つ柱は一向見つからない。
「今日からは二手に分かれて行動することになる。これはティアラちゃんの提案だが、聖書によれば魂は死後、煉獄内を次の層へ、次の層へと進んでいくそうだ。まだ目覚めてねぇ若い奴の魂も、俺たちが思うよりだいぶ下の層にあるかもしれねえってわけさ」
 教会の礼拝室で、冒険者たちは神妙な面もちでフォルクマイヤーの説明を聞く。
「そこでだ。片方のチームは引き続き煉獄の上層から、もう片方のチームは先回りし下の層から光るシェオルの柱を探す。一応希望を聞いておこう。下の層から探したいヤツはいるか」
 ウェルドとサドラーが手を挙げた。フォルクマイヤーは頷く。
「……そういや、もう一人の凶戦士化したお嬢ちゃんが見えねぇな」
 ノエルはまだ、部屋に引きこもったままだった。
 目覚めてすぐの頃には自分のことしか見えなかったが、今でははっきりと、町が変わってしまった事がわかる。空も、雪も、石造りの建物も、投げやりな怒りを吸いこんで、静かで暗い。
 ある時ウェルドは物を取ってくるようティアラに頼まれて、教会の地下に入っていった。場違いな笑い声が、階段を下りると聞こえてきた。
 助司祭カドモンと数人の男たちが、テーブルの上で賭け符を捲っていた。
「よう、凶戦士の殺人鬼野郎じゃねえか。人間のクズが何の用だ?」
 酔った男たちが声を上げて笑う。
 ウェルドは怒りを堪え、黙って部屋の奥に入っていった。棚から頼まれた物――氷嚢(ひょうのう)と包帯を取る。
「おい、無視してんじゃねえ」
 声の響きが剣呑になる。
「もう一人の女はどうした? 最近見ねぇが、あのクズ野郎が折角助けてやったってのに働きもしねぇで何やってんだ? えっ?」
 無視してカドモンの後ろを通り、部屋を出ていこうとした。
「まあいいや、おめぇには感謝してるんだぜ。お前が派手に暴れてくれたお陰でこの町が正しい姿に戻るってな」
 ウェルドは一瞬、足を止めてしまった。
「ここに来れば盗みも殺しもし放題だって聞いて来てみりゃよ、あのバルデスとかいうクソ野郎が仕切っててどいつもこいつも変にいい子チャンじゃねえか。その時の俺様の失望と来たらなかったぜ。でもよ、それもじきに終わりだ。カルス・バスティードは本来の無法者の町に戻るんだよ!」
 氷嚢も包帯も放り投げて、一発で良いからぶん殴りたい、その衝動に耐えることができたのは、階段の上からサラが覗きこんだからだ。
「ウェルドさん、どうしたの?」
 下衆な男たちの笑い声を背に、ウェルドは地下室を出た。
 町に人の姿を見かけるようにはなった。町が変わってしまった事が理解できる程度に。だが、バルデスとクムランには、未だに会えていない。
 そんな頃だった。
「おおい! ウェルドとノエルってのはいるかい!」
 ある晩、誰かが宿舎の戸口で呼ぶので、ウェルドは自室で顔を上げた。誰かが地下の食堂から上がって来て、来訪者に対応する。やがて足音が部屋の前まで来た。
「ウェルド、少しいいですか?」
 エレアノールの声だ。ウェルドは戸を開けた。
「何だい」
「あの方が……あなたとノエルにご用があるそうです」
「俺がっつーか、クムラン先生に呼んできてくれって頼まれてよ。そんでもう一人は?」
「ノエルは、今は出てこられない状況です」
 エレアノールは戸口の男に言った。
「私が代行します。構いませんね」
「まあ、構わないかどうかは俺じゃ判断できねえけどよ。じゃあ来るだけ来てくれや」
 クムランの家に行くと、暗い屋内に、クムランとサドラーが立って待っていた。
「よう、ウェルドに……ノエルってのはあんたか?」
「いいえ、私はエレアノールと申します。ノエルが出歩ける状態ではないので代理で参りました。構いませんか、クムランさん」
「ええ……」
 久々に見るクムランの顔は蒼白で、気鬱に覆われており、心ここにあらずといったところだ。勧められるまま近くの卓を囲った。クムランが内鍵をかける。
「で、先生、凶戦士化した人間を集めてどうしようっていうんだい?」
 サドラーが警戒を含んだ口調で口火を切る。クムランはそんな彼の真向かいに座った後、机の上で組んだ指をじっと見つめる。
 その指をほどいた。
「恨み言を言う為に呼んだわけではありません。ご安心ください。それに、今では落ち込んでいられる状況でもなくなってしまいました」
 クムランが三人を見る。その目に思いもよらぬ強さがあり、視線が合った時、ウェルドは思わず身じろぎした。
「ウェルドさん、エレアノールさん、サドラーさん。あなた達は外界の魔物出現の件はご存じですね」
「俺は字が読めねぇからよ、昨日壁新聞の内容をツレに読んできてもらったところさ。それで?」
「私は、あなた方に残酷な選択を強いる事になります。シェオルの柱の件ですが……」
 ウェルドは黙って先を促した。
「みなさんの魂を閉じこめていたシェオルの柱が破壊された日付と、外界で魔物が出現した日付。これがぴたりと一致する事に、最新の情報からわかりました。柱の破壊と魔物の出現に因果関係があると見なして良いでしょう」
 背筋に緊張が走り、ウェルドは机の向かいに座るクムランへと身を乗り出した。
 クムランは続ける。
「魔物の出現は一本目の柱を破壊した後も断続的に起きていますが、二本目、三本目を破壊した日には、とりわけ大量の魔物が出現しています」
「そんな! 偶然じゃ……」
「二度目までなら偶然かもしれません。しかし三度目ともなると、目を背けていることはできません。更に、遺跡内の石碑や石板などに記述された内容と、外から届く壁新聞に書かれた内容には奇妙な一致が確認できます」
 サドラーが隣でごそごそと身じろぎする。ウェルドも居心地悪い思いでいっぱいだった。
 自分達の命と引き替えに、外で大変な混乱が起きている。そんな話は信じたくなかった。
 エレアノールが促す。
「どういう事でしょうか」
「外界での魔物の大量発生が、太陽帝国の時代より定められていた、変えようのない未来であったという可能性が出てきたという事です。魔物の最初の発生から二度目の発生までの間隔が、ある石板に書かれていたのです。現在起きている出来事の、まるで予言のように……」
「じゃあ先生、予言なら柱壊したのと外の魔物の事は関係ないんじゃ」
「残念ながら現時点では無関係と言い切る事はできません。……更に悪い事に、柱の破壊と魔物大量発生の日付が一致するばかりか、回を重ねるごとに魔物の量が増し、被害が大きくなっています。これも予言の通りです」
「じゃあディアスを助けたら……先生、そしたらこれまで以上の人間が死ぬって事ですか?」
「どうすればいいんだ?」
 サドラーも口を開いた。
「なあ、先生! だったら俺たちに、あの若いのを見殺しにしろって言うのか!?」
「みなさんの判断にお任せします」
 一瞬、目の前が遠くなる。
「そりゃないぜ、先生! そんな大事な事を俺やこの若いのに決めろって言うのかい!?」
「魔物発生に関しては、三回目までは予言があるのですよね」
 と、エレアノール。
「四度目の発生についての記述はあったのですか?」
「……その問いにお答えすることはできません」
「やめてくださいよ!」
 ウェルドは厚い掌で机を叩き、椅子を倒して立ち上がった。
「そんな……そりゃねえぜ、先生! 教えてくださいよ! 何でそんな生殺しみたいな事を!」
「四本目の柱を壊したか、壊していないか……。四度目の魔物の大量発生があったか、なかったか……。もし仮に予言の内容をあなた達にお伝えしたとすれば」
 沈鬱な表情のままのクムランの顔が、ストレスによってぴくぴくと引き攣る。
「あなた方の今後の行動の一切が、予言に縛られることになるでしょう。一度予言に従えば、次の大事な局面が来た時、必ず予言に依存せずにはいられなくなります。そうすれば結果がどうであれ、責任を予言のせいにしてしまう事ができるのですから。私はそうはなって欲しくない。自分の意志で生きている、行動していると言えなくなってしまうのですから」
 ウェルドは立ち上がったままの姿勢で言葉を失う。
「……そして、誤解を招く言い方になるかもしれませんが、私は興味があるのです。あなた方が考え、考えに考えて出した答えが、五千年前の予言を覆す事になるか、ならないか……それを知りたい」
 誰もが息を詰めている。
 壁時計が鳴った。
 全員が肩を震わせる。零時だ。
 時計から出てきたからくり仕掛けの十三聖者が、ステージ上で回転する。
 バイレステではありふれた物だ。アルコール中毒のウェルドの教授も、よく似た時計を持っていた。
「……何が予言だ」
 ウェルドは倒した椅子を直しながら、イライラと言い放った。
「何が聖書だ! 俺たちをどうするつもりだってんだよ、クソッ!」
 クムランは押し黙るばかりであった。
 ウェルドとサドラー、エレアノールは、揃ってクムラン宅を辞した。
 ウェルドは黙っている。
 何を言っても、その言葉が自分の無能と無力を証すように思えて悔しかった。
「どうするんだ?」
 舞い散る雪の中、サドラーが聞く。
「わかんねぇよ……」
 エレアノールも、悲痛な面もちで黙っているだけだ。
「ひでぇ話だよな、よう、若いの。何でこう、いっつもいっつも割を食うのは貧乏人ばかりなんだ? アノイア教に道理ってもんがあるなら、腐りきった聖職者や貴族連中にバチが当たってもいいって思わないか?」
「……アノイア教なんざ嘘っぱちだ」
「だけど、現にあるんだぜ……予言も、シェオルの柱も」
 ウェルドは深々とため息をつき、頭を振った。
「今は何も考えられねぇよ」
「だろうな。でも、俺は正直お前が羨ましいよ。一緒に悩んでくれる仲間がいてな」
 サドラーはそう言い残して、彼の宿舎へと帰っていった。
 考えと呼べるような考えも浮かばず、ウェルドも宿舎への道を呆然と歩き始めた。少ししてエレアノールが立ち止まった。気配に気付き、振り向くと、彼女は思い詰めた表情で、雪の中に佇んでいた。
「ウェルド、この事は(みな)に話しましょう」
 彼女は言った。ウェルドはその顔を凝視しながら歩を詰め、押し殺した声で尋ねた。
「どうして」
「クムランさんは凶戦士化した人のみにこのお話をするつもりだったのでしょう。ですが、ノエルの代理で訪れた私にも話された。いつまでもこの件を秘密にはできないと、あの方もわかっているからでしょう。現に外界の魔物の出現について、あの方に意見を求める声が既に多く上がっています。
 私たちの仲間が何も知らずに柱を破壊したとしましょう。後になって全てが明らかになり、外界の混乱と多くの人の死についての負い目を、何も知らずに柱を破壊した仲間に背負わせることができますか?」
 ウェルドは目を伏せた。
「そしてもう一つ。『他人に干渉しない』というこの町の不文律は、裏を返せば各自が他人をあてにせず、自分の問題は自分で解決する、という事です。仲間内の事は仲間内で解決する、と言い換える事もできます。過去、アッシュのご家族を救うために私たちだけが集められた理由も、つまりはそういう事でしょう」
「エレアノールの言う事も一理あるけどよ」
「もし凶戦士化したのが私だったら、同じ提案はできなかったかもしれません。クムランさんの話が知れ渡れば、シェオルの柱を探す為の人手は大幅に減ります。いつも共に遺跡に潜り、戦いの中で生死を共にし、まだ助かる見込みのある仲間を……その仲間を救う為に行動できる人間を減らすのは、とても辛く、耐え難い……。結末によっては、一生自責の念に苛まれることになるかも知れません」
 エレアノールは(おもて)を伏せた。
「私は提案するにとどめます。あなたの意見を尊重しましょう。どうしますか、ウェルド」
「話そう」
 ウェルドは決断した。
「あいつらにも知る権利がある」
 翌朝ウェルドとエレアノールは、宿舎にいる仲間を全員食堂に集めた。まだ眠っていた仲間も、ウェルドの真剣な表情を見るとすぐに身支度をした。
 全員は集まらなかったが、それでも半数の七人が顔をあわせる事になった。
 その中にノエルもいた。まだショックから立ち直れていないノエルにこんな話をしなければならないのが、心苦しかった。
 ウェルドが話している間、誰も口を挟まなかった。話終えた後も。
 沈鬱な空気が食堂を満たした。
「どうしてこんな事ばかり起きるんだろう……」
 沈黙を破ったのはアッシュだった。
 パスカが顔をしかめ、軽く頭を振る。
「ウェルド……それで、お前はどうするんだ?」
 またも沈黙が部屋を満たす。テーブルの一番下座、全員の顔が見える位置に立ったまま、ウェルドは答える事ができない。
 再びの沈黙。
 パスカが、ひゅっ、と息を吸った。
「ウェルド、お前迷ってんのか?」
 黙っていると、パスカは勢いよく立ち上がった。
「お前な……ウェルド! お前が迷ったりしたらあいつはどうなるんだよ! いつも一緒にいたんだろ? お前の相棒なんだろ!? 最後まであいつの味方でいてやれる奴が、お前以外に誰がいるんだよ!!」
「待ってくれ、パスカ」
 弱々しい声が割りこむ。アーサーだった。
「僕たちが柱を破壊したとして、次に魔物が大量発生するのは君の故郷かも知れないんだぞ。僕の故郷かもしれない……」
「でもよ!」
 パスカがテーブルから身を乗り出す。
「そりゃ、もし柱に捕らわれたのが俺だったらさ! 世界中の人と引き替えに生き残りたいとは思わねぇ。でも捕らわれたのは俺じゃねえ、ディアスなんだよ! あいつの意識がないのをいい事に、あいつの命を死神と取り引きしろっていうのか!?」
「その取り引きで何万人もの命が救えるかも知れないんだぞ! パスカ!」
 アーサーも立ち上がった。
「それに、僕は貴族だからわかる……今の騎士団では魔物達に対抗できない。実際に壁新聞には全く太刀打ちできていないと書かれていた。僕には、一人の命と引き替えに柱を壊すなんてできない……」
「あたしだったら世界の半分の人と引き替えにだって、自分が生きていたいよ」
 ジェシカが呟いた。
「あいつが死んじゃったっていうなら仕方ないけどさ……まだ助かるんだよ? まだ生きてるんだよ!? ぶっちゃけあたしあいつの事嫌いだけどさ、流石にかわいそ過ぎんじゃん! ウェルドもノエルも助かって自分だけ死ななきゃいけないなんてさ、しかもずっとつるんでた相手に見殺しにされてさ!」
 紅潮した顔を上げる。
「ノエル、ずっと黙ってるけどあんたの意見はどうなのよ」
「あたしは……」
 ノエルが生唾を飲むのがわかった。
「あたしは……柱を壊したい……。不合理だってわかってるわ……感情に流されて……愚かな判断だって……」
 ジェシカの表情がわずかに和らぐ。ノエルは頷いた。
「あたし、行く。今日からまた遺跡に入るわ」
 再び視線がウェルドに集まった。
 居たたまれなくなって、ウェルドは目を閉じる。
 砂漠が見えた。
 故郷の砂漠。
 遠い景色に逃げ込んで、自我が現実逃避をしようとしていた。
 赤い砂漠。オアシスの村。隊商(キャラバン)とラクダ達。
 見えてくる……一見のどかな村……だけどテントから上る煙、炎、そして……。
「俺にはできない」
 やっと答えた。
「俺に柱は壊せない」
 全員の顔に、目に、ウェルドは睨みつけるような表情で立ち向かう。
「あいつを殺すって言うのか?」
「だったら何だ? パスカ。引き替えに誰が死んでも関係ないと? 会った事のない他人が何万人死のうとただの数字でしかないとでも? どんだけ死のうが殺されようが、それが目の前でなきゃ、自分の見えない場所で起きた事なら構わないってか!?」
「何もそこまでは――」
「そういう事だろ!? お前が言ってる事は!!」
「違う! 俺は」
「お前は自分の故郷がめちゃくちゃにされてんの見た事あんのかよ!」
「だったらあんたが死ねば良かったんだ」
 ジェシカの声だった。
 血の気の引く思いがした。
「柱に入ったままなのがあんただったら良かったよ。びっくりするほど薄情だね。ホント見損なったよ」
「ジェシカ」
 エレアノールがたしなめようとする。が、肩に延びた彼女の手をジェシカは強く振り払った。
「あたしも行くよ。だけどあんたとは行かない。柱見つけても壊さない奴と行っても仕方がないしさ。それにあんた、見つけても黙ってそうだよな。そんな奴と行けるかよ! もういいいよ! あんたは部屋で寝てれば!?」
「もしディアスと俺の立場が逆だったら、あいつは――」
「それがどうしたんだよ! 柱を壊さないっていうのはあんたの意見だろ!? あいつは関係ないじゃん! そういう事言い出すのはあんまりにも卑怯だよ!」
「ジェシカ!」
「もうさ……」
 ジェシカはテーブルに両肘をつき、頭を抱えた。
「もうさ……あたし達がしてきた事、何だったんだよ……。今も柱を探してるシャルンやルカ達もさ……何のために……」
 顔を上げる。激情が去った後のジェシカの顔は、起きて一時間と経っていないとは思えぬほど疲れて見えた。
「もう、いいよ……」
 ガチャッという音が、階段から聞こえた。
 振り向いたウェルドは硬直し、呼吸すら止める。
 会わなければならないと思っていた、同時に、会う事を最も恐れていた男が立っていた。
 バルデスだった。
 もう一度、ガチャッと金属の肩当てを鳴らし、彼は凭れていた壁から背中を離す。
「クムランに聞いて来てみれば、案の定コレだ」
 ウェルドは思わず目を伏せた。
「先が思いやられるぜ、これから俺がいなくなって、お前等大丈夫なんだろうな」
「いなくなるなんて言わないでくれよ……」
 パスカの言葉にバルデスは首を振る。
「覚悟の上だ、仕方ないさ。自分で選んだ結果だからな」
 健康そのものの姿に見えた。左腕に巻かれた包帯以外は。そこに滲む血膿の色と、その臭い以外は。その左腕は、やはり心臓より下にやると痛むらしく、首から布で吊っている。
「ウェルド」
 それでも大剣を背負い、胸当ても肩当ても装着している。
 この男は戦士なのだ。それ以外の生き方も死に方もない。
 彼が教会にいなかったわけが、ウェルドには今わかった。
「本当はどうしたい?」
 バルデスは歩いて来て、言った。ウェルドは椅子に座り込み、頭を抱えた。
「本当もクソもあるかよ……。俺だって嫌だよ。あいつに会いてぇよ。あいつはいつでも……正しい事が言えるからな」
 肩まで伸びた髪の中に指をいれ、掻き毟る。
「何で一番いて欲しい時にいねぇんだ、あいつは……」
「正しい事なんかありはしねぇ。ウェルド、パスカ、お前ら……お前らが考えに考え抜いて得た答えこそ正しい。その答えがそれぞれ違ってもいいんだ。俺はそう思うぜ」
 バルデスは右肩を竦めた。
「自分と違う意見を認めろ。お前らはこれからも協力しあっていかなきゃならねえんだ。そうだろ?」
 パスカの顔が赤くなる。彼は唇を噛み、目を伏せた。
「ウェルド、お前もだ。柱を壊すなっていうのもただの綺麗事じゃない。何が起きるかわからないこの町で、誰かが仲間を見捨てるというのは、そいつに自分も見捨てられる可能性がある事を意味しているからな」
「じゃあ、どうすりゃいいんだ」
 それは……さっき、自分で考えろと言われたばかりだ。
「もう少し、自分の気持ちに正直になってもいいと思うぜ。それからもう一つ知らせがある」
 頭を抱えるのをやめ、顔を上げる。
「開門日が多少前後する。前倒しになるかもしれんから、用があってこの町に来た奴は急いだ方がいい」
 話題が柱の件からそれ、空気が和らぐ。ノエルが呟く。
「開門日……あたし達がここに来てから、もう半年が経つのね……」
「ああ。ただし、外の状況が状況だ、今回は新人の受け入れはない」
「出る事はできんだよな?」
 と、パスカ。
「勿論だ。まあ、カルスを出てもあまり良い事はなさそうだがな。あくまで噂だが、外界の魔物の出現は、カルス関係者が欲にまみれて荒稼ぎしたから天罰が下ったんだって言い立てている連中がいるらしい。他にもカルスの連中が魔物を逃がしただの、カルスに行った事のある奴から魔物化するだの、散々な言われようだ」
「魔物化? どういう事ですか?」
 アーサーが顔を上げた。
「壁新聞の情報によれば、人間が突如魔物に変化(へんげ)するってこった。かなり信用できる筋の情報だ。新聞を書いた奴が、この目で見たと言っている」
「さらっと恐ろしい事書いてあるんだな」
 ウェルドは気を取り直し、言った。
「考えるよ、おっさん……あんたの言う通り」
「そうしろ。ただあまり時間がない事は忘れるな」
「なあ」
 思い切って顔を見た。太く逞しい首の上についている顔は、精悍で、強さを漲らせ、目には思いやりが満ちていた。
「どうして俺に優しくできるんだ? 俺はあんたを殺したんだぞ」
「殺した? そいつはおかしいな。俺は今、ここにいるぜ」
 バルデスは笑みを浮かべ、階段を上がって行った。
 食堂には仲間たちが残された。
 誰も動かない。
 ウェルドが最初に食堂を出た。


 
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