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英雄王の再来

作者:moota
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第7騎 クッカシャヴィー河追悼戦

 
前書き
こんにちは、mootaです。

遅くなり、ごめんなさい。
しかも、中々に長くなりました。
最後までお付き合い頂ければ、幸いです。

よろしくお願いします。 

 
第7騎 クッカシャヴィー河追悼戦



アトゥス王国暦358年5月3日 昼過ぎ
アカイア王国軍陣営


 後世に伝えられる“トルティヤ平原迎撃戦”の悲運な敗者と記されるアカイア王国南方方面軍は、その平原の北側に陣を敷いてから3日目を迎えていた。天高く煌々と輝く太陽とは打って変わり、その兵士達の士気は下がる一方である。それは、指揮官たる彼、もとい彼女も変わりない事であった。

「はぁ。」
その指揮官、第一等将軍バショーセル・トルディは、本日、何度目か分からぬ溜息を付いてみせた。目を閉じ、顔に手を当てている。その光景に、彼の部下達は一言も話せずにいた。その理由は、至って明確である。
アトゥス王国軍の奇襲を受けて撤退していたアカイア王国軍は、各隊に被害報告を提出させ、それを集計した。その内容に、将軍たちは驚愕と呆れ、そして憐憫を感じたのである。今回の戦で動員した総数は、アカイア王国南方方面軍5万、ミルディス州軍4千であるが、撤退し、再集結した残数は、アカイア王国南方方面軍4万8千、ミルディス州軍1千2百であったのだ。その被害総数は、5千8百。しかも、その内の約7割はミルディス州軍の被害だった。つまり、彼らは、アトゥス軍の“奇策”にただ混乱し、実質的な被害を見ず、相対的な被害に目を取られ、その指揮統率が出来ぬままに敗退したのである。事実、アカイア王国軍本隊の被害の半分は、敵の奇襲と馬による突撃で混乱する中で、我先に逃げようとした者の馬に踏まれたのである。敵ではなく、味方に。

 この事は、彼らの士気を大きく下げ、さらには、トルディ将軍の怒りも一塩であった。敗戦の責任は、一重に最高指揮官であるバショーセル・トルディに起因するのが、軍の常ではある。しかし、彼、もとい彼女にとって、今回の敗戦は納得の出来ないものであったのだ。一頻り、“彼女”のお叱りを受けた将校達は、“彼女”の前にただ沈黙に沈み、“場が何とか好転しないか”、そう考えていた。そんな彼らの願いを叶えたかどうか分からないが、一筋の光明が彼らに降り注いだのである。

「と、トルディ様、面会を申し出ている者がおります。」
連絡兵が、焦りと戸惑いを含んだ顔で本陣に駆け込んできた。その言葉に、この場にいる一同は、訝しい表情を見せる。それもそのはずで、指揮官にお目通りできる身分の主だった将校は、既に集まっているからである。

「・・・誰よ、それ?」
不機嫌さを微塵も隠そうとしない声だった。化粧をして、綺麗に飾っている顔でさえも、魔を帯びているように見えたほどだ。“彼女”は、手に、緑色の液体が入った透明な筒を持っていた。その筒に入った何かの塊を、纏わりつくような目で見つめている。

「そ、それが・・・」
バショーセルの雰囲気に怯えているのか、伝えようとしている事になのか、どちらかにか分からないが、何か見えないものに圧迫されるようにはっきりと答えられずにいた。しかし、その言動は、“彼女”の琴線に触れるような行為である。

「早く言いなさいよ!」

「ひっ!」
苛烈さを見せる恫喝に、彼は怯えた表情を見せる。

「・・・・ふふ、良いわぁ。その顔、ゾクゾクしちゃう。もっと、もっと見せて頂戴。」
舌で唇を舐めずり、口から空気を細く噴き出すように、笑う。恍惚に溺れるような表情で、その兵を凝視している。

「あ、ああ・・。い、いえ・・ミルディス州総督、テリール・シェルコットを名乗る者が面会を求めております!」
怯えを、恐怖を、打ち消すように一気に言い捲る。その言葉は、バショーセルの異様な雰囲気とは違い、別の意味で場を静寂で包んだ。

「・・・何ですって?」

「しぇ、シェルコット総督を名乗る人物、です。」
バショーセルの疑問も、当前である。ミルディス州総督テリール・シェルコットは、先の戦闘で戦死扱いとなっていた。彼は、アトゥス王国軍の“奇策”による混乱で、味方が撤退行動をしていた中、彼の指揮するミルディス州軍を前進させ、混乱の拡大を招いた。その後、敵将に長剣で斬りつけられ、落馬するところが目撃されており、死んだものと、皆、思っていたのである。

「ふふ、ふふふ。・・はははは!」
甲高い笑い声が響いた。身の毛もよだつ、悪魔の笑いのような。皆が、バショーセルへと視線を向ける。その外見に、笑い声に、ここにいた将校達は、本物の悪魔を見たような錯覚に囚われたに違いない。その悪魔は、一頻り笑い終わると、再び恐怖で怯える連絡兵に囁いた。

「いいわ。どの面下げて来たのか、それとも、テリール・シェルコットを名乗る不届き者なのか、会って確かめましょう。連れてきなさい。」

「・・・・」
連絡兵は、言葉を失ったかのように声を発しない。ただ、その怯える表情を勢いよく縦に何度も振って、走り去るように出て行った。

「ふふ。どちらにしても・・・こう、成るしかないのだから・・・ね。」
バショーセルはそう言って、手に持っていた透明な筒を、愛おしそうに、ゆっくりと撫でた。



同時刻
アカイア王国軍陣営
従卒 エーリク・キステリナル


 戦場は、恐ろしいものだった。人肉が飛び散り、清い雨の代わりに、浅黒く赤い雨が降る。鉄錆のような匂いと、嗚咽を誘う肉の焼け焦げる匂いが充満し、聞くに堪えない悲鳴と怒号が鳴り響いて、天使と悪魔がそれぞれに歌い連ねるのだ。自分が踏み締めてきた道など、刹那の輝きで消え失せる。そんな“狂演の劇”だった。
 しかし、それよりも恐ろしいモノがあった。それは、その“狂演の劇”を仕切る演出家、その人である。男性にも関わらず、女性のような格好をしていた彼、もとい彼女は、“狂気”の塊のそのものではないか、そう思ったほどだ。そして、その“狂気”が演出する“狂演の劇”に、自ら飛び込む者がいた。

「お、お久しゅうございます。バショーセル・トルディ将軍閣下。」
その人物、ミルディス州総督テリール・シェルコットは、将軍の前に膝を付き、頭を垂れた。彼の声に、緊張と怯えが感じられる。無理もない。彼は、先の戦いで失態を犯したのだ。撤退する軍隊行動の中、自軍を前進させ混乱を招いた。それは、恐らく功を焦ったからに違いない。将軍は、今回の戦闘での結果を満足されていない。むしろ、怒りを感じられていた。その一因と言える人物なのだから、どうなるか分からない。しかし、その将軍の反応は、誰もが予想しないものだった。

「よもや、本物とは。・・・ふ、ふふ。ふはははははは!」
彼は、笑った。身の毛もよだつ、悪魔の笑いだ。その笑いに、その場にいた皆が身を固くした。

「も、申し訳ございません。先の戦いでは、ご期待に沿えず・・・」

「そう言う事を聞きたいのでないの。」
総督の話を折るように、将軍は強い口調で遮る。

「・・・どの面下げて、帰ってきたのか。」
その言葉に、ふと、将軍の眼を見た私は後悔した。吹雪に吹きつけられたように体の温度が下がり、さらには凍り付いて動かない。総督を見下ろすその眼は、人の眼ではない。

「あ、いえ・・・・」

「・・・どの面?」
空気が張り詰めている。限界まで引き合う縄のように、震え、音を立て、今にも切れそうな様相を見せる。総督は、将軍に目を合わせる事も出来ず、ただただ、身体を震わせていた。その様子に総督は、飽きたように一つ溜息を付くと、“最後の審判”の声を上げた。

「もう、いいわ。・・首を撥ねなさい。」

「い、いやっ・・」
総督の白い顔は、青ざめた。血の気が引き、まるで死人のような顔だ。彼だけではない、当事者ではない私たちも、死人のような顔をしていたに違いない。それでも総督は、その死人の顔のまま、大声を張り上げた。自分の罪を認めぬ、下賤な罪人の様に。

「と、トルディ将軍!じ、実は、お渡ししたいものがありまして!」
と、そう言って、総督は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。綺麗なものではない。折れ曲がり、端が少しばかり欠けている。・・・これを、総督に渡したい?可笑しな話だ。助命の為の下手な口実か。そう思いつつも、総督から羊皮紙を受け取り、将軍へと渡す。

「これは・・・本物なの?」
将軍の顔は、相手を計るような色を見せた。対照的に、総督の顔は勝気の色を見せ、その白色に赤色を指している。どういう事か、あの一枚の羊皮紙に何が書かれていたのか。その2人以外の人間は、その疑問を心に灯す。

「本物で御座います。トルティヤで苦い汁を嘗めさせられたエル・シュトラディールの詳細な行軍路です。それも、往復の。ノイエルン王太子が戦死されたのはご存知かと思いますが、それの援軍の為に、彼は急ぎ、クッカシャヴィー河に向かったのです。そして・・その際に、決定的な“溝”を作ったのですよ。」

「・・・“溝”?」
総督は、将軍が食い付いたと見るや、いつしか将軍が“油を塗ったように滑る口”と評したように、言い捲り、説明した。
 アトゥス王国王位継承権第2位のヒュエル・シュトラディールと、第3位エル・シュトラディールとの間に、“決裂”と言える“溝”が出来たのだ。清浄な王家が存在し得ないこの地上では、王族同士の“決裂”は常時である。人が生きる為に“水を飲む”ように、当たり前に起こる。彼らの“決裂”も、その例に漏れない。凡人の兄と、優秀な弟、どうなるかは、火を見るよりも明らかだ。そしてそれは、“トルティヤ平原”において、弟であるエル・シュトラディールが、その才能の片燐を見せた事で、激しく燃え上がらせた。羨望と憧憬、嫉妬の想いは、憎悪と悔恨に変わり、ヒュセル・シュトラディールは敵国に弟を売ったのだ。

「それは、信じるに値する情報なのかしら?」
シャプール砦での一件を含めて説明を聞いた将軍は、そう答えた。

「無論で御座います。私は、全ての事柄をこの目で見ておりました。それに、ヒュセルの異様な態度は常軌を逸しており、策略が出来るような人間ではありません。エルも、ヒュセルを落ち着かせる為にそのようなものを渡したのでしょうが、これが命取りと成りましたな。」

「ふむ、あながち嘘でもなさそうね。」

「では、お許し頂けますか?」
希望に見せられた眼は、眩く輝きを見せる。失態に足りるかはどうとしても、“手土産”を持って来たには違いない。将軍も、先ほどまでの異様な雰囲気もなく、「事は好転している」、そう思えた。

「まだよ。エル・シュトラディールの首を私に届ける事が出来たなら、その罪、免除してあげましょう。」

「さ、左様で御座いますか?!この不肖の身、身命を賭して励みまする。」
総督が、そう答えたその時だ。将軍に“悪魔”が乗り移る。情を情と思わず、人の苦しみや悲しみを餌とする“悪魔”。

「・・・ま、そうでなければ、こうなるだけよ。」
将軍はそう言って、手に持っていた透明な筒を総督の前に放り投げた。その筒は、地面へと吸い込まれるように落ち、音立てて割れる。中から緑色の液体が零れだし、重く丸いものがそこから顔を覗かせた。それを見た皆は、眼を逸らし、目の前に落ちてきた総督は、悲鳴を上げた。

「ひっ・・・!?」
希望に輝いた顔は、絶望と恐怖に取って変わり、蒼白となる。その筒に入っていたものは、“人の首”だ。それも、我々が良く知る人物の。空虚の眼が総督を恨めしそうに見つめている。何も言わぬその顔が、無念だと訴え掛けるように。その光景に、将軍の身の毛のよだつ笑い声が響いた。甲高く、耳に、心に突き刺さるそれは、皆の心に再び恐怖を植え付けたのだ。

「へ、ヘルセント・デューナー参謀長・・・そんな、どうして。」
総督のその問いかけに、地面に横たわる“人であったもの”は、沈黙で答えたのである。



アトゥス王国歴358年5月3日 昼過ぎ
クッカシャヴィー河 左岸 
チェルバエニア皇国軍陣営 客将 キルマ・トゥテルベルイ


 私は、この戦場で“怒り”に心を奪われていた。水飛沫の代わりに、血飛沫が飛び散り、潮風の代わりに、血と汗の匂いが吹き抜けようとも、それは濁る事はなかった。
 こんなものではない。これが、そうなわけがない・・・そんな気持ちが私の思考を支配し、手に持つ白く輝く長剣を、右に振り、左に振り、その色を赤色に染め上げていった。今も、“アトゥス王国軍大元帥”と名乗る人間を、永遠にその肩書を名乗らせなくする直前だ。・・・しかし、それは為されなかった。私の心を支配する“怒り”を一瞬で打ち消すほどの光景が、その心に飛び込んできたのである。
 黒地の旗に、白い百合の花。あれは、“何ものにも染まらぬ事を意味し、唯一の希望たる事を誓う旗・・・その旗に、私は心を奪われた。

「全軍突撃!」
エル・シュトラディールの檄と共に、5百騎の騎兵が乱れることなく、槍を揃えてチェルバエニア皇国軍の右翼へと突撃した。5百騎の騎兵が、大声で相手を威嚇しながら、粉塵を舞い上げ、目にも止まらぬ速さで押し寄せる。チェルバエニア兵は、恐怖に慄いた。これほどまでに、乱れることなく、凄まじい速さで押し寄せてくる騎兵など見た事がなかったのだ。もしも、英雄王の御代を知る者が居たとすれば、こう思うに違いない・・・「あぁ、これこそ“アトゥスの騎兵”なり」、と。
ヴァデンス率いるアトゥス軍の後退により、全面的な攻勢に出ていたチェルバエニア皇国軍は、その横撃によって浮足立った。陣形の中央が突出し、矢尻のような陣形に成っていた為、横撃に弱く、陣形は崩れ始める。

「突出している中央を戻せ!崩されるぞ!」
ケルト・ウルティモア将軍は、素早く檄を飛ばした。それと同時に、彼が直率する左翼の5千の兵に“ゆっくりと後退する事”を指示する。本来であれば、このような場合はすぐに後退し、陣容を立て直したい。しかし、中央が突出している為、今それを行えば、中央だけが取り残される危険性があったのだ。ケルトは、苦々しい気持ちに自らの唇を噛んだ。敵の援軍の可能性を考えない彼ではなかったが、その援軍の数が少ない為に発見が遅れ、狙い澄まされたかのような最悪の時勢に“奇襲”されたのである。

「まさか・・・狙った訳ではないだろうな。」
そんな事がケルトの頭を過った。援軍で来た敵の一陣は、黒地の旗に、白い百合が咲いている。それは、アトゥス王国軍の王国旗ではない。アトゥス王国の王族がそれぞれに持つ“御旗”だ。長子ノイエルンは、緑の地に金の太陽、次子ヒュセルは、赤の地に銀の獅子である。どちらでもないとすれば、末子エルの旗と言う事になる。彼はまだ、今年で13歳になるばかりであったはずだ。
 ケルトの疑問と不安は、味方の悲鳴と怒号に掻き消される事となる。奇襲を受けていた右翼の部隊が突破されたのだ。敵の血に塗れ、その甲冑を浅黒く染め上げた騎兵が、勢いを殺すこともなく、陣の内側を通り抜け、ケルトの直率する左翼に食い掛かった。もはや、撤退行動も混乱をきたし、戦闘は乱戦へと様相を変えつつあった。
 


同時刻
クッカシャヴィー河 右岸
アトゥス王国軍陣営


 痛みに我を忘れそうになるヴァデンス・ガルフは、その瞳に“黒地の旗に白い百合”を映していた。彼だけではない。クッカシャヴィー河で、血反吐と汗に塗れて戦っていたアトゥス兵は、それを見つめていたのである。一瞬、彼らの動きは止まった。まるで、時がその動きを止めたように。・・・そして、それは、唐突に破られる。

「うぉおおおおおおおおおおおっ!」
ヴァデンスは、叫んだ。人の声とも思えない程大きく、全てを振り切るように。その顔は、鬼のような形相に、脂汗をかき、身に纏う鎧を血で汚し、震える左手で長剣を持つ。右手は、止まる事のない鮮血を河に注ぎ続けている。しかし、それを何とも思わせないかのように、味方が居る方へと振り向いた。

「我らが始祖、アイナ王は!・・我らが英雄王、ルシウス王は!・・我らを見捨ててなどいなかった!立て、アトゥスの兵よ!“勝つ”時が来た!」

「おぉおおおおおおおおお!」
アトゥス兵は、満身創痍の大元帥の言葉に、叫ぶことで答えた。地響きのように空気を震わせ、それぞれに“思い”を灯す。彼らは失いかけていたものを、瞳に宿らせた。武器を握り直し、呼吸を整え、敵を睨みつける。

「全軍突撃!」
檄が飛ばされ、息を吹き返したアトゥス兵は、猛然とチェルバエニア皇国軍に突き掛かった。その勢いは、彼らの意思の強さを表すように、簡単に崩せるものではなかった。


 戦場は、混乱の様相を見せている。先程までのチェルバエニア皇国軍に傾きつつあった戦況は、エルの奇襲により引き戻された。今やその均衡は、少しの綻びで傾くほど、脆くなっていた。

「くそっ!何という勢いだ!」
ウルティモア将軍は、そう言いながらも、両の手に持つ剣を右に、左に振り回し、血飛沫を撒き散らす。人の身の丈ほどもある大剣を、重さを感じさせない勢いで振り回す彼は、他国に“大剣のウルティモア”と恐れられている。その細い身体から、そのような大剣を振るう力がどこにあるのかと、皆が疑問に思っているのだが。
 奇襲を掛けてきた一陣が、右翼を突破して左翼に突きかかって少しばかりの時間が経った頃、堅固な指揮に定評があるウルティモア将軍も、それを抑えきれずにいた。奇襲を掛けた一陣は、辛辣であったのだ。数で劣るエルの騎兵は短い時間での攻撃、つまり、その速さと突撃力で、チェルバエニア皇国軍の混乱を誘ったのである。それに加えて、その騎兵達は、通常の軍隊よりも多くの旗を掲げていた。これは、味方に援軍が来たことを印象付けさせ、士気を高める為だ。チェルバエニア皇国軍の正面いるアトゥス王国軍と呼応し、2方面から攻撃する。彼らの動きの一つ一つに勝つための、策が込められているのである。
 


チェルバエニア皇国軍陣営
将軍 ケルト・ウルティモア


自らが率いる自陣で、にわかにざわめきが起こった。右翼を突破して、こちらに食い掛かっていたエルの騎兵が、ウルティモア将軍の本陣まで迫ってきたのである。

「ちっ!何て奴らだよ、ほんとに。」
そう、愚痴を零した瞬間である。一人の敵兵が、味方の兵を掻き散らし、血飛沫とそれに斬られた腕や、首を吹き飛ばしながら、こちらにとてつもないスピードで突っ込んできたのである。その敵兵は、真紅の甲冑を身に着け、それが元々の色なのか、それとも返り血なのか分からないほど、“死”を撒き散らしていた。一瞬の間、その者と目が合った。脳が、その顔を認識出来る間もなく、“死”が降りかかってきたのである。刹那、自分とその真紅の甲冑を纏う敵との間に火花が飛び散った。咄嗟に、大剣を振り上げ、敵の攻撃から身を守ったのだ。

「これは、お力がある方とお見受けする。是非、手合わせを!」
そう言って、“真紅の騎士”は馬を引いて、距離を取った。顔を見た限り、私と同年齢くらいだろうか。槍を抱え、いつでも攻撃できる態勢を取っている。一分の隙もないその風姿は、恐怖すら覚えかねない。

「・・・断った所で、意味はないかな?」

「よく御存知で!」
その言葉を皮切りに、お互いが相手に飛び掛かる。傾く夕日に、彼の持つ槍の刃先も赤く煌めかせて、襲い掛かってくる。それを、大剣の腹で弾き、下から斬り上げるように振り抜く。しかし、彼は、彼の乗る馬を身体の一部のように軽やかに躱し、槍を回転させ、剣を振り抜いて開いた脇腹を突いてくる。身体を捻り、咄嗟に避けるが、避けきれずに甲冑に亀裂が走った。それに負けじと、身体を捻った勢いのままに大剣を横に薙ぎ払い、相手に叩きつける。彼は、槍を突いた体勢であった為に、避ける動作がにわかに遅れた。叩き付けた私の大剣は、“真紅の騎士”の肩に当たり、甲冑を弾く。お互いの実力は拮抗している。剣と槍を右に振り、左に突き刺し、20合と打ち合っても決着は着かない。お互いの獲物が相手に当たるも、その傷は浅いのだ。肩で息をし、汗が溢れだしても、お互いとお互いの間で火花を散らした。
もはや、何合と打ち合ったか分からなくなった時、鋭い音を立てて一本の矢が私の馬の脛骨に突き刺さった。それは一瞬で、避ける事など考える余地もなかったのだ。馬は倒れ、それと同時に私も地面へと叩き付けられた。咄嗟に身を翻し、身を構えた。しかし、降ってきたのは夕日に照らされる刃ではなく、若い少年の声であった。

「アレスセレフ、そろそろ時間だ。」
弓矢を手に持った、黒一色の甲冑を身に纏う騎士が“真紅の騎士”に声を掛けた。まだ、幼さが残るその顔は、鋭く、厳しい。

「エル様!申し訳ございません。」
“真紅の騎士”は、アレスセレフという名らしいが、エルと呼ばれるその人に謝罪した。そこで、疑問が生まれた。

「エル?まさか、エル・シュトラディールか!?」
私は、その疑問を口にした。それに応え、エルと呼ばれたその人は、弓矢を背負いながら、私に視線を向けた。

「そうですよ。お初にお目に掛かります、ウルティモア将軍。」

「な!?それならば!」
私は、大剣を振りかぶった。敵の大将が目の前にいるのだ。こんなチャンスはない。しかし、それは打ち砕かれる。夕日を反射させた白刃が、一瞬の赤い光を放って、私の剣を凄まじい力で弾いたのだ。その勢いに、私の大剣は宙に飛び、後ろ3フェルグ(3m)ほどの所に突き刺さった。私は呆然とし、剣を弾いた本人を眺めた。アレスセレフと何度も打ち合い、疲れていたとは言え、そんなにも簡単に剣を弾かれるだろうか。答えは否だ。“大剣のウルティモア”の名は伊達ではない。しかし、現実はそうではなかったのだ。

「行こうか、アレスセレフ。もう、チェルバエニア皇国も撤退する。そうでしょう、ウルティモア将軍?」
彼は、何も持たぬ私にそう問い掛けた。止めを刺そうともせずに。私は、彼の異様な威圧に、何も答えられない。それを気にも留めないように苦笑し、去って行った。

「ご無事ですか!?ウルティモア将軍!」
均衡を破るように、従卒が私の剣を拾い上げて走り寄ってきた。その顔には、驚きと戸惑いが見えた。恐らく、一部始終を見ていたのであろう。私とて、同じ顔をしているに違いないだろうが。

「・・・済まないな。」

「いえ・・」

「撤退する。前に出ているキルマも呼び戻せ。」
考えたいことは、いくつも頭に湧いてくるが、今はそんな時ではない。この戦闘は、負けである。これ以上の被害を出さない為には、統率した撤退行動が必要である。私は、従卒にそう命じて、自分も指揮に戻った。しかし、心のどこかで、この時の事が根を張り、彼を悩ませる事となる。



夕刻
クッカシャヴィー河 左岸
客将 キルマ・トゥテルベルイ


 クッカシャヴィー河の河面を、赤い夕陽が染め上げる中、ラッパの音が鳴り響いた。先ほどより、撤退の指示は飛んではいたが、今度は“急速転進”の意味を含むものである。これ以上の戦闘を避け、撤退せよという意味だろう。
 アトゥスの奇襲により混乱した味方の中で、私は“大元帥”と名乗るアトゥス兵を見逃していた。

「トゥテルベルイ客将、ウルティモア将軍より、右翼の残存兵を纏め、撤退させてほしいと指示がありました。」
一人の連絡兵が、そう言って駆け寄ってきた。すでに本陣近くに戻ってきていた為、この辺りで戦闘は起きていない。しかし、周りには怪我をし、腕や足が無く、血に塗れ、汗に汚れて息絶え絶えの者が多くいた。歩くことすらままならない、そのような感じなのだ。

「トゥテルベルイ客将・・?」
報告に答えず、呆然と見つめていた私を訝しげに、そして、遠慮気味に問い掛けてきた。私はそれに、何でもないように笑って答える。

「いや、何でもない。ケルトには、“了解した”と伝えて欲しい。」
その答えに連絡兵は、「畏まりました。」と答えて去って行った。
私もそれに習い、「自分の仕事をするか」と思い、馬を翻したその時、ふと目に付いた。燃え上がるように赤い色をした夕日が、大海に沈もうとしている。大海と大きな河口が繋がっている為に、それは一枚の絵のように、同じ紙に同じ絵具を零す。その眩しいほどに赤く染め上げられた夕日を後ろに控えさせ、同じく赤く染め上げられた河面の上を渡る騎兵の一陣がいた。ここからそうも遠くない距離である。一陣に掲げられる旗は、“黒地に白い百合”だ。我々を奇襲し、混乱させた一陣が、味方と合流しようと河を渡っているのだろう。見せ付けるばかりのその行動にも、もはやチェルバエニア皇国軍は反応さえ出来ない。
 ふと、その一陣の先頭を走る騎兵が、こちらを見たように見えた。夕日が彼らの後ろにある為、逆光になって、その顔は見えない。しかし、それは私の心を掴んだ。その騎兵はすぐに、前に振り戻って走り去っていったが、私はしばらく、その一点を見つめ続けた。目があった、その騎兵が居た場所を。



アトゥス王国暦358年5月3日 夜
港町 キルノトゥイユ
王子 エル・シュトラディール


 クッカシャヴィー河において、辛くも“勝利”を得たアトゥス王国軍は、河口付近にある港町キルノトゥイユに身を寄せた。キルノトゥイユは、半円形の港湾を持つ大きな港町で、アトゥス王国の海の玄関口と言える。人口は10万人を超え、一日に200隻の船が行き交う事もある。多国籍の人間がそれぞれの持ち寄った商品を売り買い、非常に賑やかで、夜を知らぬ街としても有名であった。
 アトゥス王国軍は、その街の外に陣を張り、軍を再集結させた。エルは、集結後すぐに怪我人の手当と、兵の休息を指示し、軍の主だった将を本陣へと集めた。ほんの数週間前に、アイナェル神殿で“初陣”の話をした者同士が、想像をもし得なかった状況で会い見えたのは、そんな時である。

「エル様・・・」
良く聞いた声が聞こえて、私は振り向いた。多くの諸将が集まる中、一際身体の大きな男が、本陣へと姿を現した。初老と言えるその人の顔は、血と汗で汚れている。しかし、それでもなお、その眼は“大元帥”たる力ある光を放っていた。右腕を赤く染まる包帯で覆い、震わせているにも関わらず。

「ヴァデンス!大丈夫か?その傷は、どうなのだ?血が滲んでいるではないか。衛生兵を呼べ!早く!」
私は、彼の姿に少しばかり混乱していたのかもしれない。矢継ぎ早に、そんな事を口にして、その当の本人に苦笑されてしまった。

「はは、大丈夫でございますよ、エル様。そんなに慌てなさるな。このヴァデンス、かように簡単には死にませぬ・・・。」
この声を聞いた時、私は安堵した。いつもの、彼だと。しかし、彼はその言葉を吐いた後、崩れ落ちるように膝を付き、私に頭を垂れた。

「エル様、申し訳ございませぬ・・・真に、申し訳ございませぬ!」

「・・ヴァデンス。」
ふと、気付いて周りを見ると、ノイエルンが率いてきた兵たちが皆、頭を垂れていた。その首筋を私に向け、地面に擦れんばかりに下げて。この場に立っていたのは、私と私が連れてきた5人の士騎長だけである。

「ノイエルン様を守る事叶わず、不肖の身である我らが生き恥をさらす事と・・・なりました。守るべき御人を守れず・・・“盾”であるはずの我らが残るなど、愚の骨頂・・・真に、真に・・・・」
その続きを、ヴァデンスは言えなかった。肩を震わせ、拳を血が滲むほどに握りしめている。戦場の雄である彼が、こんなに“肩を震わせる”所を見た事がない。よく見れば、他の者も肩を震わせ、すすり泣く声が聞こえる。静寂が張り詰めるこの場は、戦場で雄足らん強者共がすすり泣く声で包まれていた。それは、ノイエルンにとって、鎮魂歌となるものではなかったか。私は、そう思った。視界を滲ませ、胸を熱くしてそう、思った。

「エル様・・我々は、いかような処分も受ける覚悟は出来ております。ご処断くださいませ・・。」
私は、その言葉に抑えていた気持ちを抑えられなくなった。涙が頬を一筋、また一筋と伝い、汗と血に汚れた甲冑を濡らした。頬を熱く感じ、手を目に当てる。手の甲で、涙を拭い、彼らに問い掛ける。

「そなたらに問う。ノイエルン王太子は、そなたらを“盾”として扱ったか?・・・答えは、否であろう!彼は・・兄は、そなたらを“剣”として信頼したのではないか!?違うか?ヴァデンス!」

「・・・左様に、御座います。」
そう言って、彼は、彼らは、大声を挙げて泣き出した。普段であれば、男児たるもの、声を挙げてなくなど許されることではないだろう。しかし、アイナェル神でさえ、この時ばかりは許して下さる筈だ。

 この日、チェルバエニア皇国軍と、アトゥス王国軍とのクッカシャヴィー河を血と汗、憎悪と悲愴に染め上げた戦闘は、後世、“クッカシャヴィー河追悼戦”と呼ばれる。これのきっかけとなった“ノイエルン王太子の死”を追悼した戦として。アトゥス王国に大きな転換点を与える悲劇であるが、その悲劇は、多くの人間に宿っていた光を打ち消すものであったのだ。

「え、エル様!大変です!」
そんな騒がしい声で起こされたのは、ヴァデンス達と泣き明かした次の日の朝である。急くようにジムエルに案内されたのは、一つの大きなテントだ。その中は、無念と悔恨、慙愧の想いで充満していた。部屋の中央に、昨日の夜と同じように頭を垂れるヴァデンスが居た。
ただ、昨日と違うのは、彼は頭を完全に地面につけ、胡坐をかいて座っている事と、彼が座る地面に赤い液体が池を作っている事である。その光景が目に入った瞬間に、私は全てを悟った。あぁ、ヴァデンス・ガルフは、自ら死んだのだと。彼が持つ思いは、私が思うほど軽いものなどではなかったのだ。あのような言葉で、自分を許せる人間などではなかったのだと。私は、許せなかった。まだまだ、甘い自分自身に。そして、“死”を持って罪を償おうとしたヴァデンスにも、同じ思いを抱いた。一瞬の静寂を置いて、私は呟いた。どちらに向かって呟いたのか、自分でも分からないその言葉を。

「この、馬鹿者が。」



第7騎 クッカシャヴィー河追悼戦   完
 
 

 
後書き
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

次回は、「帰還」です。
悲しみは、戦場にいるものと、そうでないものとでも、一様に降りかかる。悲しみにどう相対するか、それで未来が変わっていくかもしれません。そんなお話かも。

ではでは。 
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