恋獄 ― Rengoku ―
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第四話 月下の逢瀬
「そこで何をしているのっ!」
……と言えたら、どんなに楽であろうか。
夜の闇に紛れ、茂みに隠れるゆりは焦燥感に駆られていた。
部屋を飛び出したのは良いが、彼女は和泉のように空手を習っている訳でも、言葉だけで相手を説き伏せる毒舌でもない。
勢いだけで寮から抜け出したことを軽く後悔しているとまた、パシャっとカメラのシャッターを切る音が聞こえて慌てて見上げる。
その先には夜空を仰ぐ青年…梶田祐樹がいる。
彼は四月の新学期に合わせて彼女たちのクラスに転入してきた。
その明るく、物怖じしない性格からか忽ち人気者になった祐樹に心寄せている女子は少なくない。
部活動は入っていないが、前の学校で陸上部だったと誰かが漏らしたお陰で、約一ヶ月くらい顧問やら先輩やらの勧誘が凄かったが、さすがに中間や期末テストが近くなる頃には忙しくなり、今ではそれは薄れつつあった。
問題にすべきは何故その祐樹がこの場にいるかだが、……ゆりには話し掛ける事すら出来ない。
男性恐怖症……とはまた違ったものがこの少女を占めていた。
(でも、このまま隠れている訳にもいかないし…)
既に開花の時期を終わらせたつつじの茂みに身を潜めて何十分経過しただろうか、辺りに聞こえていたシャッターを切る音も耳に届かなくなった。
GW明けになったら生徒指導の先生に言おう……匿名希望で。
「こんな所で何しているの?蓮見さん」
「っ!?」
その場から去ろうと立ち上がった次の瞬間、背後に何かを感じて安堵に緩みきった体を再度固くする。
「おっと、逃がさないよ?俺の秘密見ちゃったんでしょ?」
そう声が聞こえると同時に両腕で左右を塞がれ、身動きが取れない。
この声には聞き覚えがある。
高めのテノールにはどこか甘いトーンがある……梶田祐樹である。
「だっ、誰にも言わないから」
「ははっ……嘘だね」
その場凌ぎで口走ったことをあっさり見破られ、ゆりのパニックは限界に達していた。
「か、梶田君だってこんな所で何をしているの?休みを良いことに、女子寮を盗撮しに来たんじゃないのっ?」
まさか、その被写体に親友がいるかなんて聞けなかった。
もしも、そうだとしても、今の自分には何もできないのだと解っているから…。
しかし、背後の彼は女子寮?と、素っ頓狂な声を上げてから噛み殺すべくもなく笑い声を上げた。
「なっ!?何が可笑しいのっ」
「あははははっ……何が可笑しいって……ぷっははは……おっ、お前、何か勘違いしてない?」
そう言い、笑うのをやめたかと思えば顎を強い力で引っ張られ、無理やり振り向かされる。
「っ!?」
「何?俺が女子寮の誰かのストーカーでもしていると思ったわけ?」
片手だけ樹木に預けたままこちらを見る祐樹に、無意識にかあーっと顔が熱くなる。
それに何を思ったのか、更に顔を近づけてくる。
こんな所を第三者が見たら、誰もが寝静まった寮を抜け出して逢引をしていると見えなくもないだろう。
尤も、自分がこのクラスの人気者である彼に相応しいとは微塵も思っていない。
だが、今は夜だ。
とっくに下りた帳に人工物の灯りは限られている。
唯一、赤を孕んだ月明かりだけがこの宵闇に佇む二人に影を与えていた。
それだけで陳腐なゴシップなどいくらでも捏造できるだろう。
「…俺の秘密、誰にもバラしたりしないよね?」
「……っ」
「………………蓮見」
顔を離すと、恰も何事もなかったかのように実に爽やかに微笑む見慣れた梶田祐樹が今は憎らしく思え、返答するのに幾分か間が空いたのを気づかないはずがなかった。
「わっ、解りました」
不意に、頤を持ち上げ、また距離を詰めてくる彼の顔は実に楽しそうだ。
まるで、新しい玩具でも手に入れた子供のようだ……と思い切れないのがその笑顔にはあった。
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