真・恋姫無双 矛盾の真実 最強の矛と無敵の盾
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拠点フェイズ 4
拠点フェイズ 劉備 関羽 董卓 賈駆
前書き
※注意
筆者は無神論者です。特定の宗教に対する個人的思想はありません。
また、宗教に対して肯定も否定もしません。
霊魂はあってほしいとは思いますが、信じてもいません。
―― other side 梁州国境周辺 ――
宛から上庸へと続く荒野。
本来ならば大陸の中央部、洛陽周辺でもなければ整備された街道などはない。
禿山に近い荒野を、山や谷などを目印にして目的の場所へと向かうのが、この時代の旅である。
だが、梁州は違った。
国境からその風景がガラリと変わるのである。
宛から少し小高い丘を登り切ると、そこにはなにか重いもので平らに整地されたような『道』がある。
馬に乗った兵が十人並んでも余裕があるその『道』に、違和感を覚える旅人や商人は多い。
だが、本当に驚くのはその先にある。
約四十里(二十km)ごとに、道の傍に小さな駐屯地が設置されているのだ。
そこは、約百人は楽に泊まれるような大きな石造りの建物がある。
裏手には井戸もあり、厩舎もあった。
その傍には高い櫓も建っており、一見すると小さな砦のようにも見える。
そして常駐するように兵士が訓練しているのである。
旅人は、道に点在するそうした建物を物珍しく見ながら、整地された街道を歩いて行く。
すると再度驚くのは、その道をすれ違う兵の数とその頻度であった。
街道を歩くと、その道々で必ずと言っていいほど巡回している兵と出会うのである。
慌てて道の端に逸れ、その兵たちに頭を下げようとする旅人もいるが、兵はにこやかに笑って去っていく。
何故にこんなに愛想がいいのかと思うぐらいの気味悪さだ。
だが、そんな兵でも旅人を狙う山賊が出た時は容赦がない。
逃げている旅人を見つけると、すかさず兵たちが走りだし、山賊を成敗しようとする。
普段から鍛えている兵の脚力はすさまじく、ただの山賊相手では全く歯がたたない。
いつしか梁州付近の商人には、まことしやかに囁かれるようになった言葉がある。
『梁州の街道さえ歩いていれば、大陸一安全な旅ができる』と。
街道の安全は、そこを通る商人や旅人を増大させた。
結果として流通を安定化させ、その販路の物流による収益を著しく増大させていく。
梁州の街道における安全性は、大陸随一と呼ばれるようになり、人口の流入も増えていく。
いつしか地方の一都市にしかすぎなかった上庸は、梁州の玄関口となり、その規模を大きく膨れ上がらせた。
それは梁州内の他の街でも同様であった。
特に荊州や南の巴郡への玄関口とも言える巴中は、その物流の中継点として漢中に優るとも劣らぬ人口の増大を見せていた。
人が増えればそこを狙う山賊が増えるのが世の常ではあるが、こと梁州だけはそれが無縁であった。
先述の通り、街道の警備は大陸随一と呼ばれるほどの規模で行われている。
なかでも通常警備の他に、梁州を治める劉備の第二軍主導による『遠征兼訓練』が、近隣の山賊を大いに震え上がらせていた。
月に数度、不定期に行われるそれは、通称『山賊狩り』と呼ばれ、どんなに小さな山賊でも見逃さず、文字通り地の果てまで追いかけるのである。
その凄まじさに、黄巾の残党を含めた山賊の類は決して近寄ろうとはしなくなっていった。
本来ならばそこまでするか、と思うのだが、近隣に山賊が出なくなるかと思えば、今度は荊州や益州の国境付近の深い山奥まで探索するようになり、潜んでいた山賊たちすら狩られていくのである。
全ては力がありあまり、嬉々として毎日百里(五十km)を昼夜構わず走り回る、第二軍の兵達の暴走とも言える行為によるものだった。
主にそれを率いる将軍の無限の体力が、全ての元凶であると言ってもいい。
その行為が更に領内の安全を喧伝させ、また人と物の流通が増えていくのである。
となれば、その安全な街道沿いに人が集まるのも道理であった。
最初は露天、小さな小屋、そしてそれが鈴なりになれば邑として発展していく。
いつしか梁州の街道は、街道市場と呼ばれる小さな集落が点在するようになっていたのである。
そうした梁州の街道を、そこを治める劉備率いる軍が行軍している。
すると、街道周辺を商いにしている商人、そして新しく自らの住処とした集落の邑人たちがその帰還を喜び、讃えながら迎えるようにまでなっていたのである。
「……………………」
その様子を唖然と見ている二人の少女がいた。
並べた馬の上で、揃って周囲の様子を眺めている。
「……なに、これ?」
驚き、目を見開いてその様子を見ている少女の隣で、もう一人の少女が呟く。
その様子を見ていた一人の男が、苦笑するようにその横に馬を進めた。
「……これが梁州。桃香――劉備が治め、人々に笑顔をと願った国ですよ」
男の言葉に、少女たちが信じられない目で男を見る。
「……たった二年。たった二年で、一体どんな風にしたらこんなことになるのよ!」
「え、詠ちゃん、落ち着いて……」
「と、言われても……正直、人の流入に手を焼いているのはこっちでして。この街道のこんな状態も、俺だって予想外でしたよ?」
男が肩を竦めて苦笑する。
と、そこに一人の少女が、小さな馬を操りながら三人の横へと並んだ。
「じゅ、盾二様……また人が増えていませんか?」
「ああ、雛里。みたいだな……連合参加の時にも気になっていたけど、こうも急激に街道周辺に人が増えてきたのは、やっぱり洛陽出る前のあの噂のせいだろ?」
「は、はい……汜水関を単独で打ち破り、献帝陛下すら一目置く存在だと噂されたせいかと……」
雛里の言葉に、盾二が顔を顰める。
「まったく……嫌がらせにしても動きが早すぎだな。さすがは曹操……やってくれるよ、本当に」
「あう……たった二月で、こんなになるなんて……」
雛里の溜息。
その様子に傍で見ていた二人の少女――董卓と賈駆は、互いに顔を見合わせる。
「……曹操が、一体何をしたってのよ?」
「ん? ああ……単純に言えば嫌がらせだよ」
「嫌がら……せ?」
「ああ。今回、献帝陛下の後見を曹操にさせるように動いたからね。その腹いせに汜水関と虎牢関での戦闘で、あることないことを流言でばら撒いたみたいなんだ。しかもかなり脚色した内容で、正に大陸一の英雄みたいにな」
「……それが、どうして嫌がらせになるのでしょう?」
「はい、仲穎さ……いや、月。要は面子の問題なのさ。曹操は俺に功を譲られたといきり立っていてね……だもんで、劉備軍を英雄扱いすることで俺への当て付けにしたってわけで」
「……確かに曹操ならやりそうね。あんた、めちゃくちゃ恨まれているんでしょ?」
「………………」
賈駆の言葉に、苦虫を噛み砕くような顔で答える盾二。
その様子に、横でクスって笑う雛里。
「しょうがないと……思います。噂になっている内容も脚色はありますけど……大まかにはあっているみたいですし」
「ああ……だから文句も言いがたいんだよな。条件に喧伝する条文も入れたのが裏目に出たか……」
「それを見越して、か。曹操ってのもかなりやるわね。アンタの揚げ足取るぐらいのことするんだから」
「あの……詠さん? もしかして、俺になにか含むところあったりします?」
「いーえ? な~にもありはしませんのことよ?」
「………………」
その言葉に、ジト目で賈駆を睨む盾二。
だが、すぐに溜息とともに視線を外した。
「ただでさえじゃがいものことで『梁州に来れば食べるに困らない』なんて言われだしているんだ。こりゃ、早急に人口対策取らないとまずいな……」
「……その噂も本当だったのね」
「まあ、食糧問題は開墾地を増やしているからなんとかなったけどね。それでも無作為に人口が増えればそれが追い付くかどうかの問題もあるし、今度は土地の保証などの利権問題も……むう」
「あぅ……また竹簡に埋もれるんですね」
盾二と雛里がそろって溜息を吐く。
その様子に董卓はオロオロとして、賈駆は肩を竦めた。
「ま、ご愁傷様。せいぜい頑張って働くのね」
「……人事みたいに言っているけど、君もだからね? 詠」
「な、なんでよ! あんた、私と月に……」
「『名前を捨ててもらう以上、お茶汲み兼使用人のような事をしてもらう』と言ったのは、月にだよ?」
「――え”?」
賈駆の顔がギッと固まった。
「当然、天下の賈詡……じゃない、賈駆文和のような有能な人物をそんな風に遊ばせておくわけないじゃないか」
盾二の朗らかな笑顔。
その横にいる雛里は、帽子で顔を隠すようにしてそっぽを向いた。
「だ、騙したの!?」
「うん」
「肯定した!?」
「ははは~冗談だよ~。騙しちゃいないさ。君に対しての対応を話していなかっただけだよ」
「なに、その詐欺みたいな手法っ!」
「君のような卓越した政治能力を遊ばせておけるほど、梁州には余裕はありません! もちろん、将来的には軍の一翼も担ってもらいます」
「ぎゃー!?」
盾二の言葉に叫ぶ賈駆。
朗らかに話す盾二だが、その眼は有無を言わせぬ程本気の眼だった。
「ゆ、月、月! やっぱり涼州に戻ろう!? こんな所いたら私たち、ボロ雑巾のように捨てられちゃう!」
「え、詠ちゃん……それはないと思うけど」
「そうだよ~詠。捨てるなんてとんでもない。ちゃ~んと最後までこき使いますとも。な、雛里?」
「ええと……その………………………………………………あぅ」
「ああああああああっ! 否定しないしっ!?」
頭を抱えて騒ぐ賈駆。
その様子を不審に思った一人の少女が、四人の元へと馬を走らせてきた。
「盾二様? どうしたんですか?」
「ああ、朱里。喜べ、詠に内政をやってもらうことになった」
「ちょっ!? 私まだ――」
「本当ですか!? ぜひお願いしますねっ!?」
「――――ぁぅ」
満面の笑みで朱里が喜ぶ。
「雛里ちゃん、雛里ちゃん! これで月に一度くらい休めるよ! 二日に一度くらいぐっすり寝られるかも!」
「う、うん…………ご飯をちゃんと食堂で食べる時間も作れるね、きっと」
「……………………アンタ、一体どれだけ二人をこき使ってんのよ」
賈駆のジト目に、思わず目を逸らす盾二。
「あ、そうですよ! 私たちより盾二様こそ寝る時間を増やしてください! 七日間で寝たのがわずか一刻(二時間)とか、食べた食事がわずか八食とかはもうやめてくださいね!?」
「主の方が、二人以上にこき使われてる!?」
「いや、まあ……ワーカーホリックの日本人だからというか、さ。寝る時間も、移動中に馬の上で仮眠取れるし……」
「ちゃんと寝てください! だから愛紗さんの手料理で気絶したりするんです!」
「いや、あれは……関係なくね?」
「「 …………………… 」」
盾二と、その臣二人の漫才のようなやりとりが続いている。
呆然とする賈駆とその肩を励ます董卓は、それを見ながらそろってこう考えていた。
『私達の地獄は、これからだったのかも』と――
―― 劉備 side 漢中 ――
梁州に入って数日後、ようやく漢中へとたどり着きました。
ほぼ三ヶ月空けていた自室で、ゆっくりと体を休めた翌日。
私はその部屋に入ると、思わずそのまま振り返って部屋を出ようと――
「どちらにいかれるのですか! すぐに取り掛かってください。時間がないのですよ!」
あう……愛紗ちゃんに引き止められた。
思わず溜息が出てしまう。
「……気持ちはわかりますが、諦めてください」
「……うん。わかってます……」
開けかけた扉を閉め、再度振り返る。
そこにあったのは――机の上に乗りきらず、床の上から天井まで届きそうな……竹簡の山。
「……愛紗ちゃん」
「お気持ちはわかります。ですが、ご主人様や朱里たちは部屋を埋め尽くす程の量をこなしています。諦めてください」
とほほ……
「……うん。がんばるよ! ご主人様に負けられないもんね!」
「はい。それに今日は午後から予定通り……」
「……うん。そうだね」
そう。
今日の午後には大きな行事がある。
「馬正さん達の……葬儀があるんだもんね」
―― 一刀 side ――
「えーと……戦没者の数は、これで全部?」
「はい……行方不明を除いて死亡が確認したものだけですが。本来は、仮埋葬や風葬して白骨化してから再度埋葬したりするのですが……」
「ああ、うん。盾二が日本の……天の流儀で火葬して骨を骨壷にしたからね。それがあの棺に入ってる」
「……確かに、この方法ならば多くの兵の骨を持ち帰れました。家族も泣きながら感謝しておりました。そして将軍と共に葬っていただけるなど恐れ多いとも……」
「……そっか。ご苦労様」
苦笑した俺の言葉に、その兵は拝礼して仕事に戻っていく。
俺は、その場に並べられた花々を見ながら目を伏せた。
「きっと盾二じゃなきゃ、こんな大掛かりな葬儀もしたかどうか……」
本来の歴史でも、三国志の頃なら将軍クラスであった馬正の葬儀はしたかもしれない。
でも、盾二は馬正だけでなく、戦没した兵士の葬儀も等しく扱うようにした。
その家族に恩給も出し、こうして梁州を護った英霊として祀ったのである。
「……盾二はただの自己満足だっていうけどさ。それでも皆、やっぱり感謝しているんだぜ……」
自分の家族が死ぬ。
それが将軍だろうが、ただの兵だろうが、一つの命に代わりはない。
命の軽いこの時代でも……いや、だからこそ、だ。
それを真摯に受け止めて葬儀を行うことに対して、誰が文句を言うだろうか。
二千年後の擦れた人間なら、否定する者もいるかもしれないが……
(今後の歴史を考えれば、こんな葬儀が出来る機会はもうないかもしれない。だからこそ、今出来る人に対してはやりたい。うん……気持ちはわかるさ、盾二……)
かつての戦時中の各国のように、共同墓地に名前だけの墓を作っていたのだろうか?
いや、この時代ならそれすら行われていなかったのだろう。
兵として死ぬということは、屍は野辺に朽ち、名前は風と共に消えるのがこの時代の『普通』なのだろうから。
(こんな時代に俺は今居て……盾二は、そんな時代に俺を庇って二年も一人で生きてきた)
劉備さんや関羽さん、張飛さんや趙雲さん……孔明ちゃんや鳳統ちゃんと出会ったとはいえ。
そんな英傑たちと親しくなって、居場所を作ってきた。
もし俺が一人で放り出されていたら……そんなことが出来ただろうか?
(というか……あんな美少女たち相手じゃ、俺なんか萎縮しそうだけどなぁ)
三国志の英傑たちが、見目も麗しい少女になっているこの世界だ。
やりにくくてしょうがなかったように思える。
その意味じゃ、アーカムでも年上の女性に好かれまくった盾二が居たことは、幸いと言えるかもしれない。
(いやいやいや。俺だってその気になれば……たぶん、きっと……その、だったらいいなぁ)
トホホ……自分で考えていて悲しくなってきた。
童貞の俺には、彼女たちに囲まれた未来が全く想像できない。
(そもそもなんで盾二ばっかり好かれるのかな……俺だってそんなに負けてないと思うんだけど)
思わずその場でニヒルに格好つけてみる……駄目だ、鏡がないと確認できん。
(盾二は完璧そうに見えて、実は泣き虫で脆い部分もあるし……結構自分勝手に物事を決める部分もある。決して完璧超人ってわけじゃないしな……なんでモテるんだろ?)
まあ、責任感は強いし、基本真面目で一生懸命で無茶するからなぁ。
いろいろ背負いすぎるのは、見ていて危なっかしいところもあるんだけど。
(そういや、ティアさんも盾二は絶対女の子にもてるって言っていたな。俺には微妙とか、庇護欲はあるとか言われたけど……)
何故かは教えてくれなかった。
それが分かれば、俺でもモテるのかな……?
(あと、盾二は御神苗先輩に似ているとかジャック先輩が言っていたっけ。俺や大槻はそんなことないって言ったら、盛大に呆れられたけどな。まったく……意味がわからん)
あの二人に共通する点か……むっつりスケベ?
いやいやいや……女に奥手ってところか?
御神苗先輩も、実は結構モテるらしいしな。
トレジャーハンターの染井吉野とか、古代言語の天才、山菱理恵教授とか……
「うーむ……わからん」
「は?」
「へ?」
思わず呟いた言葉に返答され、周りを見る。
すっかり忘れていたが、ここは葬儀の設営中だった。
俺は設営の兵達の胡乱げな視線に耐え切れず、その場から逃げ出した。
―― 関羽 side ――
朝――日も昇らぬ内に目覚めた私は、大きく伸びをして窓の外を見る。
ようやく明るくなりだした紫の空を見ながら、昨日の事を思い出していた。
反董卓連合での戦いにおける、戦没者達の合同葬儀。
それはご主人様の天の葬儀の形式を取り入れたものだった。
『本来なら仏教式がいいんだけど、この時代には仏教が伝来してないから……』とのこと。
なんのことかはよくわからないが、お経というものを唱えるのが正式だと言っていた。
やったことは骨が納められた幾つもの棺の前に、香りの出る木の粉末を平皿の上に置いた火のついた炭の上に降りかける、というもの。
これは巴郡からの輸入品の中にあった、沈香というものらしい。
この香りを嗅いでいると、心が安らいでくるから不思議だ。
そして合掌して頭を下げ、死んだ者に安らかに眠るように祈る。
これが作法らしい。
試しにご主人様と兄君である一刀殿がやった所作に、私を始め皆が圧倒された。
その所作が、何故か美しいと思えたのだ。
今回の葬儀に参列した者から、今後梁州の葬儀は天のやり方でやりたいという話も出ている。
鳥葬や風葬が主流だった葬儀は、今後火葬を含めた葬儀になっていくかもしれない。
そして漢中から数里離れた場所に、共同墓地が急遽立てられることになった。
今後、戦没者はそこで祀られ、葬られるとのこと。
戦没者の魂魄は、その骨が大地に埋められることにより梁州を見守るという考えらしい。
そんな話をしたご主人様に対して、一刀殿は『お前は新興宗教の教祖にでもなるのか』とおっしゃっていた。
どういう意味だろうか?
ご主人様は、『そういうのが信じられている時代なのだから、しょうがないだろう。宗教が国教にならないようにする必要はあるけどな。大陸十字軍なんて俺も嫌だ』と苦笑しておられた。
ご主人様の深慮遠謀は、私などの理解の外なのかもしれない。
ただ、葬儀の後。
共同墓地に建てられた、馬正殿のみの墓石。
その墓石の前で跪き、改めて手を合わせて眼を閉じたご主人様の姿に…何故か涙が溢れてしまった。
それは桃香様も鈴々も……朱里や雛里すらも同様だった。
あの星ですら顔を伏せ、誰にも見られないように涙を流していた。
何故かはわからない。
それでも私は……何故かそれを恥とも思わなかった。
それが正しいと、理由は分からないが確信できた。
その場にいた全員が、それぞれ同じように手を合わせて馬正殿を想った。
そして私は、馬正殿に誓ったのだ。
馬正殿に成り代わり、この梁州を、ご主人様と桃香様のお二人を、身命を以って護ると。
「……ん? 朝日、か……」
窓の外からの光で夜明けに気付く。
どうやらずいぶんと時間が経っていたようだ。
これでは早起きをした意味が無いな……
「さて……急いで支度をして桃香様の仕事を手配せねば」
今日もまた、忙しい日が始まるのだから――
―― 董卓 side 盾二執務室 ――
「えっと……おはようございます。ご主人さ――」
「貴女までそれを言いますか……」
えっと、なにかまずかったのでしょうか?
「皆さん、盾二様のことをご主人様とお呼びしていますので……」
「いや、別に俺が強制しているわけでもないんですが……というか、俺自身はむしろ名前で呼んでいただけると、とても助かります。主に、精神的に」
「へぅ……ですが、私は使用人ですし。お願いでなく、むしろ私にご命令していただいた方が……」
「いや、ですから、ね?」
「それに、使用人に敬語はどうかと思うのですが……」
「いや、ですから……そんな目で見られても……ああ、うん。もう好きにしてくだ――くれ」
?
私がご主人様をじっと見ながら尋ねると、ご主人様は疲れた声で溜息を吐かれました。
昨夜からご主人様は、ずっとこの執務室でお仕事をなさっていた様子です。
かなりお疲れのようですが……お休みになられていないのでしょうか?
「はあ……改めて月さ――月。君には董卓仲穎の名前を捨てて頂いた訳だが……そのことに後悔はあるかい?」
「えっと……いいえ。私はもうただの『月』です。それ以上は望みません」
「……そうか。洛陽を出る前に聞いた家族への書簡は、確かに届けた。もしこれからも連絡を付けたかったら俺……いや、朱里か雛里に言ってくれ。必ず便宜を図るように申し伝える」
「はい……過分なご処置、本当にありがとうございます」
「いや……正直、君をこんな状況に追い込んだ責任は俺にある。名まで捨てさせたのだからな……」
……お優しいのですね、ご主人様。
「そんなことありません。詠ちゃんも霞さんも華雄さんも、恋さんだって……みんなを巻き込んだのは、私のせいですから……」
私が張譲さんを受け入れなければ。
私が献帝陛下を受け入れなければ。
汜水関や虎牢関で、兵のみなさんを死なせることはなかったのですから……
「……ごめんな」
「……? ご主人様……?」
ご主人様は、私から目を逸らしてそう呟きました。
何故、ここまでご主人様が私に謝るのでしょうか……?
霞さんと誼があり、桃香様を梁州牧には推挙した恩を感じてでしょうか?
ですが、あれは黄巾の時の正当な恩賞ですし……それについては、私よりむしろ詠ちゃんの尽力でしたし……
「……ご主人様。私はむしろ、これでよかったと思っていますよ?」
「え?」
「詠ちゃんがいなかったら、私はきっと一族に殺されていたかもしれませんけど……それでも自分の才覚以上に過分な地位になってしまったと思っていましたから」
「……一族に? そういや君は董太后の外戚でもあったな……」
「……本当にそうかは分かりません。周囲はそうだと口を揃えていましたけど、董太后様のことは周囲に言われるまで全く知りませんでしたので……」
お父様もお母様も、董太后と自分たちの血が繋がっていることに半信半疑でした。
ですが、周囲はそれを信じて喧伝し、一族の地位をあげようとしていました。
そして親族たちは、董氏の家督を奪おうとしていたのです。
幼なじみの詠ちゃんがいなければ……その親族たちに、私も家族も殺されていたかもしれません。
詠ちゃんは、親族たちが西の蛮族である胡と共謀して攻め込んできた時に、策を講じてそれを撃退しました。
その功績を全部私の成果として、当時并州刺史だった段珪さんに報告しました。
御蔭で私は、中央の役所に推挙されて立身が叶ったのです。
それは、私を追い落とそうとする者たちへの牽制としての手でした。
でも、そのことが陛下を連れて逃げてきた段珪さんの……要請を断れない要因となってしまったのは、因果というしかないのかもしれません。
「……災難だった、な。すまない、こんなことしか言えなくて……」
「いいえ……全部、状況に流されてきた自分のせいですから」
そう……いろんなことを詠ちゃんに任せておいて、私は誤った決断ばかりしたような気がします。
全部、私自身のせいなのに……
「……そっか。詠は……君にとって無二の親友なんだな」
「はい。私は詠ちゃんに救われました。だから私も、詠ちゃんのためにできることをしたいと思っています。でも、私はいつも詠ちゃんに迷惑をかけてばかりで……」
「今回、俺の提案に乗ったのはもしかして……詠の為かい?」
「はい」
私は、すぐにそう答えました。
あのままだと、きっと詠ちゃんは私の身代わりに自分が死ぬと言い出すと思いました。
私を逃して、自分は私の代わりに『董卓』として死ぬ道を選ぶ。
きっと詠ちゃんなら……そうして私を逃がそうとすると思ったから……
だから華雄さんが連れてきた馬岱さんと趙雲さん、そして鳳統さんを献帝陛下に引き会わせました。
詠ちゃんの反対を遮ってまで。
もし、彼女たちが献帝陛下を害するなら……私自身が盾になるつもりでした。
私が死ねば……詠ちゃんだけは、助かったはずです。
「詠ちゃんに死んでほしくありませんでした……私の為に、詠ちゃんはいつも苦労してきました。だから私の命に変えてでも、詠ちゃんを助けたかったのです……」
「……だってさ。そこんところどう思うんだ? 扉の外にいる誰かさんは」
「えっ!?」
私は思わず、背後の扉に振り向きました。
その扉を凝視していると、おずおずと開かれていきます。
そこにいたのは――詠ちゃんでした。
「詠、ちゃん……」
「……ぐすっ。月の馬鹿、馬鹿ね……月はボクの……ボクのことなんか……気にしないでいいのに……」
「えいちゃぁん……」
「ゆえぇぇぇ……」
詠ちゃんと抱き合いながら涙が溢れます。
「ゆえ……ぐすっ、月の為なら、ボクはいつだって、死んでもかまわないっ……月がいない世界なんか、ボクにとっては何の価値もない! だからお願い……ボクの、ボクなんかの為に、死ぬなんて言わないで……」
「詠ちゃんっ……ひっく、ダメだよぅ……死ぬなんて言わないで……私、詠ちゃんが死んじゃったら、私も生きていたくないよ……詠ちゃんと一緒に……いつまでも居たいよぉ……」
「月……ボクも一緒に、月と一緒にいたいよ……月ぇ……」
詠ちゃん……ぎゅっと抱きしめる詠ちゃんのぬくもりが、とても暖かくて……嬉しい……
「あー……こほん」
「へぅっ!?」
あぅ……ご主人様がいるの、忘れていました……
「あーそのー……一応ここ、俺の執務室なんで……」
「へぅぅ……」
「ぐすっ……気を利かせなさいよね、馬鹿っ!」
「……………………」
顔を真っ赤にして照れる詠ちゃんの言葉に、ご主人様は頬を掻きながらあさっての方を向きました。
「……ま、ともかくだ。互いに想いやっているのだから、お互い死なないように努力したってことでいいんじゃないか?」
「あっ……はい。そうですね」
「……ふんっ。言われなくても月はボクが護るのよ!」
詠ちゃん……その言葉は嬉しいけど、命が助かったのはご主人様のおかげだよ?
そんなこといっちゃだめだよぅ……
「まあ、今後も月を助けると思ってさ。政務に励んでくれよ、詠」
「うっ…………………………しまった」
がくっ、っと頭を垂れる詠ちゃん。
くすっ……がんばって、詠ちゃん。
私も手伝うから……
「ああ、ちょうどいいや。二人の名前だけどさ」
「……なによ?」
「いや、真名だけだと文官や兵が名前呼べないだろ? だから偽名を使ったらどうかなって」
「へぅ……偽名、ですか?」
確かに使用人という私ならともかく……詠ちゃんが政務もやるなら、名前は必要かもしれません。
けど、私達は名前を捨てたのですから……
「とりあえず名前の候補があるなら聞くけど……詠はなにかある?」
「特にないわよ。好きに呼べばいいじゃない」
「そう? んじゃ賈詡で」
「はぁっ!? それじゃ偽名じゃないじゃない!」
「いや、賈詡だよ、賈詡! 『賈駆』じゃなく、『賈詡』! 同じ読みで文字が違えば別人となるだろ? あ、字はなしにしておけば華雄と同じでいいか?」
「ちょっと! あんな単細胞馬鹿と一緒にしないでよ!」
へぅ……詠ちゃん、それはひどいよ……
「なんなら郭嘉にでもしておくか? あ、いや……これは居そうだからまずいか」
「読みどころか字も違うじゃない! もういいわよ、賈詡で!」
「んじゃそれで」
賈詡……賈詡かぁ。
詠ちゃんの名が変わったけど、呼び名は変わってないからいいよね?
「で、月だけど……希望はある?」
「へぅ……私は別に真名のままでも……」
「だめよ、だめ! 兵に月の真名を呼ばせたり出来ないわ! なんでもいいから偽名つけて!」
「へぅ……」
「ん~さすがに月の場合だと、読みだけでなく姓も名も変えた方がいいだろうなぁ……」
偽名、偽名ですか……
あ、ちょうどいいのがありました。
「じゃあ、私はトントンで」
「「 トントンっ!? 」」
ご主人様と詠ちゃんがびっくりしています。
へぅ……なにかおかしかったでしょうか?
「ちょっ、まっ……それはさすがに」
「ちょっと月! それって子どもの時の……」
「うん。お忍びで街に出た時に呼んでいた名前。いいよね?」
「い、いいよねって……月、さすがにその歳でその名前は……」
え?
だめ……かなぁ?
「あー……えーと………………ま、まあ、その名前なら、間違っても月を『董卓』だとは思わないだろうけど……本当にいいの?」
「はい。トントンでお願いします」
「ゆ、月…………さすがに私もどうかと思うけど…………」
へぅ……そんなにおかしいかなぁ?
トントン、かわいいと思うのですけど……
「あー…………………………………………わ、わかった。皆にそう伝えることにする。詠は賈詡、月は……………………トントンで」
「はい!」
「あああああああああああ…………………………ゆ、月ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………………」
へぅ……どうして詠ちゃんは泣いているのでしょうか?
後書き
まずは補足部分の拠点フェイズです。
反董卓の章の後始末に近いです。
まだまだ補足が足りないので、数話はこんな感じでいくと思います。
思ったより時間が取れるようになってきましたので、週1ぐらいには持っていきたいと思っています。
※タイトルに関羽を付け加えました。
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