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星の輝き

作者:霊亀
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第31局

 恒例となった、塔矢家での勉強会。だが、今回はいつになくピリピリとした緊張感が漂っていた。
 原因は緒方だ。明らかにイライラとしていて機嫌が悪かった。いつも以上に険しい目つきだ。
 芦原と対局していたあかりは、緒方の様子を横目にこっそりと声をかけた。

「ねえ、芦原さん。なんか、緒方さんすっごく機嫌が悪そうですね」
「そうなんだよ。ついこの前、碁聖戦の挑戦者決定戦があってね。桑原本因坊相手に、見事に負けちゃったもんでね…」
「あー…、なるほど」
「まったく、迷惑なもんだよ。まあ、勝てば塔矢先生に挑戦できる大事な勝負だったことは確かなんだけどさ。負けちゃったもんは仕方がないのにねえ。すねちゃって、まぁ」

 抑えたつもりの芦原の声だったが、しっかり周囲には聞こえていた。思わずこぼれる笑い声に、笑われた当人の怒りは高まった。

「…芦原!」
「うえっ!あ、ほら、藤崎さん、そこはハネちゃだめさっ!ノビないとっ!」
「あ、え、あ、そうですよね、ノビですよねっ!」
「ハハハ。まぁ、緒方君もそろそろ落ち着くといい。確かに残念な結果だったが、いい碁だったじゃないか。そうだな、この辺でいったん休憩にしようか」
「…芦原、覚えておけよ」
「あ、お茶入れてきますねー」
「あ、逃げた。でも、緒方先生なら、きっとすぐに次のチャンスが来ますよ」
「ありがとよ、進藤。まったく、子供に慰められるとは。まだまだだな」
「でも、緒方先生みたいにすごい人でもタイトルに挑戦するのさえ難しいんですもんねぇ。やっぱり塔矢先生はすごいんだなぁ」

 奈瀬が思わずつぶやいた言葉に、緒方は大きく頷いた。

「そうさ。ほんの一握りの選ばれた者達だけがたどりつける頂だ。まさにもう一歩のところまで迫れたんだがな…」

-この者の力であれば、たどりつくのはそう先のことではないでしょうね、ヒカル。
-そうだな、佐為。緒方さんなら、間違いない。

「さ、お茶ですよー」



「そうだ、塔矢先生、お知り合いに、古美術関係に詳しい方っていませんか?」
「古美術関係?」
「ええ。ちょっと気になるものを見つけたんで、詳しい人に確認してほしいんですよ」
「進藤君は古美術に興味があるのかね?」
「いえ、たまたま見つけたお店で見かけた花器なんですけどね、前に図書館の本で見た物と似てる気がして」

「柿?何で古美術で柿?」
「…芦原さん、果物じゃないよ。花の器って書いて花器ね」
「……」
「そうだな。囲碁の道具の手入れを定期的に頼んでいる店がある。そこは古美術品も扱っているから、そこの主人なら詳しいのではないかな」
「へー。囲碁の道具ってそういうお店に頼んだりするんだー」
「ああ、藤崎さんは知らないんだ。たとえば、碁盤の盤面とか何十年何百年と使っているとかすれてしまうんだ。それ、漆で線引きするから、専門の業者を経由して頼むんだよ」
「へーっ!これ漆なんだ!」
「お、花器も知らなかった芦原が、ずいぶんえらそうだな」
「あ、また緒方さんはすぐそうやって!」
「アキラなら知っているな。今度進藤君を紹介してあげるといい」
「あ、はい。分かりました。進藤、案内するよ」
「ああ、頼むな」

-慶長の花器のことですね、ヒカル。
-ああ。あのままにしておくわけにはいかないからな。

 江戸初期の慶長時代、天才作陶家と謳われた弥衛門。彼が残した数々の作品は、今もなお多くの愛好家達にとって垂涎の品だ。そんな弥衛門が残した作品の中でも、真骨頂といわれるのは花器。形には品があり、藍色の冴えは素晴らしいものがあった。
 そんな花器の中でも、幻の一品と呼ばれている物があった。かつて、佐為が秀策とともに京の御所へ囲碁指南に(おもむ)いた際に目にしたその花器と、ヒカルは以前の世界で偶然に遭遇していた。佐為にとっても大事な思い出の品であるその花器、ヒカルはこの世界でも何とかしようと思っていた。
 
 そして、つい先日、以前の世界と同じように店の主人を口車に乗せて、花器を入手すること自体には成功していた。(ガマ蛙顔におびえる佐為が非常に邪魔だった…)
 しかし、以前の世界で出会った本来の持ち主の女の子とは、遭遇することができなかったのだ。詳細な日時までは記憶に残っていなかったためだ。当時騙されていた男性もいなかったので、どうやら以前とは別の日だったようだ。そのために、まだ花器を本来の持ち主に返すことができていなかったのだ。
 貴重な品物であるだけに、このままにしておく訳にもいかなかった。
 そこでヒカルは考えたのだ。有名な作品であれば、その道のプロであれば持ち主などの情報もあるのではないかと。祖父ではどうもあてにならないと判断したヒカルは、塔矢名人に伝手を頼んでみることにしたのだった。


 そして、アキラの案内で紹介された店主は、まさにヒカルの期待通りの人物だった。古美術愛好家としても有名な人らしく、その業界ではかなりの重鎮とのことだった。彼は、弥衛門の幻の作品とまで言われた花器が半年ほど前に盗難にあっていたことも聞き及んでおり、それが無事に発見されたことを我が事のように喜んでくれた。そして、自分の責任で間違いなく本人に返却すると約束してくれた。
 塔矢名人の紹介で、人柄的にも信頼できると判断したヒカルと佐為は、花器を預ける決断を下した。正直、どれだけの価値があるかわからないものを、これ以上素人の自分が持っているのが怖かったというのも理由の一つだったが。


 若獅子戦が倉田プロの優勝で幕を閉じ、迎えた塔矢家勉強会。その日は、驚きの出会いが待ち受けていた。

「進藤君、先日道具屋の主人より連絡があってね、君が預けた花器は無事に持ち主の手に戻ったそうだよ」
「あ、本当ですか!ありがとうございます!」
―よかったですね、ヒカル。

「道具屋の主人はえらく感心していたよ。若いのにずいぶんと物を見る目があると。しかも、価値を知ったうえで、持ち主に返却しようだなどと、立派な心がけだと」
「いやー、そんな大したもんじゃないですよ。オレが持ってるよりきっと元の持ち主のほうが大切にしてくれると思いますし」
「へぇ。塔矢先生、そこまで大した品だったのですか?」
「ああ。道具屋の主人によると、とても値段などつけられないもので、いずれ国宝に指定されてもおかしくないだけの品だそうだ」
「な!?…驚いたな、進藤、よくそんなものを見つけたもんだ」
「えっ!ヒカルが持ってたあのお皿、そんなにすごい物だったの!」
「へー、見てみたかったなぁー」
「たまたまですよ、たまたま」

 何気なく問いかけた緒方は、まさかそこまでのものとは思ってもおらず、非常に驚いた。それだけの物を持ち主に返却して何の屈託もないヒカルの様子を見て、改めてこいつは大物だとの思いを深めた。
 
「しかし、惜しいな。それだけの品なら俺も見てみたかった」
「私もそう思っていたよ、緒方君。今日ここにいる皆は幸運だったな」
「と、おっしゃいますと?」
「うむ。本来の持ち主が、ぜひとも進藤君にお礼を言いたいということで、今日こちらに見えることになっているのだよ。その際、私が花器を目にしていない事を告げたところ、快く見せていただけることになったよ。私としても非常に興味深い」
「おお、それは嬉しいですね」
「わー、私も見たかったからよかったー!ふふふ、こんな日にいないなんて、芦原さんも残念ね」
「ほんとにな。あいつは日ごろの行いが悪いんだろうな」

 今日は不在の芦原をネタに盛り上がる皆の様子を眺めながら、行洋はどこかいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

「あなた、お客様がいらっしゃったわよ」
「ああ、明子、ありがとう。私が迎えに行こう」

 行洋が自ら出迎えに行くことに軽い驚きを浮かべるのは、緒方とアキラだ。2人はどうやらかなりの大物が来たらしいと悟った。

「こちらです。どうぞ、桑原先生」
「ふぉふぉふぉ、お邪魔するよ」

 囲碁界のトップの一角、桑原本因坊の登場に、室内のだれもが驚愕した。 
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