あさきゆめみし―黒子のバスケ―
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花 その四 「春」を忘れないで…
『もう直ぐ早苗も高校生…、時が経つのは早いものね』
『高校生って……。まだ気が早いって………………まだ合格するか、解らないんだしっ』
『解るよ。あんたは絶対、受かっているよ』
『?そう、かな』
『そうだよ。入学式には……絶対、ばーちゃん行くからね』
『本当っ!?』
『……ああ。約束、だよ』
……だが、それは叶わなかった。
誠凛高校には、あれから一週間後になって初めて登校した。
本当は四十九日が終わるまで……いや、それ以降も引きこもりを続行する気満々だったが、さすがにそれを許さなかった両親に布団を引っぺがされ、至極居心地の悪い教室でずっと机に突っ伏していたっけ。
…………あんなに夢見ていたはずの高校生活なのに…こんなに息苦しいなんて。
机の中に手を何気なく入れた時、指先に教科書とは違う何かが当たった。
中から出してみると、今までの連絡のものの裏にこれ見よがしに部活の勧誘の紙が何十枚もあった。
職員室で初めて顔合わせした担任が余計にも用意したものかもしれない。
『貴女は、独りじゃない』
『誠凛はこんなに貴女を必要としている』
担任の声が聞こえた気がして思わず、それをぐしゃりと丸めた。
………………放っておいてほしい。
部活なんてやる気にはなれなかった。
……何をしたって、祖母のことを思い出してしまう。
最後一枚を丸めようと手を伸ばして一瞬、思考が停止した。
それはあんなに切望していた文芸部のチラシだった。
出身中学にはそう言う部活動はなく、高校に入学したら絶対入ろうと決めていたのが随分懐かしく感じた。
『お前は本当に引っ込み思案で……ばーちゃんはそれが心配でしょうがないよ。けど、その分、何かを伝える力はあるとばーちゃんは知っているよ』
―――………………。
以前、彼女が言っていたことが脳裏を過ぎる。
たくさんの同級生たちの中から卒業生代表の言葉に選ばれた時は嬉しかった…。
保護者席で聞いてくれていたおばあちゃんも……笑って喜んでくれたっけ。
『すっ……すみませんっ。……にゅ、入部したいのですがっ』
そのまま吸い込まれるように紙に書かれてある部室に行き、そのままずるずると在籍し続けて約一ヵ月後、退部届けを出した。
誰もいない部室にこの赤いノートを置き去りにしたはずなのに…、何故、黒子が持っていたのだろう。
「去年の学園祭に行った時に、そのノートを見つけて…誰かの忘れ物かと思って中を見たんです」
これには所有者の名は記していない。
誰が見ても言いように予め書かないようにしているのだ。
「部誌とはまた違う世界観があって…思わず引き込まれてしまいました」
じゃあ、何故、この少年はこれが自分のものだと思ったのだろう?
「やっと会えました」
不意に微笑まれ、思わずドキッとしてしまう。
想像するのと現実で見るのでは訳が違う。
「で、でも、……私にはっ」
「去年の学園祭で部員の人たちが渡辺先輩のことを話していたのを聞きました」
その声に、一気に……周囲の色が褪せていくのを感じた。
彼女のことを差し置いて自分の趣味に走ってしまったことを笑いに来たのだろうか。
「僕はまだ身近な、それも大切な誰かを失ったことはないので、言葉に重みがないのは解ってます」
「けれど、今、先輩がしていることは本当に貴女自身が望んだことですか」
「っ!!」
違う、と今にも叫び出してしまいそうになるのを何とか堪える。
そうでもしなければ、自分を閉じ込めて置けない気がした。
これも、赤いノートを手にしている所為だろうか…。
「僕は本を読むことはできても、書くことはできない。でも、渡辺先輩はそれができるのに逃げるんですか」
「違うっ!私の書いた稚拙なものなんて誰も読まないっ。誰も、私がまた書くことを望んでいないっ」
自分自身でも、充分理解していたことを突きつけられ、咄嗟に滑った口を掌で押さえても遅かった。
今思えば、誰かにこんなことを大声で言ったことは一度もない。
ふわりと優しい風が頬を撫ぜたのと同時に、一筋の涙が弓を描いた。
もう枯れてしまったとばかり思っていたのだが、どうやらそれにはまだまだ達していないらしい。
これからもいろんな悲しいことを乗り越えていかねばならない。
……祖母のいない世界で。
「泣かないで下さい」
差し出された白いハンカチには、一点の汚れもシワもない。
ありがとう、とそれを受け取ってから途端に恥ずかしくなる。
今日は情けない所を彼に見せてばかりいる。
でも、だからこそ、解ったこともある。
素朴で、誠実。
……それでいて真っ直ぐで、とても熱い。
『あっ、ごめんなさい』
『っ!?……いえ』
熱心に本を読んでいた黒子にすれ違い様にぶつかってしまった早苗よりも驚いていた顔は当分、忘れられそうにない。
今まで衝突事故を起こしたことはないのだろうか?
「渡辺先輩が初めてなんです」
「………………僕じゃ、ダメですか」
少し恥ずかしそうに笑う彼が眩しくて、それまで溢れていた涙も止まった。
「僕に気づいたのも………………こんな、気持ちになったのも…」
今では明らかではない彼の時世の句を敢えて祖母が残したのは自分へのエールだったのかもしれない。
二つの人影が一つに重なったのは、もみくちゃにされて下校してくる新誠凛高生にも、町行く誰一人の目にも入らなかった。
――― 完 ―――
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