星の輝き
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第30局
部室の廊下では、伊藤の同級生で2年の小島と、ヒカルを連れてきた1年の奥村がこそこそと言葉を交わしていた。
「そろそろ進藤は苦しんでるかな」
「目かくし碁はいくら進藤でもキビシイっスよね」
彼らもまた、この悪巧みにつるんでいたのだ。もともと伊藤と仲のいい小島は、伊藤同様に進藤と塔矢が気に食わなかった。そして、お調子者の奥村は先輩2人と話をすることが多く、うまく二人に乗せられていた。伊藤の計画を聞いて、これならいけると踏んだのだ。
「先輩が進藤の両手両足を縛るって言うから、何をするかと思ったんですけど、さっすがですねぇ」
盤面を見ないで碁を打つなど、できるわけがない。小島も奥村もそう思い込んでいた。実際に目隠し碁を行った場合どうなったかは不明だが、それでも、伊藤たちの想像以上の対局になったことであろう。そして、現実はさらに予想の斜め上で行われていたのだが。
「さて、次はオレだ」
「ちょっと早くないっスか?」
「進藤のあえいでる姿を見たいしさ」
小島はそういいながら、部室の扉を開け、中に入った。
「おい、進藤。オレと1局…」
部室の中の様子は、小島の想像とは真逆だった。うなだれる伊藤に、平然と雑誌を眺める進藤。思わず伊藤に駆け寄り、盤面を覗き込んだ。
「これは…。大差の中押し負け……。手数が普通の半分だ……」
「2人目がいるとは思わなかったよ。打つんならさっさとしてね、先輩」
-そうか…。互先で勝負するもんだから、あっけなくやられてしまうんだ。手数が少なければ、目かくし碁も不可能じゃない…。
小島はこんなことを考えていたが、なんてことはない。ただ佐為の圧倒的な力の前に伊藤が玉砕しただけだ。普通のアマチュアが、佐為と互先で勝負になるわけがなかった。
-まだまだ未熟ですねぇ。さ、次の相手はどうでしょうかね!?
-こいつも容赦しないでいいからなぁ、佐為。この古い定石の本、結構面白いな…。
-これじゃ俺もやられるだけだよ。おい、伊藤、どうすんだよ!
「おい、奥村!来い!」
「えっ?」
伊藤は廊下で待つ奥村も部室内に呼び込んだ。
「一緒に打ってもらうんだよ、おまえも!」
「え?え?だって2人なんてムチャでしょ!碁にならないんじゃ…」
「1人じゃ話しにならなかったんだ」
「ウソォーッ」
「…やっぱりおまえもいたか…」
「なんだどうした、やめたやめたってか!?嫌なら…」
「あ、全然かまわないですよ、さっさと座ってください」
-さぁ、早く座ってください!?
平然と構えるヒカルの態度に、伊藤のいらだちは深まる。
「ちっ!生意気な。打ってくれるそうだぜ、はじめろよ」
奥村と小島は、恐る恐る対局を始めた。
「…じゃ、16の四、星」 -4の十六、星 「4の十六、星」
『17の四、小目』 -4の三、小目 『 4の三、小目』
-ちくしょうっ!小島の奴はオレより下手だし、1年の奥村なんてもっと下手だ!俺よりも少ない手数でやられちまう!なんなんだこいつ、何でこんなことができるんだ!!
5分もたたないうちに形勢は大きく傾いていた。佐為に。
-伊藤の話を聞いたときは面白いと思ったのに…。なんなんだこいつは!ほんとに年下の奴にこんなことができるってのかよ、しんじらんねぇ!
-ありえねーだろー。こんなの、人間業じゃあねえよー。
奥村の心の叫びは、見事に正解を射止めていた。人間業ではなく、幽霊技とでもいえばいいのだろうか。しかし、この場の3人の誰もそのありえない事実に気づくことはなかった。
「あら、何で電気が点いてるのかしら」
そういいながら、部室のドアが開いた。開けたのは、囲碁部3年の日高だった。
「やべ…。日高先輩…」
日高は部室の中の様子をざっと眺めた。日高の登場に驚きうろたえる3人の部員と、先日の1年、進藤ヒカル。
「伊藤に小島…。あんた、1年ね。ちょっと。何やってんのよ」
「いえ、あの、尹先生がこの部屋を片付けてくれというので、ちょっと進藤に…」
「オ、オレ達も進藤に指導碁頼みたかったんスけど、進藤は手が離せなくて…」
「だから?」
「ちょっと目かくし碁を……」
「バカ!何が進藤は手が離せないよ。だったらあんたたちも手伝えばいいでしょ!」
状況を把握した日高は、激昂した。正義感の強い日高が許せる状況ではなかった。
「進藤!こんな片付け私がやるから、あんたはその2人をさっさとやっちゃいな!」
「あー、日高先輩だっけ、落ち着いて落ち着いて。盤面をよく見てよ」
のんびりとしたヒカルの口調に少し戸惑いつつ、日高は盤面を眺めた。
-これは…。手数は少ないのにどちらも白が圧倒している…。これが目かくし碁だって言うの?目隠し碁なんて普通できるわけないのに…。この程度のことじゃ、進藤には嫌がらせにもなってないってこと?
「ね。まったく問題ないですよ、先輩。ちょこっと”指導”してあげてただけなんで」
「で、でも!」
「あーっ!ヒカルッたらこんなところにいたーっ!!」
開いたままの扉から叫び声がしたかと思うと、あかりが飛び込んできた。
「あ、あかり!」
「もー、かばん置いてどこに行ったのかと思ったらこんなとこでっ!何で私に黙っていなくなるのっ!」
「あー、いや、その、これは…」
-あらー、ヒカル、あかり怒ってますよ。
-そんなの見りゃ分かるっての!
突然のあかりの乱入に、今度はヒカルがうろたえた。
「私をほったらかしにしてこんなところで碁を打ってるなんて。しかももう終わってる碁じゃないっ!いつまでも何してるのよっ!」
あかりは盤面をチラッと見ると、おもむろに白石を手に取った。
「こっちはここを突き出せば、ここの黒石全滅だし」
「あ…」
「こっちはこのハネダシで、抑えれば次は両あたり、手抜きは地が大損でいずれにしても黒おしまい」
「ゲ…」
即座に打たれたあかりの手を見て、絶句する囲碁部の面々と頭を抱えるヒカル。
「あちゃー…」
-さすがあかり、見事なとどめですね!?
日高もまた驚愕していた。
-そ、そんなこの子、今チラッと見ただけなのに、盤面を一瞬で把握して黒の急所を捉えたっていうの?いくら手数が少ないからってそんな…。この子はいったい…。
静まり返った室内の様子に、あかりはようやく気付いた。
「あっ!私ったらごめんなさい!あまりにひどい碁だったんでついうっかりっ!!」
「…あまりに…」
「…ひどい碁…」
「あかり、あかり、それフォローになってないから」
「あ、いや、その、私!」
気まずい沈黙を破ったのは、日高の笑い声だった。
「あはははははははははっ!面白いわね、あんたたち。ね、あなたって進藤の彼女?」
「えーっ、彼女だなんてそんな!」
大笑いする日高と、顔を真っ赤にして照れるあかり。落ち込む3人をよそにすっかり室内の空気が変わり、ヒカルは力なく声をかけた。
「えっと、日高先輩…。もう俺たち帰ってもいいかなぁ?」
「ええ、そうね。あとは囲碁部で片付けるわ」
日高はようやくおさまってきた笑いをこらえながら、そう答えた。
「迷惑をかけたみたいで、ごめんね」
「気にしないでいいですよ。ほら、あかり、帰るぞ」
「あ、待ってよ。し、失礼しましたー」
立ち去る2人を見ながら、日高は落ち込む3人にあきれた視線を向けた。
-嫌がらせをする相手を完全に間違えてるわよね、こいつら。ま、自業自得か。さて、どうしてくれようかな、まったく。
3人の試練は、まだ終わっていないようだった。
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