Myu 日常編
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それでも夜を越え、朝が来る。誰しもが生きるために
「エ~~リザァァ!! カレーを早く持って来い!」
「は、はい!」
「ってなんじゃこりゃぁ! ご飯が見えないぞ!」
「え? だ、だって、たくさん食べると思って……」
「黙れ! ご飯とルーは一対一の割合がベストなんだ。そんなもの、おかわりすればいいだけのこと」
「す、すいません、やり直します!」
「いや、いい。寛大な俺は腹が減っているのでこれで許す。以後気を付けたまえよ」
いつになく、秋坂家の食卓はにぎやかだ。キッチンには母親代わりの明子が料理を作り、盛り付けや食器を並べている海星。そして今日から夕食を共にするエリザ。緊張気味に海星の手伝いをしている姿はなんとなく憑き物が落ちたようなすっきりした様子だった。
「クソガキ」
「あ? 誰がクソガキだゴリラ」
「誰がゴリラだクソガキ。で、なにがあったの?」
「なにがだよ」
「とぼけんじゃないよ。エリザだよ。今朝とは見違えるようじゃないか」
「そうか? 相変わらずブスのままだぞ」
「ぶ、ブスって言わないでください……ひどいです……」
「うるさい泣くな」
「……あんた、そのうち後ろから刺されるよ? ほんっとうにエリザがブスに見えるのかい?」
「ぶ、ブスって言わないでください~……」
「ブスだな」
「……頭の中か? それとも単純に目がイカれてんのかね……」
さきほどからエリザがブスかそうでないかの議論を続ける二人。ちなみに当人は置き去りでもう涙目だ。冥星が昨日から合計して三十回以上繰り返しているのですっかり自分の容姿自身がなくなってしまった可愛そうなエリザ。
「兄貴の目は腐ってるから、気にしないでエリザさん」
「か、海星さま、あの、私のことはエリザとお呼びください」
「おい、そいつに様なんて必要ない。俺のような由緒正しい正真正銘の御曹司と違って、そいつは生まれも血筋も褒められたものではないからな」
海星の目が途端に憎しみに満ちた色に染まる。兄が放った侮辱の言葉が許せなかったのだろう。言い返したいが、ここで争っても夕飯が遅くなるだけだ。そう判断した海星は冷静さを取り戻し横で困りがちに微笑んでいるエリザに視点を移した。
「エリザさん、私に様は必要ないです。兄貴がどういったかは知りませんが、私はエリザさんを友達……ううん、今日からは家族になるのかな。なんだか実感は湧かないけど、とりあえずそうなるから……気軽にいこうよ」
「そ、それじゃあ、か、海星ってよ、呼んでもいいですか?」
「いや、呼び捨てはまだレベルが高いかな」
「!? ううう……じゃ、じゃあ、海星ちゃん……さんでどうでしょう?」
「冗談だよ。エリザ、これからよろしくね」
「はい! 海星!」
少女たち二人は出会って間もないにも関わらず距離を近づけつつあった。白髪の海星と金髪のエリザが並んでいるとまるで絵本のお姫様が笑い合っているようで、現実味がない。
エリザは学校一の美少女にランクインした。海星は二位に下がったが、本人たちはそんなことなどどうでもいいし、興味もない。エリザはからかわれているだけじゃないかと疑っているぐらいだ。
そんなことよりも、海星たちは目の前の繋がりが何より嬉しかった。海星は保健室登校で友達など一人もいない。別に人嫌いというわけではない。むしろ社交的だし友達も欲しかったのだ。残念ながら保健室に通っているため周りからは奇異の目で見られることが多かったため敢えて自分から話しかけることはしなかった。相手も戸惑うだけだと判断したからだ。
「私は保健室にいるからクラスには顔を出さないけど何かあったら相談しに来てね。もちろん家にいる時は何でも相談して」
「か、海星…………わ、私こんな優しくされたの、は、初めて……う、うれしい、です」
「おおげさだって……ほら、また訛ってるよ」
エリザは瞳を潤ませて喜んだ。ミュータントとして生まれたエリザは、おそらく祖国では満足な暮らしなどしていなかったのだろう。比較的ミュータントに対して寛容な日本でさえも差別的な制度、法律が多く存在する。
もちろんそうしなければならない理由がある。ミュータントは優れた知能と身体能力を有している。それだけでも人間社会に脅威をもたらす存在だ。より優れた者が勝者となるこの世界では人類はミュータントに従わざるを得なくなる。
加えて、ミュータントはある特殊な能力を有している。
「おい……俺のスプーンが捻じ曲がったぞ」
「…………もしかして、エリザ?」
「このボケナス! 自分のmyuも制御できないのか!」
「あぅ……ご、ごめんなさい!」
冥星は不満げに鼻をならし代わりの物をよこせと命令した。エリザは顔を真っ赤に染め、隠れるように台所へ向かう。当然だ、my uを暴走させるミュータントなど赤子がお漏らしをするような現象に等しい。つまり、エリザは嬉しさのあまり失禁してしまったようなものだ。ならば深く追求しないでやるのが優しさというものだ。
――――myu が使える?
「エリザ、日本では無断でmyuを使った場合刑罰が科せられる……」
「おい」
「ひっ…………」
明子の目は、エリザを怯ませるには十分な威力を持っていた。そうしなければいけない理由があるからだ。
ミュータントに寛容な国は、彼らを利用することを覚えた。自由という果実を与え、尊厳という果実を取り上げた。
飼い慣らされている、と言った方がいいだろう。明子は、人間としてミュータントに舐められてはいけない。下だと思われた瞬間、牙を向けることもある。例え、目の前の少女が非力で弱弱しい姿だったとしても、my uという超能力を持っている。それだけで殺人者となりえるのだから。
「おい!!」
「なんだ、冥星……エリザはmyuを使った。エリザの保護者はいないが、必然的に私になるだろう。私はこの子の行為を見逃すことはできない」
「そんなことはどうでもいい。さっさとスプーンを取り替えろ、エリザ」
「え? え?」
冥星は、明子とエリザの前に割って入るように台所へ乱入した。ここまでくれば自分で取りに行けよ、という誰しもが思う疑問を、冥星は感じない。奴隷を手に入れた冥星は無敵だ。もうすべての面倒事をエリザに押し付けることができる、ということに気が付いたのだ。
自分の手となり足とのなる存在を見つけた冥星は、エリザは他の事に時間を摂られるなど、我慢できない。
「お前は俺の言うことだけ聞いていればいい。他のことは気にするな」
「……あの、でも……私、Myu 使いました。Myu を使うことは悪いこと……なのです。だから、私はバ、罰を受けます」
「バカかお前はブス」
「ぐすっ…………わ、私は、きっと、バカですます……」
「おらぁ!」
「きゃう! な、な、な!?」
エリザのおどおどした表情が気に入らなかったのか、冥星はエリザの髪をひっぱりながら乱暴に振り回した。思い切り引っ張られたエリザはなぜこんな暴力振るわれているのか理解できない。涙目になりながら必死に冥星の横暴に耐える。
「め、冥星さま! ご、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさい!」
「黙れ。許さん、さぁ存分に怒るがいい」
「ぐすっ……い、痛い、おお願いです、お許しください……お許しください」
冥星はエリザを怒らせたい。怒らせて、もう一度myuを使わせてやりたい。そうすれば吹っ切れてどうでもよくなるだろうと判断したのだ。
明子のやり方はわかっていた。最初に脅しをかけ、そのあとに優しい言葉をかける。そうすると人は従わざるを得なくなる。心理学を利用した極めて単純な洗脳のやり方だ。
「……お前、なんで笑っているんだ? 怒れよ、ほら」
「え、えへへ…………ま、前の人はこうすると許してくれました……」
「バカかお前は」
「……ごめ……申し訳ありません、冥星さま……」
「黙れ、なぜ謝る? お前は謝罪に理由がわかっているのか?」
「…………も、もうしわけ」
「殺されたいのか、お前は?」
「冥星、もうやめろ。お前らしくないぞ?」
今度は明子が二人の間に入ってきた。冥星がエリザに殺気を放ったからだ。その証拠にエリザは頭を抱えてしまい、冥星を見ることすらできなくなってしまった。
冥星は、自分が強者だとわかっている。多少歪んだ性格に育ったことは保護者として遺憾ともし難い事実だが、決して冷静さを失うようなことはなかった。
それが、まるで『小学五年生』にふさわしい怒りを見せていることに明子は驚いた。
この世の何物にも興味を示さなかった、あの冥星が。
「自分の目で、見定め、考え、行動する。俺の奴隷なら、やってみせろ。これは命令だ、わかったな」
「…………は、はい…………」
わかってなどいないだろう。わかったふりをしてその場を凌いでいるだけだ。冥星はそれがわかっているが、あえて追求はしなかった。腹が減っていたからだ。
ひとまずは、腹を満たすことだ。それからでもエリザの処置は可能なのだから。
この少女を支配し、尊厳を――――。
尊厳を、甦らせるのは。
※※※※※
「おい、なんでお前がここにいる?」
「ご、ごめんなさい、あの、この、部屋を使っていいと、わ、私の部屋だって……」
「どう考えても、俺の部屋だ。しかも表札には冥星様の部屋、ノックを忘れるとブスと呼ばれますと書いてあったはずだ」
「し、しまし! た! で、でも反応が、な、なかったの、で」
「入ったと?」
「…………はぃ…………」
「ブーーーース!」
「ど、どうしてですかー!?」
今日は顔すら見たくない女が、まさか自分の自室まで押し掛けてくるなんてそれなんてエロゲ? 風呂に上がりの芳醇な香りを漂わせながらおずおずと冥星の様子をうかがうエリザ。手をもじもじ、足をもじもじさせながら恐々と上を向こうとする姿は、まさに悩殺的な威力を発揮している。自覚のない男殺しはもはや極刑物だ。
唯一、そんなエリザになびかない者がいたとしたら。
「廊下で寝ろ」
「…………はぃ」
男としての本能を忘れてしまったか、あるいは女自体に興味を示さないか、心をどこかに置き忘れてしまった哀れな動物のいずれかだ。
ちなみになぜ冥星の部屋にエリザがいるのかは、明子の采配によるものだ。
いわく――。
「もう、部屋がない。私は寝相が悪い、海星にはこれ以上負担をかけることはできない。残るは冥星だ。冥星は男だ。この国には男女七歳にして同じ部屋で寝るとやんごとない状況になってしまう確率が多いのでダメ、絶対――ということわざがある――だが冥星に限ってはそんなことはありえない。よってエリザは冥星の部屋でOKというわけだ」
さすがは明子。冥星の事をよくわかったうえでの部屋割りというわけだ。
どう考えても明子や海星が我慢すればいいだけの話だ。なぜ自分が、こんなメンドクサイ女と一緒に眠らなくてはならないのか。ただでさえ、一緒にいるとイライラしてしょうがないというのに……。
「え、えへへ……で、ではおやすみなさい、冥星さま」
「まて」
「へ?」
「俺は一人になると眠れない」
「は、はぁ……」
「この部屋は広い、特別にお前の寝床を用意してやる」
そういうが早いか、冥星はエリザが侵入していい範囲をガムテープで遮り、満足そうにうなずいた。
「あ、あの……布団の中だけしか動けないんですけど……」
「文句があるのか? 奴隷の分際で」
「……いえ、ありがとうございます」
奴隷、という言葉にエリザの瞳は暗い影を落とした。解放されたわけではない。新しい者に拘束されただけだ。前向きに頑張ると決めたはずなのに、どうしてかまた涙が溢れそうになる。
少なくとも、ここには注射はない。自分の意思を無理やり捻じ曲げようとする者はいない。なぜか、学校にも行ける。言葉の壁は、なんとかなる。
ただ――――
「明日は俺を起こすなよ。起こしたらお仕置きだ。お前がもっとも苦痛を感じるようなお仕置きを考えておいてやる。くっくっく…………あと、人の寝顔を覗くなよ。覗いたらお仕置きだからな」
「…………はい、ご主人様」
「…………ふん」
エリザは囚われたままだった。
月は出ない。今夜は不気味なほど暗い夜だ。その方が好ましい。月明りで顔を見ることがなくなるから。
エリザは台所から持ってきた包丁を布団の下から取り出した。驚くほど簡単に、自分は世界を変えることができるのだと確信した。
所詮、自分の立場は自分で変えるしかない。この場所を去ったとして居場所などどこにもない。いや、あるにはあるが、そこはもう……。
だが、少なくとも、この少年に拘束されることはなくなる。
別に奴隷が嫌なわけではない。誰かの命令に従うのも嫌いじゃない。その方が楽な時もある。
「でも、私は…………帰りたい」
帰りたい、ただそれだけなのだ。祖国に、ここから遠く離れたあの深い森に囲まれた我が家に。畑があり、湖があり、母と父がいる、あの場所へ。
既に両親はいないけれど、それでもあの場所は、エリザにとって目指さなくてはならない大地だ。
足を前に進めなくては、きっと自分はもう、立ち上がれない。
これが最初で最後のチャンス――何度そう思ったことか。そしてそのどれもが失敗に終わった。あっけなく。
だけど、エリザはこうして生きている。不思議だと思った。死にたい、殺して、そう願ったことは何度もあるが、そのたびに自分は生きることを選んでいる。みじめでみずぼらしい姿だと思った。
「ごめんなさい、あなたに罪はない、でも」
少年は安らかな寝息をたてていた。きっとどんな不幸も知らずに生きてきたのだろう。溌剌とした表情でわんぱくに飛び回る姿がエリザをそう思わせた。なんて我儘で無知で愚かな少年だろうと。
殺すことは、初めてだ。元来、ミュータントは人殺しを好むという習性をもっているらしいが、そんなことはない。エリザは包丁を手にしただけで眩暈がしそうなほど吐き気がした。
それも、同胞を手にかけるなど、自分は許されるわけがない。
――――誰に? 誰に許しをこうというの?
神はミュータントを許さない。両親は殺された。人間はミュータントを差別する。
弱い者は、強い者に従う。エリザは、今自由を手に入れる。
悪いことではない。決して。少年の未来を奪うことで、私は自由になる。みんな同じことだ。立場が逆転するだけ。
悪いことでは、ない。
「わ、私……なんてことを…………」
崩れ落ちるようにエリザは床に手をついた。自分の愚かさにようやく気が付いたように泣きじゃくる。神さまごめんなさい、お母さんごめんなさい、お父さんごめんなさい。魔が差したという言い訳は効かない。あの時、確かにエリザは凶器を手にし、罪のない少年を殺めようとしたのだから。
心は安らかだ。受け入れなくてはならない。自分は死ぬこともできず、運命に翻弄されるだけなのだと。そうすると、気が楽になった。エリザは涙を拭き、少し笑みを浮かべた。
自分でも驚くほど、その顔は不格好だった。
「――――――ふん」
それでも冥星は、救わない。自分は救世主などではないからだ。
所詮、運命に翻弄されるだけの一人の子供であることを認めている。
己という器に魂が宿ったに過ぎない、どこにでもいる普通の無力な子供であることを。
だからしばし待て、と誰ともなくつぶやく。
自分が無力な子供ではないことを、世界に、愚かな人類に知らしめることができたあかつきには。
この冥星が、カリスマニート帝国にお前を迎え入れてやることを。
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