星の輝き
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第27局
塔矢家での2回目の勉強会、今日こそはと張り切る奈瀬を相手に、ヒカルは指導碁を打っていた。
今回の勉強会の参加者は、奈瀬、あかり、アキラに加えて、話を聞いた塔矢門下の芦原が参加していた。塔矢名人と緒方は、今回は地方での棋戦のために不在だった。
-これが噂の進藤君か…。うん、やばい、これはしゃれにならない…。僕でもたまに負けるアキラ相手に勝ったんだから、そりゃ強いのは分かってたけど…。緒方さんのあの顔はこういうことか…。
そう、先日兄弟子に当たる緒方から、芦原は言われていた。
「今度アキラ君が友人達と行う勉強会にお前も参加してみるといい。しっかり指導してやれよ。プロの卵達がくるんだからな。プロとしてしっかりとな」
そのときの緒方からは、どことなくからかうような視線が混じっていたのだが、芦原はいつものことと聞き流していた。それでも、時間的にも都合がつき、何よりアキラを倒した進藤とやらに興味があったので顔を出してみたのだが、対局を眺めていた芦原の顔は引きつりつつあった。
-進藤君の相手は奈瀬さんといったか。この子もなかなか強いな。その子相手に、見事な指導碁。すごい筋がいいな、進藤君は。ただとがめるのではなく、奈瀬さんの碁がいい方向に向くように誘導しているようだ。ボクにここまでの指導碁打てるかなぁ?ホンと、勉強になるよ、これ。打ってる奈瀬さんもまあ楽しそうなこと。でも、こっちでアキラと打ってる藤崎さんだっけ。この子もまた強いし。アキラ相手に三子とはいえ優勢に進めてるんだもんな。お、アキラの強引な手に、きっちり冷静に対処している。
対局がいったん終わり、それぞれの指導が始まるが、ヒカルの指導は、丁寧でかつ的確。奈瀬の見落とし、読み漏れ、判断ミス等を、きっちり説明しきっていた。
「いやぁ、進藤君、すごいねぇ、君。ボクより指導碁うまいんじゃない?」
区切りがついたのを見計らって、芦原は声をかけた。
「いやぁ、指導碁はあかり相手に毎日打ってるんで、慣れてるんですよ」
「それにしたって、そこらのプロ顔負けな指導だったよ!」
「そうなんですよ!ヒカル君の指導碁って、ホンと打っててもらっても楽しくなっちゃうんですよ!私にもこんな良い碁が打てるんだーって感じで!」
奈瀬も顔を満面の笑顔にして答える。
「いや、奈瀬さんだっけ。君の力もしっかりあるからだよ。どんなに良い指導をしても、受ける側にも力がないと意味がないからねぇ」
「あ、ありがとうございます!プロの先生にそう言って貰えると自信になります!」
ニマニマと照れる奈瀬。
「あ、奈瀬さんは院生ってことは、今度の若獅子戦出るのかい?」
「ええ、出ます!プロ試験前の前哨戦なんで、気合入ってます!」
「そっかそっか。ボクも出るよ。これはウカウカしていられないなぁー。あたったらお手柔らかにね」
「芦原さん、院生相手に負けたら、緒方さんに何を言われるか分かりませんよ」
話を聞いていたアキラも横から口を出す。慣れ親しんだ芦原が相手だと、アキラの口調も軽い。
言われた芦原はその様子が眼に浮かぶようで、大きくため息をついた。
「確かに…。はぁ、なんか、気が重くなってきた。若獅子戦って、プロにとってある意味一番嫌な棋戦なんだよねぇ。院生とはいえ、アマチュア相手の真剣勝負。院生は負けて元々でがんがん踏み込んでくるから、やたら疲れるんだよなぁ。そのくせ賞金は安いし…」
グチグチと呟く芦原。そう。若獅子戦とは、20歳以下の若手のプロと院生1組上位16名とが参加するトーナメント戦で、1回戦は必ずプロ対院生で組まれる。そうなると必然、プロとしては負けては立場がなくなる。
「まあ、そうは言っても、実際プロ相手にはなかなか勝てないんですけどねぇ。1、2回戦でほとんど院生は消えちゃいますし。私は今年こそ勝ちたいなぁ」
「…まぁ、プロとはいえ入段したばかりじゃ院生トップとほとんど差がないのも多いから、組み合わせ次第じゃ負けるプロもいるんだよねぇ。そんな新人ならともかく、ボクらが負けると、ちょっと立場がねぇ…」
「芦原さん、一緒に頑張りましょうね!でも、どうせなら、ここにいるみんなで出れたら良かったのになぁ。あかりちゃんは院生にならないの?」
「私はまだ、プロのこととか良く分かってないから、もう少し考えてみます」
「そっかぁ、残念。あかりちゃんと、ヒカル君と、塔矢君が院生側で参加したら、すっごい盛り上がるんだろうになぁ」
「…いや、奈瀬さん、そんな怖いことやめようね。院生は盛り上がるだろうけど、プロ側は御通夜状態になりそうだよ…」
奈瀬の言葉に顔色悪く言い返す芦原。今回はそこまでの年長者がいないのもあり、皆、いつしか仲良く会話を交わしていた。
楽しみながらもしっかりと碁の勉強ができる。奈瀬にとって何よりの時間となった。
そして、5月半ばに開催された、若獅子戦の1回戦。奈瀬と芦原は、ともに1回戦で勝利を収めた。
海王中学囲碁部の主将、岸本薫。彼は、行きつけの書店で偶然の再会を果たしていた。
「あれ、岸本、久しぶり。元気にしてたか?」
「え?あ、ほんとだ、岸本だ。いよっ!」
そう言いながら声をかけてきたのは、院生時代の顔なじみの飯島良と真柴充だった。二人はともに岸本よりひとつ年上であり、当時は棋力的にも近かった。そのため、対局も頻繁にあり、院生の頃はよく会話をしていた仲だった。ちょっと神経質そうで線が細く真面目な飯島と、ちょっと気弱だが少しおちゃらけた雰囲気のある今風の真柴は、タイプが異なるからこそどこか気が合うのか、当時から良くつるんでいた。
「お久しぶりです。お二人もお元気そうで」
偶然の再会に驚きつつも、岸本はそう声を返した。が、返された二人は微妙そうに顔を見合わせた。
「いやあ、それが二人そろってこの前の若獅子戦、見事に1回戦負けでさぁ。ちょっとへこんでるとこ」
「まだ真柴は勝負になってたからいいじゃないか。オレなんか、見損じで大石取られての投了だからな。ほんとがっくりだ。こんなんじゃ、今度のプロ試験もなぁ…」
そう言いながら落ち込む二人を前にして、岸本の心は軽く澱む。
「そんな事言わずに頑張ってください。応援してますよ」
「ありがとよ!岸本は最近は打ってるの?」
「ええ、今は囲碁部で、一応主将をしています」
「そういや、海王中学だったもんな。有名進学校か、いいよな、勉強できる奴は。俺達みたいな3流高校じゃあ、プロをあきらめたってタカが知れてるしなぁ。俺も岸本みたいにさっさと逃げとけばよかったかな…」
「そんなこというなよ飯島。岸本だって頑張ってるんだって。有名な海王囲碁部の主将なんていかにも大変そうじゃんか。俺にはとても無理だなぁ」
「ま、やるしかないんだけどな。じゃあな、岸本。囲碁部頑張れよ」
「またなっ!」
「…はい。お二人も頑張ってください」
飯島にしても、真柴にしても、何も悪気はなかった。落ち込んでいたところに、顔なじみと会い、ちょっと愚痴を言った程度の認識だ。
だが、言われた側の岸本の心は沈んだ。
道を違えたかつての知り合い達。自分が歩く事がかなわなかった道を歩く、才能を持つ者達。
脳裏に、つい先日出会ったばかりの少年達の顔も思い浮かぶ。自分より年下なのに、はるか上の力を持つ者達。
「…俺は逃げたわけじゃない」
そう思う事が逃げだと、今の彼には気がつけなかった。
この岸本たちの再会は、実は以前の世界では起きていない出来事のひとつだった。もちろん当事者である3人にとっては全く認識できない領域での話であったが。
そして、当然ヒカルにも、こうした出来事が生じている事は把握できていなかった。
最初は小さかった以前の世界とのズレが、ヒカル達の成長に伴い、少しずつ少しずつ、しかし着実に広がっていく。
ヒカルを中心として。当人達の気がつかないところまでも。
ヒカルとのかかわりの有無にかかわらず、様々な人々が小さくない影響を受けていく。
それは受け止め方次第で、当人にとってプラスになり、そしてまたマイナスにもなっていった。
後書き
一部修正 塔矢君 → アキラ
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