星の輝き
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第21局
尹の案内で対局室の中に入ったあかりは、びっくりしていた。
-うわっ!こんなに人がいるんだ!それに碁盤もいっぱい!
教室の中一面に長机が整然と並べられ、碁盤がびっしりと置かれていた。
ざっと見たところ、5~60人近くはいるだろうか。大勢の部員が碁盤に向かい合い、対局していた。
-こんなに部員がいるんだ!それにみんなほんとに真剣な表情!なんか、私が緊張しちゃう!
対局室の様子に驚くあかりに、同じように興奮していた佐為が声をかけた。
-すごいすごい子供がいっぱい!千年前の私の囲碁への情熱も、今ここにいる子供たちの熱気も同じです。
驚く二人の様子を見ながら、ヒカルは思っていた。
今まで基本ずっと家での対局だったから、やはりあかりには経験が足りない。
ネット碁で、ヒカルや佐為以外の人との対局も増えてきてはいるが、やはり直接向かい合っての対局となると、また別物だ。
-あかりの今後のことを考えると、何か考えないといけないよな…。
そんなヒカルの思いをよそに、話は進んでいた。
「みんなそろってるな。今日は講義予定だったが、急遽ゲストが来てくれることになったので、予定変更だ。皆、盤上を片付けながら聞いてくれ。今から、皆に彼らの対局を見てもらおうと思う。1年の、塔矢アキラ君と進藤ヒカル君だ。彼らの対局に場所を貸すことになった。塔矢君のことは皆聞いているだろう?すでにプロ並みの力があるそうだ。彼の碁を見ることは、皆にとってもいい勉強になると思う。塔矢君、進藤君、そこの手前の席でいいかな。藤崎さんはその隣で。皆が見えるように、私が彼らの対局を大盤に並べて、簡単に解説しようと思う。せっかく同じ学校の仲間になったんだ。彼らの力を見せてもらおう」
尹の言葉に、室内がざわめいた。
「あれが塔矢アキラか」
「とうとう囲碁部にきやがったか」
「相手は、進藤?だれだ?」
「進藤?知らないなぁ」
「では、準備が出来たらはじめてくれて構わないよ」
その言葉を受けて、席に着いたヒカルとアキラは改めて視線を合わせた。
「それじゃ、はじめるか」
「ああ」
「じゃあ、にぎるか」
「…いや、二子でいいだろうか?」
握ろうと手を進めていたヒカルは、アキラの言葉に驚いた。まさかこいつが置石を求めてくるとは…。
-さすがに互先ではかわいそうですよ、ヒカル。以前のことはいざ知らず、先日の対局のことを考えても当然のことです。
-…まぁ、そりゃそうなんだけどさ。塔矢相手に置石なんて考えてもいなかったからな…。でも、客観的に見てどうだ?二子で適正か?
-先日のままと見ると、二子では荷が重いでしょうね…。ただ、それはあちらも承知の上でしょう。承知の上で挑んできているのですよ。
-…なるほどな…。
「二子でいいんだな?」
「ああ、二子でお願いする」
「塔矢アキラ相手に二子?」
「あいつ、そこまで強いの?」
「え?プロ級相手に二子って、勝負になるの?」
ざわめく周囲の声をよそに、アキラは黒の碁笥を手に取る
その手はかすかに震えていた。
その、アキラの様子に気がついたのは、ヒカルと佐為だけだった。
ヒカルは、以前のときの様子が思い浮かんだ。
-あの時もあいつはこうして向かってきたんだよな…
-ヒカル?
-…なんでもない。
アキラはゆっくりと、盤上に二子を並べた。
その様子を見ていた尹と近くの席の部員たちは愕然としていた。
尹は校長からの話から、塔矢の腕前を聞いていたので、当然塔矢のほうが上手だと思っていた。塔矢の噂を聞いていた部員たちも同様だ。
まさか、噂の塔矢アキラが、同じ学生相手に置石を置くとは思ってもいなかった。
てっきり、進藤ヒカルが石を置くと思っていたのだ。
それは、囲碁部部長の岸本も同様だった。
彼は今でこそ囲碁部で、その実力により部長の座についている。
だが、以前、彼は院生として、プロを目指し、プロの予備軍たちとその腕を競い合っていた。
しかし、彼はその院生の中で上位に上がれず、自分の力に見切りをつけ、プロへの夢をあきらめていた。
だからこそ彼には、プロの力というものが、他の部員たちよりも実感として分かっていた。
プロ予備軍の院生でさえ、その上位クラスにはこの囲碁部のトップである自分でも歯が立たない。
そして、その院生以上の腕を持つといわれる塔矢アキラが、今、自分の目の前で二子を置いている。
まさに、信じられない光景だった。
「おい!塔矢が黒だ!」
「塔矢アキラが二子置いてるぞ!」
新たなざわめきが、部屋の中で広がっていった。
あかりから見れば当然のことだった。
ヒカルと塔矢アキラでは、実力の差は明らかだ。
であれば、塔矢が置石を置くのも当然だった。
周囲のざわめきの中に聞こえる陰口のような声は若干気になったが、二人の対局に集中することにした。
「お願いします」「お願いします!」
ざわめく周囲の空気をよそに、二人の対局は始まった。
序盤の布石を終えたところで、ヒカルの手が止まった。
盤面を見つつ、深く考えている。
布石の時点では互角。最初の置石の分、いまだアキラがリードしていた。
大盤に並べながら、尹は二人の実力を確認し、驚いていた。
まだ布石だけではあるが、二人の指す石はまさにプロレベルといって遜色がないものと思われた。
一切の悪手も疑問手も見られない、綺麗な碁だ。
「…少しは成長しただろうか、ボクは」
ふと、アキラがヒカルに声をかけた。真剣なまなざしで、ヒカルを見つめる。
視線を合わせたヒカルは、軽く口元をほころばせながら答えた。
「…ああ。なんたってお前は、オレのライバルだからな!」
そして、石音高く、まだ両者の手がついていない中央付近に白石を打ち付けた。
「さて、ここまでは穏やかに進行していたが…、ここで進藤君が仕掛けてきたかな…。ここまでの布石、何か質問は?」
尹の声に、手が挙がった。
「日高か、なんだ?」
指名とともに立ち上がったのは、気の強そうな女子生徒だった。
「右下の黒の形なのですが、定石と比べてヒラキが高い位置になっています。もともと、その定石は白の地に対して黒が厚みをとるものだと思うのですが、その黒のヒラキの位置では隙間が開きすぎているように思うのですが。せっかくの厚みにあっさり入られてしまうように思うのですが?」
「なるほど。たしかにそうだな、定石ではこの位置にヒラクが、実戦ではここだ。定石より二線高い位置だね。岸本、どう思う?」
指名された岸本が立ち上がり、意見を述べる。
「もともとの置石を活用しようとしての手だと思われます。左下隅には最初の置石がある。それを生かすための、その位置かと」
「でも、いくらなんでも高すぎじゃない?下辺はスカスカよ?」
「だが、実戦も白は下辺に踏み込んできていない。中央に手がついた」
「うーん…、むずかしいわね…」
「そうだな、藤崎さんはどう思うかな?」
尹は続けて、隣で見ているあかりに声をかけた。
「あ、はい。えーと、岸本さんでしたっけ、彼の言うとおりだと思います。付け加えると、黒としては、狭い下辺に白に入ってもらって、狭い下辺で小さく生きてもらう。生きる白を攻めながら、中央に大きな地を作ろうとしているのだと。その黒の意図を読んだ白が、先に中央に手をつけたのだと思います。下辺が全部黒地になれば確かに大きいですが、どの道下辺すべてを黒字にするのは無理だと白は見ていると思います。むしろ大きく囲わせてから、後で荒らそうとしているのかな」
あかりは、二人の対局に集中しながら、なんとなく盤面から読み取ったことを述べた。
「…なるほど、ありがとう。どうかな日高?」
「…了解しました。続きを見させてもらいます」
あかりのしっかりとした受け答えに、この子もまたかなりの実力だと尹は気がついた。
この局面までの二人の石の意図を、彼女はしっかりと見抜いているのだと。
ヒカルは中央への着手を数手でいったん止めると、下辺に深く踏み込んできた。
その、あからさまな着手にアキラは戸惑った。
-これは…?一瞬ハッとしたが…、これじゃあまりに…。それとも何かあるのか?
「…さて、ここまで打って、進藤君が下辺に打ち込んできたね。これはさすがに難しそうに見えるが…」
「いくらなんでも入りすぎだろ?」
「これ、中央の石どうするんだよ」
「もう無理じゃね?」
さらに着手が進んでいくと、教室の中は沈黙が支配していった。
いつの間にか白石が各所で黒を分断し始めていた。しかし、その白もまた、各所が薄い。
尹もすでに着手を並べるだけで解説の声は止まっていた。
止まっていたというよりも、出来なかった。もはや、彼の理解できる内容を越えていたのだ。
中学生たちに理解しろというほうが無理だった。
二人の戦いについていけたのは、佐為は当然として、この場ではあかりだけだった。
もっとも、あかりとしてもついていくだけで精一杯ではあったが。
激しい戦いを制したのはヒカルだった。
中央から下辺にかけて、黒石はつぶされた。
「…ありません」
アキラはつぶやいた。それを受けてヒカルは大きく息を吐いた。
「ありがとうございました」
アキラは顔を上げて、ヒカルを見つめた。
アキラの目は、迷いが吹っ切れ、澄み切っていた。
「君の力、改めて思い知らされたよ。君の碁を見れば、君がどれだけ碁に打ち込んでいるのかもよくわかるよ…。さっき、君は言ったね、ボクが君のライバルだと。その言葉、今も同じかい?」
「ああ、もちろんさ。お前はオレのライバルさ」
じっとヒカルを見つめていたアキラは、ふっと笑顔になった。
「なら、ボクはもっと精進するよ。君のライバルとして、その言葉にふさわしいだけの力をつけてみせる。必ず君に追いついてみせる!」
「ああ。期待してるぜ!」
ヒカルとアキラの中学での初対局は、こうして幕を下ろした。
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