打球は快音響かせて
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高校2年
第二十三話 転換
前書き
高垣和也 外野手 右投左打 183cm81kg
出身 水面・青葉シニア
圧倒的長打力誇る、帝王大水面の主砲。青葉シニアでは全国準優勝を経験した有名人。素質は凄いが集中力はない。
花岡寛樹 捕手 右投右打 182cm77kg
出身 水面・青葉シニア
強肩強打、ついでに顔も性格も良いスーパー人間。中学時代は全国準優勝メンバー。技術的には高垣よりも上。しかし、意外な欠点がある。
第二十三話
キーン!
高々とフライが上がる。
「オーラーイ」
ファールゾーンで川道が手を上げて落下点に入り、しっかり両手で捕球。
両軍ベンチから選手が出てくる。
海洋ベンチからは勢い良く、三龍ベンチからはうなだれながら。スコアボードには、11対5のスコアが刻まれていた。
「あー」
三龍応援席では翼が小さくため息。
惜しかったな。それが率直な感想だった。
水面海洋は地区一番の強豪だと聞いていたが、そこにせっかくリードを奪っていたのに、結局勝てなかった。
「…………ズズッ」
ふと、隣から鼻を啜る音が聞こえてきた。
牧野が顔をクシャクシャにして、ボロボロ涙を流していた。
ああ。翼は気づいた。
今、この人の高校野球が終わったんだ。
グランド上の選手が試合後の挨拶を済ませてから、応援席への挨拶にやってくる。
眼下に整列した選手達も皆むせび泣いていた。
ベンチ外の牧野さんの涙と、下に見えている3年生達の涙。どちらも同じもののような気がした。
この数週間だけ、グランドの中と外に分かれたが、この人達は同じ「高校野球」をしていた。
「よく頑張ったー!」
「感動したばい!」
応援に来てくれた生徒が、口々に労いの言葉をかけながら拍手を浴びせる。
暖かいなぁ。翼はそう思った。
ーーーーーーーーーーーー
「……林さん」
「……宮園か」
その日の晩、宮園は寮のロビーで林とばったり会った。
試合後、3年生へのミーティングがあり、下級生に対してのミーティングがあり、保護者や吹奏楽部への1人一言の挨拶があり、写真撮影があり、涙無しには見られない「高校球児最後の1日」のテンプレのような1日を過ごした林の目は、夜になってもまだ赤かった。
「……こんな夜中にまだ起きてるんか」
「何日かオフがありますからね。今日は夜更かししても大丈夫です」
「俺はもう、毎日夜更かししてもOKやわ」
「「アハハハ」」
夜遅くまで起きていて、「明日の練習は大丈夫だろうか」と不安になる。林は今日をもってそんな日々とはおさらばである。負けたのは悔しいが、解放感がないと言えばそれも嘘だろう。林は声を上げて笑った。
「主将とか、もう決まったん?」
「はい、渡辺になりました。」
「お前は?」
「副将になっちゃいました。俺と太田です。」
「大体予想通りやなぁ。監督はなんて?」
「“負けて分かった。やっぱり俺は勝ちたい。甲子園行くぞって"、気合い入れてました」
「それ、去年も全く同じこと言いよったけんww」
林はクスクスと笑う。去年と同じ。それは宮園も思っていた。去年と同じように負けて、同じように役職が決まって、同じような訓示…
そして気がついたら先輩は居なくなってしまった。自分達の番が来てしまった。
「なぁ、宮園」
「何ですか?」
「やっぱアレ、アウトいっこ、とるべきやったよな」
宮園には、林が今日の試合の8回のファーストゴロの事を言ってるとすぐに分かった。間に合わないホームに送球せず、一塁ベースを踏んで同点の二死二、三塁を作っていたら、一体どうなっていたか。
「……いや、俺らが勝つには、やっぱり初回の5点を守るしか無かったですよ。あそこで同点のままだったとして、多分、いつか打たれてました。それは鷹合の球を受けてた俺なら分かります。」
それは宮園の本心だった。同点になった段階で、どのみち勝負はついたようなもの。鷹合に慣れ切った海洋打線はその先抑えようが無かっただろうし、こちらは海洋の城ヶ島を打てなかっただろう。
「……お前がそう言うなら、そうやろな」
ふと林が下を向いた。
宮園に自分の顔が見えないようにした。
「でも結局、決勝点は俺のエラーやけ」
林は顔を上げようとしない。
「その事実は絶対に消えん。あれさえなけりゃって、ずっと思うんやろな。」
しゃくりあげる音が聞こえてくる。
林は今日、何度こういう風にして泣いたのだろうか。
(……毎年毎年、変わりばえのしねぇ三龍の夏)
宮園は眼前の先輩の様子を見て、恐ろしくなった。
(俺も来年、こういう風にして泣くのか?)
嫌だ。宮園は思った。
しかし、一方で、恐らく、これは運命なのだと。
いくら嫌だと思おうが、多分これは来年の自分の姿なのだと。そう思う自分も居た。
ーーーーーーーーーーーーーー
「ただいま。」
「翼…………」
翼は例によって、代替わりのタイミングで帰省した。たった1日しかないお盆休みには帰省できない以上、夏はこのタイミングで帰省するしかない。連絡船から、松葉杖をついて降りてきた翼に葵が駆け寄る。
「お帰り。足折ったんやね」
「うん、打球当たってさ」
「荷物持ったげる。渡して」
葵は翼の制止を抑えて、持っていたバッグをひったくった。たすきがけしたバッグの肩掛けが葵の胸に谷間を作り、翼がそこに一瞬目を奪われたのは内緒である。
「大丈夫?ちゃんと歩ける?肩貸してあげよか?」
「いや、大丈夫だよ」
断りつつも内心、翼はそれも悪くないかもな、と思っていた。夏はいけない。薄着の葵は、日焼けした肌が健康的で、体が太すぎず細すぎず、それでいてキュッと引き締まり、やたらと扇情的だ。前に会った時よりずっと女らしくなったような気がした。それも無理はない。成長期なのだから。
しかしあんまりベタベタくっつくのも恥ずかしいし、何より高校球児が女の子に肩を貸されているなんて、どうにも情けない。
結局、エッチラオッチラ、松葉杖で歩くことにした。
「あ、葵さんやなかですか!」
「あ、知花くん」
葵と2人で歩いている時、ユニフォーム姿の集団がゾロゾロと並んで走ってきた。上半身はノースリーブのアンダーシャツだけで、顔は真っ黒に日焼けしている。丸い顔、濃い眉毛、いかにも島人らしい顔立ちをしている少年達だった。その少年達が葵を見つけると、立ち止まって挨拶する。
「おお!葵さん、これが噂の彼氏ですか!?」
「水面で野球しよるっていう!」
「大怪我しよるやなかですか!」
「水面の野球は、こんな怪我するまで練習するんやなぁ…」
みるみるうちに高校球児の集団に取り囲まれ、翼は恐縮するほかない。目の前の球児たちはニコニコしていて、悪気は全然なさそうだが、しかし坊主頭の男に囲まれるのは、むさ苦しくて落ち着かない。
「こらぁーー!何足ィ止めよるんやー!」
その集団を追いかけて、チリンチリンとベルを鳴らしながら老人が自転車に乗って走ってきた。
結構な年である。白髪と白い髭をたくわえており、高地監督と違って大らかそうな顔つきをしている。
「ハイ!監督!葵さんが居りましたんで!」
「お前らぁ、本当に女ァ好きやのぉ!ナンパすんのはええけさっさと走れぃ!」
「「「ウッス!」」」
監督に一喝された球児たちは、翼と葵から離れ、もう一度走り始める。葵が笑顔で手を振ると、球児たちも手を振っていた。ちゃっかり、監督も葵にウインクをかましていたのを見逃してはならない。
「……あれ、葵の高校の野球部?」
島人らしい、何とも大らかな雰囲気の彼らに圧倒されながら翼が尋ねる。葵は首を横に振った。
「ううん。南海学園の野球部よ。」
「あー、あそこかー。」
斧頃島に高校は三つしかないので、翼も名前を聞けば分かった。葵の通う普通科の斧頃高校と、漁師を育てる斧頃水産、そして今名前が出た私立・南海学園。3年前に出来た学校で、島の中央の山の中にこじんまりとした校舎を構えた全寮制の学校だ。全寮制という事もあり、通える距離に家がある地元中学生からの人気はそれほど高くない。が、島外からの入学者にとっては結構人気らしい。斧頃の豊かな自然の中での教育を売りにしているのだ。
「で、何で南学の野球部と知り合いなの?何故か俺の事も知ってたし」
「バイト先のジムにね、あいつらよう来るんよ。あたしこれでも結構モテるんよ〜3回くらい告られたしね〜」
日焼けした顔に得意げな、満面の笑みを浮かべる葵。だが、翼がビックリしたのはそこではない。
「え?葵ジムでバイトしてるの?」
「あれ?言ってなかったっけ?この春から働きよるんよ〜。体も鍛えられるし、一石二鳥やけん。これ、ちょっと見てや」
葵は自分のワンピースの裾を右足の太ももの付け根まで一気にめくった。露わになった葵の太ももに、翼は目が点になる。ピチピチした肌が、筋肉にの形に滑らかに隆起している。
「どう?逞しいっちゃろ?」
無邪気に尋ねる葵に、翼はため息をついた。
「……あのさぁ、女の子なんだから、もうちょっと恥じらい持った方が……」
「えー?今さら足くらいで何言っとん?翼、いつもあたしの水着姿見よったやん!」
言われてみれば確かにそうである。
今さら葵の生足なんて、見て恥ずかしいものでも何でもないはずだ。下着姿に近いビキニを、もう何度も何度も見てきてる。しかし…
「ほら、あれだよ」
「え?」
「女っぽくなって、可愛くなったから。もう葵、17歳だしな。」
葵はぽーっと顔を赤くした。
こういう所はあんまり変わってないな。
翼はそう思った。
「もう!翼ったらエロいんやけ!」
「はぁ?自分から足みせびらかしといて何言ってんだよ?」
翼と葵は声を上げて笑った。
この2人の間に笑顔が絶えない事も、昔から変わっていない。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「……という事で、久しぶりに葵ちゃんとイチャイチャチュッチュしてきたって訳ですね?」
「うるさいな!彼女なんだからイチャ付きもするだろ!」
帰省から戻ると、枡田がまた翼に葵とのあれこれを聞いてきた。それに機嫌良く答えていると、途端に小馬鹿にしたような視線を向けて来る。
すっかりお決まりのパターンである。
「あ、ヨッシー聞きました?」
「ん?何を?」
「奈緒ちゃん、監督になりましたよ」
「あ、そうなんだ……
て、ぇええええええええええ!?」
「まぁ、驚きますわね、そりゃ」
帰省している間に、これほど大きな変化があったとは。目を白黒させている翼とは対照に、枡田は実に平然としていた。
「……おもろなってきたわー、これは」
枡田がニヤッと笑う。
その顔は実に楽しそうだった。
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