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Shangri-La...

作者:ドラケン
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第一部 学園都市篇
序章 シャングリ・ラの少年
  16.July・Night:『The Dark Brotherhoods』

「ホンっとーにごめんなさい、対馬さん。ほら黒子、あんたも謝る!」

 拳銃弾による拳の傷の治療と金的の精密検査を終えてロビーに出れば、律儀に待っていた美琴が頭を下げる。
 尚、強盗犯三人は見事にお縄。少し後に駆け付けた『警備員(アンチスキル)』に引き渡された。幾らかの説明をし、後日第支部に説明の為に出頭する事を約束させられた後、病院に送られた。

「うぅ……申し訳ありませんわ、まさか()()だとは思わず……」

 美琴と同時に、隣の……美琴の制裁(でんげき)によりまだ少し焦げている白井黒子も頭を下げた。
 その特徴的なツインテールが、勢いよく揺れる。

「あぁ――いや、良いって。悪いのは腕章なしで動いてた説明不足の俺だしな……えっと?」
「そう言って頂けると、ありがたいですわ……」

 つまり、そういう事。もう一度ツインテールを揺らしながら顔を上げた彼女に、気にしてないと笑い掛ける。実際はまだ、シクシクと痛んでいて歩き難い事この上無いのだが。
 しかし、そのお陰で黒子は安堵したらしく、実際に胸を撫で下ろしていた。

「私、常磐台一年の白井黒子と申しますわ。大能力者(レベル4)空間移動能力者(テレポーター)ですの」
「ハハ、身に沁みて知ったよ。俺は弐天巌流三年の対馬嚆矢。異能力者(レベル2)確率使い(エンカウンター)……学園では『制空権域(アトモスフィア)』なんて呼ばれてる」

 取り敢えずの自己紹介を行う。と同時に、湿らせたハンカチを渡す。

「まだ頬が煤けてるよ、白井ちゃん。これ、さっき洗ったばっかりだから使ってくれ」
「恐縮ですの……意外と紳士ですのね? ところで、『確率使い(エンカウンター)』と伺いましたが……珍しい能力名ですわ、聞いた事もありませんの」

 右の頬を指しながら言えば、おずおずとハンカチを受け取った黒子が右頬を拭いつつ、そんな事を宣う。
 その瞳には、少しだけ嚆矢への警戒を和らげたような色があった。

「ああ、まぁ、俺以外には確認されてない種類だからな――」
「『一定範囲に存在するあらゆる確率を司り、その支配下に置く能力』確率使い(エンカウンター)。確認されたのは弐天巌流学園の合気道部主将『制空権域(アトモスフィア)』のみ……ふぇぇ、何だか凄いです」
「これでも異能力(レベル2)なんだ……ホント、こうなると超能力(レベル5)って一体何って感じよね」

 と、嚆矢の言葉を遮るようにやたら甘ったるい驚き声と呆れたような声がした。
 振り向けば、そこには柵川中学の制服の二人。携帯端末を読み上げる、頭に物凄い量の花飾りを付けたショートヘアの少女と、白い花飾りを付けた……左頬に絆創膏を貼った、ロングヘアの少女が居た。

「いや、それがてんで凄くないんだよ初春(ういはる)ちゃん、佐天(さてん)ちゃん」
「ええっ、まさかぁ」
「だったら、無能力者(レベル0)の私の立場は……」

 あうあうと慌てるショートヘアの少女『初春 飾利(ういはる かざり)』と、しょんぼりと肩を落としたロングヘアの少女『佐天 涙子(さてん るいこ)』。因みに、蹴られた方が佐天涙子、余り目立たなかった方が初春飾利だ。
 その二人とは、自己紹介済みだ。何故なら、涙子の頬の絆創膏は嚆矢が渡した物なのだから。

「そうだなぁ、それじゃあ自己紹介も兼ねて……」

 そこで嚆矢は辺りを見回す。そして、目的のものを見出だして。

「――アイス、奢るよ」

 売店に向けて、歩き出した。


………………
…………
……


 売店でアイス(五人分2800円)を買った後、ロビーの椅子に座る。外は夕方で気温は下がっているものの、まだまだ暑い。クーラーの効いた室内から出るのは、まだまだ憚られた。
 と、涙子がまずその疑問を口にする。

「あの、対馬さん……これでなにがわかるんですか?」

 確かに、いきなりな話である。簡単に『自己紹介』と『アイスを奢る』がイコールで結べるなら、間違いなく名探偵だ。

「ん、佐天ちゃん……『幸せのピモ』って知ってる?」
「あ、はい……滅多に入ってない、ハート形の奴ですよね。一つなら良いことがあって、二つなら恋が叶うとか」

 それは、良くある都市伝説……というか、メーカーの策略であろう。
 流石は女子、そういう類いには強いなと、嚆矢は笑う。

「そう、それ。因みに、俺のと御坂の以外ピモ、そして俺が選んだものなのは……もう分かるよな?」
「まさか……全部二つ入りとかですの?」
「それは、開けてみてからのお楽しみ」

 期待半分、といった具合に手元の箱を見る三人。尚、嚆矢と美琴の分は当たり付きの棒アイス。
 そして――三人が、一斉に箱を開けた。

「――ええっ、スゴッ! 全部幸せのピモ?!」
「わ、私のもです……!」
「信じられませんの……これが、『確率使い(エンカウンター)』……」
「ハハ、今日も絶好調だぜ」

 『予定通り』、事が運ぶ。これこそは嚆矢の『つかみ』の鉄板、特に女子受け抜群の持ちネタである。

「俺の能力は、『そうなる可能性』が有る限り好きな現実を選びとる事が出来るんだ。まあ、限度はあるけどさ。あれだよ、『シュレーディンガーの猫』とか『ラプラスの悪魔』っていう奴?」

 引き合いに出すのは、量子論。詳しく理解している訳ではないが、インテリっぽいので良く使う。

「要するに、こういうので役に立つ能力なのよ、対馬さんの『確率使い(エンカウンター)』は」
「それしか能がない、とも言えるけどな」
「あはは、確かに」
「御坂さん、そこは笑うところじゃないよね?」

 棒アイスを齧って笑う美琴、それにより露出した棒先には、『あ』の文字が既に見えている。

「バンクには載ってないけど、『一定範囲』ってのが俺の届く範囲……大体直径百八十センチ、しかも100%と0%は『流動しない』から不適用。発動条件には『事象を認識していること』が含まれてるから、意識してない事柄とか理解できない事象にもやっぱり不適用。更に『超能力(スキル)』に干渉する場合は、演算能力の競い合いになるんだ。ホント、使い辛いクソ能力だよ」

 と、アメリカンに肩を竦める嚆矢の棒先にも『あた』の文字。しかし実際、費用対効果(コストパフォーマンス)が悪過ぎるのである。

――そもそも、この能力は自分だけの現実(パーソナルリアリティ)の基礎の基礎。他の能力者は無意識下で発動しているものだ。しかも、100%の成功率。マジで。
 だけどこの能力、ある意味では重宝してる。他人には説明できない、というか、もしそんな事を言ったら『厨二病(お年頃)』か『本格的な病気』だと思われてしまう方面の事柄で。

「何だかわかる気がします……私の『定温保存(サーマルハンド)』も、触らないと効果がない能力ですから」
低能力者(レベル1)、だったっけ。やっぱり、熱すぎたり冷たすぎたりしたら?」
「はい、触れなくなっちゃいます」
「仲間だ」

 がしっと、飾利と握手する。『触れたものの温度を一定に保つ』という能力を持つその手は、小さく柔らかく。そして温かかった。

「と、そうだ、佐天ちゃん。頬の怪我、大丈夫?」
「あ、大丈夫ですよ。現場で警備員の人に見てもらってますから。傷も残らないそうですし……って」

 そう言って、頬の絆創膏に触れる涙子。その絆創膏に、嚆矢も手を添える。

「――白樺(ベルカナ)

 そして呟く言葉。左手に握るラビッツフットの文字は、ダークブルーの『尖ったB』。
 体を襲う、風邪引きの時のような倦怠感。それを押さえ付け、手を離した。

「え、えっと……?」
「ちょっとしたお呪いだよ。痛いの痛いの飛んでけ的な」

 大分驚いたらしく、硬直している涙子。それを、お道化(どけ)た様子で茶化す。

――まぁ、簡単に言うと……俺は、超能力以外にも『魔術』を使える。得意なのは『ルーン文字』、刻んだ刻印を特定の色に染める事で行使できる魔術だ。
 因みに、今、佐天ちゃんに使ったのは『癒し』の効果を持つルーン。

「び、びっくりした~……」
「ごめん、一言断るべきだったな……」

 少し反省、謝罪を行う。勿論、下心はなかった……筈である。何せ、『女の子に優しくする』のは彼の『誓約(ゲッシュ)』なのだから。

「……相変わらず気障なことしてるわね、対馬くん」

 そんな背中に掛かった怜悧な声。それに、とろりと深い蜂蜜色の瞳を向ければ――そこには、黒いセミロングに眼鏡の女子高生。

「みーちゃんか、久しぶり」
「『みーちゃん』は止めてって何度……はぁ、もういいわ。疲れる、仕事明けに貴方の相手は、本当に疲れる」

 毅然とした表情を一瞬で疲れ果てさせた、風紀委員『固法 美偉(このり みい)』の姿があった。

「お久しぶりね。貴方とまたこれから一ヶ月も顔を合わせる事になると思うと頭痛がしてきます」
「そんなに喜んでもらえるとは、光栄だなぁ」

 辟易したように、彼女は嚆矢を見た後……その後ろの四人を見遣る。
 それに思わず、アイスを隠したのは黒子と飾利の風紀委員二人組。買い食い中を上司に見付かったのだから、まあそうなるだろう。

「……白井さん、初春さん。聞いての通り、この男性は夏季の間のみ第177支部に復帰する予定です。戦闘能力だけは馬鹿みたいに高いので、使い潰す気でこき使ってやってください。それと、もしもセクハラ等があれば即座に報告してください。直ちに制裁しますから」
「「はっ、はい!」」

 だが、どうやら頭に血が上りかけている美偉は気が付かなかったらしい。

「ちょっとちょっとみーちゃん、後輩に穿った情報与えるの止めてくれる? なんだよー、みーちゃんに想い人が居るって判ってからはちょっかいかけてないじゃないか」
「だから……みーちゃんは止めてって言ってるでしょうが! 私は、貴方のそういうチャラチャラしたところが嫌いなんですよ!」
「ぶっ!?」

 と、遂にキレた彼女は嚆矢の顔面に緑色の物を投げ付けた。といっても、布製で大した重みも無いそれが当たっても痛みなど無かったが。

「貴方の腕章です。次からは、確実に装備してから活動するように。他の『支給品』は支部で管理しているから、明日中に顔を出すように。確かに伝達しましたからね!」

 そして一方的にそう述べると、肩を怒らせたままつかつかと歩き去った。
 ずり落ちた腕章を上手くキャッチした嚆矢は、仕方無さげに肩を竦める。

「やり過ぎたか……相変わらず、からかい甲斐の塊だなぁ」
「いやいや……悪趣味でしょ、今のは」
「まぁ、確かに。慌てる固法先輩なんて、珍しいものが見れましたけれども……」

 と、美琴と黒子に突っ込まれる。まぁ、当然である。
 その時、ロビーのテレビから午後五時を告げる時報が流れた。

「さて、そろそろ帰らないとな。明日も学校だし」
「あ、そうですね……あの、ご馳走様でした、対馬さん」
「いやー、アイスなんて久しぶりに食べましたよ。学園都市って嗜好品は有り得ない値段ですから……」
「あれ、さっきのクレープは」
「「別腹です」」
「さいですか」

 と、柵川中学の二人、飾利と涙子は満足そうである。

「あ、ちょっと当たり棒交換してくるから待っててくれる?」
「お姉様、それでしたら私が行って参りますわ。テレポートでぱぱっと交換して参りますから、さあ、早くお姉様の唇がこれでもかと触れた棒を早く黒子にお任せ下さいませハァハァ」

 一方、常磐台の美琴と黒子の二人は、そんなギリギリな会話をしていた。
 ゴミを集めつつ、嚆矢はふとした疑問を抱く。

「……いや、いいわ。凄く嫌な予感するから」

 身の危険を感じたような美琴は、自分の当たり棒を背中に隠す。
 その時、『釣れませんの~♪』とテレポートした黒子が美琴に抱き付いた。あまつさえ、幸せそうに頬擦りしている。

「……なぁ、初春ちゃん」
「は、はい……何ですか、対馬さん?」

 そんな様子を眺めながら、嚆矢は隣の……唖然としていない方の、飾利に話し掛けた。

「ひょっとして……白井ちゃんって、アッチ側の人?」
「……あ、あはは」

 美琴の電撃で焦がされる黒子の嬉しそうな悲鳴が響く中、飾利はただ、乾いた笑いを返すだけだった。


………………
…………
……


 薄い闇の帳が降り始めた市街地を、一人歩く。久方ぶりに、清々しい日だと感じていた。
 腕や股座、そして何より――――『魔術の行使』で受けた肉体的反動(リコイル)はまだ消えていないが、それを相殺して余りある。

――魔術(オカルト)超能力(スキル)は、本来は相容れない。それが大魔術だろうがルーン一文字だろうが、程度の差こそあれ反動は完全にランダムだ。
 まぁ、そこでモノを言うのが俺の超能力(スキル)。さっきも言った通り、『確率使い(エンカウンター)』……つまり、『最も反動が小さい』可能性を選び取る訳である。これにより、俺は今まで生きてこれた。

「ま、これかもそうだとは言い切れないんだけどな……」

 独りごちる背中に、残照が射す。朝とは大違いの、深紅の空。大嫌いな、赤色だった。
 そこに、携帯が震える。見れば、四人分のメール着信。言わずもがな、美琴に黒子、飾利に涙子のものだった。

「……律儀でやんの」

 それを、どこか空虚な気持ちで見る。だが、同時に少し嬉しくもある。『2800円』は、無駄ではなかったのだ。

――まぁ、美少女揃いだったな。中学生であれなら、大人になったら一体どうなることやら。いやはや、楽しみだ。
 残り一週間はモヤシ生活だけど、それだけの価値はあるよな、うん。

 等と邪な事を考えつつ、当たり障りの無い返事を三人に返して。

「ああー、不幸だ!」
「……ん?」

 丁度携帯をポケットに入れた時、そんな声が響く。見れば、自販機の前で頭を抱える……カッターシャツの黒髪のツンツン頭。
 どうやら、自販機に金だけ飲まれたようだ。さっきからジュースの釦を連打しているが、無意味な努力だ。

――えー、何、不幸アピール? 男がやっても引くだけなんだけれども。
 まぁ、今回は気分いいからいいや。美少女四人の番号とメアドゲットの対馬さんの幸福をお裾分けといきますか。

 そう結論、高校生らしき少年の隣に立つ。財布から、小銭を取り出して。

「ちょっと御免、いいか?」
「え、ああ、どーぞ……」

 気落ちしたらしい少年は、右手を自販機に突っ張ったまま脇にずれた。嚆矢は、少年の触れる自販機に金を投入して缶コーヒーの釦を押し――――当たりの表示が出る前に、ジュースの釦を押して。

「――――あれ? 外した……嘘だろ」
「?」

 しかし、ルーレットは外れてしまった。勿論、ジュースは出ない。
 それを訝しみ、少年が右手を自販機から離す。

――マジか、いつ以来だ……クソ、格好悪いな……。なら!

 苦し紛れに、お釣りのレバーを引く。すると、お釣りの小銭と共に千円札が帰ってきた。
 それを見た少年が、俄に色めき立った。

「これ、あんたの?」
「え、ああ、そうそう! 助かった……」

 その千円を、少年に返す。辛うじて、赤っ恥を掻かずに済んだらしい。

「悪い、どうも自販機とは相性悪くてさ」
「じゃあ、これからは出来るだけコンビニか何かの方が良いぜ? ジュース代だってバカにならないだろ?」
「全くだな……ハハ。いや、本当にありがとう」

 ツンツン頭の少年は、疲れたような笑顔と共に頭を下げて帰っていった。

――なんてーか、背中の煤けた奴だったなぁ。

 抱いた感想は、それだけ。そんな事より、コーヒーを啜りながら元通り帰途に着いた嚆矢の頭を占めていたのは――

「おっかしいなぁ、外しちまった……自販機のルーレットとか、いつ以来だよ……」

 無駄な散財をした事、そして能力が不発だった事。それが何故かと言う事だった……


………………
…………
……


 スクーターの貧弱なエンジンを目一杯吹かし、夕闇の帳が降り始めた学園都市の街路を走る。

――やっぱり、夜の方が静かで良いねぇ。こう、太陽の下より月の下の方が活力が沸いてくる気がする。
 何だか、出来る事なら羽撃(はばた)きたい。

 と、信号に捕まった。あと少しで目的地、というところで、

「ちぇ、捕まったか」

 大人しく、停止線で待つ。中には歩道を走る不届き者も居るが、流石にそこまではしない。第一、女性四人の集団が横断歩道を渡ろうとしているのだ。
 その時、右手を挨拶のように肘を曲げて軽く挙げる。後続車に見せる、左折のサインだ。

「――――?」

 それに、横断歩道を渡ろうとしていた女性の一人――金髪碧眼の、同い年くらいの少女が反応した。
 不思議そうに首を傾げる様子は恐らく、知り合いだったかと記憶を探っているからだろう。

 しかし、残念ながら嚆矢にも金髪碧眼の知り合いなどは記憶にない。一度会ったら、忘れないレベルの美少女なのだから。
 と、そこで少女が腑に落ちた顔をした。ぽむ、と手を叩いて……値踏みするように此方を見た後でにんまりと笑い、白いミニスカートから延びるタイツに包まれた脚線美でもって。黄金色の長い髪を揺らしながら、近寄って。

「ふぅーん、私的に顔はギリ合格ラインな訳だけどぉ……」
「は?」

 等と、嘲るように笑う。その後ろを、我関せずと残りの三人……気の強そうな茶髪にワンピースの女性とボンヤリしたジャージ姿の黒髪おかっぱ少女、オレンジのフードを目深に被ったホットパンツの小柄な少女(?)が歩き去っていく。

「結局、女の子四人組をナンパしたいんなら、最低でも車くらい持ってないと問答無用で不合格な訳よ」
「……いや、あのね」

 なるほど、そう来たかと。どうやら盛大な勘違いをしているらしい、帽子の脚線美少女に。

「……何、超恥ずかしい勘違いしてやがるんです? その人はあなたに声掛けたんじゃなくて、超左折しようとしただけです」
「――えっ?」

 ポケットに手を突っ込んだまま、フードの少女が仕方無さげに突っ込んだ。金髪の少女はそれを受けて、確かめるように此方を見る。
 だが、言いたい事は大体フードの少女が言ってくれたので、頷くだけに留めた。

「…………だう~!」

 刹那、瞬間沸騰した金髪少女は、思いっきり頭を抱えて向こうに全力疾走していった。

「超迷惑かけました。あの人は、普段からあんな感じで超抜けてるんで、気にしないでいいです」
「あ、そう?」

 それを見送り、傍らの少女の言葉に曖昧に頷く。その心を埋めていたのは、先程の少女の事。
 有り体に言えば、『電話番号くらい聞いておけば良かった』という後悔の念だった。

「いやぁ、可愛い娘だったなぁ……ブロンド美少女とか、マジで居るんだな。『博物誌』に出てくるレベルの伝説上の生き物だとばかり……」

 そんな慚愧の思いをつい口に出しつつ、気が付いたのは……フードの奥から除く、爛々たる紫色の瞳。

「……えっと、どうかした?」
「いえ、超別に」

 居心地の悪さに問い掛ければ、ついと逸れる視線。と同時に、背後の車がクラクションを鳴らす。
 けたたましい音に、慌てて謝り――少女を見れば、既に向こうの歩道。

 しかし、気にしている暇はない。宣言通り左折して、嚆矢は姿を消した。

「う~、誰か教えてくれても良いじゃない!」
「知らないあんたがバカなんだろ?」
「だいじょうぶ、非常識で空気が読めなくても死にはしない」
「死ぬほど恥ずかしい訳よ!」

 それを見送ったフードの少女は、『あ~、赤っ恥を掻いた』と喚いて衆目を無駄に集める金髪少女を尻目に。

「……超、人違いですね。本当に『彼』なら、超死んでもあんな事は口にしませんし」

 一人、そう結論付けて。姦しい三人組とは他人を装いながら、後に続いたのだった。


………………
…………
……


 小さな路地の奥地にスクーターを停める。まず警官など入ってこない場所なので、一先ず路駐させて貰う。
 目の前には、小さな店。明治初期の西洋建築のような見てくれの、知らなければ営業しているとは分からない喫茶店。屋号は、錆び付いたブリキの看板に辛うじて、『ヅッファザラブ・クァダ 茶喫純』と左読みの文字……即ち、『純喫茶 ダァク・ブラザァフッヅ』の屋号が読み取れた。

 その樫の木の扉を開ければ、年代物のドアベルが来客の報を主に伝える。

「今晩はです、ニアルさん」

 これまた年代物の鈍い金の蓄音機に掛けられたレコード盤からしっとりとしたバラードの流れるカウンターの奥から、煙草を燻らせながら英字新聞に目を通していた黒髪の男性『ニアル・ラトフツプ』が此方を見遣る。

「おや……これは、コウジくん。いらっしゃい」

 低く、落ち着いた重厚な口調。さながら、時を経たサックスの音色をイメージする、色気に溢れたその声。

「今晩は。君がここに来ると言う事は、何か入り用ですか?」

 国籍不詳の瀟洒な洋風の服装の色黒の男性は灰皿の縁に煙草を預け、ソーサーに乗ったカップから立ち上る芳しい香りの珈琲を一口啜り、燃えるように赤い瞳を穏やかに微笑ませた。

「いえ、今日は普通に珈琲を飲みに。ホットで一つ」
「そうですか、流石に君は運が良い。実は、良い豆が手に入りましてね……」
「ハハ、来た時からその珈琲の香りに気を取られっぱなしですよ」

 軽口を交わしながら、カウンター席につく。チラリと目についた英字新聞のタイトルは、『アーカム・アドヴァタイザー』。日付はなんと、1920年代。『ダンウィッチ』とか言う村で村民が家ごと押し潰された上、血を一滴残らず吸われて殺される怪事件が起こっているとかなんとか。それを解明すべく、なんとか大学のかんとか博士が調査に乗り出したとか。まぁ、百年も前の事件、既に解決しているだろう。
 他の客はいつも通り見当たらない。経営が立ち行くのかと不安になるのだが、三年ほど経った今も平然と営業している。

嗚呼(ああ)、そうでした。豆以外にも、コウジくんに見せたい物があったんでした」
「え、なんですか?」

 因みに、此処は喫茶店以外にも『何でも屋』としての側面も持っている。ただし常連の一握り、マスターのお眼鏡に適った人物のみだが。
 『代金さえ頂ければ、避妊具からABC兵器まで何でもご用意しますよ』との謳い文句通り、どうやってかは全くもって分からないが、注文の品は必ず手に入る。

――一度、真剣に調べようとしたけど……教えてない筈の俺んちのポストに、いつの間に撮られたか分からない尾行写真と『オイタが過ぎますよ』とだけ書かれた便箋が入っていて諦めた。

「これです」
「へぇ……随分と古い本ですね」

 珈琲と共に差し出されたのは、題名すら読めない……というより、何語かすらも分からない本。
 辛うじて、それが羊皮紙で出来ている事が理解出来た程度である。

「ラテン語です。記されたのは中世、錬金術に関するものだそうです」
「錬金術、ですか……でも俺、魔術はルーンを多少かじってる程度ですよ?」

 因みに、マスターは嚆矢が『魔術使い』である事は知っている。嚆矢としては、いつの間にバレたか不明で戦々恐々なのだが。

「だからこそ、ですよ。君のルーンと錬金術の相性は良いのです。錬成と刻名、それは切っても切れぬものなのですから」

 成る程、一理ある。『錬金術』は物を作り出す魔術、『ルーン』は刻む事で効果を発揮する魔術だ。
 それは、彼の『親』から学んだ。アイルランド生まれで、今は滅んだ『ケルト魔術』を操る『樹術師(ドルイド)』の末裔である義母と……九州地方の、()る金属鍛冶の家系を継ぐ義父の相性の良さから。

 果たして義父が知っているかは疑問だが、義母は義父の作に良くルーンを刻ませている。端から見ればただの模様だが、用途に応じた様々な加護のルーンを。
 お陰で、学園都市の主要な料理店の板前やレストランのコック御用達の高級調理品職人として通の間では有名である。

「ご存じですか、コウジくん。『魔術師』と『魔術使い』の違いを」
「ええと……『一品物を使う』のが前者、俺みたいに『既製品を使う』のが後者……でしたっけ?」

 そう、教えられた通りに答えれば――焔の瞳を細めて魔導師が笑う。

That's right.(よくできました その通りですよ)。故に、君が真に魔導を志すならば――――知識は、幅広く有った方が良いと言う訳です。」
「……成る程」

 同じ男ですら惹き付けられそうな、その妖しさ。もしも女ならイチコロであろう。

「さて、良く出来た御褒美です。その書は差し上げましょう」

――あーあ、俺もあれくらいイケメンだったらなぁ……風紀委員の娘達も、さっきの娘だって、あっちの方から番号とか教えてくれたんだろうなぁ……

 等と、ついつい無い物ねだりで腐ってしまった。それを、見咎められる。

「どうしましたか、急に上の空になりましたが?」
「いえ、ちょっと……世の無情を」
「哲学ですか……それもよいでしょう、思考は魔術にとって最良の触媒ですからね」

 言われた通り、古書を紐解く。一見した通りに羊皮紙にインクで記された不可解な文字や挿し絵。

「にしても、全く解りませんよコレ……」

 頁を捲れば捲るほど、こんがらがる内容に頭を抱える弟子。それを、魔導師は微笑みながら。

「そんなコウジくんの為に、このラテン語辞典(定価25000円)の初版本がありますよ。身内割引で二割引しましょう」
「……ニアルさん、学生が二万も持ち歩いてる訳無いじゃないですか」

 その逞しすぎる商魂に舌を巻きつつ、辞書を返す。事実、彼の財布には二千円くらいしか入っていないのだから。

「そうですか、残念です……モテると思ったんですけどね、自己紹介の時に『第二言語、ラテン語』」
「買います。借金してでも買わせていただきます」
「毎度有り難う御座います。では、ローン契約書にサインを」

 結局、魔術的な契約書にサインさせられたのだった。


………………
…………
……


 唯一の弟子(きゃく)が帰った後、魔導師(マスター)は店の明かりを消した。ドアには『CLOSE』の掛札、営業終了である。
 外からの明かりのみが照らす室内、その窓辺に珈琲を片手に……煌々と燃え盛るような深紅の瞳で、遠く聳えるビルを見遣る。

「さて、こちらの手札は揃った……ゲームを始めようか、大導師(アデプタス・イグゼンプタス)。君の『法の書(リベル・レギス)』と私のシナリオ……どちらが優れているか、ね」

 先程までと同じく、穏やかな笑み。しかし、そこに含まれるものは明らかな――――

「聞こえてくるようだね、か細く呪われたフルートの音色と、くぐもった下劣な太鼓の連打が」

 くるくると回る、いくつもの風力発電装置の彼方――――肉眼では見えようもない、闇の中。
 そこに聳える、『窓の無いビル』を見詰めて―――――― 
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