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俺達のこれから

作者:いも虫
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始まり


「いらっしゃいませー」

 近所のコンビニでバイトを始めてから、最近のやっと、このいらっしゃいませーの挨拶が言えるようになった。前々から此処の店長の岩本さんには「杉本君、声が小さいよ。それともっとちゃんといらっしゃいませって言えないと」と何度も注意されてきた。レジに立ち、客を迎える度に今度こそはと決意するものの、研修生の頃はどうもあと一歩の勇気が出せずに時間だけが過ぎていた。けれど、研修生と書かれた名札が取ってから2か月経ち、俺は何とか声を徐々にだが大きく、はっきりと出せるようになってきた。時間は掛かったが、何日も続けていくと言えるようになるものだ。

「杉本くぅーん」

 しかし、2か月の間で変わったのは杉本 真(スギモト マコト)俺だけではなかった。俺が研修生の頃はもう少し痩せていた筈の岩本さん。61日間という長い時間の中を怠惰に過ごした岩本さんは、腹回りだけを見事なまでに脂肪で肥やし、レジに立つ俺の目の前を駆け足で向かってくるごとにぶるんぶるんと上下に揺らしながらその成果を見せつけてくる。

「はい」

 足を一歩踏む度に揺れる大きな腹に圧倒されながら、俺は岩本さんに聞こえる程度の声量で返事をした。

「最近は声がちゃんと出てるね。いいねー。その調子だよ杉本君。これからも頑張ってね!」

「あっ、はい・・・」

 レジの前まで来て何の用かと思ったけれど、ただ俺を鼓舞しに来てくれただけのようだった。素っ気無く頷いて言葉を返すと、岩本さんはにこやかに振り返り自分の持ち場へと戻って行った。褒められて悪い気はしない。自慢ではないが、声が出るようになってからは仕事も順調で、意外とここでやっていけるんじゃないかと嫌いだったバイトの最中にそう思えることも多くなってきた。同僚達から教えられた業務は滞りなくこなせるし、今のところ大きな失敗もない。

「すいませーん」

 ただ、一点。どうしても慣れない苦手分野を除いては、問題はなかった。

「えっ・・・あっ・・・・はい」

 学校帰りの高校生だろうか。缶やペットボトルや紙パック。様々な飲料水が並べられている冷蔵庫の前でたむろする数人の学生達。学校の制服を着てスクールバックを肩に背負った学生の一人が、俺に向かって声をあげた。俺はどもりながらも返事し、レジを抜けて足早に学生たちが吟味している飲料水が並べられているコーナーへと向かった。近くまで駆け寄ると、学生達は幾つものペットボトルが置かれ並べられているショーウィンドーの棚の前に立ち、目を凝らしながらゆっくり頭を右に移動させながら商品を見つめていた。一人ではなく、数人で一緒にその動きをやるものだからここのフロアでは変にこの学生達は目立っていた。

「ど・・・どうかしましたか・・・?」

 緊張しながらも声をかけると、変な動きをしていた一人の学生がそれを止め、こちらに歩み寄ってきた。学生の容姿を下から上へと眺めると、薄汚れた学生靴に、よれたシャツ。金色の指輪に金のネックレス。ピアスだらけの両耳。茶色くこげた肌におくぶたえな目、そしてカチューシャで纏めた金髪の髪。彼の柄の悪そうな風貌に少々困惑したが、姿や立ち振る舞いで相手の印象を決めつけるのは失礼だ。それにここは私情なんて挟めない仕事場だ。例え相手が自分の一番苦手であり好まない人種であったとしても、俺がここの店員である以上。俺は彼の、いや彼等の対応を否応なくしなくてはならない。

「あのぉーう。ここにあった飲み物ってぇー」
 きた。だが大丈夫だ。慌てるな俺。深く息を吸え、そしてゆっくりと吐け。呼吸を整えろ。落ち着きを取り戻したところで、元気よく相手に応えるんだ。

「もう、ないんですかぁー?」

 ここで勇気を出さず、いつ勇気を出すんだ俺。さぁ、腹に力を込めろ。

「はぁぁーーーいっっ!!!!」

 しまった。勢い余って限界まで声を張り上げてしまった。

「え・・・」

 俺の今の大きな返事に、目の前の彼や棚を物色していた彼の友人達、客や同僚、店長までもが俺に目を向けた。一瞬にして静まり返る店内。空回った俺の元気。突き刺さる視線。そして誰も喋ることのない沈黙が刻々と経過する。自分で引き起こした事態とはいえ、どうしていいのか全く分からないこの状況。こんな時はさっさと失礼しましたと頭を下げて道化にでもなれば、嘲笑の的となって直ぐに事態は収束する筈なのだが、俺は頭を下げようにも突然集まった視線と重圧に俺は体を動かせないでいた。金縛りのように身動きの取れない視線に声すら出せない重圧。段々とそれらは胸を締め付けるような緊張へと変わり、俺の胃を急速に圧迫していく。それのせいなのか、俺の体調は唐突に悪くなった。俺は頭を下げる前に両手で口を押え、身を屈める。

「お、おいっ! 大丈夫かよ!? 店員さん!!」

 一番苦手なタイプの人間だと思っていた彼が、よろめく俺の肩を掴み支えてくれた。おまけに俺の安否まで心配までしてくれている。

「ご・・・ごめん」

 風貌や立ち振る舞いだけじゃ、やっぱ分からないな。そう思った俺は、咄嗟に彼に向かって謝罪をしていた。そして、謝罪の言葉を口に出したその直後。胸に猛烈にこみ上げてくる何かがあった。これは彼に対する激情なのかと錯覚したが。

「うっ・・・おえぇぇぇぇっっ!!」

 何てことはない、ただ嘔吐を催しただけだった。
 
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