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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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決戦3



 鼓膜を叩く衝撃音と、視界に広がる発光に意識が遠くなる。
 突き飛ばされて撃ちつけた雪の冷たさも痛みも感じない。
 焼けるような熱さが顔を襲っていた。
 どうなっているか。目を開けようとしても、顔の感覚がない。

 うっすらとした右目に、慌ただしく走る兵士の姿が映った。
 叫んでいる兵士がいる。
 しかし、いまだに馬鹿となった耳に音が入ってこない。
 口を開いても、自分が何を言っているかすらわからない。

 酷いものだと苦笑して、アレスは倒れる身体に力を込めた。
 状況すら理解できない。
 しかし、やるべき事は知っている。

 落ちていた銃を握りしめて、アレスは塹壕から顔を出した。
 帝国兵は、いまや間近にまで近づいてきている。
 そこにアレスは容赦なく引き金を引いた。
 レーザー光が雨となって、帝国兵を穿つ。

 狙いを付ける必要がない。
 それでもなお大量の帝国兵は、幸いとばかりに押し寄せていた。
「――!」
 小さな舌打ち。くぐもった音が聞こえて、隣に並ぶ影がある。
 バセットだ。

 髪を焦がして、顔を赤くしながら、アレスの隣に並んで撃ち続ける。
 その状況を見た兵士達が、慌てる事をやめて塹壕に並んだ。
 敵の攻撃が弱まった。
 そこでアレスは視界の先に、赤毛の少年を見つける。

 まだ年若く――しかし、はっきりとわかる強い意志。
 周囲を指揮しながら、押し寄せる姿に、アレスは弾倉を交換した。
 視線が交錯する。
 一瞬先に、引き金を引いたのはアレスだ。

 元より銃の扱いは人一倍下手である。
 狙う必要もない乱射は、一秒間で数十発と放たれる光線。それを赤毛の少年――ジークフリート・キルヒアイスは驚くべき反応で、避けた。
 照準を読んでいるかのごとく、足場の悪い雪原の大地を走り抜ける。
 気付いたバセットも狙うが、距離は瞬く間に縮まっていた。

 こちらの攻勢が弱まり、キルヒアイスは銃を構える。
 塹壕という高い位置にいたとしても、彼は狙いを違えないだろう。
 一瞬でこちらの眉間に穴をあける。
 間に合えばだが。

 キルヒアイスが銃口を向けたと同時、アレスが既に安全弁を抜いていたプラズマ手榴弾を投げる。
「今度はそちらが逃げる番だな。逃げる時間は与えないけどな」
 ようやく聞こえるようになった耳朶に自らの言葉が聞こえた。

 投げられたプラズマ手榴弾は、着地と同時に閃光をまき散らした。

 + + +

 光がおさまって、視界に抜けたのは青いレーザー光だ。
 それはアレスの頬をかすめていった。
 小さく汗を流すアレスの前で、雪煙が晴れて見えたのは赤毛の少年の姿だ。

 さすがに無事ではなかったようで、防御服の一部が焦げて、銃を握る手からは出血が見られる。それでも真っ直ぐに構えて、動かぬ様子にアレスは頬をひきつらせた。
 化け物か。
 アレスよりも遥かに年少のはずの少年は、しかし、歴戦の戦士のようだ。

「撃ち続けろ」
 バセットの号令に、兵士達が再び銃撃を開始する。
 キルヒアイスは一度こちらを睨みつけ、背後に駆けだした。
 プラズマ手榴弾と、こちらの一斉射撃の前に失敗を認識したのだろう。
 無駄に攻撃を仕掛け、出血する事なく、即座に撤退を選択する。

「判断力も一流だな」
 末恐ろしい――小さく息を吐いて、アレスはその背を追い続ける。
「追撃しますか?」
「いや。それよりも……」

 バセットの問いかけに首を振って、アレスは塹壕内に視線を向ける。
 丸く、雪がくり抜かれたそこに兵士達が集まっている。
「少尉――手当をします」
「俺は大丈夫だ」

 差し出された白い布を受け取って、痛む左顔面に当てる。
 白い布が血に染まっていくのが見えた。
 それでも見えたという事は、眼球は傷ついていないようだと思う。
 兵士に銃を預けながら近づけば、集まっていた兵士達が道を開けた。

 横たわるカッセルの傍に立つのは、衛生兵の姿だ。
 こちらの顔を見れば、ゆっくりと首を振った。
 
 + + +

 それは一目で助からないと分かる。
 至近距離からのプラズマの熱を受けて、融解した防御服が身体に張り付いている。

 顔の部品すらも一部がバターのように溶けてしまっていた。
 それでもうっすらと開いた左目が、こちらを見て、安堵の表情を浮かべた。
「御無……事でしたか」
 放たれた言葉は、随分とか細く――ともすれば戦場の騒音で消えそうなほどに小さい。

 横たわるカッセルの隣に座って、アレスは言葉に迷う。
 ありがとう。
 良くやった。
 悪かった。

 様々な言葉が浮かんでは、口に出る前に消えて、同時に残された時間は少なくなる。
 顔を覗き込んで、呟いた。
「無事に退職を迎えるのじゃなかったのか、爺さん」
 呟かれた言葉に驚きの視線が、アレスに集中した。

 何を言っていると言葉になる前に、横たわるカッセルから小さな声が聞こえた。
 笑いだ。
 苦くも――誇らしげな笑い声に、誰もが言葉を失う。
「厳しいですな。ですが……」

 僅かに言葉をきって、カッセルの双眸は穏やかにアレスを見る。
「昔の夢は――忘れたつもりで、忘れきれなかったようです」
 それは周囲にいた誰もが理解できない言葉。
 だが、理解して、アレスは眉根に力を込めた。

「死ぬのは英雄とは言わない。バカって言うんだ」
「知りませんでしたか。英雄と馬鹿は実に――実に紙一重なのですぞ?」
「本当に馬鹿野郎……だな」
 唇を噛み締めて呟いた言葉に、カッセルは誇らしげに笑んだ。
 そして、視線をアレスからそらす。

 誰もいない空を見るように、遠い過去を見るように。
 何もない曇天を見つめながら、カッセルは静かに言葉を口にした。
「少尉。なぜ、辞めないかを私に聞かれましたな」
「……ああ」

「家族を守りたい。あの言葉に偽りは…ない。ですが……今、こうして考えると何もそればかりではない気がします」
 穏やかな、実に穏やかな言葉。

 今にも消えそうな言葉に、誰もが言葉を発せない。
 近くの爆音ですら、カッセルの言葉のBGMにしかならなかった。
 薄れゆくカッセルを見つめて、彼の――最後の言葉を待つ。
「四十年近く――私は幾人もの死に立ち会ってきました。上司、同僚、部下、良い奴、悪い奴。みな等しく……死の間際に心残りを口にして」

 吸い込んだ息が、風音を立てた。
 気管が焼けて、満足に息も吸えぬ状況で、ただカッセルは唇を開く。
「理由は違う。わしのように私的な理由もあれば、国に殉じたものもいた。ですが、ですが、誰もが……」
 咳き込んだ。

 息と共に血を吐きながら、それでもカッセルはアレスを見る。
 再び宿る強い意思に、アレスはカッセルの手を握り、言葉を待った。
「誰もが己の望みを、わしに託した」

 アレスの眉があがった。
「俺の望みを叶えてくれ。だから、それまで死ぬなと――そう言うのです」
「……随分と」
 真っ直ぐな望みに、アレスは穏やかに口の端をあげた。

 悲しみを目にしながら、それでも作り笑いを浮かべて、笑う。
「随分と勝手な願いだな」
「まこと。だが、その願いが私の四十年を縛る。勝手なものです――ですが、こうして道半ばで思えば、彼らの気持ちもわかる」

 そこで、カッセルは今までにない楽しげな笑みを浮かべた。
 笑う。
「この勝手な願いを、少尉にも託してよろしいでしょうか。なに、私は同盟などと大きな事はいいません。ただ……家族が、私の家族が……安心して生きられる。そんな世界を……」

 握りしめていた手に力がなくなる。
 瞳から光が失われても、かろうじて彼の二つの目はアレスを見ていた。
「お願いします」
 爺さん。

 問いかけた言葉に、返答がない。
 もはや力なく――首が落ちた彼は反応を示さない。
 彼の名前を三度読んで、アレスは噛み締めていた唇に力を込めて、そっと瞼を閉ざした。
「返答も待たずに……この、タヌキ爺」

 ひきつった表情と共に静かに呟かれた名前の主――カッセルは二度と瞳を開けなかった。

 + + +

「敵もしつこい」
 帝国軍の司令部から眼下の状況を見つめて、副司令官マーテル中佐は唇を噛み締めた。
 何十回目にもなる突撃はぎりぎりのところで失敗した。
 前線からは続く作戦を尋ねる伝令が走る。

 突撃の継続を求める声。
 後方部隊の再編成についての声。
 声、声、声。
 戦場では一瞬一秒の判断ミスが、作戦を瓦解に導く事をマーテルは知っている。
 もっとも王手まであと少しというこの時点では、そこまでの至急はないだろうが。

 しかし。
「大佐がどこにいったのか、まだわからぬのか」
「は。所用のため席を外すとおっしゃり、まだ帰ってこられません」
「所用だと。この戦場で大佐に護衛もつけず、どこにいったかも把握をしておらんのか」
「申し訳ございません。それは機密事項であるとおっしゃられ」

「ならば、所用ではないではないか。所用を辞書で調べ直せ、馬鹿者」
 マーテルの怒声により、大佐付きの兵士達は背筋を伸ばした。
 さらなる怒声が浮かぶが、マーテルは言葉にせずに唇を噛んだ。
 兵士ばかりを攻められるものではない。

 基地司令官から機密事項であると言われれば、マーテルですらも深くは聞けない。
 独断専行はこれが初めてではないが、困った癖であることは間違いがなかった。
「第32中隊、敵が回復する前に再度の突撃を行いたいとの伝令、許可を」
「第21中隊。突撃前に再び後方に対空砲火部隊の設置許可を求めています」

 様々な声はあれど、大まかに分ければ二通りだ。
 即ち、攻撃か防御。
 予想以上の敵の反撃に、こちらの対空部隊は満足な編成を行えていない。
 その再編成を求める声が一つ。

 もう一方はこのまま敵陣に対して攻撃を仕掛けるというものだ。
 どうするかと、周囲を見渡せば指令部での最上位はマーテルしかいない。
 誰もがマーテルの返答を待っている。
 大佐が来るまで待つか。

 そう思いかけて、いやとマーテルは首を振った。
「こちらが時間をかければ、敵はさらに防備を厚くするだろう。ならば時間を与えず、全部隊で徹底的に攻め込め」
「はっ」

 走り出す兵士を背にして、マーテルは息を吐く。
 マーテルは決して敵を――いまは名も知らぬアレス・マクワイルドを侮っているわけではなかった。むしろ、敵ながらアレスを認めていた。
 だからこそ下した命令。

 それは瞬く間に最前線に伝わり、同盟軍を食い破る獣となった。

 + + +

 突撃部隊の後退から、半刻も待たずして同盟軍の前線基地に押し寄せる部隊がある。
 総力戦と言わんばかりの人数に、塹壕から身を乗り出して、アレスは息を吐いた。
 元々が分の悪い賭けだ。

 見上げる空は雪こそないものの曇天が広がり、いまだ味方の来援はない。
 敵はこの戦いで決着をつけようとしている。
 そうでなくても、アレスが率いる隊に残された銃弾は少ない。
 体力も限界だろう。

 この次はない。
 死ぬか。
 そう自問すれば、その可能性は非常に高いように思われた。
 物語の世界に生まれ変わり、そして、最初の戦場で散る。

 それは随分と。
「どうかいたしましたか」
 問いかけられた言葉に、振り返れば小銃を持ったバセットがいた。
「いや、どうも」
「そうですか。随分と楽しそうだったので、何か名案が浮かんだのかと」

「楽しそう?」
 そう言われて、アレスは自分の顔に手を置いた。
 流れた血が乾いて硬くなった包帯。
 左半分が包帯で巻きついていれば、表情などわかるはずもない。

 しかし、部下としては怯えるよりも、むしろこの状況下においても笑みを浮かべる指揮官の方が信頼できるのだろう。
 集中する視線は、何かを期待するような視線であった。
 絶望で死ぬよりは、マシか。
「雪が止んで、敵は対空部隊の編成を中止したようだ。これで救援部隊が撃たれることはないさ」

「だから、後方部隊に集中砲火を」
 答えずに、アレスは前を向いた。
 救援部隊が来るかどうかはわからない。
 だが、この状況でアレスに出来る事は終わった。
 ならば。

「あとは味方の来援を待つだけだ。それまで、死ぬなよ?」
 呟かれた最後の命令が、同盟軍の兵士達を奮い立たせた。
 押し寄せる敵の声に負けぬように、一人が声に出した叫びが伝播していく。

 兵士達の目にはもはや絶望はなく――。

 
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