ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OVA
~慟哭と隔絶の狂想曲~
嘆きの歌
何を言われたのか、一瞬分からなかった。
言葉や単語にも満たない音の羅列が、唇と唇の隙間から漏れたような気がしたが、それを脳が認識することは叶わなかった。
数秒掛けて唇の痙攣をどうにか抑え、それでも震えている言葉を吐き出す。
「…………何言ってんだよ、リータねーちゃん」
その言葉に、矢車草の名を持つ女性は、たははと笑う。
こんな状況でも、屈託なく笑う。
こんな状況でも、明るく笑う。
いつものように。
いつものように。
「ッ!そ、そうだ!別にここで全員殺さなくてもいいんだよ!ここから逃げて、主街区……圏内に逃げ込めば…………。そ、そう!毒のダメージもキャンセルされるし!」
アンチクリミナルコード圏内、通称《圏内》ではプレイヤーはシステム的に保護されており、所からの落下やプレイヤーの攻撃などいかなるダメージも無効化される。各種の毒アイテムも一切機能せず、アイテムを盗むことも不可能である。
しかし――――
「ううん……」
笑ったままの顔で、リータは首を横に振る。
「お姉さんの……カーソル、………見て」
「か……カーソル?」
顔に集中していた視線をゆっくりと上に移し、頭上に据えられている彼女の三角形のカーソルを――――
「な……………」
音もなく絶句する。
彼女のカラーカーソル。
SAOでの、あらゆる動的オブジェクトはそれぞれのカラーカーソルを所持している。モンスターならば白にほど近いペールピンクから血のように濃いダーククリムゾンといった赤色系統。
そして、プレイヤーには――――
グリーンと、オレンジ。二色のカラーカーソルが与えられている。
一般プレイヤーに与えられているのは前者、グリーンだ。普通にモンスターを狩って、普通にアイテム類を買って、普通に生きている人々に与えられる、普通なもの。
そして、もう一つ。
フィールド域内にて、前述のグリーンカーソルを有しているプレイヤーのHPを減少させた者に与えられる、最も忌むべき称号。犯罪者カーソル。
自分の細っこい腕の中に納まっている女性の頭上には――――
毒々しいオレンジに染まったカーソルが浮かんでいた。
「な………んで」
唐突に脳内に湧き上がる、記憶の嵐。
そもそも、どうやって彼女はこの場に現れた?
いや、もっと正確に言えば、どんな動作をして皆の注目を集めた?
「あ…………」
手元に視線を移す。
さすがに付けられた傷はもう跡形もなく消えてしまっているが、さすがに数分前に受けた攻撃くらいのことは覚えている。
リータは、神速の勢いで剣戟を交差していたレンとノアの戦いの最中。短剣を投げつけて同士討ちを狙ったのだ。
レンという、グリーンカーソルを持つプレイヤーの腕を狙って。
「………………………………」
たとえ装飾用にも見える短剣で与えた傷でも、数ランクも下の武器で与えた傷でも、ダメージを負わないという選択肢はありえない。
100でも、10でも、1でさえも、ダメージはダメージである。
それがHPの減少であることは変わりない。
そしてそのせいでオレンジプレイヤーになることも、変わりはない。
犯罪者プレイヤーには、一般プレイヤーとは違い、様々な制約に苦しむ事になる。
その大半はもっぱら、対人、人間関係であろうが、しかしシステム的な面を突き詰めていくと一つしかない事はあまり知られていないのではなかろうか。
それは、”アンチクリミナルコード圏内への侵入禁止”
一見、全プレイヤーに味方しているコードであるが、しかしそれにも保護対象外が冷然と存在している。
それが、オレンジカーソルを所有するプレイヤー。
禍々しいその色に染まったカーソルを有する者が《圏内》に入ろうとすると、システム的に破壊不可能に設定された守衛NPCが出現し、つまみ出されてしまう。
そう、”つまみ出されて”しまうのだ。
金を払えば入れてもらえるとか、監視の目を掻い潜るとか、そんな裏技的突破手段は一切存在していない。文字通り、彼らは絶対的な存在なのであり、今の状態のリータには限りなく酷薄で冷徹な存在でもあった。
「そん………な」
視界がぼやける。
自分が何をやっているのか分からなくなる。
奇声を上げて、殺人者達が各々の得物を振り上げ、自分達を殺さんと突進してくる。
それらは、レンは先ほどまで一人ずつ確実に薙ぎ払っていた。
だけど、その気が起こらない。
殺すとか殺さないとか、そういう次元ではなく、本当に、本質的に、何もしたくなくなる。
四肢の先から力が抜け、地面に膝をつきそうなほどに脱力する。
ずっと、本当にずっと後に生存している《六王》達を初めとするプレイヤー達は今のレンを見たら口を揃えてこう言うだろう。
あれは、諦めを起因とする《零化現象》という心意現象だ、と。
魂からアバターに伝わる信号がゼロに埋め尽くされた状態。無力感や諦めのようなイメージがイマジネーション回路に大量に流れ込んだ結果、仮想体が「動けない」状態に上書きされてしまう現象だ、と。
しかし、この世界の神様はみるみる視界をブラックアウトさせるレンを許しはしなかった。
許さなくて、赦さなかった。
「《花弁加護》」
突然、朗々と響く発声音がアバターから剥離しかけていたレンの意識をかろうじて繋ぎ止めた。
同時。
二人に襲い掛かろうとしていた殺人者達が、空中で真反対に吹き飛ばされた。
それは蕾。
地面を割るようにして現れた、一枚だけで三メートルはあろうかという巨大な花びらの群れが、レンとリータを優しく包み込んだのだ。強固な花弁が、あらゆる攻撃から内部を完全に守護する。
だが、その花弁はリアルなものではない。一枚一枚が薄透明に透き通っていて、それ自体もまた薄緑色に発光していた。
「しん………い?でも、誰が………」
壁のように立ち塞がっている花びら越しに周囲を見回すが、血気だった男達の身体に阻まれ、なかなか全容を見ることはできない。
これだけの規模の心意を長時間維持する事も大概だが、それをレンの知覚範囲外から遠隔で行使するなど、もはやヒトの為せる技ではない。心意システムは多大な集中力を用いるため、戦闘中ではもちろんのこと、自らの皮膚を介さない遠隔で行使するとなると、一気にその難易度を増すのだ。
もう一度首を巡らせるが、やはり術者――――過剰光を体に纏っているプレイヤーは見えない。
きょろきょろと周囲を見回すレンだが、その動きは唐突に、それこそ凍らせたかのように停止させられた。
首に回された、華奢な二本の手に。
「………ごめんね」
そう、言った。
やっと三分間経過したのか、消えつつある鮮血の下から綺麗なブルーの輝きが見て取れる前髪の奥から、見上げて言う。
ぽつり、と。
思わず零れ落ちたとでもいう風な、かすかな声。
「ごめんね、レン君。お姉さんが……もっと早く気付いてれば。君も………お姉さんと同じように、傷付いた人間だって、分かってれば……」
ごめんね、とリータは再三繰り返して言った。
真珠のような光の粒が女性の目尻に盛り上がり、次々に滴り落ちて空気に溶け消えた。
―――そんなことない。そんなことは……ない。
そう言いたかったのに、厚い塊がノドを塞いで声を出せない。せめて懸命にかぶりを振る。
その頬を、細い指先がそっと撫でる。
「ホント……、ホントはね。今日の朝、お姉さんは君を殺そうとしたのよ」
驚愕に息を呑む。
プレイヤーを守るシステム的保護フィールド、アンチクリミナルコードだが、その眼をかいくぐる方法は残念ながら存在している。
それは、コードの方が悪いのではない。その恩恵を受けているプレイヤー側の話だ。
どれほどコードが完璧なものであっても、それを使いこなす者が不完全であれば、コードの方も簡単に不完全なものとなってしまう。
一般的に、プレイヤーに一番隙ができるのは睡眠時である。
他プレイヤーの座標を人為的に動かす事のできるほとんど唯一の手段、担架アイテムによって眠っているプレイヤーを《圏外》へ移動させ、そこでHPをゼロにさせるなどといった、俗に言われる《睡眠PK》技が存在する。
その中には、《圏内》で《完全決着モード》での決闘を申し込み、睡眠時で自力での操作が不可能であるプレイヤーの指を動かし、受諾合否ウインドウのOKボタンをクリックするというPK技がある。
リータがやろうとしたのは、まさにそれ。
寝ているレンの部屋に、こっそり受諾させたパーティーメンバーという身分を利用し、忍び込む。宿屋の扉は、デフォの状態では『パーティーメンバー間での開閉自由』であるため、鍵が掛けられていても侵入することは容易だったろう。
そして、寝ている自分に対して決闘を申し込み、指を動かしてボタンを押させる。
たったそれだけの動作で、一人の少年の命はあっけなく終焉を迎えていたはずだ。
―――じゃあ何で、僕は生きているんだ………?
そんなこと、決まっているじゃないか。
レンの表情から察したのか、淡く微笑みながらリータは口を開いた。
「そう、殺せなかったんだ。指を掴んで、あとは受諾ボタンを押すだけだったのに、何だかやる気が起きなかったの」
やる気。
殺す気。
殺る気。
「なんでだろうね。手が震えて、できなかったんだ……。君が、君があんまりにも…………」
その先は言葉にせず、リータはにっこりと微笑んだ。
太陽の下で咲き誇るヒマワリのような、いつも彼女が浮かべていたような笑顔を。
「透明だったから」
「………………………え?」
「寝ている君は、初めて会った時とは別人みたいに無垢で、透明で………無邪気だった」
くすくす、と面白そうに女性は笑った。
心底自嘲気味に、笑った。
「バカみたいでしょ?ここまでした復讐者が、こんな事で簡単に殺せる機会を逃したんだから」
そんなこと、と言いかけたレンの唇を、しかし頬から動かした右手の人差し指の先で優しく塞いだ。
「だから………私を殺すのは、毒なんかのダメージじゃない。他でもない君の手で、殺して欲しいの」
だけど、と。
矢車草の名を持つ女性は言う。
「図々しくても、身勝手でもいい。約束して。これからはその力を使って、人を助けてあげて」
「……ぅ………あ…」
「君の力は強すぎる。だけど、その力を人を助けることに注げば、それはとっても素敵なことじゃない?」
力が抜けたように、リータが笑う。
「ありがと、レン君。お姉さんみたいな《愛に狂っちゃった人》には、上等な最後だったよ」
全てを諦めたように、笑う。
そういう間にも、彼女のHPは刻一刻とその残量をすり減らし続けている。
残り時間は、はっきりとは分からない。しかし、僅かなのは抗いようもない事実だった。
「………リータ…ねーちゃん」
胸に満ちる思いの全てを言葉にするには、残された時間はあまりにも無情すぎた。
傷付いた、空色の髪を持つアバターを左腕で思い切り抱き締め、レンはありったけの感情を込めて囁きかけた。
「ありがとう」
ありがとう。
僕に感情を思い出させてくれてありがとう。
ありがとう。
僕の閉じた世界を広げてくれてありがとう。
ありがとう。
僕を救ってくれて、ありがとう。
右手をゆっくり上げ、握り締められていた短刀《小太刀》の切っ先を腕の中の女性に向ける。鋭く尖った剣先が、リータの胸の中央、クリティカル・ポイントの一つである心臓の真上に触れる。
「さよなら」
言葉と同時、腕が振り下ろされた。
これまで幾多の命を奪ってきたその刀身は、あっさりとリータの胸部装甲を貫き、残り僅かなHPをまとめて消し飛ばした。
…………さよなら、レン君。
そんな声が、ささやかな微風となって意識に流れ、消えた。
リータという一人の女性のアバターは、甲高い破砕音とともに千の細片となって爆散した。華奢な体は無数のポリゴンの欠片となり、空に舞い上がっていく。それらは夜闇の大気と混ざり合い、そして――――
消えた。
後書き
なべさん「はい、始まりました!そーどあーとがき☆おんらいん!!」
レン「あぁ、まあこうなるよねって感じ?」
なべさん「はい。そして、人によってはこの回だけで『あ、フェイバルさんってあの人なんだね』ということが分かることができるかもしれません」
レン「え?分かるような描写ってあったっけ?」
なべさん「あったよー。でも、そうとう詳しくないと分からないだろうけど」
レン「まあ底は今後の展開に期待しましょ」
なべさん「はい、自作キャラ、感想を送ってきてくださいね~」
――To be continued――
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