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三年目の花

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8部分:第八章


第八章

 仲田は投げた。左腕が唸り声をあげた。
「これは打てへんやろ!」
 鋭いカーブであった。まるで刃物の様に鋭く変化する。
 だが八重樫はそれにバットを合わせた。そして何とか当てた。
「やったか!?」
 しかしそれは平凡な内野ゴロであった。打球は一二塁間を転がる。
 セカンド和田豊が捕った。そしてファーストのパチョレックへ投げる。何でもない内野ゴロであった。
 だがここで思わぬ事態が起こった。
 ファーストのパチョレックがベースに戻る。しかし台風の影響か降雨でグラウンドはぬかるんでいた。彼はそこに足をとられて
しまったのだ。
「なっ!?」
 こけた。ボールは空しくグラウンドを転がった。
 その間に二人のランナーが走る。まずは一点。そして一塁ランナーも帰った。これで二点。ヤクルトにとっては幸運な、阪神にとっては不幸な出来事であった。
 これで試合は決まった。ヤクルトはまず一勝をあげた。
 だが不安材料もあった。
 主砲ハウエルがデッドボールを受けていたのだ。しかも左の手首に。これは左バッターである彼にとっては極めて深刻な事態であった。
 彼だけの問題ではない。これはチーム全体にとって嫌なムードを与えかねない出来事であった。だが彼はここで野村に対して言った。
「ボス、明日も試合に出させてくれ」
「明日もか」
「うん、俺は絶対に打つ。だから出させてくれ」
 野村は彼の目を見た。その目には燃えるものがあった。
「よっしゃ」
 彼はその目を見て頷いた。
「明日も出たらええわ。しかしな」
 野村の目が光った。
「そのかわり絶対に打つんや。わかったな」
「オーケー」
 ハウエルは頷いた。野村は彼の熱い心を信じることにした。
 だがどうなるか彼にもわからなかった。しかし野村は彼の熱い心に賭けることにしたのだ。
 翌日も激しい試合となった。伊東は踏ん張りながらも要所で失点を許し四回で一点をリードされていた。その四回裏にそのハウエルが打席に入った。
 悠然と左打席に入る。その全身にはオーラすら漂っている。
「今日のあいつはまた違うで」
 野村はベンチからハウエルを見て言った。いつもの嫌味な笑いはそこにはなかった。
 ハウエルのバットが一閃した。打球は一直線に飛ぶ。
「入れ!」
「入るな!」
 両チームのファンの声が交差する。打球は歓声と悲鳴を乗せて飛ぶ。
 歓声が勝った。打球はスタンドに飛び込んだ。
「オオオオーーーーーーーーーーッ!」
 ハウエルは思わず叫んだ。そしてダイアモンドを回った。
「やったぜボス!」
 ベンチを踏んで野村に声をかける。
「よおやった」
 野村はそんな彼に対して笑顔で言った。
「やっぱり御前はうちの主砲や」
「よしてくれよ、ボス」
 ハウエルはそれを聞いて顔を少し赤らめさせた。
「柄じゃないよ」
 野村の嫌味なキャラクターを意識しての言葉だった。だがナインは野村の本当の姿を知っていた。だからそれはうわべだけのことであった。
 本来は繊細で心優しい。寂しがり屋で困っている者を放ってはおけないのだ。
「野村さんはいい人やで」
 ジャジャ馬で有名な江本孟起さえこう言った。彼は野村に認められ成長した男であった。
「わしみたいな我が儘な人間を喜んで使ってくれたんや。バッテリー組んだら十五勝やってな」
 その時江本は東映の敗戦投手に過ぎなかった。その彼を野村は喜んで使ったのだ。
 そして江本は一皮剥けた。それまでの敗戦処理投手からエース格のピッチャーになったのだ。
 その長身から繰り出す多彩な変化球と負けん気の強さが武器だった。野村は彼の才能を上手く引き出すことに成功したのであった。
 江本だけではなかった。多くの選手が彼の下で脱皮し、復活していた。野村再生工場の名前は伊達ではなかったのである。
 そんな野村だからこそ多くの者が慕っていた。彼程マスコミに伝えられる姿と実像が違う男も珍しかった。
 しかし阪神も粘る。八回には同点に追いつく。
「負けてたまるか!」
「勝つ!そして優勝だ!」
 選手もファンも一丸となっていた。彼等もまた燃えていた。
 しかし勝利の女神はヤクルトに微笑んでいた。
 九回裏それまで奮闘を続けていた伊東が打席でも見せた。
 ヒットで出塁したのだ。そして打席には飯田が入る。
 俊足巧打で知られている。それにパンチ力も結構あった。
「どうでるかやな」
 野村は打席に入る飯田を見た。彼は古田、池山と並ぶチームの柱である。
「あいつで今日は決まるな」
 歴戦の勘がそう教えていた。その決まる時が来た。
 打った。打球は右中間を飛ぶ。
「どうなる!?」
 新庄と亀山が追う。二人共足は速い。守備もいい。特に新庄のセンスはズバ抜けていた。
「あいつは守備と肩だけでも超一流やな」
 口には出さないが野村は新庄をそう評していた。その新庄が今ボールを追っていた。
 だが打球は落ちた。伊東は既に走っていた。
「走れ!走れ!」
 ナインやファンだけではなかった。三塁コーチも叫んでいた。
 右腕を激しく振り回す。伊東は三塁ベースを回った。
 そしてホームを踏んだ。その瞬間球場は歓喜の渦に支配された。
 これでヤクルトは首位に返り咲いた。飯田の値千金の見事な一打であった。
 しかし阪神も負けてはいない。翌日の試合では痛恨のエラーをしてしまったパチョレックが汚名挽回のスリーランを放ち勝利を収めた。これでまた首位が入れ替わった。
「敵も必死、こういうこともある」
 しかし野村は冷静であった。
「今度の直接対決が天王山やな。そこでいよいよ決まる」
 そう言って彼はグラウンドに背を向けた。
「いや、ちゃうな」
 彼は言い換えることにした。
「決めるんや。ヤクルトがな」
 そう言ってその場を後にした。その背には気さえ漂っていた。
 二度目の決戦の時が来た。十月六日からの二連戦であった。場所は神宮。
「勝て!」
「やったれ!」
 もうファンの声が木霊していた。神宮は先の三連戦の時と同じく激しい熱気に包まれていた。
 阪神は百二十七試合を消化して六十六勝五十九負二分。ヤクルトは百二十六試合を消化して六十五勝六十負一分。ゲーム差は一であった。
 引き分けの関係で試合は共にあと五試合、そのうち直接対決が何と四試合もあった。
「面白いな」
 野村はそれを聞いてニヤリ、と笑った。
「昔南海にいた頃のプレーオフみたいや。こういった試合では何が起こるかわからへん」
 彼はかっての阪急とのプレーオフを思い出していた。
 それは昭和四十八年のことであった。この年からパリーグにプレーオフが導入された。ペナントを前期と後期の二シーズンに分け、互いの勝者を争わせて優勝を決めるというものである。
 
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