三年目の花
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7部分:第七章
第七章
江藤のバットが空を切った。荒木は見事復活を果したのだ。
「よくやった!」
「お帰り!」
拍手が球場を支配する。そして荒木はその中を歩きベンチに戻っていった。
「最高の花道だ」
荒木はポツリ、と言った。彼は今まで投げたくて仕方がなかった。だがそれが出来なかった。ようやく投げることが出来たので彼は感無量であった。
「おい、まだ投げてもらうで」
野村はそんな彼に対して言った。
「その為に御前を呼んだんやからな。まだまだ御前の出番はあるで」
「本当ですか!?」
信じられなかった。引退も間違いない、再起不能と言われた状態だったのに。
「わしは嘘は言わん。御前には期待しとるからな。どんどん投げてくれや」
「はい!」
荒木は泣いていた。熱い涙が頬を覆う。それを見てヤクルトナインの心は奮い立った。
その裏である。ランナーを一人置いて打席には荒木をリードしていた古田が入る。
「古田、打ってくれ!」
「荒木を男にしてやってくれ!」
一塁側の声援は切実なものとなっていた。彼等は何から来ることを予感していた。
古田のバットを持つ手に力がこもる。あまりにも強く握ったので両手が白くなった。
「打つ」
古田は呟いた。
「そして荒木さんに勝利を」
眼鏡の奥の目が光った。そしてバットを思いきり振り抜いた。
打球は一直線に飛ぶ。そしてレフトスタンドに吸い込まれていった。
「やった、やったぞ!」
思わず一塁ベンチに向かってガッツポーズをする。そして満面の笑みを浮かべてダイアモンドを回る。
「古田、よくやった!」
「あとは岡林だ!」
ファンが喝采を送る。そして古田は今ホームベースを踏んだ。
これで試合は一気にヤクルトのものとなった。あとは岡林がマウンドに上がり広島打線を抑えた。これでヤクルトは復活を果した。
「明日からが勝負や」
野村はニヤリ、と笑って言った。明日からはその阪神との三連戦だ。
「ここで勝たな何にもならへん。明日からの試合に勝たへんとな」
昨日まではとても無理なように思われた。だが今は違っていた。
「これはいけるかもな」
不敵に笑った。
「勢いに乗ることが出来た。荒木を出したんは正解やったな」
イチかバチかの賭けだった。ピッチャーの頭数が足りないという事情もあった。内心ヒヤヒヤした起用だったのだ。
だがその賭けに勝つことができた。それだけにこの勝利は大きかった。
「確かに今の阪神は勢いがちゃう。けれどこっちもその勢いを手に入れた」
大きかった。ヤクルトにとって実に大きな事件だった。
「やったるで。こうなったら最後まで諦めへん」
彼にしては珍しく力のこもった言葉であった。野村はそう言うとベンチを後にした。
「こっからが本当の勝負や」
彼は普段はそれ程自分を表には出さない。どちらかというとクールである。
だがその本質はあくまで野球を一途に愛する一人の男だ。彼はこの時その本来の姿に戻っていた。
「勝ったる、絶対にな」
そう言うと彼は球場を後にした。そして翌日からの決戦に備えるのであった。
台風が接近していた。その中でいよいよ決戦の火蓋が切られようとしていた。
「まるでドラマみたいだな」
神宮に詰め掛けたファンの一人が風を身体に浴びながら呟いた。
「ここで決めたらドラマなんてもんじゃないぞ」
見れば一塁側も三塁側も満員である。両球団のファン達が駆けつけていた。
「頑張れ!」
「俺達がついているぞ!」
ヤクルトファンが歓声を送る。
「優勝や!」
「また河に飛び込むんじゃ!」
阪神ファンもである。野球はやはりファンあってのものである。
そのファン達の歓声の中両軍はベンチから出て来た。そして遂に決戦がはじまった。
七回裏ヤクルトの攻撃である。六対五、試合はヤクルト優勢の状況で進んでいた。
「このまま押し切れ!」
「逆転や!」
両軍のファンが互いのチームに熱い声援を送る。試合は天王山を迎えようとしていた。
ツーアウトランナー一二塁。打席には八重樫幸雄が立つ。長い間ヤクルトで正捕手を務めた男だ。
「八重樫打てよ!」
「ここで打ったらヒーローだぞ!」
彼もまたファンに愛されてきた男である。初優勝の時もいた。
「よし」
八重樫はバットを強く握り締めた。
「ここで打たなければあの人達に申し訳ない」
彼はかってヤクルトを支えた戦士達のことを思った。
優勝の時に主砲だった大杉勝男。シリーズにおいては日本一をもたらしたアーチを放った。その前に疑惑のアーチも放ったがそれを吹き飛ばす程大きなアーチだった。
「打ったぞお!ホームランだ!」
彼はそう言いたげに満面の笑みでダイアモンドを回った。そしてナインが待つホームベースを思いきり踏んだ。打つだけでなく常にチームメイトのことを思い、いざという時には身を挺して守る心優しき好漢であった。
船田和英。ライフルマンと呼ばれバッテリー以外の全てのポジションを守ることができた。そして地味ながらその堅実な守備でチームに貢献した。
その二人がこの年世を去っていたのだ。彼等のことをファンも選手達も決して忘れてはいなかった。
八重樫は肝を据えた。どんな球でも打つつもりだった。
「来い!」
心の中で叫ぶ。そしてマウンドにいる仲田を見据えた。
仲田も敗れるわけにはいかなかった。この戦いには阪神としても落とすわけにはいかなかったのだ。
「負けへんぞ!」
仲田は激しい形相で八重樫を見据えていた。いや、睨んでいた。
「わしにはファンがついとるんじゃ。何時でも熱い声援送ってくれたファンがな」
阪神ファンの熱狂的な応援はあまりにも有名である。彼等は全力で選手を、そして阪神を愛しているのだ。
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