| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

二十の年を生きた青年

作者:krea
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 次ページ > 目次
 

完結


初めに失ったものは足だった。
私は人を疑うがゆえにまず足を絶った
 次に私は口を失った。
始めに捨てようと思ったものだったが、私には親友がいた。裏切られたから捨てた。
 次に私は手を失った。
私は自身で自身を傷つけることを恐れたからだ。
 そしてこのあたりから辺りの視線は寒々しく私を締め付けるようになる。
 次に私は目を失った。
目に映るものなど世間の知りたくもない事件の公示や私を蔑む目しかなかったからだ。
見て楽しいものなど皆無だった。捨てた。
 次、というよりかは、目とほぼ同時期に耳も失った。
目と同様、聞いていて楽しいものなど皆無だ。説明などいらぬ。捨てた。
 
まだ捨て足りぬ。
この思いがある限り私はいつまでも
絶え間なく捨て去って行く事だろう。
今この状況で私は人間に必要な殆どの要素を失ったのだ。もはや今の私は人間ではない。ガラクタである。
 当然ながら飲み物の入っていない缶には「空き缶」なる名前がついているが、
人間性を失った私に名前はない。
この天と地のような差をどのように表現しようか。
この屈辱をどう例えればよいのだろうか。
人間ほど屈強で愚かな生き物はいないが、
私ほど無能で無才な骨と肉のついた獣も他に居ようものだろうか。
 そんな私には考えることすら捨てるべきものだと考えた。
最終的に私は、考えずして我が身が報われることを乞い、どうすれば安泰で且つ自然に捨て去れるか、と考えた。
 意外にもその答えを導き出す事が出来た。

死ぬという言葉は
便利であり不便な言葉だ。
私は自分自身で自分を殺すのだ。
これは死ぬ。ということではない。
しかし我が身はとうの昔に死に、腐りきっていた。死体を刃物で裂いたところで
首を削いだところでそれは殺人にはならぬ。
私は結局最期の最期まで自身がなにをしているのか分からず、身勝手に身を投げ、
死に及んだのだ。
私が死に、腐肉になり、汚臭を放ちそれが他人に沢山の被害を蒙らせることすら省みず。
我が身は自殺、ではなく、
殺人による被害、でもない。
 無知による報復か、
 我が身を癒す
我が身に快感を蒙るものを生み出さんとするものを見つけようともしなかった
末路の当然の、必然の結果論、終着点であったのか。それすらもわからぬ。
 が、死ぬ間際瞬き一つで私は気が付いた。
 ―そうか、私はあらゆる部位を《失った》のではなく、
自身の身でそれこそ、《殺して》いたのか、と。
この記録は愚者の
生まれから末路までを描いたものである



―――――――――――
 私に残っている最古の記憶は三歳の頃、祖父の家での記憶だ。その頃は分からなかったが私はどうやら物心ついたころから両親はいなかったようだ。
 祖父母共に私に優しく、…否、易しく
接してくれてこそいたが、その易しさが妙に機械らしいことに気が付いたのは六歳の頃。機械らしい、という表現を訂正するとしたら、《なにかを隠そうとするかのように、ロボットのように私に尽くしてくれていた。》と表現すべきか。
 小学校に入学し、私は祖父母のあの、機械じみた、
人間らしさの無い奇妙な忠誠の意味を知る。
 私には祖父母は居ても、父母はいなかったのだ。
 私の疑問は日に日に大きくなる。
 小学校も階級が上がれば他者の、同期のものの精神的向上もあり、
私に何故父母がいないのかを疑問に思い、それはやがて「皆とは違う」といった
差別的感情を生んだのだ。私は絶望した。
 小学四年の秋頃、私はいじめに遭っていた。理由は書き記す事も、思い出す事も忌々しい事は想像に難くなかろう。
 私は学校でどのような仕打ちを受けているかを祖父母に私は明かし、
何故私に父母がいないかも問うた。
祖父は答えた。
「お前の親は身勝手だから産んですぐ離婚したのだ」と。
 そしてさらに驚くことに祖父母は私のいじめられていることに関する言葉には目も向けず、口を紡いだのだ。
 その日を境に私は学校へは行く事をやめ、そしてまた易しくしてくれていた私の祖父母への私の中での感謝の念は消え去り、まるでどこかの話に出てくるような邪知暴虐な王ぶりに、乱雑に、奴隷を使う富豪のように、私は祖父母を扱った。
 年は十歳、私は引きこもりになり、外を歩くことを辞めた。
 だが学校へ行かないこと一月が経ったある日、私の元へ一人の男が訪ねてきた。
 私の友Sであった。
Sは家柄にとらわれない、人を蔑むことなどしない温和な性格であり、差別的迫害を受けていた私といつも一緒にいてくれた友だ。
Sは私を心配してくれ、毎日のように私の元へ訪れてくれた。
 それが私の幸せだったし、生きがいであった。
今思えばそんな小さなものを生きがいという私はそれこそ子供でしかなかったうえに、私の純粋さを物語っていたのだろう。
 しかし私はある日現実を突き付けられた。
彼、親友Sは私から見れば親友であったかもしれないが、彼からすれば私は友ですらなかったのだ。
 どうやら私は《奴隷》に騙されていたらしいのだ。
 小学四年の頃、祖父母にいじめの事を告げたとき、学校へ当時私がよく一緒にいて、家に上げたこともあったからだろう。Sが私の友と知っていて、Sを私にくっつかせるよう仕向けていたのだ。
 それを私は祖父と学校の先生との電話の会話で知った。
 衝撃はあまりに大きく、そして、人間を信じることを辞めた。信じることを辞めた今、話す者が居なくなった今、私の心は空になった。最早は口などいらぬ。
私はその時から喋る、ということをやめ、完全な無口になった。
言葉とはよくできているモノだとこの時私は思ったことを覚えている。
 確かに口が無いから無口だな、と。
話すべき口が無い。笑みがこぼれた。
視界はぼやけた。
 世間的には中学校に入学したころだろうか。私も義務教育といういらぬ束縛に苛まれ在学にはなっているようだが、私は一度たりとも登校したことはない。
場所も分からない。最早祖父母は何も私に言ってくることはなかった。
 それが実は私を酷く悲しませていることは結局打ち明けることはなかった。
 そのころ丁度あれは中学一年の夏の話、ニュースや新聞では自殺の話題が目立っていた。首つり自殺。飛び降り自殺。手首を切って自殺…
今思えば自殺の話が目立っていたわけではないのかもしれない。私の心が、目が、反射的に自殺というものに向かっていたという事だったのだろうか。
 中学一年の頃から既に自殺しようと思っていたのかと思うと、過去の話であれ多少の驚きと恐怖が沸いた。
 しかし当時の私は自殺、…死というものが酷く怖かったのだろう。死ねばどうなるのか、という考えもあったが、やはり死ぬことは怖い。私はニュースでやっているようなことは絶対にしないと心から誓った。
 中学二年の冬。祖父母が死んだ。
死因は自殺。
 目の前で自身の最も恐れていることをされた。それも私を、曲がりなりにも親代わりとして育ててくれた者が、自殺したのだ。
 私は後悔した。
奴隷として、まるで物のように扱っていた
そして私は恐怖した。
私のそのような行動が自殺に導いたのでは、と。
 そしてその嫌な恐怖感と嫌な予想はもの見事に的中してしまったのだった。
前途のように当時私のように親のいない、祖父母なるものが子を育てる事自体かなり珍しい、特殊なものであったが、そこに付け加え、その親が自殺するなんていう話はあまりに珍しく、衝撃的であった。
 それ故に新聞メディアは私の家を、祖父母の自殺を報じた。
―老夫婦自殺。原因は孫の引きこもりか―
報道内容をみてこれほど驚いたことはなかった。メディアは祖父母の遺書を次のように報じた。
―孫の身勝手な働きに私たちは疲れ切った。遺産をすべて孫に託す代わりに、あの忌々しい孫から離れたい、という理由で自殺―
 私は数日間体調を崩した。
連日のように家に新聞企業は家の扉を叩く。
「あんたのせいで、あんたがそうやって引きこもってるせいであんたの爺婆は死んだんだよ!」などという罵声も聞こえた気がする。私はこの時初めて死を恐怖ではなく、自らの救いの道としてとらえた。何も見たくない、何も聞きたくない。



―私は、何のために生まれてきたのだろう


 日に日に私は衰弱していった。
体力的にもだが、何より精神的に衰弱した。
私は人間として必要なありとあらゆるものを捨て去ったのだが、私は現にまだ衰弱していっている。何がそうさせているのだろう。私は既に人間ではない、ナマケモノ以下、小さいころ爆竹で殺して遊んだ蛙以下の下劣な肉片にまで成り下がったというのに。なにが、私を傷つけるのだろう。

一八歳。祖父母が死んで四年経った。
世間は今はクリスマスカラー一色である。
私の周辺の四年前の話題は既に忘れ去られ、私は深夜に食品の買い出しに行く。
以前昼間に買い物へ出たことがあったが、玄関を出れば人殺しだの、クソニートだの、見たくもないスプレーで書かれた暴言が記されてあり、それを見る事はあまりにこたえた。夜ならあまり見える事も無かろうし、
…本当のところの理由は世間に、近所に私の姿を極力曝したくなかったからだ。
私は痩せ、皮と骨のみの、肉片どころか屍のようなモノに変わってしまっていたためだ。
 そんな日々が続き、二〇歳
この日で私は人生の幕を下ろすわけだが、自身で自身を殺し、人生を終わらせることはやはり後悔しか生まれぬ。
 これからやり直せたかもしれない可能性を、希望を、全て絶やすのだから。
 私がSの死を知ったのは私の死ぬ前日の事だ。Sは借金の返済が追い付かず、死に追いやられたらしい。借金の原因は友の連帯保証人なるものだったそうだ。
 結局Sは私の友ではなかったし、
Sが友だと思っていた友も、そちらから見ればSは友ではなかったのだ。
 私は世の中の全てに憤りを感じ、体中をナイフで刺し、内臓を抉り出し、目を刺し、心臓をグシャグシャと裂いて死んだ。
痛みはなかった。それまでに心へ刻み込んだ痛みは体を刺すナイフよりも遥かに大きなものだと知った。
 しかし、死ぬ間際、瞬き一つ、呼吸の止まる寸前で私は気が付いてしまった。
私の犯した過ちの数々に。
私は幼いころから人を疑う癖があった。それは私によくない考えを膨らませ、その膨らんだ感情が私をいまこうさせていたのだ。
私は祖父母に、学校の先生に、環境に、友に、自らの過ちを擦り付けていただけだったのだ。
この記録は今を生きる若者に届くだろうか。
もしも、届くとすれば伝えたい。
人間は失ってからではもう取り戻すことはできない、なんていう事は一切ないのだ。
私のように自らの人生を原点から悔い、嫌い、呪うことは自身の破滅を誘うのだ。

いつか見た景色
視界はぼやけている。
私は、なんだったんだ。
目から雫が零れたのを見たところで、私は、この二十年という人生を終えた。
                                    Fin 
 

 
後書き
中学の頃に作ったの見つけたから貼っただけ。
厨二病乙。しね。 
< 前ページ 次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧