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マウンドの将

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第三章


第三章

「またこれは洒落てますね」
 彼等は権藤と東尾の食事会を見て思わずそう言った。二人はスーツを着こなし優雅に食事を摂った。
「ここら辺もあの人達とは違うなあ」
 かってヤクルトを担当していた記者や前から西武を担当していた記者達は内心そう思った。彼等は九二、九三年のシリーズの開始前からの野村と森の駆け引きを思い出していた。
 それもまた野球であった。この二年越しの戦いは今でも伝説となっている死闘である。二人の知将がその全てを賭けて戦った激戦であった。
 それに対してこの二人は死闘を前に酒を酌み交わしている。これは彼等が投手であるということから来る独特のダンディズムであった。
「やっぱり投手ってのはこうなんだな」
 彼等の中の一人がそう呟いた。それは将というよりは侍であった。
「ところで一つ面白いニュースがあるんだけれどな」
 東尾は記者達に顔を向けて微笑んだ。
「何ですか?」
 東尾がこんな顔をする時は絶対に何かある、天性の博打打ちでもある彼の性格を誰もがよくわかっていた。
「おお、実はな」
 彼はここで権藤に顔を向けた。彼も薄っすらと笑った。
「今回のシリーズは互いに先発を予告しようと思うんだ」
「ええっ!?」
 これには皆驚いた。そんなことは今までなかったからだ。
 ペナントでは今まであった。だが短期決戦で手の内を容易に見せればそれがすぐに敗北に直結するシリーズにおいてそれは今までなかったことだ。実際に意表を衝く先発で勝利を収めた試合もある。そしてそれがシリーズの行方を左右するということもあるのだ。
「どうだ、驚いたか。じゃあまずうちからいくか。第一戦は先攻だしな」
 東尾は驚く記者達の様子を楽しみながら言葉を続けた。
「西口だ。やっぱりまずはエースからじゃないとな」
「西口ですか」
 西武の若きエース西口文也、これは容易に想像がついた。皆それしかないと思っていた。
「横浜はどうするんですか?」
 記者達は今度は権藤に対し尋ねた。
「うちか」
 権藤は微笑んだ。そしてゆっくりと口を開いた。
「働きに見合った年功序列といこう。野村だ」
 野村弘樹、この年十二勝を挙げ今までもエースとして活躍してきた左腕だ。
「野村ですか」
 中には斉藤隆や二段フォームで知られる三浦大輔を予想する者もいた。だが権藤が指名したのは野村であった。
「そうだ、まずは全て彼任せる」
 それで決まりであった。言い終わると二人は再び杯に酒を注ぎ込んだ。
「今夜十二時を以って犬猿の仲になる。それまでは酒を楽しもう」
 そう言って二人は杯を打ち合った。そして死闘の前の酒を楽しんだ。
「これが勝利の美酒になる」
 二人はそう思った。そしてそれぞれ中華街をあとにした。
 第一戦は一〇月十七日の予定であった。だがそこに台風がやって来た。
「こればかりはどうしようもないな」
 試合は当然流れた。権藤は記者達に対して言った。
「ゆっくりやttらいいさ。もう雨には慣れているよ」
 横浜も西武のこのシーズンは雨に悩まされた。
「今日本で真剣勝負をやっているのはうちと西武だけだしな」
 その口調には余裕があった。だが内心では安堵していた。
(恵みの雨だな)
 そう思わざるをえなかった。それは何故か。
 当時の横浜の切り札は二つあった。止まることなく連打を浴びせるマシンガン打線と最後を締めくくる絶対的な守護神佐々木。だがその佐々木が風邪で倒れていたのだ。
「佐々木の調子はどうだ」
 権藤はスタッフの一人に問うた。
「いいとは言えませんね」
 彼は首を横に振って言った。
「そうか」
 権藤はその顔を少し曇らせた。一時佐々木は点滴を打つような状態であったのだ。
「今は少しでも時間が欲しいな」
「はい」
 権藤は雨が降り注ぐ空を見た。そして佐々木を調整する時間を少しでも欲していた。
 それは西武も同じであった。エースの西口が風邪を引き体調が思わしくなかったのだ。
「おい、頼むぞ」
 東尾はそんな彼を元気付けるべくハッパをかけた。
「ビースは幾らでもいる。しかしエースは御前しかおらん。いけるところまで頼むぞ」
「任せて下さい」
 責任感の強い男である。監督の気持ちが痛い程よくわかった。二人は同じ和歌山出身ということもありウマが合ったのだ。
 彼は焦っていた。何とか試合までにコンディションを整えておきたかったのだ。
「あの時は絶好調でも負けたのだから・・・・・・」
 ふと彼の脳裏に昨年の忌まわしい記憶が甦った。
 九七年日本シリーズ。彼はこの時も第一戦に先発で登板した。相手は奇しくも野村と同じ左腕、剛速球で鳴る石井一久であった。
 試合は投手戦になった。西口は飛ばした。七回までヤクルト打線に得点を許さなかった。
 だがそれは石井も同じであった。石井の荒れ狂う剛球とそれをリードする古田の知略を攻略することが出来ず試合は膠着していた。西武は頼みの機動力も古田の強肩と智謀の前に発揮できずにいた。
 そして八回。バッターボックスにヤクルトの助っ人ジム=テータムが向かう。
 
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