Trick or treat?
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女の子と猟師のおじさん
それは寒い雪の日でした。
女の子はお気に入りの赤いコートでその小さな体を覆っていましたが、吐く息は全て白く染まってしまいます。
空からはしんしんと雪が降り、時折風に乗って舞い続けます。
「こんなところでどうしたの?」
女の子に声を掛けたのはこの森の奥の小屋に住む、顎の辺りに無精髭を生やした猟師のおじさんでした。
父親とも村の誰とも似つかない無精髭を生やしたその顔には、鋭い目が雪影でギラリと光っているように見えます。
女の子は言います。
「森の奥に住んでいるおばあさんにお届けものなんです」
そう言って腕から下げた籠を猟師のおじさんに見せます。
それは大人ではなんてことのないただのやまくるみで編まれた籠ですが、小さな子供には大きすぎるほどのものでした。
「ああ、そのおばあさんなら家のご近所様だ。どれ、持って行ってあげよう」
「そうなんですか?……だけど、自分で届けないと。初めてのおつかいなんです」
ごめんなさいと、俯く女の子の目からは涙が零れそうなほど溢れています。
猟師のおじさんは困り果ててしまい、持っていた子供用の赤い頭巾を女の子に被せてあげました。
それはとても温かく、とても高価そうな生地でしたが勿論、女の子に解る訳がありません。
「貰い物なんだけど、家には女の子はいなくて困っていたんだ。貰ってくれると助かるんだけど、どうかな?」
女の子は二つ返事でそれを受け取る頃にはやっと笑顔を見せてくれました。
猟師のおじさんも一安心と言った様子で笑い返してくれます。
「じゃあ、おばあさんの家まで案内するよ。それなら良いかな?」
「はい!ありがとうございますっ」
こうして親切な猟師のおじさんに連れられ、初めてのおつかいを終えることが出来た女の子は無事に家路に着く事ができました。
その日の夜、森を抜けた先にある町で盗賊が出たらしいと言う噂が瞬く間もなく小さな村中に広まりました。
何も知らない女の子は猟師のおじさんに貰った赤い頭巾を抱いて寝ました。
その頭部を覆う部分には生地のものに紛れた赤が目立つことなく点々とシミをこさえていたそうです。
十二月も末、小さな村の朝は頬を赤くして何人かで囲んで喋るマダムたちの楽しげな笑い声と仄かに漂う甘いケーキの香りで始まる。
一年中で最も稼ぎ時であるクリスマスを終え、今はそれまでが喧騒だっただけにまるで、白昼夢を見ていたような気分で束の間の一時を過ごしていた。
予約は当日の一週間前から受付けるが、店の拘りでクリスマスケーキは作り置きはしない。
小さいながら味で勝負して今の信頼がある、両親にも祖母にも口酸っぱく言われていたことが今のルヴァーナを作り上げていた。
「これでよしっと」
自室のアール・デコ調の飾りが付いた鏡に向かってそう微笑む。
十年以上も壁に掛けられたまま彼女を映し続けているその中には、古びて所々少し傷んでいる赤い頭巾を被った一人の少女がいた。
赤いコートに身を包んでから年季の入った大きな籠を腕に掛け、いそいそとした仕草で部屋を飛び出す。
「それじゃあ、お兄ちゃん。行ってきます!」
「本当に大丈夫?女の子一人で行くなんてやっぱり危険だよ」
「大丈夫だよっ!道は知っているし。それに私、自慢じゃないけど接客なんて出来ないし」
「はあ……何度教えても覚えないんだろ、ルヴァーナは」
「あはははっ……ごめんなさい」
カウンターまで出ると、如何にも心配そうな顔をした彼が待っていた。
昨夜もあんなに話し合ったと言うのに、アズウェルは賛成出来かねないでいる。
オーダーが入ったのは昨日の夕方、遠方から孫たちが泊まりに来るので明日の午前中までには届けて欲しいと言われたのだ。
森の奥の小屋で一人暮らしをしているビアンコさんは祖父母の代からの常連で、彼女は当初からやる気満々なのだが反対に心配性の兄は配達は自分が行くとなかなか譲らない。
「大丈夫だよ!昨日書いてくれた地図だと割とこの村の近くだったし、それに早く行かないと約束の時間に遅れちゃうよ」
「はあ………………仕方ないね。それじゃあ、くれぐれも寄り道せず真っ直ぐ帰るんだよ」
はーいと、元気良く店のドアを開け放って飛び出す姿を渋々と言った顔で見送る。
今も昔もやはり妹に甘い兄だけが残された室内には九時を告げる教会の鐘が薄く響いていた。
村から数分も歩かない内に目的の森が現れ、野鳥たちの鳴き声が遥か遠くから聞こえてくる。
村の者は陽射しがあまり入らないこの鬱蒼とした姿に恐れて足を向けようとはしないが、ルヴァーナやミレイザの家のように猟師を生業としている者は違う。
年頃の少女ならば気味の悪い場所に敢えて近づかないのだろうが、彼女ならばそこに用事があれば喜んで赴くだろう。
だって、ここは……。
「……何やってるの?」
「えっ?……って、コンラッドくん!?」
森の中に歩き出して数分後、振り向いた先には暗がりからぬうっと現れた彼がいた。
あれから一ヶ月以上経つが義姉と共に店にやってくることはなく、謝るきっかけを失いかけていたがこうも示し合わせたように二人きりになるなんて心の準備が出来ていない。
「………………ねえ」
「はいっ!?」
「……同じことを同じ人間に言いたくないんだけど」
心の中で自問自答を繰り返していたルヴァーナに痺れを切らしたのか、先程よりも声色が低い。
少年がため息を吐くと、すぐに白く濁って消える。
その様に少し見惚れてしまっていた自分に活を入れ、頭を左右に振った。
「ごっ、ごめんなさいっ!べっ、別に避けているわけではなくて……そのっ……びっくりして!!」
「それは俺もだけど」
こちらを見る黒い瞳がかなりあたふたとしている彼女の姿を映している。
そうは言うが、別段驚いた様子は見受けられない。
これが猟師と言うことだろうか。
コンラッドは以前ミレイザに連れられて店にやって来た時とは違い、右肩に如何にも使いこなされている長い銃を担いでいた。
「……これからお仕事?」
「ああ……義姉さんもようやく臨月に入ってくれたからね。大分腕も鈍っているからどっちかって言うとリハビリ中だけどね」
「そうなんだ…」
それにほっとする自分と「リハビリ中」と言う言葉に胸が締め付けられるもう一人の自分がいる。
この世は食物連鎖で成り立っていることくらいルヴァーナでも知っているつもりだ。
だが、やはり動物が殺されると言うのは毎日店の中でお菓子を焼いている彼女にとっては受け入れ難い真実だった。
「安心して良いよ」
「えっ?」
「アンタといる内は殺しはしないから。……ああ、熊とか明らかに襲って来るのは別だけど」
「ありがとう。でも……どうして?」
「義姉さんが言ってたんだ。「女の子の前で動物を殺しちゃダメ」って。俺、そう言うの良く解んないけど、アンタもそうなんでしょ?」
こちらを窺うような視線に妙な緊張が身体中を駆け巡る。
品定めされているわけでも舐められているわけでもないのに、それにただ頷くことしか出来なかった。
きっと相手が村では見ない美少年だからだ、そうこじつけ、妙にあたふたしている己を落ち着かせると今度は違うことが気になり目の前の彼に尋ねてみる。
「ねえ……コンラッドくん」
「何?」
「私、あの時自己紹介したよね?なのに、何で「アンタ」なの?」
「っ!?」
今度は彼が言葉を失う番だった。
ルヴァーナにとっては死活こそならなくとも年頃の少女としては無視できない問題である。
「……」
「えっ、何て言ったの?よく聞こえないよ」
間を置いてようやく口を開いたかと思えば、紡がれた言葉は彼女の耳に届く前に十二月の空に溶けた。
前回と言い先程の口数と言い、喋ることがあまり得意でないことは解っていたが、それでもコンラッドに名を呼ばれないことは寂しい。
「「キミがあんまり可愛いから名前を呼べないんだ」って」
「セージっ!」
「えっ……きゃ!?」
何の前触れもなく現れた声の主はルヴァーナの肩を抱くと癖のあるココア色の髪を慣れた手つきで梳くい、唇を寄せた。
あまりのことで身体中が硬直してしまい、思考回路がゼロになる。
まるで、気配がなかった。
周りからよくぼんやりしているから隙を突かれ易いと注意され、当時は酷い言われようだなと苦笑いを浮かべていたがあながち間違ってはいなかったらしい。
「ちょ…離れてよっ!」
「おっ。何だ?妬いてんのか?」
「いいからとっとと離れてっ!!」
はいはいと、別段拘る様子もなく肩から誰かが退いたのと同時に支えを失った彼女はへなへなと湿度のない大地に座り込んだ。
髪とは言え、誰かに口づけをされてしまったのだ。
妙にドキドキと一々反応してしまうのは年頃の生なのか、彼の目の前のせいなのか。
「ちょっ……大丈夫?」
心配そうなコンラッドがこちらに向かって片手を差し出すが、一端フリーズしてから再起動を開始した思考回路がそれまでのやり取りを思い出させ、むうっと頬を膨らませる。
「……ルヴァーナ」
「は?」
「名前……呼んでくれなきゃ立たないんだからっ」
「っ!?」
「ぷっ……あははっ……してやられたな」
「お前が言うな」
そのやり取りを見ていたもう一人は思わず吹き出し、それを睨む少年の隣で必死に笑いを堪えようとしている。
コンラッドと同じく青みがかった黒髪を持つ青年。
やはり異国を連想させる黒には目を惹くものがある。
背丈は兄と同じぐらいだろう、その隣で何やら思案顔の彼と比較しても普段自分達を傍から見ると大体こんな感じなのかとまるで他人事のように考えていた。
視線に気づいた彼は意味深長な目配せをしてくるが、年頃少女としては彼女は貞淑すぎているのかもしれない。
アズウェルのファンの娘ではないにしろ、こんなリアクションされてしまえば何かしらの意図を覚えるのだろうが、けろりとした様子でそれを見ていた。
きっと、からかっているだけ。
自分にそれ以上の感情をぶつけてくるのも求めてくるのも今もこの先も現れはしない、そう己に暗示を掛けている内は。
肩透かしを食らわされた方はあららと、口では残念そうに言いながらも顔は新しいおもちゃを見つけた子供のように実に嬉しそうな顔をしているのが逆に不気味さがupする。
ルヴァーナが地べたに座り込んで数分、そのままの姿勢で後退りをした所為かあまりにも予想範囲外の行動に驚いた所為か息が荒くなる頃、目の前で何かがちらりと過ぎった。
「雪、か…」
それを追いかける前に続け様に見上げた空から降って来る小さな白い粒に誰かがぼそりと漏らす。
厚い雲が幾重にも群がり瞬く間に雪がこちらに近づいてくる。
その美しさに先程までの怒りを忘れ、思わず笑顔が溢れてくるのが自分でも解った。
最近朝夕のみに留まらず、冷え込みが厳しくなっている。
十二月の暮れには雪が降るかもしれないと言っていた兄の予感が当たった。
「うわぁ……」
お尻に付いたであろう土埃を掃うのも忘れてその場ではしゃぐ彼女をいつか見た光景と照らし合わせているのか、自然と口元に笑みが浮かぶ。
それを見た人物はそれとは対照的に表情を失くした。
「……結局、何しに来たの?」
「えっ……ああっ!?配達の途中だったの忘れてたっ!!」
「はっ?!そんなの忘れる方がどうかしてるでしょ」
「うっ……そ、そうだけど……久しぶりに会えたから…」
「……人の所為にする気?」
そっそんなんじゃないよと、慌てる様子をルヴァーナに気づかれぬようにため息を吐く。
「で」
「「で」?」
「どこに配達に行くのかって聞いているんだけど」
その勝気の物言いは今日も頗る調子が良いようだ。
届け先を伝えるとコンラッドは背を向けて歩き出した。
「あっ……ねえ、どこ行くの?」
「はあ……アンタの頭って鳥以下?」
「しっ、失礼ね!これでも記憶力は良い方よ」
「じゃ、とっとと渡すもん渡して帰れば?そんなんじゃ除夜の鐘が鳴るまで帰れないよ……ルヴァーナ」
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