秋雨の下で
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第十三章
第十三章
(ご苦労さん・・・・・・)
ただ心の中で藤瀬に対し礼を言った。彼は懸命にやった。そこには一切の手抜きも不真面目さもなかった。そうしたプレイをした選手を責めるような西本ではなかった。
だがこれで覚悟を決めた。最早彼には戦局が見えていた。
「これで終いやな」
彼は腹をくくった。そしてバッターボックスの石渡を見た。
三球目はファウルであった。だが既に彼は負けていた。その顔に生気はなかった。
四球目、石渡はカーブを空しく空振りした。これで全てが終わった。
爆発的な歓喜に包まれる広島ナイン。江夏と水沼はマウンドで抱き合った。
「やったでえ!」
「ああ、日本一や!」
彼等だけではなかった。広島ナインがその中に次々と加わっていく。そこには衣笠もいた。
そして古葉が胴上げされる。広島東洋カープははじめての日本一に輝いたのだ。
「短い戦いやったな」
西本はそれを見ながら呟いた。そこに雨が降って来た。
先程からしとしとと降っていた雨が強くなった。そしてそれが西本の、近鉄ナインの肩を濡らした。
こういう人がいる。勝負はそれを長いと感じた方が負けだと。何故か。早く終わらせたい、楽になりたいという気持ちがあるからそう思うらしい。
だがこの時西本は言った。短かった、と。
彼は確かに敗れた。だが実力で、そして気持ちでは決して負けてはいなかった。
選手もコーチ達も肩を落とそうとする。だが西本は彼等に対して言った。
「ようやってくれた」
「え・・・・・・」
彼等はその言葉を聞き思わず顔をあげた。
「また来年や」
「・・・・・・・・・」
その言葉に誰もが絶句した。しかし次第に西本の真意がわかってきた。
「はい・・・・・・」
誰かが頷いた。そして皆がそれに続く。
「勝負はこれで終いやない。また来年もあるんや。ずっとな」
「はい!」
近鉄ナインはその言葉に一斉に声をあげた。それは敗者の姿ではなかった。
広島ナインはまだ歓喜に包まれている。古葉のインタビューの準備も進められている。
だが江夏はそれから離れた。広島においても彼はやはり外様であった。
(わしの心はここにはあらへんわ)
口にこそ出さないが彼はそう思っていた。彼の心は常に甲子園にあったのだ。
そして後ろを振り返った。そこには西本と近鉄ナインが立っている。
(確かにわしは勝った)
江夏は彼等を見て思った。
(だがほんの少しでも運が向こうにあったらわからんかったかもな)
勝負の世界に住む男である。運の重要性はよくわかっていた。
(そういう意味ではわしもまだまだや。そして)
もう一度西本を見た。
(一度あの人の下で野球がしたいな)
かって江夏は周りの者にこう漏らしたことがあるという。
外見は確かに強面である。しかし江夏は案外繊細なところがある。そして彼も西本の持つ温かさに魅せられていたのだ。
そう思った者が他にもいた。野村であった。
彼もまた西本の言葉には素直に耳を傾けた。偏屈だの底意地が悪いだの言われているがその実は寂しがり屋で心優しいのである。
「私なぞよりこのチームのことはご存知ですから何かとアドバイスを頂けたらいいと思っております」
後に阪神の監督になった時彼は取材に来た西本に対して言った。これは本心からくる言葉であった。彼は南海にありながらも西本の心をよく感じていた。そして彼を深く敬愛していたのだ。
敵にも慕われる男であった。その男の肩は落ちてはいなかった。
「帰るで。明日からまた練習や」
彼はそう言うとベンチに姿を消した。
「はい!」
ナインはその言葉に頷いた。そしてそのあとについて行った。
あれから長い年月が経った。戦場となった大阪球場はもうなく死闘を繰り広げた戦士達も全て現役を退いている。西本も引退した。だがその想いや志はまだ大阪に残っている。そして彼等の志を受け継ぐ戦士達を永遠に見守っているのだ。
秋雨の下で 完
2004・6・26
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