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二つの意地

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第五章


第五章

 阪急百貨店にあった阪急の選手達の写真も全て取り外された。かっては宝塚の女優達と共に百貨店を飾っていたものがなくなってしまった。
「寂しいもんやな」
 阪急ファンはそれを何とも言えない悲しい気持ちで見ていた。それを遠くから見る一人の白髪の老人がいた。
「これも運命なんかの」
 かって阪急を率いた闘将西本であった。阪急は彼が育て上げた球団であった。
 彼が育てたもう一つの球団近鉄は川崎で無念の涙を飲んだ。あの日は彼にとって忘れられないものであった。
「しかし阪急やなくなってもブレーブスはブレーブスや。そして」
 彼は言葉を続けた。
「その名前が変わってもその心までは変わらへん。わしの愛した球団や」
 西本はそう言うとその場を立ち去った。そしてその場を立ち去った。
 このことは上田にも伝わった。
「西本さんがそんなこと言うてたんか」
 彼もまた西本に育てられた男である。彼のことはよく知っていた。
「有り難い。その言葉一生忘れまへん」
 上田はこの時になりようやく目に熱いものを宿らせた。
「例え阪急やなくなっても野球をするのはわし等や。こうなったら最後の最後まで阪急の、わし等の野球をしますわ」
 そしてその目のものを拭いた。
 彼はベンチに向かった。そこでは選手達が上田を待っていた。阪急のユニフォームだ。
「皆」
 上田は彼等を見てまず声をかけた。
「練習や。まずはいつも通り準備体操からや」
「はい」
「そしてそれからランニングや。いつも通りいくで」
 彼の顔は微笑んでいた。
「これからもそうや。いつも通り毎日練習して試合するで!」
「はい!」
 選手達は力強く頷いた。そして一斉にベンチを出た。
 彼等はそれぞれ準備体操をしている。それを見る上田の目は温かいものであった。
「これでええ」
 彼は笑っていた。
「わし等がおる限り阪急ブレーブスの心は永遠に残る。例え名前が変わってもこの球場やなくてもな」
 チラリとスタンドを見る。もうシーズンオフで試合もない為客はいない。
「だからずっといつもと変わらん野球をやる。そして全力を尽くす」
 選手達は準備体操を終えていた。そしてランニングを開始した。
「ランニングやからって気を抜くんやないで!一生懸命走るんや!」
 彼は選手達に檄を飛ばした。
「来年は優勝や!そしてこの西宮のお客さんに優勝旗見せたるんや!」
 彼の言葉が球場に響いた。それは永遠に西宮に残るようであった。
 死闘を終えた近鉄は藤井寺に帰っていた。そして彼等もまた西本の話を聞いていた。
「西本さんしか言うことができへん言葉やな」
 仰木はそれを聞いて呟いた。
「あの人にしか言われへん、ホンマに重い言葉や」
 彼は腕を組んでそう言った。
「そしてそれはうちにも言えるな」
「近鉄にもですが」
 権藤はそれを聞いて尋ねた。
「そうや。わしもあの人にはよう教えられたもんや」
 彼は長い間近鉄のコーチをしていた。西本の下でもコーチを務めていた。
「三原さんとはまた違う。ホンマに頑固でおっかない人や」
 鉄拳制裁なぞ日常茶飯事である。かって陸軍において高射砲部隊の将校として戦っていたのは伊達ではなかった。烈火の様に激しい気性の持ち主である。
「しかしそのおっかなさは優しさと同じや。心から野球も選手達も愛しとった」
 西本により近鉄も変わった。多くの選手達が彼に育てられた。
「わしもあの人には今まで気付かんかったことをよく見せてもらった。そして今のわしがあるんや」
 仰木の采配はただ三原のコピーをしているだけではない。そこには西本の野球も入っていたのである。
「この近鉄も同じや」
「近鉄もですか」
「そや。うちも西本さんが作り上げた球団やからな」
 そう言う仰木の目の前では選手達がそれぞれ練習に励んでいる。投手陣はランニング、野手陣はバッティング練習で汗を流している。
「よし、その調子や!」
 シート打撃では打撃コーチの中西太が選手達に声をかけている。彼は西鉄時代チームの主砲であり『怪童』とさえ呼ばれた。仰木の同僚であったのは言うまでもない。
 中西の打撃理論は定評がある。彼もまた多くの選手を育てている。
「この近鉄の野球もまた独特なもんがある。打線が強いとは言われとるな」
「はい」
 近鉄の看板であるパワー打線を作り上げたのも西本であった。『いてまえ打線』とも呼ばれる強力打線は近鉄の代名詞であるがそれも西本により作り上げられた。
「厳しくて激しい練習やったで。けれどそこからあの打線が出て来たんや」
 七十九年、八十年いてまえ打線は派手に暴れ回った。そして見事優勝をもぎ取ったのだ。
 それが近鉄のカラーとなった。おそらくかっての貧打線を知っている者はもう少ないであろう。
「昔は全然打たへんかったのにな」
 仰木はそれに言及した。
「変われば変わるもんや。これも西本さんのおかげや」
 西本道場とまで呼ばれた。極寒の中の練習で近鉄も変わったのだ。かっての阪急がそうであったように。
「これだけは変わることはあらへん。わし等がおる限りはな」
 仰木はここで上田と同じ言葉を口にした。上田がそれを言ったことは知らなくとも。
「我々がですか」
「そうや」
 仰木は彼にしては珍しく強い口調でそう断言した。
「見てみい、選手を」
 彼は選手達を指差した。
「あの連中にもそれはある。近鉄の、西本さんの志はあいつ等がおる限り消えはせんで」
 仰木はにこりと微笑んだ。そして選手達に対して言った。
「野球は来年もある。まだまだ終わりやないで!」
 そして言葉を続けた。
「来年こそは優勝や!そして日本一になるで!」
「はい!」
 選手達の声が聞こえた。それは藤井寺を包んだ。
 近鉄の野球も永遠である。それは選手とファンがいる限り永遠に残る。例え愚劣な輩が姦計を弄してもだ。
 二つの意地が激突した。だがそれは散らなかった。それは何時までも野球を、近鉄と阪急を愛していた者の心に残っているのだ。そしてこの二つの球団もそれと共に永遠に残る。野球を愛する者がいる限り。野球を愛する者は野球を冒涜する者には決して敗れはしないのだ。


二つの意地    完


                   2004・9・4
 
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