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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十一章 追憶の二重奏
  第三話 決心と決意

 ……変わってないな。

 天蓋付きのベッドの上に横になったルイズは、顔を覆うように置いた右手の隙間から部屋を見渡し、声に出すことなく小さく口の中で呟いた。十二メイル四方の大きな部屋。ベッドや机、本棚などの家具の他には、ぬいぐるみや木馬などのおもちゃが所狭しと置かれているそこは、魔法学院に入学するまでルイズが暮らしていた部屋であった。大人が数人横に並んで寝られるほど大きなベッドの上に一人寝転がりながら、ルイズは左手をベッドの端に伸ばし、転がっていた人形の一つを手にする。指先で掴んだ人形を引き寄せると、それを胸元に抱き寄せた。

「わたしは……少しは変わったのかな……?」

 この部屋にいた頃は、何時も泣いていたような気がする。
 欲しいと思った物は直ぐに手に入ったため、物質的な不満は感じたことはなかったが、代わりに全然自分の思い通りにならないものがあった。それは自分の魔法。どれだけ勉強しても少しも上達しない自分の魔法。口を開けば魔法の勉強とばかり言う母から受ける教育は厳しかったが、自分の魔法の実力は全く上がることはなく、それは呼び寄せた高名なメイジさえも匙を投げる程であった。それでも母は諦めることなく、自らわたしに魔法の勉強を教えていたが、それはまるで軍隊のように厳しく、勉強を終えた後は何時も一人この広い部屋の中で泣いていた。
 母の厳しい教えと……何時までたってもまともに魔法を使えない自分に対する苛立ちに……。

「……変わったわよね」

 顔を覆っていた右手を伸ばし、胸の上に抱き寄せた人形を両手で掴むと、顔の上に持ち上げる。
 騎士をデフォルメしたその人形を見上げながら、ルイズは小さく溜め息を吐く。

「……っ……それとも……ただ、そう思いたいだけなのかな?」 

 今なら分かる気がする。
 あの頃、母があれだけ厳しくわたしに魔法を勉強させた理由が。きっと母は、自分が信じる道を進んで行けるように、力をつけさせたかったのでは、と。
 きちんと魔法が使えなければ嫁ぎ先がないと口にしていた母から教えを受けていた時は素直にそう思っていたけど、魔法学院へ行って……ううん……シロウと出会ってから色々な事を経験して……違うんじゃないかって思うようになった。
 どんな道であっても、自分で何かを選ぶ時、力は必要になる。使うにしても使わないとしても、力はある方がないよりも選択肢は広がるから。そのことを母はよく知っていたのだろう。それもそうだ、なにせ母は父と結婚する前は、性別を隠しマンティコア隊の隊長をしていたのだ。一体どれだけの苦労や困難があったのか想像もできない。
 小さい頃、この部屋に住んでいた時はそのことに気付かなかった。
 違う。
 住んでいたから気付けなかった。
 ここから出て、たくさんの経験をして、様々な人と出会ったから分かるようになった。
 ずっとここにいたら、きっと気づけなかったと思う。
 自分の中に夢が生まれ、それを叶えようと思った時に気付いた。夢を叶えるには、力が必要だと。それは単純に魔法の力だけのことじゃないけど、でも、魔法の力も必要だった。
 
「……ゆめ……か」

 持ち上げていた手を下ろし、両手で掴んでいた人形を抱きしめる。柔らかなものが、胸元で潰れるのを遠く感じながら、ルイズは名前を呼ぶ。それは、自分の夢に必要不可欠な存在の名。口にしただけで、胸の奥が暖かくなるそれを口にし、ルイズは自身の身体を抱きしめる。

「……シロウ」

 胸の奥で灯った熱を抱きしめるように、強く人形ごと自分の身体を抱きしめるルイズ。口から溢れる吐息は熱く、何処か切ないものが含まれていた。ベッドに身体を擦りつけるように動き、皺一つなかったシーツに波が生まれる。人形を抱きしめていた手が離れ、ルイズの身体の上から小さな騎士がこぼれ落ちた。しかし、身体を包む両手は離れることなく、強く自身の身体を抱いたまま。捩れる身体と掴む指先に服の上にも波が生まれる。脇腹辺りに生まれた波は、何時しか上下に別れ、ゆっくりと先へと進んでいく。身体の線のなぞるように動く指先は、無意識にルイズの一番深い記憶に刻まれたそれを再現していた。上へと進む波の生まれる先が緩やかな丘を上り始め、下へと進む波の先端が上下を分ける境目に触れると、期待するかのようにルイズの細く白い喉がごくりと蠢く。うっすらと浮かび始めた汗が、寝巻きをしっとりと濡らし、これから訪れるナニカに期待するかのように、ルイズの身体がブルリと二度、三度と震えた。
 強く瞑られた瞼に更に力が入り、進む指先にも力が入る。
 加速度的に鋭敏になっていく身体に比例し、ルイズの口から漏れる吐息が段々と荒れていく。鼻にかかったような息苦しいような、しかし何処か甘い声を喉奥から漏らしながら、ルイズの指先が決定的なそこに触―――、



「ルイズ、今い―――」
「っきゃああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっぁあぁぁっぁぁぁぁぁ―――――――――ッ!!??」



 盛大な悲鳴が城を揺るがした。





 部屋の前に集まった使用人を口八丁手八丁で何とか散らしたルイズは、閉じたドアに背中を当てるとずるずると床にへたり込んだ。顔はだらりと垂れ下がり、桃色の髪がカーテンのように顔を覆う。

「ご、ごめんなさいルイズ」

 ルイズ以外に人影が見えない部屋の中に、唐突に女の声が響く。
 俯かせていた顔を上げ、ルイズは声が聞こえてきた方向に顔を向ける。視線の先には、ベッドの下からごそごそと這い出てくる人影の姿が。ベッドの前で、身体に付いた埃をはたき落としながら、恥ずかし気に顔を俯かせる相手に、ルイズは苦い笑いを向けた。

「い、いえ。そ、そんな気にしないで下さい。別にまだ何もしていませんでしたから」
まだ(・・)?」
「―――ッ!!? べっ、べべベッ、別に何もしていませんよッ?!」
「……そ、そうですか」

 微かに頬を赤く染めた顔を背ける相手の姿に、ルイズは真っ赤に染め上げた顔を俯かせ、身体を小刻みに震わせた。

 ばッ、バレてるぅぅ~~~ッ!?

 ナニをしていたか察せられていると確信しながらも、ルイズはそれを口にすることが出来る筈もなく、ただただ俯いていた。しかし、何時までもこのままではいられないと心に喝を入れたルイズは、未だ赤く染まった顔を上げると、震えながらも口を開いた。

「ひ、姫さま」
「な、何ですかルイズ」

 …………………………………………………………。

 目のキョドらせながらだが顔を自分に向けるアンリエッタに、ルイズは引きつった笑みを向けたまま続く言葉を告げることが出来なかった。互いの赤く染まった顔を見合わせ、じっと押し黙る二人の少女。
 ゴクリと喉を一つ鳴らすと、ルイズはゆっくりと顔を上げる。湯気が出そうなほど赤く熱くなった顔を無理矢理動かし、ルイズは何とか声を喉の奥から絞り出す。

「そ、その、わたしに何か用ですか?」
「え、ええ。す、少し話しがあって来たんですが……」
「話しですか?」
「ええ」

 ふぅ、と小さく息を吐き、穏やかな笑みを浮かべたアンリエッタはこくりと首を縦に動かした。

「昔と、今と……これからの話を……」


 


 




 
「―――どうぞ」

 カトレアに促され士郎が入った場所は、カトレアの自室だった。二十メイル四方は軽くあるその部屋は、一見してガランとした印象を持った部屋であった。部屋の隅に天蓋付きのベッドとその脇に置かれた小さな机、そして本棚が一つだけ。士郎がカトレアに勧められたのは、その中の一つ、

「……カトレア、俺の目にはベッドに見えるんだが?」
「ええ、丁度椅子を切らしていまして」
「……そうか、切れるものなんだな椅子って……初めて知った」

 細めた目で天井を見上げた士郎は、ふと何かに気付くと広い部屋をぐるりと見渡した。

「シロウさん?」

 カトレアの訝しげな声に顔を向けた士郎は、眉を潜め首を傾げた。

「いや、動物がいないと思ってな。ほら、学院の部屋には動物が所狭しといただろ」

 魔法学院のカトレアの部屋には、士郎は何度か入ったことがあった。勿論? 二人っきりなどではなく、ルイズやロングビルたち等と一緒ではあったが。その時にお邪魔したカトレアの部屋には野生の動物だけではなく、何故か学院の生徒の使い魔の姿もあった。だから士郎はカトレアに部屋に誘われた時、この部屋の中も動物園の如き様相を呈しているのだと思っていたのだが、

「なのに、ここにはいないと思ってな……」

 部屋の中には一匹も動物の姿は見えなかった。それこそ猫の子一匹も……。
 辺りを見渡す士郎を見つめるカトレアの口元には、小さな笑みが浮かんでいたが、それは口元を覆う右手によって隠されていた。

「皆には少しお願いをしていまして」
「……は?」

 眉を曲げる士郎に向かって、カトレアはゆっくりと近づいていく。士郎の手を取ったカトレアはベッドに座ると、掴んだ手を引き寄せ士郎をベッドに誘った。引かれるままに任せベッドの上に座った士郎は、隣に腰を下ろしたカトレアに顔を向けた。

「……お願いって、何をだ?」
「そうですね……ちょっと時間かせ―――あ、その、ですね……ただちょっとシロウさんと二人っきりになりたくて……」

 柔らかく笑みを浮かべ、小首を傾げるカトレアに、士郎は目を軽く見開かせる。反射的に開きかけた口を閉じると、膝に肘を当て立てた腕で俯かせた顔を支えた。

「あ~……その、だなカトレ―――」
「ねえシロウさん」

 顔を上げた士郎が開いた口を、カトレアの声が閉ざす。緩やかな弓を描く目から見つめられた士郎は、口にしようとした言葉を飲み込むと、視線でカトレアに先を促した。

「ありがとうございます。その、ですね」

 士郎から話を促されたカトレアは、小さく首を縦に振り礼を告げると、少し言い淀みながらも小さく開いた口から疑問の声を上げた。

「先程は何をされていたんですか?」
「さっき?」
「はい。テラスで……」
「ああ、あの時か……」

 頬を指でかきながら頭上を見上げる士郎。視界にはベッドの天蓋が映る。それを何とはなしに見上げながら、士郎はポツリと声をこぼした。

「少し……昔の事を思い出していてな」
「昔……ですか?」
「そう、昔……ここへ来る前のことを」

 カトレアに促されるように、士郎は思い出す。

「家族の事を、な」
「家族ですか?」

 身体をずらし士郎に近づいたカトレアは、ベッドに手を着いた士郎の手に自身の手を乗せた。

「どんな人たち何ですか、シロウさんの家族は?」

 士郎の顔を下から覗き込みながらカトレアは問いかける。

「まあ、そうだな。一言で言うなら色々ととんでもない奴らだ」
「とんでもない……ですか? 二言で言うなら?」
「物凄く、とんでもない奴らだ」
「……三言でなら?」
「桁違いに、物凄く、とんでもない奴らだ」
「……く、苦労したんですね」

 ヒクつきながらも、同情の声を上げたカトレアに、士郎は深く重々しく頷いてみせた。

「苦労という言葉が苦労ではなくなるくらいには……な」
「…………っ」

 ガクリと肩を落とし乾いた笑みを浮かべる士郎を、苦笑しながら見ていたカトレアは、ふと何かに気付くと士郎の頭に向かって手を伸ばした。ポスンと白い髪の上に置いた手をゆっくり労わるように動かしながら、カトレアは顔を上げた士郎に悪戯っぽい笑みを向ける。

「―――でも、大好きなんですよね」
「……ああ」

 口元に笑みを浮かばせたまま士郎は頷く。

「……聞いても、いいですか? ……シロウさんの家族の事を……」
「別に構わないが……そんなに楽しいものじゃないぞ」
「そんなことはありません」

 首を横に振ったカトレアは、士郎の頭に乗せた手を下ろし、服の裾をそっと掴んだ。

「どんな事でも……好きな人のことを知るのは嬉しいものですよ」










「昔と、今と……これからの話……ですか?」
「ええ……ふふ、でも、何だか懐かしいわ。子供の頃は、夏は良くここに泊まっていたわね」

 ベッドの上に手を置いたアンリエッタは、遠くを見るように目を細める。見ているのは、昔の、子供の頃の光景。幼く、まだ何も知らなかった頃の自分と、ルイズの姿。

「そうですわね。二人で一緒にベッドに入って……色々な話をしましたわ」
「ルイズは覚えてる? 小さな頃交わした約束のことを」
「約束ですか?」

 ベッドに腰を下ろしたアンリエッタの横に座ると、ルイズは首を傾げた。

「えっと、どの約束でしょうか?」

 幼い頃にアンリエッタと交わした約束は、実のところパッと思い出すだけでも軽く十はあった。どれもこれもたわい無い約束ではあるが、中にはとんでもない約束もある。それこそ今思えば自殺ものの約束が……。
 まさかそれかと思ったルイズであるが、その場合アンリエッタも道連れになるのでそれは流石にないだろうと上がった候補から直ぐさま蹴落とすルイズ。うんうんと腕を組みながら唸り声を上げていると、笑みを含んだアンリエッタの声が掛けられた。

「そうね、たくさん……たくさん約束をしましたわね……。わたくしが言う約束はね、好きな人が出来たらお互いに報告するって言う約束の事よ」
「ああっ、あれですね。覚えています。確かに約束しましたわ……って、え?」

 解いた両手を打ち付け喜色の声を上げたルイズだったが、声を尻すぼみに消えていき、最後は小さな疑問の声を上げて消えてしまう。横に座るアンリエッタに錆び付いた人形のようにゆっくりと顔を向けたルイズは、首をカクンと傾けた。

「あの、姫さま?」
「わたくしはね……ルイズ」

 疑問の視線を投げかけるルイズに、アンリエッタは吐息と共に浮かべた笑みを向ける。向けられた笑みに含まれたものに気付いたルイズは、小さく息を詰めると目を真剣なものにして改めてアンリエッタを見た。

「わたくしは……シロウさんが好き」
「…………」

 黙り込んだルイズに向かって、アンリエッタは止めることなく続けて言葉を向ける。

「ただ、寂しいだけだと、頼れそうな人なら誰でも良かったのではと……そう、思って……いいえ、思おうしていました。でも、やっぱり違いました」

 胸の上……心臓の上に手のひらを当て、自身の鼓動を聞くように目を閉じながら、アンリエッタは告白を続ける。

「ただの思い込みで、名前を口にしただけで胸が苦しくなったりはしません。彼の事を思い出すだけで、鼓動が早くなるわけがありません。触れられた事を思い出し、身体が熱くなったりはするはずがありません……」
「……そっか」

 ルイズの小さな声は、アンリエッタの耳に届くほどの大きさではなかった。口の中で呟かれた言葉。聞こえる筈がない。事実、アンリエッタはルイズの声を捉えてはいなかったが、しかし、ルイズの呟きと共にアンリエッタの告白は止まった。アンリエッタはルイズを見つめる。
 アンリエッタは戦々恐々の思いでルイズを見つめていた。唯一と言っていい親友の使い魔であり恋人でもあるだろう人のことを、本人の前で好きだと告白。殆んど狂った? と言うような所業だ。今すぐこの部屋から逃げ出したいとの思いに駆られながらも、アンリエッタは必死にそれに耐え、ルイズの反応を待つ。以前『好きにしたら?』とのような事を言われたが、だからと言って安心できるものではない。というか安心できる奴がいたらただの馬鹿だろう。
 じっとりとした嫌な汗が背中に吹き出て、服が背中にくっつく。微かに震える視界でルイズを見つめる中、ルイズの口が動き出す。緊張で張り詰めた意識の中、アンリエッタの視界にゆっくりと開かれるルイズの口が映る。

「……わたしも、シロウが好きです」
「…………そうです、か」

 想定していた反応をどれも見せないルイズに対し、アンリエッタは気の抜けた声を漏らした。呆気に取られたようなアンリエッタの声を受け、ルイズは苦笑を浮かべる。

「わたしも、シロウが……好きです」
「……そう……ですか」
「「……………………………………………………」」

 ルイズとアンリエッタは視線を合わせると、同時に黙り込んでしまう。至近の距離で互いの目を見つめ合いながら、押し黙る二人の少女。何度となく何かを言おうと口を開きかけるが、しかし口は開かれることなく二人は押し黙っていしまう。互いに喉まで上がってくる言葉を何度も押しとどめるため、時折沈黙の中に何かが詰まったかのような低い声が部屋に響く。その度に自分を笑うかのように苦笑を浮かべる二人であったが、

「―――っふ」
「―――あはっ」

 最初に二人の口から溢れたのは言葉ではなく、笑い声であった。

「ははっ、ははははは」
「あは、ふふっ、ふ、ふふ」

 弾けたように口から吹き出た笑い声は明るく朗らかであった。ただ、ただ自然と湧き上がる思いから生まれた笑い声を上げながら、二人は笑い合う。笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、声を上げ笑い合う。腹を抱え、笑いの勢いに負けるように背中からベッドに倒れた二人は、顔を横に倒し互いの顔を見交わし手を伸ばす。互いの指先が触れ軽く絡め。二人は互いの結び目を見つ合う。口の中に笑みを含んだ顔を上げ互いに視線を交わし合うと、ルイズとアンリエッタは顔を離しベッドの天蓋を見上げた。
 ベッドの上に横になりながらも、互いの手を取り合う二人は、笑い合いながら笑みを含んだ声を漏らした。

「……そっか」
「……ですか」

 天蓋を見上げる二人は示し合わせたように同時に絡め合った指先に力を込める。

「―――何だかシロウさんに会いたくなりました」
「―――シロウに会いたいな」

 こてりと顔を横に向け、互いの顔を見合わせ軽く目を見開くと直ぐに口の端を曲げ。



「「なら、会いに行きま―――」」



 声を上げた瞬間、ドアが部屋に向かって弾け飛び、



「「―――ッッ!!?」」



 幾つもの黒い影がベッドの上に寝転ぶルイズとアンリエッタに向かって飛びかかった。










「じゃあ、そのサクラさんとリンさんとの諍いに……」
「いや、諍いというレベルじゃないなあれは、もはや戦争だ。出来ればというか絶対に近づきたくはないんだが……止めないと家が破壊尽くされてしまうからな」
「ほ、他に止める人はいなかったんですか?」

 空になったグラスを掲げ、細めた目で見上げた士郎は、口の端を小さく曲げた
 
「まあ、昔はいた(・・)んだが」
いた(・・)、ですか……それは?」

 士郎が零した寂しげな声色に、カトレアは微かに眉を寄せる。

「ああ、俺の姉なんだが。これがまた元気でしかも悪戯好きな人で……あの人自身がトラブルの元になることも何度もあったな」
「シロウさんのお姉さん……ですか」

 手持ち無沙汰を紛らわすかのように、カトレアはテーブルに置かれた空のグラスの縁をなぞる。

「と言っても義理の姉だがな。さっき言ったが、俺は親父(オヤジ)の義理の息子だが、イリヤ―――姉は親父の実の娘だった」
「イリヤさん……ですか。どんな方だったんですか?」

 ワインボトルをテーブルから取り上げたカトレアは、士郎の持つワイングラスの中に中身を注ぎ入れる。透明なグラスの中程まで満たしたルビーの如き赤い液体を揺らしながら、士郎は過去を見るように目を細めた。

「綺麗な人だったよ。とても、な……。雪のように真っ白な髪と肌、そして人間離れした美貌。本人は気にしてたが、小さく華奢な身体には、触れれば溶けて消えてしまうかのような儚い魅力があったな」
「小さい、ですか?」

 士郎からお返しで注がれたワインで喉を湿らしたカトレアが、小さく首を横に傾げた。姉だと言うのならば、士郎よりも年上の筈である。その姉に対し士郎は小さいと言った。確かに士郎は平均よりも高い身長であるため、大概の女性を低く感じるだろう。しかし、カトレアの耳にはそう言う風には聞こえなかった。カトレアの訝しげな視線に気付いた士郎は、グラスの中のワインを揺らす。

「あ~……そうだな。ルイズよりも頭一つ分ほど小さいな」
「……その人は本当にお姉さんなのですか?」

 カトレアに苦笑を向けた士郎は、グラスの中のワインを一気に飲み干した。
 アルコールが混じった吐息を吐き出しながら、空になったワイングラスの縁を額に当てる。微かに酒が回り、熱を持った身体をグラスが僅かに冷やす。
 目を閉じ、士郎は呟く。

「勿論だ……イリヤは俺の姉だ。それはまあ、姉の特権だと言って色々と無茶な要求や行為を強要するところもあったが……ふと気付いた時いつも一番傍にいたのはイリヤだったな」
「……良いお姉さんだったんですね」

 士郎が口元に形作った笑みを見たが、ワイングラス越しに見える歪んだ顔に浮かんだ懐かしさの奥に宿る悲しみに気付くと、カトレアはそっと静かに顔を伏せた。

「……俺には勿体無いくらいの姉だったよ」
「……お姉さんは」

 話しの流れからして、士郎の姉が今どうなっているのか何とはなしに察しながらも、カトレアは聞く。

「数年前にな……突然だ。俺がそれを聞いた時には、もう何もかも終わった後で……死に目にも会えなかった」
「病気だったのですか?」
「いや、生まれつきのもので……寿命……みたいなものだと言われた」
「……寿命、ですか」

 カトレアは自身の胸を軽く抱く。腕の中、服の奥には士郎から渡された守刀があった。硬い感触を心強く感じながら、カトレアは士郎を仰ぎ見る。

「会ってみたかったですね」
「ふむ、カトレアとイリヤか……もしかしたら意外と話が合うかもしれないな」
「そう何ですか?」
「あ~そうだな。カトレアみたいなタイプはあまりいなかったから判断材料が少なくてハッキリとは言えないが」
「あら? 私みたいな人でないのならたくさんいたんですか?」
「―――っ」

 頬に手を添え小首を傾げたカトレアの顔に浮かぶ邪気のない笑顔に、士郎は何故か唐突な焦りに身を震わせた。

「あ、その、いや、別にそういうわけでは……」
「私みたいな人がいないということは……やっぱりシロウさんは小さい子が好みなんですね」
「いやいやなんでさっ!? なんでそんなことになるんだっ!?」

 悲しげに自身の身体を抱いて肩を下げるカトレアの肩に手を置き、士郎は高速で首を横に振りながら必死な形相で問い詰める。

「シロウさんはルイズの使い魔ですし。それにルイズよりも頭一つほど小さいお姉さんの事が大好きだったんですよね? ああそう言えば、シロウさんが助けにいったガリアのお姫さまも随分小さな方だったような……」
「だからなんでさっ?! なんでそんな話しになるんだっ!?」
「シロウさんの好みの女性の話をしていたのでは?」
「何時そんな話が出たッ?! それに俺は別に小さいのが好きなわけじゃないっ、大きいのも―――って何言わ―――」


 大口を開けカトレアに迫る士郎の顔が、



「―――では、シロウさんは私でもちゃんと欲情するんですね」



 ピシリと固まった。
 時がカチリと凍った音を、士郎は聞いた気がした。
 時が止まったかのような沈黙が満ちる中、士郎はひりつく喉を何度も鳴らしながらベッドの上でニコニコと機嫌よく笑っているカトレアに問いかける。

「・・・・・・カトレアさん……今、何て?」
「シロウさんは私に欲じょ―――」

 決定的なフレーズが口から飛び出る前に自分の両手で押さえつけた士郎は、額に浮かぶ汗を肩で拭いながら震える声を喉から絞り出した。

「何故っ、どうしてっ、突然ッ、そんな言葉が出るんだ?!」

 一つ一つ区切りながら絶叫する士郎に、カトレアは口を塞ぐ手に自身の手を添える。そっと壊れ物を扱うかのように士郎の手を自分の口から外すと、カトレアは笑みが浮かぶ口元を動かす。

「いえ、ロングビルから聞いてはいたんですが、でもやっぱりこうい事は本人から直接聞かない限り安心できないといいますか……」
「だからどうしてと」
「本当にわかりませんか?」
「っ」

 穏やかな笑みを目の前にして、士郎は小さく言葉に詰まった。何かを言おうと口を開くも、直ぐに閉じ、両手で顔を覆うと天井を仰いだ。

「っあ~……わからない……とは言えないな」
「そうですよね」

 相槌を打つカトレアを士郎は横目で睨み付ける。

「いいのか」
「何がですか?」
「ロングビルと話したということは、わかるだろ」

 「何を?」と尋ねるようなことは勿論しない。カトレアはただ変わらぬ笑みを口元に湛えながら小さく頷く。

「はい」
「聞いても、いいか?」

 否定も肯定もせず、カトレアは深めた笑みでもって士郎の問いに応えた。だから士郎は聞く。疑問に思ったことを。

「何で―――俺なんだ?」
「さあ、何ででしょう?」

 顎に人差し指を当て、小さく横に顔を倒す。眉も曲がり、一生懸命に考えている呈を示している。

「何ででしょうって……わからないのか?」
「わからないと言うよりも……」
「?」

 士郎は首を捻る。カトレアはそれを横目で覗き込むと、両手で胸を抑えた。

「ただ……幸せなんです」
「……」
「シロウさんの傍にいると、胸の奥がぽっと火が灯ったように暖かくなって、すごく幸せな気持ちになるんです」
「……そう、か」

 後ろに手をつき、ギシリと音を立てながら天蓋を仰いだ士郎は、苦笑に近い笑みを浮かべ目を細めた。

「……だから」

 ベッドの上に置かれた士郎の手の上に自身の手を重ねたカトレアは、そっと身体を傾ける。肩と肩とが触れ合うのを感じ、カトレアは自身の身体の熱と鼓動の速度が早まるの自覚した。顔に血が上り、頬に熱が込もるのを感じながら、覚悟を決めるように目を瞑る。
 何も知らない幼い子供ではない。これから何が始まるのか、もう一度考える。熱と鼓動が更に早まるが、ここから逃げ出そうという気持ちにはならない。呼吸を意識して小さくする。不安と期待から荒れはじめた吐息の事を悟られるのが、何故だがとても恥ずかしい気がするから。
 重ねた手に力を込め、熱がこもった吐息を飲むと、意を決したように顔を上げる。
 自分を見下ろす士郎と視線が交わり、熱く濡れた吐息が微かに開いた口元から溢れた。溢れた吐息は流れ、士郎に触れる。

「……全く、ひどい男だな」 

 揺れる濡れた瞳を見つめながら、誰ともなく口の中で己を罵る。
 何時もの如く(・・・・・・)、断ることの出来ない己を侮蔑するように。
 相手の真剣な、純粋な想いに応えられる程大した己ではないことを自覚しているのに、どうしてか何時も断ることの出来ない己を。相手の想いが純粋であればある程、強ければ強い程その想いは強く自分の心を捕える。
 何故か……分かってしまう。
 何時からだ?
 自分に好意を寄せる女性(ひと)の想いを分かってしまうようになったのは……。
 知って、理解してしまえば、囚われてしまう。
 相手の想いに。
 そして、応えてしまう。
 自分にそんな価値がないと知りながらも。
 その想いに応えられるだけのものを渡せるものなど自分にないと知りながら……。
 それでも、応えてしまう。
 今もそうだ。
 聞かなくても、分かっていた。
 彼女が自分をどう思っているのか、どう感じているのかを……何を求めているのか……。
 最後の抵抗とばかりに問いかけたが、やはり駄目だった。
 違いはない。
 彼女の答えと、自分が感じていた彼女の想いは……。
 彼女に好意を持っているのは否定はしない。
 優しく、包み込むような雰囲気。穏やかな笑みに、魅力的な柔らかな曲線を描く身体。甘い華のような香り。優しく、しなやかな強さを持つ意思。
 強く惹かれるものを彼女は持っている。
 誰もが彼女を知れば、惹かれてしまうだろう。自分も同じだ。彼女に惹かれている。だが、自分はそれに流されてはいけないとも自覚している。なのに、何時も(・・・)それなのに意志に反して意思はそんな彼女たちの想いに応えようとする。
 否定し、拒否しようするが、最後は何時も負けてしまう。
 分かっているはずなのに。
 自分が彼女たちに相応しくないということを。
 その想いに応えられるほどの幸せを与えることが出来ないということを……。
 なのに、彼女たちの求めに応じてしまう。
 想いに流されてしまう……。



 それでも……。
 やはり、最後は自分の決断だ。
 流されるままではない。
 流されるままに、その想いに答えることだけは、決していしない。
 してはいけない
 だから、必ず触れる前に決断する。
 自分で望んで触れることを。
 誓いを新たに刻む。
 触れる彼女が、何時か後悔することにないようにと。
 己に誓う。
 決断し、誓い、そして……。
 これがただの言い訳でしかないことを自覚はしている。
 だが、それでも流されるままではないと己に言えるように、今もまた、自分で望んで手を伸ばす。誰でもない、自分が彼女を欲しいと想い伸ばすのだ。

「―――っぁ」

 微かな戸惑いと、若干な不安、そして大きな期待を含んだ濡れ揺れる声が耳に触れた瞬間、

「―――っ」

 流れ込んでくる愛しいという想いが自分の中の彼女への想いと混ざり合い、身体と心が急激に膨れ上がる想いと欲望に駆られる。
 最後の最後。
 欠片の理性に浮かんだのは、やはり何時もの如く。


 ―――ああ、全く本当にどうしようもない男だな……俺って奴は……。



 そんな自嘲めいたものだった。 
  
 
 
 




 

 
 






 扉が内側に向け破壊された部屋の中に、濡れて湿った音が響き。舐る音と共に、くぐもった押し殺した低い声が混じっている。喉の奥から響く声が、女の拒否の声を抑えていた。大きく揺れ動くベッドの上には、幾つもの黒い影が二人の女の上に跨っていた。ベッドに押さえつけられた女たちは、自分の上にのしかかる(けだもの)たちを引き離そうとするが、相手の力は強く、ビクともしない。獣たちは生暖かい荒い息を吐き、粘性の高い唾液を女たちの身体に擦り付ける。

「―――っ」
「っぁ、ぅ」

 悲鳴を押し殺したような声を喉奥で鳴らす二人は、何とか逃げ出そうとするが、ただベッドの軋む音を立てるだけしか出来ないでいた。獣たちは荒々しくルイズたちの身体に置いた手に力を込める。

「「―――ッッ!!?」」

 二人の耳に、布が裂ける音が触れた。ビクリと二人の身体が震え、瞳が大きく見開かれる。
 燃えるように熱い身体を押し付ける獣たちを、ルイズはギッ! と噛み砕かんばかりに睨みつけた。傍若無人にルイズたちの身体を弄んでいた獣たちが、その視線に怯え身体を硬くする。

「―――い・い・か・げ・ん・にッ!! しなさぁぁああいいいッ!!?」

 フンッ! と腹筋に力を込め、勢いよく身体を起き上がらせたルイズは、上に跨る獣の鼻面に自身の額を叩きつけた。悲鳴を上げ仰け反る獣を、仰向けの状態のままルイズはベッド下に蹴り落とす。自由になると素早くベッドの上に立ち上がったルイズは、アンリエッタの上に跨っていた別の獣の横腹を蹴りつけ同じようにベッド下に落とし、直ぐさまもしもの為に置いていた乗馬用の鞭を枕の下から引きずり出した。
 何が起きているのか目まぐるしく変わる状況に目を回すアンリエッタを尻目に、ルイズはベッドに鞭を叩きつけると、どこぞの女王様の如く声を張り上げた。

「何であんたたちがこんなところにいるかは知らないけどっ、わたしはちい姉さまみたいに甘くはないわよっ!! 姫さまとわたしに対する無礼っ、その身を持って償いなさいッ!!」

 全身の毛を逆立てて身を竦ませる眼下の獣たちを睨めつけるルイズ。
 再度ベッド端に鞭を叩きつけたルイズは、眼前に広がる部屋を占領した獣たちを見下ろす。
 犬、猫、猿、熊、豚等々数十種類の動物を睨みつけ、ルイズは叫ぶ。



「鳴いて許しを請いなさいッ!!!」
 


 鞭が唸り弾ける音と、獣たちの魂消る悲鳴が上がる中、ルイズの艶を帯びた哄笑が響き渡り。夜が耽け夜の闇に高らかなルイズの声が広がっていく。
 自分たちが何をしようとしていたか、何処へ行こうとしていたのかをすっかり忘れたルイズの声と鞭の音は、ルイズが疲れて眠ってしまうまでの長い閒続くこととなった。





 
 

 
後書き
 感想ご指摘お待ちしています。

 次話は月・火曜のどちらかに上げる予定です。
 閑話で……ちびっこ姉さんが出ます。 
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