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知と知の死闘

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第五章


第五章

 そして遂に最後の戦いが幕を開けた。泣いても笑ってもこの試合で全てが決まる。両者は神宮の社に集結した。
 先発は最早決まっていた。ヤクルトは岡林。西武は石井丈裕。岡林はこのシリーズ三度目の先発だ。既に二完投、疲れが心配されるが彼しかいない。
 それは西武の同じだった。この時の為にあえて残していた最後の切り札。森は彼にすべてを託した。
「頼んだぞ・・・・・・」
 二人は両エースを見た。遂にプレーボールが宣言された。
 まずは勢いそのままに四回にヤクルトが先制する。ファン達の喚声がその場を支配する。
 しかし西武もしぶとい。七回に攻勢に出た。
 まずデストラーデがエラーで出塁する。そしてツーアウトランナー一、二塁。絶好のチャンスにバッターはピッチャーの石井丈裕。
「ここは代打やな」
 野村はそう読んでいた。左の技巧派である角をブルペンに向かわせていた。彼は右の岡林に対して左の代打が来ると読んでいたのだ。それは誰もが同じであった。
 だが森は動かなかった。何と石井をそのままバッターボックスに送ったのだ。
「森は一体どういうつもりや!?」
 野村はいぶかしんだ。パリーグではバッターは打たない。セリーグのそれと比べて打撃に疎いのは明らかである。
 実は森は別の意味で彼を打席に送ったのだ。
「八回、若しくは九回にもう一度チャンスが回ってくる筈だ。今はヤクルトの追加点を防ぐ方が先だ」
 森は常に最悪のパターンを予想しそれを未然に防ぐ策を採る。マイナス思考から発する独特の森イズムだ。しかし八回と九回に再びチャンスが回ってくるとは限らない。しかしヤクルトがこれ以上得点を入れる事は西武の敗北を意味する。
「だとすれば・・・・・・」
 最早西武でヤクルト打線を完全に抑えられるのは彼しかいない。森もまた腹をくくっていたのだ。
 ここで石井は森の予想以上の働きをする。石井は打ったのだ。
 打球はゆっくりと右中間に上がっていく。飯田がそれを追う。
 しかしこの時彼はバックホームに備え前に守っていた。それが仇となってしまった。
 ボールは飯田のグラブを弾いた。そしてそれが何と同点打となったのだ。
「何と・・・・・・」
 これにはさしもの森も驚いた。西武ベンチが喜びに包まれる。
「一点・・・・・・あとはこれを守りきる。そして次の機会を待つぞ」
 森はここで第四戦以降全く当たっていない清原をベンチに退けた。そして守備を固めたのだ。
「ここで看板の主砲を引っ込めるかい。何としても守りきるつもりやな」
 野村は西武のベンチを見て言った。
「だがそうはさせんで」
 その裏ヤクルトは石井を攻め立てた。ワンアウト満塁の絶好のチャンスだ。
 ここで野村は代打を送る。またしても杉浦だ。
「ここで打ったら御前は英雄になるで」
 野村は杉浦に対して言った。杉浦はその言葉に黙って頷いてバッターボックスに向かった。その背に大歓声を受けながら彼は落ち着いていた。
 打球は打ち損じであった。バットが根元から折れる。
 打球は一二塁間を転がる。打球は難しい場所に転がった。
 セカンドの辻がそれを追う。グローブの先で打球を捕った。
 ゲッツーには出来そうもない。彼はホームへ送球した。
 しかしそれは逸れてしまった。高い。伊東は跳んだ。
 三塁ランナーは広沢。その身体を生かして果敢に突っ込む。
 彼はホームゲッツーを避ける為伊東を吹き飛ばすつもりで突っ込んで来たのだ。この時彼はそれだけを考えていた。その図体に似合わず彼は意外と足も速かった。
 この時彼は送球が高かった事は見えていなかった。そしてあまりにも直線的な突入であった。
 彼は伊東が着地したその場に突っ込んだのだ。伊東はそれを凌いだ。広沢は無残にもホームで憤死した。
 それでもヤクルトは石井を再三に渡って攻め立てる。八回には一死満塁、九回には二死一、二塁。しかし石井はここで踏ん張る。試合は延長戦に突入した。
「これで四回目の延長戦か。ここまで長い戦いは始めてだな」
 森は呟いた。だが同時に決着の時が近付いている事もわかっていた。
「このシリーズでわし等は延長戦は全て勝っとる。今日ももらうで、そして日本一や!」
 野村がナインに言った。そして両者はグラウンドに戻った。
 十回表、西武の先頭バッターは辻であった。流し打ちが得意で首位打者を獲ったこともあるパリーグ、いや当世きっての技巧派である。こうした場面では実に嫌な男だ。
 その辻が打った。レフト線を越えるツーベースだ。明らかに疲労の見られる岡林のスライダーを見事に打った。流し打ちではない。思いっきり引っ張ってきたのだ。
「ここで決める!」
 森はこれを絶好の勝機と確信した。まずは大塚に送りバントをさせる。これで一死三塁。岡林に、ヤクルトナインに緊張が走る。シリーズで最大のピンチを迎えた。
 神宮が静まり返る。野村も、森も黙ってバッターボックスに向かう。痩せて引き締まった身体つきの男を見ていた。
「三番、センター秋山」
 ウグイス嬢がその名を告げる。その前の年にシリーズMVPとなりこのシリーズでも第四戦で決勝アーチを放っている。清原がベンチにいる今西武で最も怖ろしい男だ。
「この男さえ凌げれば・・・・・・!」
 岡林は意を決した。逃げない。キャッチャー古田も、野村も腹をくくった。
「岡林と心中だ」
 ヤクルトナインも頷いた。ここで逃げても何の意味も無いからだ。
「抑えるんや。そして石井を打ち崩して日本一や」
 野村は言った。だがここで古田の配球は秋山にある程度読まれていた。
 ここである程度とはいえ読まれるのは敗北を意味する。秋山は岡林のボールを打った。
「しまった!」
 古田はマスクを放り投げて打球を目で追った。後で野村は彼の配球をなじった。
「何ちゅう配球しとんのや」
 と。それを彼は後々まで悔やむことになる。
 打球はゆるゆると上がっていく。力は無い。だがそれはヤクルトナインとファンを絶望させるには充分な打球であった。
 打球はセンターフライであった。飯田が捕った。その瞬間ヤクルトナインは奈落の底に落ちた。
 辻が打球を確認して走る。如何に飯田の肩が強かろうが彼を止める事は不可能だった。西武は貴重な一点を手に入れた。
「まだ勝負は続くで」
 それでも野村は諦めない。ヤクルトナインも絶望から目を覚ました。ファンも最後の攻撃に希望を託す。
「この回を凌げば・・・・・・」
 森は呟いた。これは秋山を前にしたヤクルトナインや野村と全く変わらない言葉だ。しかし状況が違う。
 石井の身体に何かが宿った。そしてその投球は正に鬼神が宿ったかの如きだった。
 石井は投げる。そしてヤクルト打線を全く寄せ付けない。これまで以上の凄まじい投球だった。 
 そして最後のバッターパウエルのバットが空を切る。長い戦いがここに幕を降ろした。
「やったぞーーーーーっ!!」
 その瞬間石井は両手を上げガッツポーズをした。その瞬間西武ナインは喜びに包まれた。
 三連覇。またしても日本一となった。優勝には慣れている。だがこの時は違っていた。
「やっと勝った・・・・・・。俺達は勝ったんだ・・・・・・」
 西武にこの男ありと言われた石毛が泣いている。何度も日本一を経験している男が泣いていた。
「俺は初めて見た。自分のチームの選手が勝って泣いているのを」
 森は言った。彼にとってもつらく苦しい戦いだった。
「精神的にもこたえた。遊び、読みの出来ないシリーズだった」
 そして最後にこう言った。
「こんなに苦しい戦いは初めてだったよ」
 巨人の正捕手だった頃からシリーズを知っている男が言った。実に深い言葉だった。
 森は宙に舞う。そして石毛が。西武は勝者となったのだ。
 それを黙って見る男がいた。敗れたヤクルトの将、野村である。
 彼をマスコミが取り囲んだ。野村は彼等に対し言った。
「まさかな七戦までいくとは思わんかったな。どの試合も采配を振るうわしが手に汗握った。うちの選手がシリーズを盛り上げたんや。セリーグの覇者の面目は保ったな」
 その言葉は意外だった。彼のその言葉には嫌味が無かった。しかし彼はふと立ち止まって言った。
「うちはまだまだ何をとっても未熟や。それが最後に出たな」
 彼はそう言うと死闘が行われた暮れかかる神宮の社を後にした。
 長い戦いだった。西武圧倒的有利と言われながらも若いヤクルトは果敢に戦った。そしてあわや、というところまで王者西武を追い詰めた。だがそこまでだった。
 気力を振り絞って投げ抜いた岡林は遂に一勝も出来なかった。その力投を評価されシリーズ敢闘賞をもらっても彼の心は晴れなかった。勝負に勝てなかったからだ。
 飯田は石井のボールを捕れなかった。広沢はホームを奪えなかった。辻のボールを見ずに突っ込んでしまった。そして古田の最後の配球ーーー。ファンは言った。
「西武相手によくやった!」
 と。だがその言葉で彼等が慰められる筈もなかった。
 あと少しだった。あと一点。だがその少しが限り無く遠くあと一点がはてしなく多い点だった。その少し、一点こそがヤクルト
と西武の差だったのだ。その少し、一点を果てしないものにする。それが王者西武の強さだったのだ。
 ヤクルトナインは敗北の屈辱を噛み締め戦場を去った。そして胸の内にある決意を秘めた。
「打倒西武!」
 彼等は早速次のシーズンに向けて動きはじめていたのだ。その屈辱を、無念を晴らす為に。


                      2004・3・2

 
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