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第一章 ~囚われの少女~
ジャックの苦悩
星空を背景に、少年ジャック・ジンは船の甲板で浮かない顔をしていた。
その瞳は虚ろに、光のない夜空の色を映し出す。
「くそっ……なんで僕が――」
夜の闇よりも暗い影が、黒服のその背中に渦巻いていた。
それは少年の苦悩を物語っているものなのだろうか。それとも、自分で自身を呪っているのだろうか。自分の生まれた運命を。
ジャックは、丸眼鏡の奥で瞳をとじる。時々こうして独り、忌まわしい記憶を辿っていくのだった。
少年には生みの親の記憶がない。ただ一つわかっていたことは、母親に捨てられたということだった。
まだ計算も教わらないほど幼かったジャックは、雨の降る空港に一人、置き去りにされた。
親を探す術を知らず、この場がどこなのかさえもわからず立ち尽くしていたことを、少年は茫然と思い出す。
覚えているのはただそれだけだった。それ以前の事は、まるで記憶を消されたかのように思い出せなかった。思い出そうとすると、頭が割れるように痛む。それは恐怖となって少年を襲う。
今ジャックに声をかけられる者は、団員の中で一人としていなかった。
それもそのはずである。重大な役に指名をされたジャックは、女嫌いを理由に悪態をついた。それは先ほどの出来事だった。
――
「今回は俳優、姫の誘拐をどちらもしてもらわなくちゃいけない団員がいる。それはアンタよ、ジャック」
団長の言葉を聞いてジャックは耳を疑った。
自分が女嫌いなのに、どうしてそんな事が言えるのだろう。団長もそれを知っているはずだ。この役は自分の適任ではない。
そしてジャックのした返事は――
「いやだ」
当然、その場の空気は荒れた。
「どうしてジャックに?」
「ジャックよりもシドの方が向いてるんじゃ」
「ジャックには無理だぜ」
団員たちは口々に言う。それを聞くや否や、団長ライラはジャックを諭す。
「アンタしか、姫に近づける役はいないのよ。今回の演目を考えてごらん」
オレリアで上演予定の演目は、『少年と小鳥』という話だ。
今回ジャックは、その主演の少年役を演じる。ジャックはこの盗賊団の最年少。この役をできるものはジャックしかいなかった。
「“少年と小鳥”――この演目は、オレリアの王女レナ姫が大そう好んでいらっしゃるとのことで、国からのリクエストだよ。主役の少年役は、舞踏会でレナ姫の隣の席に招待されているの」
だからレナ姫を誘拐するのはジャックが適役、というのが団長の言い分だった。
しかし、ジャックはその言葉を簡単には受け入れる事が出来ない。
蒼の瞳は冷たく、団長の方を睨む。
「僕は王女を誘拐するなんて嫌だ」
それはまるで駄々をこねる子供のような様でしかなかった。
ほかの団員は皆、これには冷や汗ものだった。この中でこんなことを言えるのは唯一ジャックだけだろう。
団長ライラは生物学上男ではあるが、普段は女言葉を使う。しかし、それには品があり、その人の味となっていた。
しかも抜群の統率力で団員をまとめている事から、その人格や人柄は、尊敬はしても軽蔑するような者は決していない。
一方、団長の方は表情一つ変えずに――
「それじゃあ好きにしてもらうよ、ジャック。アンタは盗賊失格よ」
団長は決して、滅多な事ではそういった言葉を発しない。
その言葉は、団からの追放を意味するからだ。
周りの者は息を飲んで見守る。
「……やんのかやんないのか、港に着くまでに外で頭冷やして来な!」
そして厳しく、団長はジャックに言い放った。
受け取り方によっては考えるチャンスを与える言葉だ。だがジャックは、納得いかないといった顔をしたまま、部屋を後にした。
「さて……。と、なると代案を考えないと行けないわね。演目は、変更ね」
盗賊団の会議は夜更けまで終わらない。
「くそっ……なんで僕が。なんで……僕なんだ」
盗賊団を辞めるか、辞めないか。
(……でも)
自分はどうしても女性に触ることができない。
(どうすれば。一体どうすればいいんだ……)
ジャックは独り、夜風に当たりながら己の運命を苦悩していた。
港へ着くまでには決心できそうにない。いや、ジャックの心が揺らぐには、何が起きようと到底不可能だ。
姫を抱きかかえようとした瞬間に無様な姿に成り果て、大悪人として首を刎ねられること以外想像できなかった。
その想像はとても恐ろしいものだったのだろう。ジャックは具合が悪くなってくる。
「……な……んだ?」
――…………っ!
突如として、頭が割れるような痛みに襲われた。それはいつもの症状よりも激しく、本当に頭が割れて、死んでしまうのではないかと思う程だった。
そこからの出来事をジャックは――自らの知る術を失った。
――お母さん! お母さん! ここはどこなの? どこに行っちゃったの? 僕のことを置いて行っちゃったの?
失われた意識の中で、幼き日の少年の声がする。
――僕はどうしたらいいの? お母さん。ねぇ、お母さん? どこ? どこにいるの?
(僕は……どうしたらいい? また、ひとりになってどうするんだ?)
ジャックは夢の中で、自らの人生をかえりみる。
幼い頃。母親に捨てられて以来、女が嫌いになった。
自分が女だと思う人物には、触れることも触れられることも恐ろしい。感覚でだが、半径1m以内に女の気配を感じただけで、とてつもない寒気に襲われる。
その度に心は氷のように鋭くなり、その対象に対して嫌悪感を抱く。触れたり触れられたりすると、頭痛や吐き気、体中に起こるかゆみなどの症状に苦しむことになる。
なにも、母親に捨てられたくらいでそこまでなるものかと、そんな風に言われた事もあった。そう言われるのもわからなくはない。
だったらなぜ僕は、そんな風になってしまったんだろう。
盗賊団『マスカレード』に拾われた後の苦労は、生半可なものではなかった。人を殺すような行為こそしなかったものの――今はこのことは忘れよう。思い出すだけで頭が痛くなる…………。
ああ、もうこれ以上ここに“僕”が居ることは無理みたいだ。僕は知ってしまった。意識を失っている最中ということを――
目覚めたとき、少年はその場から姿を消した。
-第十一幕へ-
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